人の目には気を付けよう
ホテルを出た僕達は、スマホの地図を頼りに最寄りのモクドナルドへと向かうべく路地裏を歩いていた。
「もう15分ぐらい歩いてるね、足とか疲れてない?」
時間を確認した僕は、隣を歩く彼女——ひよりへと疑問を投げかける。
「こう見えても私、高校の頃サッカー部だったんだよね、だからこれくらい全然平気! でも確か、この辺りを曲がらないといけないはずなんだよね」
彼女はそう言うと立ち止まり、スマホを確認して、GPSの精度を上げるためか右を向いたり左を向いたりしている。
「Wi-Fiはオンにしてる? 位置情報はGPSの情報の他にネットワークの中継器や、Wi-Fiなんかの情報を参照してより正確に表示するから、Wi-Fiはオンにしたほうがいいんだよね」
職業病と言うのだろうか、ディジタル機器に関する知識やうんちくを話し込んでしまう癖が僕にはある。
「え!? そうなの? やってみる!」
こちらを向き彼女はそう言い、すぐに視線をスマホへと戻して設定画面をいじり始めた。
「ほんとだ、ゴーグルマップの位置が少し変わった! そういえば高之楠さんの授業って絶対楽しそうだよね。私の大学の教授も見習ってほしいなぁ……」
上目遣いでそう答えてくるひよりに可愛いなぁと邪な感情を抱いていると、デートの対価について話すのを忘れていた事を思い出した。
「そう言えばお小遣いどうしよっか。いろいろ迷惑かけちゃったし、5くらいまでなら考えようかなって思ってるけど」
少し控えめな声量で話しかけると、すぐに彼女は反応し、急に真顔になった。
土曜日の朝は路地裏の人通りがほぼ無く、近くにある幹線道路の雑音も大きい。聞かれたくない会話をしておくには絶好の状況だ。
「んー。正直貰えるならいくらでも貰っておきたい気持ちはあるんだけど…… 流石に5も貰っちゃうと悪いから3くらいにしておこうかな」
これまた小声で答える彼女は笑顔に戻っていた。
「わかったよ、本当にすまないね。ひよりちゃんが優しい人で本当に良かった。うちの学生もこれくらい優しければなぁ」
「いえいえ、私はそんなに優しい人なんかじゃないです……」
謙遜しながら彼女はそう言うと、あっと声を上げ進行方向を指差した。
「そこの十字路を左に曲がるみたい!」
彼女はそう言うとこちらを向き、少し神妙な顔をして話を続けた。
「そういえば、少し聞きづらい話なんだけど…… 高之楠さんは何故、こういう事をしてるの?」
意外な質問にびっくりしたが、こちらを見つめる彼女の純粋な目に負け、正直に話す覚悟を決めた。
「まぁ確かにあまり聞かれたくない事ではあるね…… でも、ひよりちゃんになら話してもいいかな。実は僕、結婚願望がないんだ。そんな中で彼女なんて作ったら相手にも失礼だよね? 僕くらいの年になると独り身の人は皆、本気で結婚を考えてるからさ」
僕が少しだけ慎重に言葉を選んで説明すると、彼女は満足そうな顔でこちらを見てきた。
「そうなんだ、高之楠さん程しっかりとキャリアも貯金もある人ならこんな事しなくても彼女とかできるのになーって思ってたんだー」
今までは、似たような事を聞かれても適当にはぐらかしてきたが、もう本名や仕事までバレてしまっているのだ。少しくらい信用して話したところで何も変わりはしないだろう。
「それに昔付き合ってた人から裏切られたりして…… それからちゃんとしたお付き合いが億劫に感じてしまうようになったんだ。それに、結婚したら自由に趣味とかも楽しめないしね!」
「やっぱり聞かないほうがよかったみたいだね…… ほんとごめん」
暗い話にならないよう、必死に笑顔を作ったが、ひよりはそれを察したかのように立ち止まり、下を向いてしまった。
「僕、全然なんとも思ってないから落ち込まないで。あ、モック見えたよ!」
ビルの2階部分から見慣れた赤いMの文字が下がってるビルを指差しながら、僕は彼女の手を握って再び歩き出した――。
「今日は用事とかないのかな?」
大通りに出てから数分、目的地に到着し、店内に入ろうとしている彼女に僕は質問してみる。
「昼から友達と映画を見に行くから、朝モック食べたら今日は解散だねー」
彼女の返答のせいか、朝モックという日常的な空間へ来たからか、急に冷静になった僕はひよりとのこれからについて考え始めた。
彼女と過ごす時間は楽しかった。
それは今まで会ってきたどんな娘よりもだ。
本来であれば何回でもリピートしたくなるところだが、彼女は僕の素性をほぼ全部知ってしまっている。リスクを考えるともう会うべきではないだろう。
それにしても会えないとなると、惜しい気持ちでいっぱいになった。
「そうなんだ。それはなんかすまないね、さっさと食べて帰るとしよっか」
「まだ時間あるしいいよ、ゆっくり食べていこう!!」
彼女は一度立ち止まって笑顔でそう答えると、僕の前を歩いて店内へと入っていった。
