熱に浮かされて・3
王都で小説を書いているくらいだ。都会の洗練された男に違いない。
「フランチェスカは、この男と親しいんですか?」
「えっと……BBとは親しいというか、なんというか……彼が作家としてデビューする前からの友人……というか?」
マティアスの問いかけに、妙に歯切れの悪い声で、フランチェスカは視線をさまよわせた。
いつもはハキハキしゃべるフランチェスカの態度に、怪しさを感じる。
(なにか俺に隠し事をしているような雰囲気だな)
じいっと食い入るようにフランチェスカを見つめると、彼女は余計見られていることに焦っているのか、さらにそわそわし始めた。
「あのっ、BBは少なくとも小説を書くことに対してはいつだって真摯だし、面白いお話を書くことを人生の喜びとしている人間ですので……! その……善良かと問われれば、どうだろう、とは思うんですが、その……悪い人ではありません」
ブルーノ・バルバナスでBB。
あだ名で呼ぶとは、妙に親しげだし、しかもフランチェスカから人となりを信用されているようだ。
(善良ではないが、悪い人でもない、か……)
なにか引っかかるものを感じたが、BBのことを語るフランチェスカの青い目は、こちらを見上げて濡れたようにキラキラと輝いていた。
信用してほしいと顔に書いてある。
(美しいな……)
人は好きなものを語るとき、こういう顔をする。
いつも恋をしては失恋ばかりしている色男のルイスが、新しい恋に落ちたとき。
ダニエルが趣味で集めている古い金貨を磨いている時。
部下たちが妻や家族を懐かしみ、語るとき。
ではこのフランチェスカの表情には、いったいどんな意味があるだろうか。
そう考えた次の瞬間、ふと、いらぬ妄想が頭をよぎった。
(もしかして……BBという男はフランチェスカの元恋人なのでは?)
その考えが頭に浮かんだ瞬間、なぜか石でも飲み込んだような気分になる。
貴族はみな愛人を持つ。恋愛と結婚は明確に別なのである。たまに恋愛結婚をする貴族もいるが、それはかなり希少だ。
(もちろん、彼女に恋人がいたとしても……俺にどうこう言うつもりはないが……)
そもそも王都を離れ嫁いできた彼女に『白い結婚』を申し出たのはマティアスだ。
いずれ自分との結婚に嫌気がさして王都に戻る彼女のために、そのほうがいいと思ったことに偽りはない。
だがそれはそれとして、可憐で美しいフランチェスカに手を出して、彼女の人生を背負うのが恐ろしいと言う気持ちもあるのだ。
自分ひとりならどうなっても構わないが、フランチェスカを自分のせいで危険な目に合わせてしまったら?
もしくは年甲斐もなくフランチェスカに夢中になって、手放せなくなってしまったら?
自分が変わってしまうのが怖い。
嫌悪の感情の向き方の問題ではない。ただ自分の心を他人に明け渡したくない、振り回されたくないマティアスにとって、誰かを特別に思うということは、恐怖でしかないのである。
(他人に執着などしないほうがいい)
仮にBBがフランチェスカの元恋人で、今は愛人だとしても、知らぬ顔をしていたほうがいいだろう。
彼女の愛らしさに油断していたところで、急に氷を押し付けられたような不快感を覚えたが、それは自分勝手というものだ。
なんにしろ、最初に彼女を拒んだのは自分なのだから――。
「なるほど……」
痛みから目を逸らし表情を引き締めて、ふぅんとうなずいていると、横で二人のやりとりを見ていたダニエルが唐突に口を挟んできた。
「ブルーノ・バルバナスなら、私も著作を数冊読んだことがありますが、ロマンチックでありながら骨太な宮廷小説を書かれる方ですよ」
その瞬間、フランチェスカが目をまん丸に見開く。
「えっ、読んだことがあるんですか? その……BBは女性読者がほとんどだと思っていたんですが」
「商人たるもの、世間で流行しているものはとりあえず目を通すものですから。半分は勉強ですがね。まさか奥様のご友人とは思いませんでした。著書にサインでもいただきたいところです」
ダニエルはニコニコしつつ、「旦那様、軽食を用意しますので食堂にどうぞ」と言ってその場を離れてしまった。
玄関には、フランチェスカとマティアスのふたりが取り残される。
BBの話題が出てから、なんだか妙に気まずい気がする。なにか言うべきかと迷っていたところで、先に口を開いたのはフランチェスカだった。
「あの……お芝居は、そこにも書いてあるんですけど、『シュワッツ砦の戦い』をモチーフにしようと思っているんです。それでちょっと前からルイスやその時従軍されていた方々に、お話を聞かせてもらっています」
シュワッツ砦の戦い。
マティアスにとっては苦い思い出だ。己の生き方に後悔はないが、八年前のあの日のことを思い出すだけで複雑な気分になる。
「なぜ、あの時の話をお芝居にするのかと、聞いてもいいですか?」
フランチェスカはこくりとうなずいて、少し心配そうに顔をあげる。
「勝手なことをしてごめんなさい。でも私、このお話は間違いなく領民に喜んでもらえる題材だと思っているし、偏見だらけの王都の貴族たちに、マティアス様のすばらしさを知ってもらう絶好の機会だと思っているんです」
(なるほど。俺のため、か)
フランチェスカの声には熱がこもっており、本気でそう思っているのが伝わってくる。
(なぜ、彼女は俺なんかのために必死になるんだろう?)
正直言って、マティアスは自分の評価などどうでもいいと思っている。やけっぱちになっているわけではなく、昔からそういうたちなのだ。
十五歳で軍隊に入ったのも、ただ生きていくためだけに選んだ道だった。思いのほか軍隊が性に合ったその後でも、上官に媚びをうってでも昇進したいという気持ちになったことは一度もなかった。ちょっとした運命のめぐりあわせで領主という身の丈に合わない身分になってしまったが、マティアスの内面はなにひとつかわらない。
来る者は拒まず、去る者は追わず。
人は見たいように他人を見る。
「こうだろう」「こうに違いない」「こうに決まっている」と決めつけて、火のないところに煙を立たせる。そういうものだ。他人に期待するだけ無駄なのである。
だからマティアスは誰からも評価されたいとも思っていない。ただ目の前の仕事をこなすだけ。そうやって生きてきたのだ。
だがフランチェスカは、王都でまったく評判の良くない自分なんかに嫁いできたあげく、マティアスに認められたいからとあれやこれやと考えを巡らせている。
(俺に認められる必要なんてないのに)
彼女は王家にも深く縁がある侯爵令嬢だ。マティアスの評価を今更変える必要などどこにもないのだ。