浅井長政の近江統一
今回は、浅井長政の大躍進のお話です。
お家騒動に乗じて、近江統一へ。
近江平定作戦
永禄5年(1562) 5月末。
京都を六角承禎から、奪い返した三好長慶は、戦後処理と称して畠山高政と六角承禎を、けしかけて挙兵させた前管領の細川晴元を捕らえて摂津の普門寺に幽閉した。
その翌年に細川晴元は幽閉先で病死した。
更に河内高屋城の破壊と、芥川城を三好義興に譲り渡す。
畿内における三好政権の基礎は旧勢力の没落と引き換えに堅固になった。
近江に戻った六角承禎は箕作城に隠居し、観音寺城は六角義治に渡されたが、何も実績が無い義治を六角家臣団は軽視し、後藤賢豊・進藤賢盛といった自立性の高い在地領主達にとって、当主の義治は頼りない存在に映っていた。
世の常として、自分に服従しようとしない者は、面白くないから是が非でも排除したいという考えが一番強いのが、六角義治だった。
「後藤賢豊め、いつも俺を若輩者扱いしおって、このままでは被官だった浅井に全てを奪われ、没落した京極の二の舞を我が六角が舞うことになりかねん」
そんな人間心理を突いて、巧みに自分に有利に働かせるのが、歩き巫女の役割だ。
北近江 小谷城の長政の居室にて当主の長政と、歩き巫女の杏が密談している。
「織田殿は、我らが獲った美濃の不破郡の領有を認めてくれたそうだ」
「早く妹を嫁がせて縁戚になれば、不破郡などくれてやっても良いと判断されたのでしょうか」
「まぁそんなところだ、俺が織田の立場なら、そうするしかあるまい我らは斎藤龍興から奪い取ったのであり、織田から奪い取ったわけではない」
「織田が慌てて斎藤龍興の家中に調略を仕掛けているらしいよ、鵜殿の大沢とか加治田の佐藤など……よほど美濃の領有にこだわっているみたいですわ」
口元に手を当てて杏が可笑しそうにくすくす笑う。
「やけに織田の事情に詳しくなっているな」
「えぇ、向こうから1人の歩き巫女が派遣されて、来て全て話してくれましたわ、向こうの巫女頭の玲奈とやら、我々が先んじて義龍を亡き者にしたことを、織田信長にからかわれ、それを根に持っているようです」
「大丈夫なのか?」
「玲奈が言うには、美濃は織田に任せて、浅井は近江を獲れとか言って来ました、むろん指示されずとも二度と美濃に手出し致しませんけどね」
最後に杏がこう付け足した。
「織田信長の奥方だけに、上から目線の偉そうな物言い、たぶん織田信長どのも似たような人なのでしょうね、その妹姫もさぞかし傲慢やも知れませんわ」
杏がほとほと呆れた顔をして長政にぶちまける。
よほど神経に触る言い方だったかと、長政は同情する。
「……まだ見ぬ姫を悪く言うことは、この俺が許さんからな……わかったな杏」
凄まじい気迫に杏が一瞬たじろぐ。
「お許しを、言葉が過ぎました」
そう言って頭を下げる杏ので頭に、長政は手を添える。
「俺が一番欲しい物を当ててみよ」
「一番欲しい物は……近江ですね」
「一番欲しい女を当ててみろ」
「それは織田信長の妹……東国一の美女の市ですか?」
杏の顔が市の顔に変貌してみせたのに浅井長政は驚く。
「今は目の前にいる女が良い」
その言葉に動揺したのか、杏は元の顔に戻り、長政に縋り付く。
「近江を手に入れる手始めに、まずは六角承禎と義治父子を倒したい、家中で義治に強い不満を持つ後藤賢豊を籠絡して操り、六角家を描き回して貰いたい、褒美はそなたの欲しい物を遣わそう」
「まぁ、では……成功の暁には私と性交して子種をくださいませ、浅井の名に恥じぬ男子を先んじて産みますわ」
(市よりも早く男子を産んで、寵愛を独り占めよ)
