上洛への段取り
信長の野望が都を見据える。
都を地獄に変える鬼。
希望はあるのか?
永禄10年(1567)4月2日。岐阜城の本丸奥御殿。
「妹婿を上洛の先鋒にするのですね?」
玲奈が信長を見て言った。「ああ、六角の内部分裂に、付け入る手際が良いからな‥なかなか頭のキレる男だろうよ」
こうして信長から正式に、上洛の段取りについて話し合いがしたいと、浅井長政に使いが送られた。
小谷城本丸 奥の閨房。
「そなたの兄上が儂に会って話し合いがしたいので近々来られるとのことだ」
長政が市の横顔を見ながら言った。
「兄上がこちらに来られるのですね」
市が懐かしげに言った。
「私から言うのも何ですが、兄は言葉足らずですので、表情を読む必要があります‥意に叶わぬ時は怒り出しますがめったにキレたりはしません」
(何だと!)
長政が内心驚いたが表には出さない。
「他には何かないか?」
「目的を達成するためなら腰を低くして接することも厭わない方ですね」
市が遠くを見る目になった。
「己の気に入った人は、トコトン信用なさいますが、裏切られると手酷い報復行為をなさいます……弟も叔父も斬った人です」
長政がジッと市を見つめるので、市も見つめ返して顔を赤らめた。
「ですので兄上には、極力逆らわないほうがよいでしょうね」
信長とは違い苛烈な行為をやらない長政に、愛と好意を抱いている市はホッとしていた。
「何しろ天下人を目指しておられますから」
厠に行くような気軽さで市が、そう言うとはにかんだ。「そうだなアハハ」
「はい…でも市が一番欲しいのは殿のお子ですわ」
長政はとりあえず笑ってみせて市に覆い被さった。
市が喘ぐ「あ……ん」
杏「私を呼んだ?」
「お呼びじゃないよ」市と長政がツッコミを入れる。
永禄10年 1567年4月。
平安京 朱雀大路。
丹波の大江山を根城とする酒呑童子が、夜な夜な現れては公家や大商人の蔵を襲い金品を攫い、屋敷に押し入り気に入った女はその場で暴行して、泣き喚く女ごと拉致して行く怪事件が発生していた。
後に残るは、首を斬られて頭を割られている惨たらしく血塗れの惨殺死体が残るばかり。
商家の主である高兵衛は、産屋から響く雄叫びを聞いて駆けつけるが、肝を潰して失禁した。
妊婦の妻が鬼の姿で、鬼の子供を産んでいたのを目撃してしまったからだ。
「見てはならんと……言うたのに」
鬼女が涎を垂れ流し舌舐めずりしながら、高兵衛に飛びつき、一気に首を噛みちぎる。
その傍らにはバラバラに噛み砕かれた産婆の死体が転がっていた。
鬼女は、そのまま酒呑童子の元に子供を抱えて走り去る。
「お頭、獲物がたんまり手に入りやしたな」
下卑た笑いを浮かべ、赤鬼が女を酒呑童子の眼前に差し出す。
「なかなか良き体付きをしておる」
乳房を遠慮なく弄りながら酒呑童子がニヤつく。
「お願い、殺さないで」あられも無い姿の女が泣きじゃくる。
「あぁ殺しはせんが、死ぬまで我らの子供を孕ませてやろう」
黄鬼と青鬼が卑猥な笑みと、涎を垂らして不気味な哄笑を響かせる。
それぞれ手に入れた宝物を酒呑童子に差し出す。
品定めするかのように酒呑童子が、戦利品を一瞥して満足そうに唇の端を歪めた。
「者ども、引き揚げるぞ、陰陽師が来る前にな」
酒呑童子は両手を前に翳して大きく円を描くと、紅い閃光が走り空間が丸く抉られたように穴が空く。
穴の先に広がるのは大江山である。
夜な夜な大江山には女達のすすり泣きと喘ぎと、鬼の猛り狂う吠え声が響いたという。
陰陽師 土御門靖子が、式神を持って息荒く駆けつけた時は手遅れだった。
京都 三好長逸の屋敷。
「稲荷筑後に命じる、丹波の大江山まで行き、都を荒らしまわる酒呑童子を討ち取って参れ」
家老の篠原長房が苦り切った顔を見せて家来に命じる。
同席していた松永久秀が、稲荷が立ち去った後に、溜め息混じりにつぶやく。
「あの者には荷が重すぎよう?」
「しかたあるまい、魔術使いの果心居士ですら敵わなかった奴だぞ」
「フンあのまがい物、酒呑童子などひと捻りだと、大口叩いておきながら酒呑童子と対峙した途端に率先してチビって漏らして逃げたと生き残りの足軽が、言い残して死んだと聞きました」
忌々しそうに松永久秀が吐き捨てる口調で三好長逸に訴えた。
「近頃、魔力に秀でた者ばかりがあちこちに現れては、武将達に取り入っているとか……尾張とか出雲とか安芸とか近江など噂が耐えませんな」
ため息ついでに、愚痴る久秀に長逸は天を仰ぐばかりだった。
近江 小谷城。
「ハクション」
信長と一緒に、浅井長政の接待を受ける魔道巫女の玲奈と杏が、盛大にクシャミをして鼻を啜った。
「風邪でも引いたか?」と信長。
「風邪か?杏」と浅井長政が心配そうに聞いた。
「私の噂をするのは誰じゃ?」とハモる2人の巫女の声が響いた。
噂をすれば、くしゃみが出ると思うのは真だろうか?