モックの店内は、ビル1階部分に商品の販売と受け渡しをするレジと厨房があり、2階がイートインになっているみたいだ。
レジは案外空いていて、すぐに注文することができそうだった。
「ご注文はいかがされますか?」
レジのお兄さんにそう言われ、斜め後ろにいたひよりへ目線を向ける。
「んー、高之楠さんと同じのがいいです」
「メガエッグベーコンチーズマフィンセットを2つお願いします。サイドはハッシュポテトで、ドリンクはアイスコーヒーで」
彼女の発言を確認して同じ注文を2つ取った。しかしコーヒーで良かったのだろうか、などと考えていると店員さんが追加の確認を取ってきた。
「アイスコーヒーにミルクや砂糖はお付けになりますか?」
「砂糖?いりません(笑)」
ドヤ顔でそう言った時、後ろからの刺すような視線に気付いた。どうやらひよりは砂糖をご所望のようで、眉間にしわを寄せて気付けと言わんばかりにこちらを睨んでいる。
「あ、やっぱり砂糖とミルクをひとつずつお願いします」
すぐに店員の方へ視線を戻してそう言うと、快く応じてくれてくれた。
「それではご注文の確認をします――」
その後、商品の受け渡しを終えた僕達は、2階のイートインへと繋がる階段を上っていた。
「高之楠さんと遊ぶの楽しすぎて本当に一瞬だったよー」
軽い足取りの彼女が横を歩きながら話しかけてくる。
「あぁ、また来月給料が入ったら――」
そう言いかけた時、正面から家族連れらしき団体が階段を下りてきた。
邪魔にならないよう右に避けた時、その集団の中の最後尾に見覚えのある青年が居た。するとあちらもそれに気付いたようで目線をこちらへと向けてきた。
「あれ、高之楠先生じゃないですか、こんなところでどうしたんですか?」
青年は階段を下りながら話しかけてきて、僕の前で止まった。
「こんなところで奇遇だね」
彼は昨日叱責した際に授業を抜けて行った生徒で、高松知弘と言う。
彼は振り返り、僕の前で階段を上るひよりに目線を向けた。
「ふーん。やっぱり、そういう事ですね」
彼はにやりと笑うと僕の耳元まで寄ってきて、聞こえるか聞こえないかギリギリの声でひそひそと呟いた。
「どんな勘違いをしているのか分からないけど、君が何を言っても信用する人は居ないからね」
僕はどうにか平静を保ち、落ち着いた口調でそう言い放つ。
「他の先生なら親戚とか言われれば納得するかもしれないですけど、高之楠先生って学校でも女子生徒ばっかり優遇してるじゃないですか。そういうところ見てると、信用できないっすよ」
彼はそう言うと、僕の肩を軽く叩き、話をつづけた。
「先生は気づいてないかもしれないですけど、実はよく思ってない人って結構居るんですよね。偽島先生とかに相談してる生徒って結構多いんですよ?」
決定的な証拠でもない限りは誰に言いふらされても困らないだろう。なぜなら彼は学校の劣等生、発言力は高くないはずだ。
「そんなでたらめ言ったって仕方な――」
「それに…… さっき外で手繋いで歩いてるところ、2階から見てましたから――」
彼のその一言で僕の頭の中は真っ白になった。
今の状況を誰かに話される可能性、写真などの証拠は撮られていないか、最悪の場合の学校側の対応はどうなるかと、必死に思考を巡らせた。
しかし今更何を悔やんでも結果が変わるわけではあるまい。せいぜい言い訳を考えておく位の事しかできない状況に歯痒さを覚えた。
「あれ?高之楠さんどうしたんですか?」
先に階段を上り終えたひよりがこちらを心配そうに見ている。
「ほら、可愛い娘さんに呼ばれていますよ…… それでは自分は失礼します。学校での身の振り方、考えといてくださいね」
知弘は僕だけに聞こえる程度の声で言いながら階段を下りて行った。
ひとまず落ち着くことが先決だろう。僕は大きく深呼吸をしてひよりの方を見上げた。
「いや、なんともないよ…… 少し二日酔いで頭痛がしててね」
僕は渾身の作り笑いで誤魔化し、ゆっくり階段を上って行った。
「ふーん、ほんとに? ま、大丈夫なら早く座りましょ。あ、あそこ空いてるよ!!」
ひよりが奥の窓側の席を指さしながらそそくさと歩いて行ったので、僕もそれを追いかける。
そして席に着き、一息ついたところでひよりが口を開いた。
「私、朝モック来るの初めてなんだよね。さっきも何頼んでいいのか分からなくてお任せしちゃった」
「実はこのセットの他にも、ビッグメンチマフィンセットがっ――」
ひよりにそう答えようとした時、頭をハンマーで殴られたかのような衝撃が走り、コンマ秒遅れで頭中を激痛が巡った。
「うっ……」
僕はあまりの痛さにうめき声をあげなら机へ突っ伏せた。
「えっ、高之楠さん!? どうし――の? しっかり――――よ……」
ひよりの声が段々と遠のいて行く中、返事は疎か、呼吸さえすることができない。
(なんだこれ……もしかして僕、死ぬのか……?)
そして、僕の意識はそこで途切れた――。