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夫の思いと妻の願い・4

 仕立て屋との打ち合わせがひと段落した時、窓の外ではとっぷりと日がくれていた。

 テーブルの上の大量の布やビーズを眺めながら、フランチェスカはため息をつく。


(実家に顔を出しても、お茶を飲む暇もなさそう……)


 そんなことをぼんやりと考えていると、別室で書類仕事をしていたらしいマティアスが顔を覗かせた。


「そろそろヴェルベック家から迎えの馬車が来る頃です。明日の昼に迎えに行くから、今日は実家でゆっくり羽根を伸ばしてください」

「えっ!」


 驚きすぎて声が出てしまった。なにからなにまですべてマティアスが準備してくれているのは嬉しいしありがたいが、段取りがよすぎて気持ちがついていかない。


「でも……」

「もうこんな時間だ。無理はいけません。なんでもひとりでしょい込んではいけない。『シドニア花祭り』はみんなで作っているだと言ったのはあなたでしょう」

「――はい」


 マティアスの言うことはもっともなので、ぐうの音も出なかった。

 結局、迎えに来た馬車にそのまま乗せられてしまった。


「なんならご実家で数日ゆっくりしてはどうですか? 積る話もあるでしょうし」


 ステップに長い足をかけて、座席に座ったフランチェスカに微笑みかけるマティアスは、本気でそう思っているようだ。


「っ……明日、必ず迎えに来てくださいねっ」


 とっさに言い返してしまったのは、このまま置いて行かれるのではないかという恐怖を感じたからだ。


「フランチェスカ?」


 マティアスは少し不思議そうに目を見開いたが、どこか必死な様子のフランチェスカを見て、理解したのかしていないのか、無言で小さくうなずいた。


「……っ」


 その曖昧な反応に胸が焦れる。

 フランチェスカは座席シートから立ち上がると、キャビンの中に体半分だけ入れているマティアスの肩に手を置き、ぐいっと手前に引き寄せながら、マティアスの額に唇を押し付けていた。

 マティアスはフランチェスカより頭ひとつ分以上背が高いので、いつもならこんなことはできなかっただろう。

 その突然のキスに、マティアスは無言でビクッと体をふるわせて硬直してしまった。

 なにかを考えてやったわけではない。咄嗟の行動だが、本当は唇にしたいのを嫌われたくないから我慢した自覚もあるし、あまり褒められた態度ではないのは自分でもわかっている。


「こっ、これはおやすみのキスの前借りですっ」


 だから何かを言われる前に最初に言い切ってしまった。


「――そうですか」


 フランチェスカのつたない言い訳を聞いてマティアスはうめくように言うと、少し困ったように微笑みながらフランチェスカの首の後ろに手を回し、そうっと顔を近づけて頬にキスをくれた。


「いつもあなたには驚かされてばかりです。フランチェスカ」


 そしてマティアスは後ろに跳ねるようにキャビンから降りると、ドアを閉めて御者に出るように合図する。


「行ってくれ」

「マティアス様……! 約束ですよ、絶対、迎えに来てくださいね!」


 馬車はすぐに動き出してしまったから声は届かない。

 その場に立ち尽くしていたマティアスが、馬車が見えなくなるまでどんな表情で見送っていたか、知らないまま。

 フランチェスカは切ない思いで、そう言わずにはいられなかった。




 ベルベック侯爵家のタウンハウスは王都でも有数の高級住宅地にあり、先祖代々の広大な土地を贅沢に使った広大なお屋敷である。十八年間そこで生活していたはずなのに、久しぶりの実家に妙な懐かしさを覚えていた。

 愛娘の帰省を両親や兄夫婦はとても喜んでくれた。

 フランチェスカを見て『顔色がよくなったんじゃないか』とか『元気そうでよかった』と大さわぎして、なかなかの歓待ぶりだった。


(そういえばこんな家に住んでいたんだって思うの、変な感じ……)


 家族の大歓迎を受けながら、応接室でお茶を飲みながら『シドニア花祭り』の件を話して聞かせる。

 話を聞いた両親が『絶対に行く』と鼻息を荒くしたのは予想の範囲内だったが、反応に驚いたのは兄嫁のエミリアだった。


「BBの久しぶりの新作がお芝居だなんて、しかも義妹夫婦が出演するなんて、なんて素敵なんでしょう~! 絶対、絶対っ、観に行きたいわ~!」

 と、ぎゅっと顔の前で祈るように指を握り込み、瞳を輝かせた。


「チケットはとれるかしら? いつ発売なのかしら。実はBBのファンがお友達にたくさんいるのよ。王都でも話題沸騰なんですっ」

「そ……そうだったの?」


 思った以上の反応に、BBことフランチェスカは驚く。


「野外の劇場でお金をとるつもりはないんです。あくまでもお祭りがメインなので」

「無料なら、王都から押し寄せてきた客をどうさばくか、それなりに準備しておいた方がいいかもしれないね。事故でも起きたら大変だ」


 妻と妹の会話を聞きながら、ジョエルがうんうんとうなずく。


「たとえば馬車でやってきた領外からの休憩所をどこに作るか、宿泊したい客がどのくらいいるか。劇場で混乱が起こらないように、事前に整理券を配ることも考えた方がいいんじゃないかな」

「えっ、ちょっと待ってお兄様っ」


 兄の言葉にフランチェスカは慌てて、侍女に紙とペンを持ってこさせる。


「やることがいっぱいね……!」


 祭りまであと一か月と少し。シドニア領もきたるべき初めてのお祭りに浮足立っている。

 せっせと兄の助言を書きつけていると、ジョエルが手を伸ばしてフランチェスカの頬を撫でた。


「忙しくしているみたいだけど、マティアス殿とは仲良くしている?」

「仲良く……」


 兄の発言に、ぴたりと手が止まる。

 あれこれと想像して、頬が熱くなるのが自分でもわかった。

 フランチェスカは紙の端にぐにぐにと模様を描きながら、言葉を選びつつ口を開いた。


「その……マティアス様は本当にお優しいわ。花祭りのことでも私の意見をとても尊重してくださって……あたたかく見守ってくれるの」


 マティアスは自分を妻としては見ていない。手のかかる妹でも見ているような、それこそ保護者のつもりでいる。その事実を思うと胸が締め付けられて苦しくなるけれど、夫に恋をしているフランチェスカは、今はどんなかたちでも大切に思われるのが嬉しかった。

 ふうっと息を吐いて、それからニコッと笑顔を作る。


「結婚してよかったって本気で思ってるわ。マティアス様をお勧めしてくれたお兄様にも、結婚を許してくれた家族のみんなにも感謝してします。ありがとう」


 フランチェスカの言葉を聞いて、家族たちは驚いたように一斉に目を見開き、それからニコニコと笑顔になる。

 ジョエルもホッとしたように目を細め、それからよしよしと妹の頭を撫でる。


「お兄様も嬉しいよ」

「もうっ、子供扱いはやめてくださる? 私これでもシドニア領主夫人なんですけれど」


 わざとらしく唇を尖らせると、また家族たちは「これは失礼」と声をあげて笑ったのだった。


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