結婚したくない令嬢・3
けれど今更、フランチェスカは物語を書くことをやめられなかった。
生まれてこのかた『一番多く見た景色がベッドの中から見上げる天井』だったフランチェスカにとって、頭の中にある自分の世界だけが生きる希望なのだから。
「あたしはBBの小説のファン一号なので、やっぱりやめてほしくないですけどね」
「まぁ、ありがとう」
ふふっと笑うと、さらにアンナは言葉を続ける。
「いや、お嬢様みたいにフワッフワの金髪に青い目をした、妖精さんかな? って感じの完璧美少女が、あんなえげつない男同士の嫉妬や憎しみ、ゴリゴリの愛憎入り混じる魂のぶつかり合いを精緻な筆致で書き上げるなんて、逆にエロイっていうか――モガッ」
「ちょっとアンナったら、声が大きいわよっ」
いくら誰も聞いていないと言ってもさすがにこれは恥ずかしい。
「私はエッ……卑猥なお話を書いているわけではないのよ」
フランチェスカはアンナの口元を覆った手をそのままに侍女をにらみつけるが、彼女はやんわりとフランチェスカの手を外すと、猫のように目を細めてウフフと笑う。
「でもお嬢様、男性同士の性別や性愛を超えた感情を書かれるのが、お好きなんでしょ?」
アンナの指摘に胸の奥がぎくりとする。
そう、彼女の言うとおりだ。
誰に教わったわけでもないのに、フランチェスカは昔から『男性同士の感情のもつれ』が大好物だった。
最初にペンをとりきちんと物語を書いたのは、大好きな児童文学の主人公をモデルにした、ライバルとのお話だったし(主人公には幼馴染の女の子がいたのだがそれは無視した)、それからも延々、男同士の物語を書き続けている。
外見も性格も身分も違う男たちが、愛憎入り混じった強い感情をぶつけ合う物語は、男女の恋愛小説とはまったく違うトキメキと高揚感を、フランチェスカに与えてくれるのだ。
ちなみにアンナ曰くフランチェスカが書いているのは『ブロマンス小説』というらしい。
こんなことを考えるのは自分だけかと思っていたのだが、主な読者層は女性で、BBは彼女たちからカルト的な支持を受けている。BBは王都でも指折りの人気作家だった。
「まったくもう……アンナってあけすけなんだから」
フランチェスカが呆れたようにため息をつくと、
「あらあら、そろそろ洗濯物を取り込まなくっちゃ!」
アンナはわざとらしくそう言い放ち「失礼しま~す!」とそのままいそいそと姿を消してしまった。
「はぁ……」
フランチェスカはため息をつき、見合い写真が挟まれた釣り書きをペラペラと適当にめくるが、まったく頭に入っていかない。
格調高い詩集を出すことは百歩許したとしても、小説を書くことを許す夫はいないだろう。
作家は男性だけに許された職業だ。結婚したら執筆を辞めなければならないのは間違いない。
(でもそれって、生きている意味はあるのかしら)
十歳まで生きられないと言われた。
それでも物語を心の支えにして十八まで生き抜いた。
自分が希望を失わず生きてこられたのは、家族の愛情と本があったからだ。
ベッドの中でどれほど高熱を出してうなされていても、咳のしすぎで肋骨が折れても、本を読み物語を書くことによってフランチェスカは生かされていた。
なのに結婚という制度のせいで、フランチェスカの心は生きながら死んでしまうことになるのかもしれない。
結婚なんか絶対にしたくない。心の自由を奪われたくない。
だが一方で、結婚を拒み続けて、優しい兄や両親を困らせたくもない。
がんじがらめのフランチェスカは、なにひとつ打開策を見出すことができず、立ち尽くすばかりだ。
(どうやったって、辛いわ……)
フランチェスカは釣り書きをぱたんと閉じると、誰も見ていないのをいいことに、盛大なため息とともに、テーブルに突っ伏して目を閉じたのだった。