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吸精魔の歩き巫女 玲奈の天下創世記  作者: 羽柴藤吉郎
天下統一戦線 畿内編
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神宿る国伊勢を獲れ!序章

織田信長は岐阜の足元の伊勢を分国化すべく滝川一益を使って探りを入れるが、それが思わぬ結果になって、信長に跳ね返ってくるが、戦国時代の知られざる伊勢の状況説明!

 中世、戦国時代、安土桃山時代における伊勢国では北畠氏(中勢地方を支配)・神戸氏(鈴鹿郡が勢力圏)が戦国大名であった。北勢地域(伊勢国北部)では以下の北勢四十八家と呼ばれた豪族が統治していた。


朝明郡の中野城(赤堀氏)、


西村城、羽津城(田原氏)、

茂福城(南部氏)、

大矢知城(大矢知氏)、

伊坂城(春日部氏)、

市場城、疋田城、広永城、小向城(朝日町)、下野山城や、北勢四十八家の棟梁の千草氏(千種氏)や宇野部氏、四日市周辺の赤堀氏や鈴鹿内部地域の稲生氏に従う国侍たちが北勢四十八家と呼ばれる。


戦国時代の群雄割拠で、伊勢国の諸家は4つの勢力に分かれた。


1.南勢の五郡は国司である北畠具教が統治していた。


2.長野氏・植藤氏を中心とする安濃郡地域は長野一族と安濃郡の雲林院に住む工藤一族が統治していた。


3.鈴鹿郡の亀山市付近、河由郡の神戸地域などの地域を統治していた豪族は関一族であった。


4.北勢の諸侍の一派の多数の城持ちの領主が統治していた。

 菰野地域を統治した三重郡千種城主の千種家が北勢地域の有力者である。


千種家当主で南朝勢力の末裔である千種忠房が属する北勢四十八家であった。

その他の領主は四日市と桑名員弁地域に多数の家系があった。

古文書の内容で意味不明の歴史内容であるが、北勢地域は宇野部氏、後藤氏、赤堀氏、楠氏、稲生氏、南部氏、萱生氏(春日部氏)、持福氏(朝倉氏一族)など諸豪族が統治していると古文書の記述がある。


俣木氏、富田氏(南部氏)、浜田氏一族(田原氏・赤堀氏)、阿下喜氏、白瀬氏、高松氏などが統治して、北伊勢地域に有数な諸家がたくさんあるである。


 北畠氏は、南北朝時代から戦国時代後期まで伊勢国(現在の三重県の東部)を治めた公家大名です。「北畠具教」(きたばたけとものり)は8代当主にあたり、1528年(享禄元年)に朝廷の参議を務める「北畠晴具」(きたばたけはるとも)の嫡男として生まれました。


1553年(天文22年)、父の隠居に伴って北畠氏を継ぐと、北畠具教は早速大名としての手腕を発揮します。


1555年(弘治元年)から伊勢国北部へと進出し、ライバルの「長野工藤氏」(ながのくどうし)を支配下に治め、さらに志摩国(現在の三重県志摩半島)へと進出し、「九鬼氏」(くきし)を制圧。大和国(現在の奈良県)東部にまで支配範囲を順調に広げていきました。


1563年(永禄6年)に父である北畠晴具が没すると、わずか36歳で嫡男「北畠具房」(きたばたけともふさ)に家督を譲りますが、この時点で北畠氏は2ヵ国を領する大大名。最盛期を迎える。


国力が充実すると剣術に没頭

北畠具教が剣術の修行を積んだタイミングは分かっていませんが、もともと伊勢国は室町時代の剣豪で、「陰流」(いんりゅう)の始祖「愛洲久忠」(あいすひさただ)を生んだ地。剣術への造詣が深い土地柄でした。また、伊勢湾は全国有数の海運都市であり、海路によって諸国との交流が盛んに行われていました。こうした背景から、北畠具教は幼少期から剣術に親しんでいたと考えられています。


また、北畠氏の国力が充実してくると、北畠具教は積極的に全国の武芸者を招き、援助をするようになりました。代表的な人物を挙げると、まずは伝説の剣豪「塚原卜伝」(つかはらぼくでん)。滞在中の屋敷を建てるなど丁重な師礼を取った上で、教えを請うたと言われています。


このとき塚原卜伝は、門外不出の秘剣「一之太刀」(ひとつのたち)を北畠具教に伝授。極めて難易度が高いため、生涯に伝授したのはわずか数名という伝説の技です。


実際、塚原卜伝の養子である「彦四郎幹重」(ひこしろうみきしげ)などは、技量不足を理由に一之太刀を伝授してもらえませんでした。そのため彼は、北畠具教に秘技の手ほどきを受けたと言われています。


この事実ひとつを取っても、北畠具教の剣の腕前が全国屈指の水準に達していたことが分かります。



この他にも、剣聖「上泉信綱」(かみいずみのぶつな)を招いて剣を教わったり、槍の名手「宝蔵院胤栄」(ほうぞういんいんえい)や「柳生宗厳」(やぎゅうむねよし)に上泉信綱を紹介したりと、剣豪達の交流にも尽力しました。大名がここまで剣術に理解を示す国は他にはありません。当時、北亀氏の本拠地であった北畠氏館は、全国の剣豪達が修行の際に訪れる、剣術のメッカとも言える場所だったのです。


その伊勢に食指を伸ばす織田に対し、近江の浅井も伊勢に手を付けるべく策動することに。

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