永禄の変と、竹中半兵衛 浅井に仕官する
浅井長政家臣 竹中半兵衛
美濃からの亡命者である竹中半兵衛は、歩き巫女2人と共に小谷城にて浅井長政に対面していた。
ていた。
上座に座る浅井長政のすぐ近くには、浅井の知恵袋で相談役の家老・遠藤喜左衛門が値踏みする目つきで、鋭い視線を竹中半兵衛とその弟・久作に容赦なく向けて観察している。
「浅井近江守である、遠路はるばるやってきて、疲れておろう、今後は遠藤喜左衛門が貴殿らの世話役を致すゆえ、なんなりと申されよ」
「私は竹中半兵衛重治、こちらは舎弟の久作重矩にございます。今後は浅井様の庇護のもと我ら兄弟、その恩義に報いる為に存分に働いてご覧にいれます」
律儀に挨拶する半兵衛に対して長政が、柔らかい笑みを浮かべて頷く。
「ウム、そなた等の働き、期待しているゆえ励むが良い、今日は控えの場所にて疲れを癒やされよ」
「ありがたき仰せに感謝しております」
慇懃に半兵衛と久作が頭を下げる。
そして近習の者に促されて長政の前から退室するのを、遠藤喜左衛門がさり気なく見送ると、長政に向かい直す。
「さて喜左衛門……どうかな」
長政の問いに喜左衛門が即答した。
「なかなかの器量人と見ました、頑固一徹なところも垣間見えるようですな、美濃にいた頃の話を聞くに人付き合いが苦手で、理解し難い印象を持ちましたぞ」
「なるほど、主によっては掴み難いということだな」
長政が腕組みをして喜左衛門を注視する。
「ご明察」
短く返答する信頼厚い家臣に、長政が遠くを見る素振りをした。
「あの者達……浅井の家風に馴染みそうかな」
長政が独り言をつぶやく。
一方で竹中半兵衛は、寛いで三国志を読んでいた。
「兄者よ、ここは斎藤家とは空気がまるで違う、琵琶湖の波の如く寄せては引きと、柔軟性に富んでいるようだな」
弟が無邪気に話しかけるが、半兵衛は読書に没頭している為か、返事はしない。
構わずに弟が続ける。
「しかしあの遠藤喜左衛門、まるで兄者を値踏みするかの如く観察しておったな」
「慎むが良い、俺が遠藤殿の立場なら同じことをやるさ、とりあえず300貫が我らの食い扶持になる、ありがたい話と感謝せねば罰が当たる」
いつの間にか読んでいた本から顔を上げて兄が、真顔で浮かれる弟を諭す。
「……」
「いずれにせよ、龍興が当主であるかぎり、斎藤家に未来は無いのはわかりきっていた」
苦々しく吐き捨てる兄の言い方に弟が何かしら感じたらしく黙り込む。
「未来などわからない以上は今を懸命に生きるしか無いのだ」
半兵衛は答えを期待したわけでも、ないらしく再び本に目を通すのを再開する。
永禄8年(1565) 5月19日。
小谷城にて浅井家に慶事がやってくる。
「ややが出来たみたいですわ」
市が、長政に恥じらうような口調で懐妊を告げた。
「まことか、でかしたぞ……お市」
浅井長政が歓喜のあまりお市を抱き締め、そっと口を吸う。
2人はいつまでも抱き締め合い、喜びに身を委ねていた。
尾張 小牧山城。
「市に子供が出来たそうだ」
感慨深く信長が言うと玲奈にも書状を読ませた。
「こちらからも武田家へ姫を勝頼に嫁がせましたが、まだ子供は作っていないと知らせがありました」
「出来る時にはそうなる、授かりものだからな、信玄坊主め、うちの奇妙丸にも娘の松姫を許婚者にせよと提案してきたので、受けておいた。損は無いからな」
「いずれ、婿の顔を見に行きたいものだな」
信長が遠くを見据えてつぶやく。
「そうなると良いですねぇ」
小谷城で芽生える命がある中で、京都では奪われる命があった。
永禄8年(1565)5月19日の京都 上京 将軍二条御所。
「おのれっ!松永……三好め」
十三代将軍足利義輝の断末魔の悲鳴が轟く。
武田信玄、上杉謙信、北条氏康に三者和解の策を思案している最中に、有力大名の上洛で、自分たちの身が危うくなるのを、阻止しようと松永久秀と三好三人衆が共謀して京都に兵を送り込んだのだ。
名目は清水寺の参拝に赴く三好義継の護衛で、4千の兵を動かしていきなり上京の将軍御所を囲んで、門を打ち壊し乱入したのだ。
義輝は、コレクションとして所有している銘刀を数十本ほど畳に突き刺し、入れ代わり立ち代わり侵入者を切り刻む。
「公方さまお覚悟」
斬り付けてくる敵を50人以上手際よく斬り殺したところで、握る刀が刃こぼれを起こす。
義輝は最後の時を迎える。
御所の奥深くの納戸に引きこもり、愛刀を鞘から静かに引き抜く。
「いざさらば」
そうつぶやくと義輝は、愛刀を腹に突き立てて切腹した。享年 30歳。
「弟の周高に覚慶もついでに殺ってしまうか?残党が祭り上げて挙兵しては面倒くさいからな」
松永久秀が仄暗い顔をして傍らにいる弟の久通に言った。