勢い込んで長政に迫る美しき魔道を操る歩き巫女の気迫に、長政は思わずうなずく。
「わかった、なら男子を産めよ杏」
「はい」
勇んで杏が長政の胸に飛び込んで押し倒す。
「必ず近江を浅井の国にしますのでご心配なく」
こうして杏は、後藤賢豊に接近してますます六角義治を軽んじるように、日々マインドコントロールして、六角義治に対しては、家臣を統制したい野望を焚き付け、後藤ら家臣への横暴を極めさせて爆発点まで、持って行かせた。
そして遂に、永禄6年(1563)の10月7日。
六角義治は、粛清の機を狙うべく後藤賢豊・子息の壱岐守を観音寺城に呼び出す使者を送り出す。
六角家崩壊の引き金となる観音寺騒動の始まりだった。
「はたして上手くいきますかな」
小谷城で出陣準備を進める浅井長政のもとに、遠藤喜左衛門がやってくると密かに耳元で話しかけてきた。
「案ずることはないさ、俺は巫女の能力を高く買っているからな、それに六角家中は、だいぶ不平不満が募っていて、我らに内通を申し出る武将まで多数いるようだと密使まで来ているではないか」
「そうでしたな、しかし絶対などありませんぞ、くれぐれも油断無きように……殿」
「わかっている、案ずるな」
浅井長政は涼しい顔をして言った。
納得して遠藤が軽く一礼して自分の部隊を見にいくのをニコニコと長政は見送るのだった。
近江平定
六角家の家臣 後藤賢豊の家は古くから六角家に仕え、承禎の父親の代から重用されて、周囲からの人望も厚い男で、今の滋賀県八日市の羽田荘に堀や土塁を構えた館の他に、観音寺城内の観音正寺の南西にも、広大な屋敷を賜るほどの、筆頭家臣で承禎からの信頼も高かった。
家督を譲られたばかりの若輩者の義治にとって、若輩者と侮り口喧しく干渉する後藤の存在は目障り極まりなく、己の権力確立の障害物だった。
観音寺城内部で、義治は悪夢にうなされて、飛び起きた。
「夢か」
寝汗が全身に薄気味悪く纏わりつく感覚に、ゾッとした義治が荒く息を吐き出す。
(後藤賢豊めに、殺られる前にこちらから殺ってしまおう)
そんな義治を背後から薄笑いを浮かべている杏は、満足そうに最後のひと押しをしてやった。
ガサッと天井から忍びが現れ、刀を無造作に義治に振り下ろす。
「おのれっ……後藤の刺客か」
「いかにも」と忍びが受け答えした。
枕元の刀を取り、受け身で止める義治の前から忍びが、溶けるように消滅する。
(これで義治は後藤を討つのを躊躇わないわねウフフ)
杏がいたずらっぽい笑顔のまま、空間転送で姿を消す。
わななく義治はしばし戦慄したままだ。
「もう我慢ならん、俺は後藤を誅殺しようと決意した」
朝になり、口の固い側近に夜の出来事を話すと、義治はさっそく策略を披露して人数を密かに集めた。
「いきなりでは、名分が立ちません」
「後藤が無礼を働き続けるゆえ無礼討ちにしたことに致せ、親父には内密に頼む」
永禄6年(1563年)10月1日。
死の呼び出しに答えた後藤賢豊と、息子の壱岐守は数十人の供を引き連れて八日市付近の老蘇の森に差し掛かる。
「かかれ」
号令と同時に潜んでいた武装集団500が後藤父子を取り囲むと同時に、襲いかかる。
ズタズタに斬られて後藤父子は落命し、首を刎ねられて首桶が観音寺城の義治のもとに届けられた。
義治は己のしでかした愚行の及ぼす影響と、結果を考えないまま側近に次なる指示を下す。
「よし我が家の脅威は消えた、皆に観音寺駅への出仕を命ずると使者を送れ」
人望厚い後藤が、勝手に義治に始末された顛末を聞いた六角家臣団はかえって反発して、城への出仕を拒み、六角の両藤と謳われた進藤賢盛の屋敷に参集して、鳩首協議して結論を出した。
