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三月七日

作者: odayaka


 バレンタインデーの日に意中の相手にチョコレートを渡すその瞬間を、白色の吐息がちりじりになるのを見つめながら手のひらを擦り合わせながら待つ…、そんな人間に生まれたかったのだと気づいたのは、ごく最近だった。

 では、その意中の相手と言うのが私史上に実際に存在したのか、と問われれば、否、と応えざるを得ないだろう。

 いわゆる、恋に恋い焦がれ、って奴だ。

 というよりも、初めから、好きになることすら諦めていたのかもしれない。


 校則で化粧をすることを止められていたこともあり、誰かに好意を伝える資格があるような容姿ではないことを強く自認していた私は、自分が他者に好かれるような人間ではない――そんな強迫観念に駆られていた。

 だから、そのコミュニティーは酷く狭く、出来得る限りは、限られた人間としか接触しないように、それが叶わないのなら、当たり障りのない関係に留まるように過ごしてきた。








 「はい、これ」


 のだが、最近、どうにも気になる男が出来た。

 おしるこをひどく不景気な顔で啜っている男は、ラッピングされた箱を見て、眉根を寄せた。


 「何ですか、これ」


 突然視力が悪くなったのだろうか?

 うーん、と唸りながら箱をしげしげと眺め、私が突き出すと、しぶしぶ受け取った。

 腹立たしい限りである。こういうものは、ありがとうございます、と恭しく受け取るモノではないのだろうか。


 「甘いの好きでしょ?」

 「嫌いじゃないですけど。お菓子ですか、これ」


 甘いものが『嫌いじゃない』程度の人間はおしるこなど購入しないだろう。


 「チョコよ。今日、何の日か分かる?」

 「…あー。あまりに関わりが無さ過ぎてド忘れしてました」

 「悲しいことを言うなよ。気持ちは分からんでもないけど」


 特に悲しいことはないですけど…、と男は呟き、お菓子?と頭の上に疑問符を浮かべた。


 「ふんどしの日ですよね?」

 「バレンタインデーだよ」


 ああ、バレンタインデーですか。そうか。

 と、男は箱をポケットの中に突っ込んだ。


 「ありがとうございます。後で頂きます」

 「どうぞ召し上がれ。ホワイトデーは楽しみにしてる」


 男はベンチに座った。私は人一人分の隙間を空けて、座った。


 「バレンタインデーにチョコレートを渡すような人間になるとは思わなんだ」


 彼に言った。

 彼は少し驚いたようにこちらを見た。


 「意外です。何かサッカー部のキャプテンとかに渡してるイメージがありました」

 「どういうイメージだよ、それは」

 「で、特に顧みられることもないまま卒業するような、そんな感じかと」

 「失礼な奴だな」


 何かそんなシチュエーションを漫画で見たことがあるような気がする。

 そんなイメージなのか、私は。当たらずとも遠からずかもしれない――釈然としないながらも、少し嬉しい自分が悔しい。


 「そうですか。僕も、バレンタインデーにチョコレートを貰えるような人間になれるとは思わなんだ」


 彼はポケットの箱を撫でて、しみじみとそんなことを言う。

 私からチョコレートを貰ったことよりも、自分が普通の人間として扱われたことが嬉しい、みたいな言い草に、お前は魂とは何処から来て何処へ行くのかを思い悩むロボットか、と言いたくなるが、流石にそれを言ったら成就するものも成就しなくなりそうだからやめた。

 いや、しかし。


 「お前は魂とは何処から来て何処へ行くのかを思い悩むロボットか」


 それを口にしない関係性というのも、何だか自然じゃない。

 嘘を吐いているような気分の悪さがあって、私はつい、そんなことを口にしてしまった。

 彼は、あー…、と何とも言えない声を出した後で。


 「ロボットかもしれんですね」


 と、無機質な声を返してくれた。


 やっちまったか、と思った後で。

 しかし、それをフォローするのも何だか違う気がして。


 「ロボットを好きになるかよ」


 と床に落とした彼の目線に強引に引き寄せた。

 両の手で挟んだ青白い頬が、引き攣った笑みを浮かべていたので。


 「相手の心がぐじゃぐじゃに揺さぶられてる時に思いを伝えると成功率が上がるらしい」


 と、何のエピデンスもない、吊り橋効果を下地にした持論を勝手に世界の公式見解のように打ち明けた。


 彼は、そうすか、と。


 「人生って楽しく前向きに考えて生きた方が良いって、前、話してましたよね。僕、そんな風には生きられないです。先輩のことまで引きずり込みたくないんですけど」

 「好きになったら仕方ないんだから、上手に騙されてろよ」


 全く会話にならないまでも。

 つまり、これは、OKを戴けた、ということなのだろうか? と勝手に考えて。

 彼の手を引っ張り上げて、部活棟を出る。


 「雪か」


 雪が降っていた。しばらくすれば積もるだろう。ホワイトスノーバレンタインデーだ。そんなことを言うのか知らんけど。


 「雪だ」


 彼は呆然と、続ける。




 とてもじゃないけれど、顔を合わせられない、たまらない気恥ずかしさに、私は、どんよりとした雲をいつまでも見つめ続けていたくなった。


 きっと、今日が人生最良の日なのだろう。まだ、その自覚もないまま、私はただ、空を見上げていた。










































 で、今、三月七日。

 彼からメールが届いた。『やっぱ無理です。すいません』



 神さまなんて死ねばいいのに。

 

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