斎藤義龍の怪死
この回では、歴史上の人物が史実無視の形であの世に逝く事になります。
永禄4年(1561) 初夏。
美濃の稲葉山城の頂に建つ館は斎藤義龍の屋敷で、風光明媚な景色が楽しめるように展望デッキが設計されている。
かつての主であった斎藤道三を、追い出し殺害してから斎藤義龍は多忙な毎日を送らざるを得なくなる。
尾張の織田信長は、桶狭間の戦い以来から義父の仇敵とばかりに執拗に攻め入り、更に北近江の浅井長政と手を組んで、西からも圧力を加えてくるので斎藤義龍の精神はプレッシャーに耐えかねて歪み始め、幻影を見てはうなされるまでに至る。
義龍の悪業は父親の道三だけでなく、弟の喜平次と孫四郎を騙し討ちにして殺したことだった。
因果応報なのか、それまで頑健な義龍の体調は悪化の一途をも辿り、ここ1年半は、ろくに眠れなくなっている。
義龍の傍らには愛妾の雪乃が控えている。
「だいぶお疲れが溜まっておられるようですね」
気遣う目線がゾクッとするほど義龍のうなじに集中したので、当の義龍は照れ隠しに薄笑いを浮かべる。
「あぁ、尾張の大うつけと、北近江の浅井がちょこまかと美濃をつつきに来る、特に浅井の動きは機敏過ぎて尻尾すら掴ませぬ、おかげで兵どもは疲弊して鈍い動きしかしなくなった」
そこまで言うと義龍が酒を飲み干しひと息つく。
「挽回する為に浅井の宿敵の六角承禎と、手を組み浅井を牽制させているが、承禎の奴、ろくに役に立つどころか、垂井から戻った浅井に佐和山城を奪還されてボロ負けした挙げ句、浅井と和平交渉を模索中らしい」
「まぁ何だかややこしい話になりますね」
雪乃が同情する素振りで義龍に寄り添う。
「俺の意のままになるのはそなただけ」
「まぁ嬉しい」
義龍が雪乃の腰に頭を預けてからまっすぐ雪乃を見つめる。
「しかしひとたび目を閉じると、何故か弟たちと父親の顔が出てくる、哀しげな怨めしい目を俺に向けて来るのが恐ろしい」
そう言う義龍の頭を雪乃が手で擦ってやりながら内心で呟く。
(それは私が見せている幻影です)
「あぁ楽になった、もう良い」
義龍が起き上がり、ふらついて倒れる。
ドサッと音を立てて義龍が仰向けになると、雪乃がさり気なく顔を義龍の顔に向けてにやりとほくそ笑む。
「……侍医の話では最近は食事すら喉を通らない日が増えていらっしゃると聞きました」
静かに言うと、義龍の額に手を翳す。
「もう長くないみたいですねぇ……斎藤義龍」
身体を動かそうにも、少しも反応しない有様に義龍が驚愕の顔になる。
「おのれは……」
義龍の問いかけに対して、雪乃の顔が別人に変貌する。
「魔道を操る近江の竹生島神社の巫女頭の杏と申します」
律儀に自己紹介した杏が義龍を睨みつける。
「我らが近江に、お前がしてくれた暴虐のお礼参りに参上し、今まで機会を伺っておりました、あなたを殺す機会をね」
杏が喜々として義龍に告げると、義龍が震え上がる。
「無理だよ、誰も来ないさ、側近達は今ぐっすり寝ているよ」
「……」
「昨年は浅井軍が垂井に侵入した後で、仕返しに近江の柏原周辺の村を焼き払ってくれたね、お前がやらせたことを後悔させたくて、はるばるここまで来たんだよ」
そう言うと杏は義龍の身体をつぶさに観察し、舌を出して唇を舐める。
その仕草は、エロチックで悩ましい雰囲気を醸し出すが、義龍には恐怖でしかない仕草に過ぎない。
「いい体してる、精気を貰うよ、たっぷり」
そして義龍の来ている服を全て剥ぎ取る。
「おやおや、もう勃ってるよ……気持ちよく逝かせてあげますよ」
ウフフと杏が妖艶な仕草で、小袖と襦袢を脱ぎ捨て一糸纏わね裸体を晒した。
「冥土の土産に聞かせてあげるわ、わたし実は浅井長政さまにお仕えしている身分なのよ、もっと精気を吸い上げて美貌を磨いておかないと寵愛して貰えないの」
美しき吸精鬼の顔も持つ杏が、涎を垂らして義龍の顔から胸にかけて舌を使って這い回るように舐めていく。
「心配しなくても良いよ、優しく逝かしてあげるからすぐに楽になるよ」
慰めにもならない言葉に、義龍は気力が抜けるようにがっくりと頭を傾ける。
やがて杏の悩ましい喘ぎと、義龍の断末魔が聞こえ静寂が戻る。
「あら、もう逝っちゃったの、もう少し楽しませてよ」
杏が残念そうな顔をして、干乾びた義龍だったミイラから体を引き離す。
「ごちそうさん」
そう言って杏は、スッと姿を消す。
翌日になり、いつまでも起きてこない義龍を起こしに来た侍女が、この世のモノとは思えないほどのおぞましい姿に、変わり果てた義龍を一目見てショックのあまり狂ったように喚き散らし逃げてしまった。
斎藤義龍 享年35歳だった。
家督は斎藤龍興でこの時14歳が継いだ。
この衝撃は尾張と近江を揺るがし、美濃の運命を大きく左右することになる。
杏……美しき新たな登場人物。