観音寺城内の屋敷を、捨てて本領に帰る。
北近江の浅井長政に援軍依頼の使者を出す。
六角義治が反省しないなら、浅井長政に鞍替えして主君として仕えるもやむ無し。
目加田・馬渕・伊庭・平井・三雲らが一族郎党を連れて屋敷に去っていく。
更に後藤賢豊と縁戚関係にある永田景弘や三雲恒安は、観音寺城本丸の周囲にあった自分の屋敷から、一族郎党を退去させて火を放って去っていく有様だ。
予想外の誤算に六角義治は、動揺して我を失い、残った兵士三百人を集めて天然の要害である標高432メートルの100近い郭を持つ山城の観音寺城に籠もる道を選んだ。(近くには安土山がある)
北近江の小谷城で、準備万端で出陣を待つ浅井長政の元に六角家臣団を代表して平井武定がやってくると、血印付き連判状を差し出す。
「実は六角義治どのが……」
と後藤の抹殺の事情説明をして支援と、服属を誓ってきたのには、さすがの長政も、面食らうが受け入れる。
「ならば忠誠の証を示せ、意味はわかるな」
念押しする長政に平井が、躊躇うことなくひれ伏して誓う。
「六角義治の首を手土産に我らは今後は、浅井長政様に従いまする」
「よし出陣の法螺貝を」
長政が叫ぶと、どよめきと共に八千の軍団が、中山道を南下する。
同時に海北綱親が指揮する別働隊2千が北周りに、木之本から塩津・今津・高島・堅田の湖西方面へと進撃を開始する。
10月7日。
観音寺城は、浅井長政・旧六角家臣団連合軍1万2000に包囲されていた。
観音寺城をよく知る家臣団の代表者・進藤賢盛が、脇道からの奇襲を浅井長政に進言して、採用された。
翌朝の早朝に奇襲部隊が追手道から池田丸を不意に襲って占拠、続いて平井丸に籠もる守備隊を襲い、本丸に追い込む。
あまりにも凄まじい攻撃に義治は為す術もなく、数人の足軽に取り押さえられ、生け捕りにされた。
一方で、隠居の六角承禎は浅井長政の快進撃を聞いて箕作城を脱出して、布施城の布施公雄を頼ったが、布施氏が既に浅井長政に寝返った為に首を刎ねられてしまった。
誰も味方しないことに絶望した六角義治は、浅井長政の前に引き出されても何も反応すら見せなかった。
「こやつ既に廃人も同様よ、どこかに幽閉した方が良いな」
浅井長政に、侮蔑された言葉を投げられても義治は焦点のあっているのかわからぬ顔をしたままだった。
「小谷城の近くに称名寺に幽閉しておけ、もはや使い物にすらならん、それでも良いな」
そこで言葉をきった長政が続けた。
「義治どの、弟の義定は我が家臣として召し使うゆえ安心されよ」
長政の言葉に六角家臣団は、素直に頷き喜ぶ。
「ご配慮ありがたき幸せです」
「誰も担ごうとは思いませんよ」
進藤賢盛が保証する。
そして浅井長政は軍隊を旧六角領土全てに差し向けて制圧していく。
伊勢に近い鈴鹿峠の黒川城も降伏。
伊賀に程近い池田城も無血開城した。
瀬田唐橋を守る瀬田城の山岡景隆も栗太郡の安堵と引き換えに浅井長政に降り、残る大津・坂本方面も抵抗無く浅井長政に服従した。
比叡山は、浅井長政が門前町の坂本に乱暴狼藉など脅かすことをしないことを条件に、おとなしく従うと約束したので、長政は受け入れる。
朽木谷を治める朽木元綱は、いち早く浅井長政への臣従を誓い、朽木谷を安堵された。
こうして南近江に勢力を広げ、京都の幕政にも深く関与した鎌倉時代以来この地に根付いた近江源氏の名門・六角は史実よりも数年も早目に滅び去る。
尾張清洲城では。
「浅井長政どのが近江を平定したそうだ、我も本腰を入れて美濃を獲らねば浅井に笑われるわ」
信長はそう言って本拠地を清洲城から、小牧山城に移すことを玲奈以下家臣にも告げた。




