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熱に浮かされて・6

 マティアスが本人役を演じると決まり、フランチェスカの筆はのりにのった。


「お嬢様、少し休まれたほうがよくないですか?」


 アンナが書き物机の上にハーブティーをのせる。


「うん……あと少し。ここを修正したら寝るわ」


 フランチェスカは上質紙の隙間を埋めるように万年筆を走らせている。

 時計の針はすでに深夜をまわっていたが、なかなか手が止まらない。時間をかければいいものができるわけではないのだが、少しでもマティアスの負担を減らすために、脚本を書き直しているのだ。

 マティアスは領主として毎日休みなく、ほぼ深夜まで執務に追われている。そんな彼に頑張ってセリフを覚えろとは言いづらい。なので長セリフが必要な部分はマティアスに背っ格好の似た俳優をつかい、顔を見せない形で舞台に立たせることを決めた。

 マティアスが顔を出すのは、ここぞというところだけでいいようにする。

 そんなこともあり脚本の大部分を書き直しているのだ。


「アンナ、心配しないで。私、シドニアに来てからすごく体調がよくなった気がするの」

「確かに最近のお嬢様は、お食事もよく召し上がるようになりましたし、真っ白だった顔色も、若干頬に赤みが増すようになって、すこ~し健康になられた気もしますけど」

「でしょう? やっぱりやりがいって大事なのね。私、今人生を最高に楽しんでいる気がするわ!」


 もちろん小説を書いている時は、ずっと楽しかった。

 自分が頭の中だけでぼんやりと考えているストーリーを形にし、一冊の作品とする喜びは、何物にも代えがたい感動があった。とはいえ執筆作業は自分ひとりだけのもので、そこには他人のはいるすべはない。己ひとりですべてが完結していた。

 だが今は違う。演劇はみなで作り上げるものだ。連帯の喜びがある。

 舞台が成功してシドニア領地の人たちに喜んでもらえたら、きっとマティアスも嬉しいだろうし、自分も妻として認めてもらえるに違いないという期待が、フランチェスカを動かしていた。


「うん……だから、がんばらなくちゃ。いいものを作らなきゃ……」


 そこで、机の上に置いていた原稿用紙が、ひらりと一枚床に落ちる。


「あっ」


 拾い上げようと床に向かって手を伸ばした瞬間、頭がクラッとして目の前が真っ暗になった。


(部屋の明かりが消えた?)


 アンナに頼んでつけてもらわなければと思ったところで、

「きゃああっ、お嬢様っ!」

 アンナの絹を裂くような悲鳴があがった。


(なに、どうしたの。アンナ。虫でも出たの?)


 なにを騒いでいるのかと、苦笑しつつ顔をあげようとしたが――。

 視界はそのまま床に近づき、フランチェスカの体は椅子から転がり落ちる。


(私また、倒れて……)


 頭を打たないよう、とっさに手を伸ばしたところまでは覚えている。

 全身に大きな衝撃を受けたフランチェスカは、そのままふうっと眠るように意識を失ってしまったのだった。






「そろそろ帰るか……」


 書類のページを繰っていたマティアスは、安定剤代わりに左手に持っていた白猫ちゃん人形をじっと見つめながらつぶやく。


「見れば見るほど、彼女に似ている気がするな……」


 真っ白で青い目をした白猫ちゃん人形は、ポポルファミリーシリーズの中でもお気に入りの人形のひとつなのだが、最近この人形とフランチェスカが脳内でかぶり始めていて、我ながらヤバい自覚がある。

 三十男が人形を常に携帯しているのもキツイし、癒しを感じているのも怖い。

 さらに最近は、妻と人形を脳内で同一化していて、いくら考えない様にしようと思っても、考えることがやめられない。


(赤いエプロンドレスもよく似合っているが、彼女の目に似たブルーのドレスを着せてもかわいいだろうな)


 などと、人形を見つめながら脳内で着せかえバリエーションを真剣に考えてしまうのである。


 我ながら本当にキツいと思う。だがこれもすべて妻が可愛すぎるのがいけないのだ。

 フランチェスカ自身に罪はなにひとつないが、恨み言のひとつでも言いたくなってしまう。

 マティアスは人形をじいっと見つめながら、また盛大なため息をついた。

 そんな静かな夜の時間は、部下の唐突な呼び声で破られた。

 廊下の奥から「大将~!!!!」と大きな声が近づいてくる。人形を胸ポケットに仕舞いこんだところで執務室のドアが開き、ルイスが転がり込んできた。


「大変だっ!」

「なんだ、どうした」


 マティアスはさらりと受け流しつつ尋ねる。

 ルイスは愉快な男だが万事大げさで騒々しい男なので、大変と言われてもそうでない場合がほとんどだ。

 きっと『酒場で口説いていた店員に振られた』とか、もしくは『独身だと思って手をだした女が既婚者で、旦那から決闘を申し込まれてしまった、どうしよう』だとか、そんなことだろうと思ったところで、

「おっ、奥方様が倒れたって!」

 と、文字通り大変な報告を受けてマティアスの心臓は一瞬で止まりそうになった。


「馬車は?」

「ダニエルさんが迎えの馬車をよこしてる!」

「わかった」


 慌ただしく部屋のすみのコート掛けから上着を手に取ったところでルイスが少し気遣うように声を掛けてくる。


「ーーなぁ、大将」

「……ん?」

「その、奥方様とBBって、そういう仲だったりする?」

「は?」


 思わず上着を羽織る手が止まってしまった。


「や! そんな怖い顔しないで! あの奥方様が『親しいしなんでも言える』って言ってたの、ちょっと気になっただけだから!!! でもあり得ないよね! そんなの旦那である大将が一番よくわかってるよな~! ハハハ!」


 ルイスは慌てたように顔の前で手を振り、それから大きく息を吐いて腰に手をあてて頭を下げた。


「こんな時にごめん」

「――いや……」


 マティアスは言葉少なに返事をして、そのまま階下へと駆け下りて迎えの馬車にひとりで飛び乗っていた。


(BBとの仲なら、俺だって疑ったさ)


 フランチェスカが親しくしている男。ダニエルが言うには『宮廷の知識人で貴族』らしい。自分とは真反対の男だ。

 フランチェスカは世界中の本を読むために家庭教師をつけて、様々な国の言葉を学んだくらい、本が好きらしい。さぞかし気が合うんだろうと思うと、胸の表面がチリチリと焦がされるような気持ちになる。

 だがそれをフランチェスカに尋ねる勇気もない。

 戦場では向かうところ敵なしと言われた自分が、だ。



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