「ならば追手を差し向けるべきだな、兄者」
松永久秀は、家臣の平田和泉に命じて相国寺にいる周高をも、殺害させて義輝の生母を自殺に追いやり、義輝の愛妾の小侍従局まで執拗に捜索して見つけ出し、六条河原に引き出して処刑する残虐極まりない行為に走った。
丹波 大江山 酒呑童子の根城。
京都に放っていた山姥から、義輝襲撃事件を知らされた酒呑童子が仄暗い笑顔になる。
「足利の世はもはや収拾がつかぬ乱れよう、天下平穏を目指す義輝が倒れたからには、戦国時代はまだまだ続く……いや続いて貰わねばおもしろくないな」
酒呑童子が、にやつき酒を呷る。
「また京の都を襲いに行くか、女どもの苦痛に満ちた顔を楽しませてもらうぞ」
長岡・勝竜寺城にいた細川藤孝は、火急の知らせを携えて息も荒く駆け込んだ兄の三淵藤英から変時を聞いて衝撃を受けて崩れ落ちる。
「公方さまが……討たれた?」
「ああ京都は上から下まで大混乱、既に弟様まで松永久秀の手にかけられたそうだ」
「そうなると奈良の興福寺の門跡、覚慶様が危ないではないか?」
ふと思い出したように藤孝がつぶやくと立ち上がる。
「こうしてはおれん、奈良まで行こう、兄上」
武装して馬を跳ばす藤孝と藤英に同じ幕臣の一色藤長に、和田惟政が途中から加わった。
「急がねば松永久秀めに先を越される、足利将軍家は終わりだ」
一同は想いを共有して、大和の興福寺から、策を構えて僧侶になりすまし追っ手の松永兵の目をごまかし覚慶(15代将軍足利義昭)を救出する。
近江出身の和田惟政の進言で、木津川を遡り伊賀に入り、そこから山中を北上して近江の甲賀郡にある和田城に覚慶を匿うことになった。
「事の次第を小谷城の浅井様にお伝えして、覚慶様を保護していただくことにしたいがいかが?」
浅井家臣でもある和田惟政の提案に、細川藤孝と三淵藤英、一色藤長に異存はなかった。
「信用出来るのか?」と一色が藤孝に言う。
「さて聞かれても、答える事が出来ん、亡き義輝公は浅井長政殿の義を高く買っておられたから、いきなり三好に引き渡す暴挙には出ないだろう」
「いっそのこと、越後の上杉謙信を頼るか?」
「あちらは北条や武田と抗争が激しく、我らの保護など頼むことすら無理だろうな」
「頼るは、浅井長政殿か尾張の織田殿か……もしくは越前の朝倉殿あたりか」
「越前の朝倉は、宗滴亡きいま、義景殿は覇気すら無い状態と聞いたぞ」
頭を掻き毟り、細川藤孝がため息を吐き出した。
小谷城では和田惟政からの報告に浅井長政と重臣達がどよめき激論になった。
遠藤喜左衛門は真っ向から激しく反対して長政に詰め寄る。
「三好から狙われる覚慶を保護してしまうと、浅井は三好との戦いに巻き込まれますぞ、近江だけの浅井で勝算は立つのですか?」
赤尾清綱は義を貫く立場から覚慶を保護して織田信長や武田信玄と結んで、三好や松永久秀と対決すべしと、主戦論を述べた。
「ここまで意見が割れてはどうしようも無いな、ならば竹中半兵衛を呼んで参れ、第三者の意見も聞いておきたい」
浅井長政が妥協案を示して竹中半兵衛を召し出した。
「それがしならば、覚慶殿は利用価値があるゆえ使いますな」
その言葉に遠藤が、顔を険しくして半兵衛に怒鳴る。
「貴殿ならどう使われるのか、承ろうではないか?」
返事によっては浅井から叩き出すことも言外に含まれていることに気づいてか気づかないのか、判然としない半兵衛は、理路整然と反論した。
「まずは覚慶様こそが足利将軍家の主だと宣言していただき、味方を募ります、初めに斎藤龍興と織田信長を和睦させてから、武田信玄と北条氏康と上杉謙信の和睦を仲介していただくことになります、これらを合わせれば、三好や松永久秀などの勢力など恐れるに、足りぬことになり、ご当家の重要性が更に高まり、侮られる事すら無くなります」
遠藤喜左衛門が、ウウムと唸る。
そして浅井長政の方を見やる。
「幸いにして織田とは縁続きであり、また織田と武田も縁戚になろうと模索中らしいゆえ、ここは半兵衛の意見を取り入れる」
浅井長政が当主として決定を下したからにはもう引き返せない。
遠藤喜左衛門が、険しい目を半兵衛に向けるが、当主の前で喧嘩は出来ないので黙っている。
「では浅井家は覚慶を保護することでよろしいですな」
浅井家の会議はこうして終わった。
覚慶は還俗して足利義昭と名乗りを、改めて野洲郡の矢島に拠点を構えた。
竹中半兵衛の進言に沿う形で、細川藤孝は尾張と美濃に赴き、織田と斎藤の和睦交渉の仲介に乗り出した。
渡りに舟と織田信長は斎藤龍興との和睦に乗り気になり、さっさと交渉はまとめられていくが、数カ月後に大きな陥穽が待ち受けることに誰も気づかなかった。
続く。
次回 信長 遂に上洛か?




