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夫の思いと妻の願い・6

 この国において、王太子妃付きの女官はいわゆる下働きをするような侍女ではない。

 簡単に言ってしまえば公的な友人枠である。王太子妃の友人としての振る舞いを求められる、重大な職務だ。

 さらに王太子妃から信頼を勝ち得えてお気に入りにでもなれば、一族郎党は当たり前のように要職に取り上げられたり、新たに領地を与えられることもある。

 それは貴族の女性として大出世間違いなしの申し出だった。


「すみません、待ってください……私は社交界デビューも済ませないまま嫁いだ人間です。とても王太子妃つきの女官など務まりません」


 カールは、わかっているとうなずきながら足を組み替える。


「もちろん、君が屋敷を出ないこと山の如しの『ヴェルヴェック家の眠り姫』とまで言われていたことは、百も承知だ。だが皇女殿下は御年十八歳。フランチェスカと同い年な上、大変な読書家らしい。とにかく本が好きな女性がいい、年が近く、何でも話せるような気の置けない友人が欲しいと、非公式でお達しがあった」

「だとしても本好きなら、私以外にいくらでもいるのでは……?」

「以前おばあ様が『フランチェスカより本を読んでいるレディはいない』と言っていたじゃないか」

「それは、そうですけど……あれはおばあ様のひいき目でしょう」


 フランチェスカは戸惑いながら首を振る。

 祖母はとにかくフランチェスカに甘かったので、彼女からは褒められた記憶しかない。そのおかげで今の図太い性格の自分があるのだが――。


「だが君は実際、優秀だ。帝国の公用語であるロドウィック語が話せるだろう?」

「それは……はい」


 世界中の本を読むために、フランチェスカは物心ついた時から家庭教師をつけて語学の勉強をしていた。文化の中心である帝国で出版された本もしかりだ。翻訳をのんびり待っていられないので、必死で学んだ。

 それはただ単に『世界中の本を読みたい!』という欲望が根っこにあるのだが、それがこういったかたちで評価されるとは思わなかった。

 どこか一歩引いたフランチェスカに向かって、カールは深いため息をつく。


「とにかく……皇女の希望は最大限応えよというのが王子の意向だ。なので君以外に適任者はいないと僕は思っている」


 カールの言葉にフランチェスカはなにも言えなくなった。


(なるほど……カールは私で点数稼ぎをしたいのね……)


 従妹が王太子妃つきの女官となれば、カールの将来にはかなりプラスに働くのは間違いない。

 なんと返事していいかわからず黙り込んだフランチェスカを見て、カールは薄い唇に笑みを浮かべた。


「イヤだとは言わせないぞ。君は、僕の弟との結婚も断っただろう。自分にはもったいないとかなんとか理由をつけて、結局辺境のケダモノ中将のところに嫁入りした。うちに恥をかかせたんだ、当然償ってもらう必要がある」


 カールの指摘に心臓が跳ねる。

 そう、確かにフランチェスカはカールの弟との婚姻は早々に断っていた。嫡男でなくとも公爵令息ですでに子爵である。地位も名誉も財産にも問題はなかったが、大層な女好きと評判の男だったので、悩むこともなくお断りしたのだ。


(貴族同士の結婚だもの。割り切るべきだったんでしょうけど)


 だがフランチェスカは心の自由を捨てきれなかった。貴族の娘として非難されてしかるべきなのかもしれない。けれどそのわがままを通したおかげで、マティアスという心から好きな人ができたのだ。

 そして今、シドニアを発展させるマティアスの力になりたいと心から思っている。

 フランチェスカはゆっくりと顔をあげ、それからカールに向けて深々と頭を下げた。


「ありがたいお申し出ですが、私はもう結婚した身ですのでお断りさせてください。それに今はなによりも『シドニア花祭り』に注力したいんです」


 やんわりと首を振ると、カールが信じられないといわんばかりに目を見開いた。


「は!? 王太子妃つきの女官を蹴って、あんな平民出身の野獣に仕えると言うのか? しかも祭り? 野蛮なケダモノくせに今更人間様の人気とりをしようとでも言うのか。バカバカしい!」

