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夫の思いと妻の願い・3

 王都に到着後、馬車に乗り換えて中央広場のすぐそばにある集合住宅へ向かった。


「マティアス様、ここは?」


 てっきりそのまま仕立て屋に行くものだと思っていたフランチェスカは、マティアスに手を取ってもらいながら建物を見上げる。


「俺のタウンハウスです。少し休憩しましょう」

「でも……時間が惜しいです」


 『時は金なり』だ。衣装の打ち合わせをして家族の顔を見て、今日中に帰るつもりだった。休憩なんかしていられない。

 口ごもるフランチェスカを見て、マティアスは軽く目を細める。


「まぁ、そう言わずに。たまには部屋に風を通したいので、付き合っていただけませんか」

「はい……」


 そこまで言われたら断れない。彼と一緒に建物に入る。

 建物は五階建ての集合住宅だった。古めかしいエレベーターに乗り込み最上階で降りる。ワンフロアすべてがマティアスの持ち物らしい。領内の屋敷をほうふつとさせる、シックで品のいい家だった。


「いつご用意されたんですか?」

「ダニエルを雇ってからなので、六、七年ほど前ですね。当時は必要ないと突っぱねたんですが、用意していてよかった」


 マティアスはあちこちの窓を全開にしてまわりながら、着ていた上着を脱ぎソファーの背もたれにのせる。


「お茶を用意するので座っていてください」


 たまに掃除を入れさせているらしいが、使用人を常駐させているわけではないので、なにをするにも『自分で』ということになる。

 フランチェスカも「では私が」と申し出たのだが、十八年間一度も自分でお茶の用意などしたことがなかったことを見透かされていたらしい。改めて「座っていてください」と、眺めのいい窓辺の寝椅子に座らせられてしまった。


(どこの世界に旦那様にお世話をさせる妻がいるかしら……)


 と思ったが、彼の言うとおり、フランチェスカは疲れ切っていたらしい。一度座ってしまうと、もう立ち上がる気力が微塵も湧いてこなかった。

 列車に乗っていただけなのに、体がバラバラに崩れてしまいそうだ。


(はぁ……己の虚弱体質が憎いわ……)


 気持ちばかり先走って、思い通りに動けない自分にイライラしてしまう。肘置きにもたれながら、ぼんやりと窓の外を見つめていると、

「――どうぞ」

 目の前のテーブルにカップが置かれる。ふわりと鼻先に不思議な香りが漂った。


「いただきます……」


 正直、今はなにも口にしたくないと思っていたが、せっかく入れてもらったお茶を無駄にはしたくない。

 カップを持ち上げて唇をつける。一口飲んで驚いた。匂いはきついと思ったが、たっぷりのスパイスとお砂糖が入ったお茶は、ビックリするほど美味だった。


「マティアス様、これ、すごくおいしいのですが……!」

「お口にあってよかった。軍隊式のスパイスティーなのであまり上品ではないんですが、疲れには効きますよ」


 マティアスも長い足を組んでフランチェスカの隣に腰を下ろし、お茶を口元に運んだ。

 開け放った窓から吹き込む風にそよぐ彼の赤毛が美しい。


(あぁ……部屋に風を通すためではなくて、私を休ませるためにここに寄ってくださったのね)


 忙しいマティアスの時間を奪ってはいけないと、焦っていた気持ちが少しだけ緩む。


「マティアス様、ありがとうございます。私、また肩に力が入っていました。同じ過ちを繰り返すところでした。学ばない自分が恥ずかしいです」


 倒れた後、根を詰め過ぎるなと言われたばかりなのに、気力でなんとかなると思い込んでしまう。もう少しやれるはずだと思ってしまう。たぶんそれは『そうありたい』というフランチェスカの願望なのだろうけれど。


(マティアス様に呆れられてしまったかも……)


 がっくりと肩を落としたところで、そうっと膝の上に手が置かれる。


「フランチェスカ。そのために俺がいるんです」

「え?」


 マティアスの言葉に、フランチェスカの胸がドキッと跳ねる。大きなマティアスの手のぬくもりに、じんわりと体が熱を帯び始めた。


『もしかしたら旦那様、フランチェスカ様のこと、好きになり始めておられるのでは?』


 脳裏にアンナの言葉がぐるぐると回って離れない。もしかしたら、今ここで彼に思いを告げたら、妻として受け入れてくれるのではないだろうか。


(これ以上のチャンスなどないのでは……!?)


 フランチェスカは膝の上でぎゅっとこぶしを握り締めた後、勇気を出して顔をあげる。


「あのっ……」

「形ばかりの結婚かもしれませんが、人として俺を信用してください。フランチェスカ……俺は保護者として、あなたの力になりたいと思ってします」

「――」


 こちらを見つめるマティアスの目はとても優しかったけれど、目の前でズバッと線を引かれた気がした。


 保護者――。

 彼の言葉に目の前が真っ白になる。


(あぁ、そうなんだ……)


 彼から見て、フランチェスカはまだまだ子供で。とても恋をするような相手ではなくて。

 要するに彼にとって手のかかる妹のようなものなのだ。だからこんなに優しくしてくれる。


(そうなのね……)


 全身から血の気が引いているのが自分でもわかった。

 握りしめた指先が氷のように冷える。胸がぎゅうぎゅうと締め付けられて、息がうまく吸えなくなったが、ここで倒れてまたマティアスに迷惑をかけたくなくて、必死に奥歯を噛みしめた。


「――フランチェスカ?」


 彼の前で泣きたくなくて、彼の美しい緑の瞳から逃げるようにうつむいた。


(泣いてはだめよ、フランチェスカ……これ以上マティアス様を煩わせたりしないで……!)


 フランチェスカの黄金色の髪がさらさらと肩から零れ落ちて、顔をカーテンのように覆い表情を上手に隠してくれた。

 何度か深呼吸した後、フランチェスカはそうっと目の縁に浮かんだ涙を拭い、顔を上げた。


「ありがとうございます、マティアス様。そう言っていただけて、とても心強いです」


 精一杯笑って強がったのは、スプーン一杯くらいの意地だったかもしれない。


「――」


 マティアスの緑の目と視線が絡み合う。お互いの心の奥底まで覗き込もうとするような、静かだけれど熱い視線。

 先に目を逸らしたのはマティアスだった。

 少し戸惑ったように目を伏せて、低い声でもう一度、念押しするようにささやいた。


「本当に、あなたの力になりたいと思っているんです」と――。




 

 それから間もなくして、仕立て屋が頼んでいた衣装の見本を大量に持ってタウンハウスへやって来た。


 驚くフランチェスカに、

「店に行くよりも、うちに運んでもらった方がいいでしょう」

 とマティアスが説明する。なんとマティアスがそのように準備していてくれたらしい。


「なにからなにまで、ありがとうございます」

「手配したのはケトー商会ですから」


 マティアスは遠慮がちに微笑み、「では、俺は別室で仕事をしています」と別の部屋に行ってしまった。


(マティアス様……)


 後ろ髪引かれる思いで夫の背中を見つめたが、その気持ちを必死で抑え込む。


(寂しいなんて思ってはだめ。今は『シドニア花祭り』を成功させることを考えなくては!)


 フランチェスカはキリッと表情を引き締めると、決意を燃やすのだった。


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