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結婚したくない令嬢・2


 さかのぼること一か月前――。

 五百年の歴史を誇るアルテリア王国の侯爵令嬢、フランチェスカ・ド・ヴェルベックは結婚したくなかった。

 十八歳の誕生日を過ぎてから、毎日のように届く見合いの申し出に心底うんざりしていた。


『相手の身分が高すぎるのは嫌』

『女性の噂が絶えない男なんて不潔』

『優しいなんてただの優柔不断に決まってる』

『お金持ちも偉そうで嫌い』


 もはや屁理屈レベルの難癖をつけて断っているのに、見合いの話は一向に減らない。

 王都の高級住宅地にある屋敷の広大な庭を眺めながら、フランチェスカは紅茶のカップをソーサーの上にのせる。

 ちらりと視線をテーブルの端に向けると、山になった釣り書きが視界に入った。

 脳内でマッチを擦り火をつけて、このまますべてを燃やし尽してなかったことにしたい気持ちに駆られたが、現実は厳しい。視線を逸らすのが精いっぱいである。


「ねぇ、アンナ。どうしたら結婚せずに済むかしら?」


 フランチェスカはため息をつき、それから空を仰ぐ。

 年が明けてはや二か月が過ぎていた。朝から天気が良く、ポカポカとあたたかい日差しが降り注ぎ、急に春が来たのかと勘違いしそうな陽気だ。


『たまには日に当たりましょう』と侍女のアンナに言われて庭に出たフランチェスカは、頬杖をついたまま、特大のため息をつく。

 両親が結婚した時に植えられた木々の木漏れ日がキラキラと輝き、アルテリア王国でも名門と名高い、ヴェルベック侯爵邸の白い壁に美しい模様を描いている。


「そうは言っても結婚は貴族令嬢の義務でしょうに」


 クラシカルなメイド服に身を包んだアンナは、空になったカップにお代わりの紅茶を注いだあと、フランチェスカの肩にかけている毛皮のケープのリボンを丁寧に結びなおす。


「そうなのよねぇ。侯爵令嬢なばかりに……私は結婚しないといけないのよねぇ……」


 フランチェスカの母方の祖母はアルテリア王国の王女で、非常に身分の高い女性だった。二年前に亡くなってしまったが、それまで孫であるフランチェスカと兄をとても可愛がってくれた。

 特に生まれつき体が弱く、十歳まで生きられないだろうと医者に宣言されていたフランチェスカのことは、文字通り目に入れても痛くないと言わんばかりに溺愛し、

『物語の中でなら、フランチェスカはどこにだって行けるし、何にだってなれるのですよ』

 と、床が見えなくなるくらい沢山の書物を与えてくれた人だった。

 さらに王国のみならず、世界中の本を読めるようになりたいと願った孫娘のために、優秀な家庭教師をつけ、読み書きを学ばせてくれた。

 おかげでフランチェスカはベッドの中で一日過ごしていても少しも寂しくなかったし、社交界にデビューできなくても、自分がかわいそうだとかみじめだとか、そんな気持ちになったことは一度もなかった。ある意味幸福な少女時代を過ごせたのだ。

 寿命だと言われた十歳を数年過ぎたあたりから、周囲は『あれ?』と思ったようだが、なんともうすぐ十八歳になる。周囲が慌てて結婚させようと婚約者探しに躍起になり始めて、一年近くが経っていた。

 ヴェルベック家は王家とも縁が近い由緒正しき血筋なので、相手には困らない。両親は条件に合う男たちを次々と選び、フランチェスカに『お前の夫としてどうか』と持ち掛けてきたが、フランチェスカは頑として首を縦に振らなかった。

 相手が誰であっても、とにかく貴族らしい結婚などしたくないのである。

 読書を愛し、ひとりの時間をなによりも大事に思っているフランチェスカが、今更夫と家のために生きろと言われても、受け入れられるはずがない。

 この一年は祖母の喪に服しているということで婚約も結婚も避けていたのだが、さすがに乙女の花盛り。貴族の義務である結婚イベントからはこれ以上逃げられそうもない。


「結婚なんか、したくないな~……」


 ぼーっとしつつまた紅茶のお代わりを口に運んだところで、

「姫様は結婚したくないんじゃなくて、作家を辞めざるを得なくなるのが、おいやなんでしょう?」

 と、アンナがはっきりと口にする。


「ちょっと、アンナッ」


 フランチェスカは慌てて人差し指を自分の唇に押し当て、焦りつつあたりをぐるりと見回した。


「大丈夫ですよ、お嬢様。誰も聞いてませんって」


 アンナはそう言って軽く肩をすくめると、ちょっといたずらっ子のように微笑み、フランチェスカの顔を覗き込む。


「お嬢様が王都でも噂の覆面作家、BBこと『ブルーノ・バルバナス』だってことは、あたしと兄しか知らないことですもんねっ」

「もう……」


 フランチェスカは苦笑し、それから両手で顔を包み込むように肘をつき、大きくため息をついた。


「そうね。あなたの言う通りなのかも。私、結婚がいやっていうよりも、執筆を辞めなくちゃいけないのが嫌なんだわ」


 フランチェスカは物心ついた時から本を与えられ、ベッドの中で十年以上本を読んで過ごした。貴族令嬢たちが社交界でデビューして結婚相手を探すようになっても、一切関わらずに本を読んでいた。

 そして気が付けば、誰に教えられたわけでもなく、自分で物語を書くようになっていたのだ。

 読者はただひとり、三つ年上のアンナだけ。毎日少しずつ物語を書き、アンナに読ませるのがフランチェスカの娯楽になっていた。

 だが三年ほど前、その小説が出版社で働いているアンナの兄の目に留まり、たまたま原稿を落としてしまった作家の代わりに新聞に掲載され、大好評を博してしまった。

『お嬢様のお話は面白いから当然です』

 と、喜ぶアンナに求められるがまま次々と原稿を書き上げ、気が付けばあれよあれよという間に連載は続き、本を刷ればベストセラーを連発する人気作家になっていた。

 もちろん侯爵令嬢が小説を書いているなど知られるわけにもいかないので、家族にすら隠しているが、題材がいわゆる『宮廷小説』なため、BBは王宮の内部事情に知識人と噂されているらしい。

 BBが男性ではなく、結婚前の侯爵令嬢だと知られるわけにはいかないので、このことは徹底的に秘密にされている。

 知っているのはアンナとその兄のふたりだけ。世間にバレれば身の破滅だ。自分だけならまだしも家族に累が及んでしまう。


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