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熱に浮かされて・7


(それにしても、俺、どんな顔をしていたんだ)


 マティアスはつい先ほどルイスに言われたことを思い出しながら、自分の顎のあたりを手のひらで撫でていた。




 領地のほぼど真ん中にある宿舎から屋敷までは馬車で十五分程度の道のりだ。いつもはそれほど長いとも思わないのに、今日は何倍にも感じて、何度も胸元の懐中時計で時間を確認してしまう。

 そして屋敷の前に到着するやいなや、物音を聞きつけたダニエルが飛び出してきた。


「旦那様!」

「フランチェスカの様子は!」

「今お医者様が診察中です」


 駆け足で螺旋階段をのぼり、フランチェスカの部屋へと向かった。するとドアが開き中から医者と看護師、アンナが姿を見せる。


「先生! フランチェスカの容体は!?」


 慌てて尋ねると、初老の医者は唇の前で指を立てて「お静かに」とささやいた。


「あ……すまない」


 興奮のあまり大きな声を出してしまったことを恥じて、小さく頭を下げる。


「それで彼女はなぜ倒れたんだ? もしかして大変な病気の可能性が……?」


 ハラハラしつつ尋ねると、

「過労でしょう」

 と、あっさり応えられる。


「過労……?」

「メイドに話を聞きましたが、どうも寝不足が原因らしい。嫁いで来られる前は、あまりお体が丈夫ではなかったということなので、せめて夜はしっかり眠るようにしてください」


 そして医者は「新婚とは言え、ほどほどに。ふふっ……」と言い、アンナに見送られて玄関へと下りて行った。

 一瞬、なにを言われたかわからず考え込んでしまったが、次の瞬間ハッとした。

 どうやら夫婦の夜の時間のことをたしなめられたらしい。


(『ほどほど』ってそういうことかよ……)


 かあっと頬が熱くなるのが自分でもわかったが、一応表面上は夫婦なので『違う』とも言いづらい。腰に手をあてて大きく深呼吸を繰り返した後、フランチェスカを起さないよう彼女の部屋の中へと足を踏み入れた。

 彼女はたくさんの枕にうずもれるように眠っていた。


「フランチェスカ」


 枕元に立ち彼女の手をとると、ひんやりと冷たい。白磁を思わせる艶やかな顔は蝋燭のように白く、薔薇色の唇も青白かった。相変わらず額に入れて飾りたくなるような美貌だったが、マティアスの胸はぎゅうぎゅうと締め付けられるように苦しくなり、たまらなくなる。


(どうして俺は、こうなるまで放っておいたんだ……。毎晩夜遅くまで、彼女の部屋の明かりがついていることを知っていたと言うのに)


 花祭りを行うと決めてから、フランチェスカは常に忙しそうだった。

 しかもつい先日、マティアスとフランチェスカのふたりが舞台に立つことが決まり、脚本にさらに修正を入れてもらうことになったとかで、夜遅くまで部屋の明かりが消えることはなかった。

 役者がそろったことで、衣装作りのために大量の布見本を取り寄せて、ああでもないこうでもないと言っていることも知っていた。

 とにかく彼女はオーバーワーク状態だったのだ。

 なのに自分ときたら、『元気があるのはいいことだ』と重く受け止めなかった。


 我ながら本当に馬鹿だ。彼女は元気があったのではなく、無理をしていたというのに。

 妻の体調に気を配れなかった自分に、腹が立ってしょうがない。


「旦那様、このようなことになり申し訳ございません」


 医者を見送って戻ってきたアンナが深々と頭を下げる。アンナはフランチェスカが王都から連れてきた侍女だ。幼いころから彼女の側にいて、もっとも信頼されている女性でもある。


「お前ひとりのせいじゃない。彼女が毎日夜遅くまで頑張ってくれていることは知っていたのに、止めなかった。俺にも責任がある」


 マティアスはもう一方の手でフランチェスカの頬にかかる金髪をかきわけると、入り口に黙って立っているダニエルを振り返った。


「明日から数日仕事は休む。それと彼女を夫婦の寝室に運ぶから準備してくれ」

「畏まりました」


 ダニエルは小さくうなずくと、屋敷のメイドを何人か連れて部屋を出て行った。


「旦那様……寝室を移動するのですか?」


 アンナが少し不思議そうに首をかしげる。


「ああ。彼女が起きても働かないように、見張る必要があるだろ?」

「それは……確かにそうです。お嬢様の性格上、遅れた分を取り戻そうと無理をする気がいたします」


 アンナはこくこくとうなずき、それからちょっとホッとしたように目を伏せる。


「でも……この地に来てからお嬢様は本当に元気になられたんです。王都にいた頃はお部屋にこもって本を読んでばかりでしたし、お食事も子猫くらいしか食べなくて……。きっと旦那様に認めてもらいたいっていう目標が出来て、毎日が楽しいんだと思います」

「楽しい?」

「はい。どうかお嬢様をお認めいただきますよう……お願いいたします」


 アンナは深々と頭を下げた後、ダニエルを手伝うと言って部屋を出て行った。


「――なぜ、と思ってはいけないんだろうな」


 BBとの関係はいったん保留するとしても、妻として認めてほしいという彼女の気持ちに疑う余地はないのだ。

 マティアスは深々とため息をつき、それからくしゃくしゃと赤い髪に指を入れて強引にかき回す。

 妙に落ち着かない気分になって、そのまま部屋の中を見回した。


(それにしても、若い娘の部屋とは思えないくらい質素だな……)


 花嫁を迎えるつもりがまったくなかったので、部屋の改装は一切されてない。そのうち壁紙を貼りなおしたり調度品を新しくしたいと言われるだろうと思っていたのだが、ずっとそのままだ。


 フランチェスカは侯爵領の一部と、莫大な持参金とともに嫁入りしている。

 結婚時に交わした契約では、離縁時には利子をつけて全額妻に返却としているのだが、ダニエルからは『安定した資産運用で利子は十分賄えますけど、くれぐれも離縁されないようにしてくださいね!』ときつく言い渡されているほどの大資産だ。

 ダニエルに離縁予定の『白い結婚』だと告げたら、憤死されてしまうかもしれない。その日が来るまで内緒にしておかなければならないだろう。


 とにかく――それほどの資産家であるはずなのに、ダニエルがフランチェスカから頼まれたのは、レターセットや文具、町を歩くのに違和感がないような普段着を数枚くらいで、豪華なドレスやアクセサリーなどひとつも欲しいと言ってこないらしい。

 マティアスが知っている貴族は、男女問わずいつも豪華な衣装に身を包み、夜ごと酒とギャンブル、そして美しい愛人に溺れて享楽的な生活を送っている者ばかりだったので、フランチェスカが特別に変わっているのだろう。


(本当に……俺が知っている貴族の誰とも違うな)


 なんとなく手持無沙汰で、窓の近くの書き物机に近寄る。

 机の上には花祭りに関する書類や報告書等々が積まれていた。誰もこれを見て侯爵令嬢の机の上とは思わないだろう。

 散らばっているのが気になって、つい片付けてやろうかと書類をまとめていると、そのうちの一枚がひらりと床に落ちてしまった。

 何も思わず拾い上げたところで、『マティアス様をモデルに』という一文が目に入る。


「……ん?」


 妻とはいえ、プライベートな手紙を勝手に盗み見るつもりはなかったが、己の名前があったのでつい視線で文字を追っていた。


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