熱に浮かされて・5
ケトー商会の応接間にはフランチェスカと仕事帰りのマティアス、ルイス、それにダニエルの四人が集まって額を突き合わせていた。
「大問題が発生しています。マティアス様にぴったりの役者がいないんです」
本番まであと二か月、長いようで短い。
お芝居をやろうと盛り上がったのはいいが、なんと一か月経っても劇団が決まらない。脚本は先日書き上げたのに、一刻も早く稽古に入りたいがそれどころではない。
「――」
マティアスは無言で「そんなこと?」という顔をしたが、フランチェスカはそれを無視してダニエルとルイスに熱っぽく語りかけた。
「となると、芝居は中止?」
ルイスが首をかしげる。
「いいえ、中止にはできません。お芝居は花祭りの目玉ですから」
フランチェスカはぎゅっと目元に皺を寄せて、ダニエルとルイスの顔を見比べた。
「とはいえ、そろそろ決めないとさすがに困るんじゃないか?」
マティアスの言うとおり、花祭りまで残り二か月。いくら短いお話とはいえ、主演を決めないままでは稽古も進められない。
「そうなんですけど……。主演に関しては、絶対に、絶対にっ、妥協したくないんですっ」
つい先日刷り上がった脚本を握り締めて、唇を引き結ぶ。
では王都だけではなく、他国から評判の劇団を招集してはどうか、とか。人がダメなら紙芝居にしてはどうだだの、議論だけが白熱する中、それまで黙っていたダニエルが、ふと思いついたように口を開いた。
「いっそのこと、旦那様ご本人が演じてみては?」
「――は?」
マティアスがきょとんとした顔になる。ルイスもフランチェスカも同じだった。唖然としたところでさらにダニエルが言葉を続けた。
「脚本を拝見しましたが、旦那様の役は物言わぬ態度が原因で周囲に誤解を生むという役柄なので、それほどセリフの数は多くないですよね」
「ちょっ……ちょっと待てダニエル。俺は役者の真似なんかできるはずないだろう……!」
慌てた様子で、マティアスが椅子をがたんと鳴らし立ち上がったが、フランチェスカは声をあげていた。
「それですわ! すごい、その案最高です!!!」
そうだ。本人に似せた役者ではなく本人が演じればいいのだ。
思わず絶叫してしまったが許してほしい。フランチェスカは椅子から立ち上がり、そのままマティアスに駆け寄り、彼の大きな手をぎゅっと手をにぎった。
「ぜひぜひそうしましょう!」
「いや、さすがに役者の真似事なんて絶対に無理だ!」
珍しく激しく動揺した様子で、マティアスはぶるぶると首を振る。
普段冷静な彼の慌てた姿は珍しいが、それどころではない。
本人が演じるというアイデアを聞いてしまった以上、それ以外の選択肢はフランチェスカの脳内から吹っ飛んでいた。
「そんなことを言わずになんとか! マティアス様以外にマティアス様を表現できる人はいませんっ!」
「フランチェスカ、無茶を言わないでくださいっ! 素人の俺には絶対に、絶対に無理に決まっているっ!」
頑なに拒絶するマティアスだが、黙って様子を見ていたルイスが、いきなりひらめいたと言わんばかりにポンと拳をたたく。
「だったら奥方様も出演されたらどうです? 夫婦ふたりでなら大将もやれるでしょ?」
「えっ? 私が? なんで?」
いきなり自分におはちが回ってきて、フランチェスカはきょとんと眼を丸くした。
「奥方様が男装して、ジョエル様を演じるんです。まさに花のような美青年になるでしょうし。なにより領主夫婦が舞台を上映するとなれば、そりゃあ盛り上がりますよ。絶対に成功間違いなしです!」
「え、ええっ、で……でも……」
フランチェスカはいきなりの展開に、言葉を失ってしまった。
さっきまでマティアスに舞台に立ってほしいと思っていたはずなのに、自分に矛先が向けられると一気に怖気づいてしまった。
(私がマティアス様と一緒に、舞台に立つ……?)
黙り込んだフランチェスカを見て、今度はマティアスがルイスに対して目をむく。
「お前、貴族が役者の真似事なんてするわけないだろうが!」
それを聞いたフランチェスカは慌てて首を振った。
「それは間違いです、マティアス様!」
「は?」
「観劇は王族の娯楽のひとつですから。私もおばあ様に誘われて、何度か王宮で兄様とお芝居を披露したことがあるんです」
身内の子供たちを着飾らせ、古典やおとぎ話を演じさせるのは、気軽に町に出られない王族の楽しみとしてはごく普通のことだった。
「見るだけではなくて、おばあ様や王様、大臣まで役者をしてお芝居を楽しまれることもしょっちゅうでした」
「――マジか」
マティアスは嘘だろうと言う顔でぽつりとつぶやき、それから目頭を指でぎゅっとつまんでうつむいてしまった。強張った肩のラインから彼の不安が伝わってくるようだ。
(そりゃぁ、私だって不安だけど……)
だがふたりならやり遂げられるのではないだろうか。そしてふたりで課題を乗り越えることによって、絆が結ばれるかもしれない。
(マティアス様が、私を好ましい人間だと思ってくれるかも!)
そう思うと、もうフランチェスカは止まれない。
不安よりも先に、なんとかなるだろうという謎の自信が込み上げてきた。
「マティアス様、不安なのはわかります。私だって不安です……。でも、ふたりで頑張ればできるんじゃないでしょうか。その、マティアス様の普段のお仕事の邪魔にならないよう、私もいろいろ気を配れますので、やりましょう……!」
ぐっとこぶしをにぎりマティアスに詰め寄った。
「これも領民の笑顔のためだと思って!」
その瞬間、彼はぐっと詰めるように息をのむ。
我ながら少しズルいと思ったが、マティアスは本当にこの言葉に弱い。
普段プライベートもすべて投げ出して仕事をしている彼にとって『領民のため』というカードは最終兵器に等しいのだ。
「――わかった。あなたがそこまで言うのなら」
マティアスは何度も深いため息をついたが、最終的にOKしてくれた。
そうしてフランチェスカは、なんとマティアスと夫婦で花祭りの舞台に立つことになったのだった。
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