天下布武への第一歩
美濃攻略編 最終章
永禄8年(1565)10月に入り、西美濃三人衆[稲葉良通、氏家直元、安藤守就]が、織田信長に人質を出して投降してくると、最後の総仕上げとばかりに信長は宣言した。
「よし時は今、美濃にて新年を迎えるゆえ小牧山城に戻る気は無い」
人質の受け取りに村井貞勝と島田秀順を派遣するが、彼等の帰りを待つことはなかった。
総勢1万5千で木曽川を押し渡るとただちに稲葉山城を包囲して城下の井ノ口の町に火をかけさせた。
新しく町並みを造成する為と、斎藤龍興に統治能力は無いと民に知らしめておくためだ。
更に柴田勝家・池田恒興・森可成・前田利家・佐々成政・佐久間信盛・丹羽長秀・林秀成・滝川一益・不破光治・稲葉良通・氏家直元・安藤守就・木下藤吉郎らに城の周囲に鹿垣をめぐらせ、包囲網を万全にした。
そのうえで、包囲網の陣から昼夜問わず、喚声をあげさせて城方の兵を疲労困憊に追いやる心理作戦を実行に移す。
喚声があがるたびに、敵の攻撃開始とばかりに、対応に駆け回る城方は極度の睡眠不足と疲労に襲われ、動けなくなる兵士が続出し、さほど高くなかった士気はみるみる内に低下していった。
2週間に渡る包囲戦に信長は、苛立ちを隠しきれない顔をして木下藤吉郎を呼びつけた。
「藤吉……もう我慢の限界だ」
呼びつけた猿に信長はいつもの短調で問いかける。
意を察した秀吉が滔々と策を披露し始めた。
「稲葉山城の裏手にある瑞龍寺山から蜂須賀小六と共に、我々が不意討ちをかけて敵を引きつけておきますので、お館様は正面切って総攻撃をかけてくださりませ、それだけで敵は戦意喪失して降参いたします」
自信満々の秀吉の大言壮語に信長が、顎をしゃくる。
「やれ」
信長の言葉は常に短い。
信長曰く、言われた事しか出来ないならば雑兵と同じで織田には不要なゴミということだ。
事実、信長はそう信じて行動している。
命令に説明など不要どころか無駄なのだ。
秀吉は一礼して飛ぶように自軍の陣に去っていく。
信長が隣に控える玲奈に目配せした。
素早く飛翔する玲奈が、上空から煙硝蔵めがけて、手を翳すとピカッと閃光が放たれ同時に煙硝蔵が吹き飛ぶ。
そうとも知らない斎藤龍興は、愛妾の竜子を侍らせて、戦況に神経を尖らせていた。
「今日もこけ脅しの喚き散らしか?やはりうつけじゃな」
外から聞こえる喚き声に、アホらしいとばかりに龍興はそう言うと愛妾に声をかけて安心させようとする。
「この城は難攻不落ゆえ、信長は攻めあぐねて引き揚げにかかる……そこを背後から襲うのよ」
「それまで籠りきりだなんて……」
竜子が露骨につまらない顔を龍興に見せたが、龍興は大笑いして抱き寄せた。
その瞬間、大爆発と同じに喚声が響いたので龍興が驚き、思わず立ち上がる。
「申し上げます、煙硝蔵が吹き飛び延焼して兵糧蔵が焼け落ちました」
「申し上げます、裏手から織田方の奇襲」
相次ぐ悲報に龍興は廊下の柱に体をもたせて自分の巨体を支えるのがやっとだった。
(すべてが終わった)
そこへ長井道利が、勧降状を持参してやってくると龍興に手渡す。
「織田の軍使 木下どのが、信長からの書状を持って参りました」
「何……信長から」
「おとなしく降れば命は取らぬとのこと、皆々おとなしく降参していますので、ご運は極まりました」
(降参すれば命は助かりそうじゃ)
「殿……生きていれば花開く時も参ります、死ねばそこで終わりですわ」
竜子が、心配そうに今にも死にそうな顔の龍興を励ます。
「そうだな……簡単に諦めては……いかんな」
愛妾の言葉にいくらか落ちついた龍興がつぶやく。
信長は傲然と胸を反らして、千畳台の大広間に床几を据えていた。
「蝮よ、約束通り美濃は頂いたぞ……だが龍興は盆暗過ぎて話にならん奴だ」
龍興が愛妾に手を引かれてきた時には信長は、危うくのけぞりかけたのを必死に耐えた。
「約束通り命は助けるゆえ、何処へと行かれよ」
信長はそれだけ言うと、側近の丹羽長秀を手招いた。
「この者にもう用はないゆえ、お主が城外まで送ってやれ」
「委細承知」
「ささっお二人とも、自由に何処へなりと行かれよ」
「誠か?」竜子が驚くが、丹羽長秀は促すだけに留める。
「はい、織田家中の者は、誰も命など取りはしません」
信長が無言で睨みつけるなか、丹羽長秀に促され龍興は放心状態のまま立ち上がる。
続いて竜子が龍興に寄り添うように立ち上がり、信長に一礼して立ち去る。
龍興と愛妾は護衛によって城外に追い払われた。
その後の龍興は伊勢長島本願寺に身を寄せた。
「さて移転は済んだぞ、すぐに町割りにかかれ」
美濃と尾張 合わせて110万石の太守にのし上がり信長は、稲葉山城の改築にも取り掛かる。
のちにルイス・フロイスがこの城を絶賛している。
かつての千畳台までは見事な石段が作られ、そこにまず20ほど座敷を持つ一階があり、さながらクレタの迷宮のような構造で、二階は王妃(玲奈のこと)の休憩室や、私室・侍女達の部屋が連なり、座敷は金襴の布を張って、縁やベランダが作られ、一階との間には、高貴な草花や各種の魚や、噴水や滝を持った庭園が6つも作られ、金華山には小鳥の音楽及び鳥類のちに美がことごとく備わり、三階には茶室が幾つもあり、四階からの眺望にいたっては、長良川の美しい流れなど山々が美しく見えて素晴らしいの一語に尽きる。
信長は次に尾張から政秀寺の和尚 沢彦和尚を呼んで来て、頂上からの眺望を眺めた。
北に長良川、南に木曽川、新しい町並みが眼下に開ける様は絶景だと和尚は讃えた。
「絶景なのはわかっている、禅師、名前をつけてくれ」
「名前を?」
「そうだ、稲葉山はもう古い、新たな名前で呼びたい」
「ほう、ならばいよいよですな」
「天下布武、中原討平の根拠地に相応しき名前が欲しい」
「なるほど天下人発祥の地に相応しき撰名をせよと仰せか」
「いかにもここから京都を目指して、有無を言わさず乱世を終息せしめる」
「岐山はいかが?」
「だめじゃ固い」
「では岐阜となさるか」
「岐阜……?」
「さよう、周の文王、岐山に起って天下を定む……とござれば岐の阜すなわち岐阜ではいかがでございます」
「岐阜」
もう一度信長は口の中で舌にのせて味わうようにつぶやくと、ニンマリと笑う。
「信長、岐阜に起って天下を定む、それよ岐阜と決めた」
岐阜城誕生の瞬間だった。
時に永禄8年12月20日である。
次回はいよいよ上洛です。