「――ッ」


 カールの罵詈雑言に一瞬、瞼の裏がカッと赤く染まった気がしたが、なんとか飲み込んだ。

 そうだ。ここで頭に血を登らせては元も子もない。

 テーブルの下できつく拳をにぎり、唇を震わせながらも従兄を静かに見つめる。


「カール、どうぞ夫を誤解なさらないで。マティアス様はとても心優しく、真摯で真面目な方です。私は夫を心から尊敬して……王都ではなくシドニアで暮らし、あの地で暮らす領主の妻として生きていきたいのです。そして領民のためにも『シドニア花祭り』を成功させたいと思っています。申し訳ありません」


 穏やかな口調ではあるが一歩も引かない。

 そんなフランチェスカの意志を感じ取ったのだろう。

 カールは激しい音を立ててテーブルを拳で叩く。


「ジョエル!」


 だがジョエルも引かなかった。それまで無言で話を聞いていたジョエルは、

「僕も妹と同じ気持ちです。そうでなければ最愛の妹を嫁がせようなんて思わない」

 とさらりと答える。


 兄と妹の抵抗を受けて、カールは苛立ったように椅子から立ち上がった。


「それでも王家につらなる家の子か! お前たちがここまで愚かだとは思わなかったぞ! この恩知らず! 絶対に後悔することになるからな、覚えておけ!」


 完璧な捨て台詞とともに、勢いよく応接室を出ていってしまった。


「――お兄様、ごめんなさい」


 応接室から重くて苦しい空気が薄れた頃、ため息とともにフランチェスカは詫びの言葉を口にた。


「なにが?」


 ジョエルはクスッと笑う。


「……お嫁に行く前だったら、断ってなかったわ」


 もちろん自分に務まるのか悩みはするだろう。王太子妃のお気に入りになるはずが、逆に疎まれて、兄や父に迷惑をかけることになる可能性だってある。おいそれとは決断できない。

 だが最終的に、フランチェスカは『小説のネタになりそうだから』『とうぶん結婚しなくても許されそう』というその点だけで、王宮に上がることを選んだ気がする。

 なのに断ってしまった。

 今のフランチェスカは『シドニア花祭り』を成功させることで頭がいっぱいだし、なによりマティアスと離れたくないのだ。彼に妻として必要とされていなくても、側にいたかった。


「私、自分のことばかりで恥ずかしいわ。せめて考えさせてくださいって言えばよかった」


 即答で断るなんて、カールの面目を潰してしまっただけでなく、父やジョエルの立場も悪くしてしまったに決まっている。


「ごめんなさい、お兄様……」


 謝罪の言葉を絞り出したところで、胸の奥がぎゅっと苦しくなって涙が浮かんだ。

 それを見たジョエルが慌てて立ち上がり、椅子に座ったまましゅんとうなだれるフランチェスカを抱き寄せる。


「フランチェスカ、泣かないで。どうせ断るなら今日でも先でも一緒だよ。それより僕はお前がマティアス殿をとても大事に思っているとわかって、嬉しい。あの方もお前を妻として愛してくれているんだね」

「――」


 兄の言葉に、フランチェスカは胸を詰まらせながら、唇をかみしめる。


(いいえ、お兄様。それは違うの、私の片思いなのよ……。マティアス様は私を年の離れた妹のようにしか思ってくださらないんだもの……!)


 本当は感謝しなければならないのだ。

 押しかけ妻など迷惑千万な自分を、最大限尊重して好きなことをやらせてくれているマティアスに、さらに自分を妻として愛してくれなんて。そんなのはわがままが過ぎる。

 あれこれと望みすぎでバチが当たってしまう。

 そう、頭ではわかっているのだが、なかなか思い切れない。


「フランチェスカ……」


 無言で涙を浮かべる妹の黄金色の髪を優しく指ですきながら、しばらくそのまま立ち尽くしていたのだが――。


「マティアス殿!」

「えっ……?」


 兄の言葉に顔を上げると、ドアを開けたマティアスがその場に凍り付いたように立ち尽くしていた。


「マティアス様……」


 名前を呼ぶと同時に強張った表情のマティアスが大股で近づいて来て、慌てたようにフランチェスカに向かって腕を伸ばす。

 まるで迷子の子供をようやく見つけ再会できたような、そんな姿だった。


「あっ」


 次の瞬間、フランチェスカの体はマティアスの胸の中にすっぽりと納まっていた。


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