第三話
「シャアアア!」
「死ねやぁああ!」
「スキル! 【獄炎牙斬】!」
凶悪そうな牙や、地獄の業火を思わせる火炎を纏わせた刃が、シェイフィンに襲い掛かる。
いずれの攻撃も、先ほどまで為されていた、痛めつけることが目的のものとは明らかに違っていた。普通の人間が食らえば、一撃で絶命しそうな技ばかりだった。
しかしシェイフィンは、眉一つ動かすことなく、腰に差していた長包丁を素早く抜き取る。
「スキル! 【極大光刃生成】!」
シェイフィンが叫ぶと、大量の魔法力が長包丁に流れ込んでいった。
込められた魔法力は、長包丁を軸として、刀身の周囲に広がっていき、瞬く間に巨大な剣を形成していく。
「るぁあああああ!」
「「「がぁあああああ!?」」」
シェイフィンが、自ら作り上げた魔法力の剣を、凄まじいスピードで振り回した。すると、今まさに必殺の攻撃を繰り出していた魔族たちが、全員切り裂かれていく。
自然、魔族特有の青い血が、血しぶきとなって、辺り一帯に散乱した。
「さて」
青い返り血を全身に浴びたシェイフィンが、魔法力の刃、その切っ先を、目の前で起こった出来事がうまく呑み込めず、ぽかんと間の抜けた顔を浮かべるロヴァーへと向けた。
「い、いやいやいや、ちょっと待て、なんだその魔法剣は!? 使われている魔法力量が尋常じゃねぇぞ!?」
「まだわかってないの? これがあんたの欲しがってた『光の剣』だよ」
「ふざけるな! どう見ても、ただの包丁だろうが!」
「昔、包丁の形に加工したのよ。日常生活の中でも使えるようにね。ま、それはともかく──あんたが言った通り、全員倒したけど?」
「バカな……我々はかつての大戦時、魔族の中でも選りすぐりの精鋭として名を馳せていたんだぞ! それがなぜ、ただの人間の女に一瞬で斬ら伏せられねばならないんだ──」
ギィン!
ロヴァーが負け惜しみを叫ぶと同時に、『光の剣』が、彼の爪のうち、一枚だけを綺麗に叩き斬った。
斬られた爪は、数瞬宙を舞ったあと、ぽとりと地面に落ちる。
「ご託はいいのよ。とっとと旦那様を解放しな」
「ぐぅうう……!」
苦々し気にうめくロヴァーは、まるでティレイズを盾にするように、彼の後ろに回る。
そして、シェイフィンによく見えるように、残った爪を激しく彼の喉に食い込ませた。
「う、動くな! サービスタイムはもう終わりだ! 今すぐ『光の剣』をそこに置いて、見えないところまで下がれ! じゃないと、旦那の命はないぞ!」
「……」
シェイフィンは光刃を霧散させ、言われた通り、『光の剣』をその場に置いた。
「ふ、ふふふ、そうだ、それでいい! そのままゆーっくりと後ろに下がっていけ! そうすりゃ、旦那様には手を出さないでいてやるからよぉ!」
辛うじて自らの安全が確保されたと知り、ロヴァーが喜色を顔に浮かべる。
しかし、彼の動きは、意外な声で止められることとなった。
「下級魔族よ、もうやめておけ」
「あぁ!? てめぇ、よくもまた下級魔族と言いやがった──な?」
ティレイズの言葉に激昂したロヴァーが、状況も忘れ、シェイフィンからも目を離し、彼の胸倉をつかんだ。
しかし直後、ロヴァーの全身を、例えようもないほどの悪寒が駆け巡る。
「う、あ……?」
全身が総毛立つような感覚だった。特に疲れているわけでもないのに、膝が笑ってしまっていた。
ロヴァーも、それなりの修羅場をくぐってきた身ではある。しかし、目の前にいる線の細い男から感じられる威圧感は、過去最高の恐怖と比べてなお、はるかに上を行っていた。
「今すぐ手を引き、二度と我々に近づかないというのなら、それで終わりにしてやろう。だが、なお続けるというのなら、もはやかける情けはない」
金色に輝く男の瞳は、凄まじい殺気に満ちていた。
農村に住む人間のする目ではない。完全に、獲物を狩る肉食獣のそれだった。
「お、お前は……いや、あなたは一体……!?」
自らが狩られる側だと悟ったロヴァーは、胸倉をつかんでいた手を離し、一歩、また一歩と下がっていった。
少しでも気を抜けば、思わずひざまずいてしまいそうですらあった。
それだけ、男の存在は禍々しく、同時に神々しかったのだ。
ロヴァーの、魔族としての本能が告げていた。どれだけ貧弱に見えても、目の前の存在には、絶対に勝てない。勝てるはずがないのだと。
「……私の正体か。残念だが、それを語る暇はなさそうだぞ」
「え?」
「どっせりゃああー!」
反射的に、ロヴァーは掛け声のした方に顔を向ける。
するとそちらから、シェイフィンの握りしめた拳が飛んできて、ロヴァーの顔面にめり込むこととなった。
「がはぁっ!」
「ほい、トドメ!」
ズガァ!
全体重をうまく乗せた恐ろしくいい蹴りが、ロヴァーの顎を跳ね上げる。
人体急所を二連続で殴打されたことで、ロヴァーは完全に気を失い、その場で仰向けに倒れてしまうのだった。
「ふぅ、これでおしまいだわね」
「すまない、シェイフィン。手を煩わせた」
「別にこのくらい、どうってことないわよ。子爵くらい魔族なら、昔、散々倒したしね」
「いや、私は彼に子爵を授けた覚えはない。というか、彼は貴族ですらないよ。私が知らなかったところから見て、かなり低位の魔族だろう」
「ああ、だからこいつ、旦那様が誰かもわかってなかったわけね。ちなみにさ、さっきは魔王の力を出してたわけ?」
「まさか、ただ睨みを利かせただけだ。昔言ったと思うが、魔王の力は、それ自体を使って封じてある。つまり私には、封印を解く力そのものがもうないんだよ」
「今日みたいな時は困る封印だわね。ま、その封印も、結婚した時にした約束なんだから、しょうがないか」
言って、シェイフィンはティレイズの手を握り、村へと向けて引っ張ろうとする。
「ま、待ってくれシェイフィン」
「ん? どした? どっか痛かったり?」
「いや、そうじゃなく──もう、怒っていないのかい? 昨日の件は」
「んんん~……」
顎に皺を寄せ、少しだけ悩んだような顔を見せるシェイフィン。
そのまま数俊が経過すると、彼女はティレイズの額に、デコピンをした。
「いたっ」
「ま、これで済ませてあげるよ。悪くなっちゃうといけないしね」
「悪くなる?」
「シェイズのフルーツだよ。旦那様といっしょに食べようと思って、昨日から手をつけずにいるんだから!」
少し照れたように顔を背けるシェイフィン。そんな彼女を見て、ティレイズはその顔に、微笑みを浮かべる。
「まったく、君を見てると飽きないな」
「なんじゃそら! 褒められてる気がしねぇ!」
「愛してるよ、シェイフィン」
「急すぎる! ま、アタシもだけど! とにかく、村に戻るよ!」
「ああ、そうしよう」
そして二人は、手をつないだまま、自分たちの家へと戻っていった。
彼女たちの歩く姿は、十年以上も連れ添った夫婦でありながら、恋人同士のそれにさえ見える。
それだけ、彼女たちの間に、深く、強い絆があるのだ。
その絆は、例えどのような強者でも、どのような苦難でも、未来永劫、絶対に引き裂けはしない──。
***
かつて、人間と魔族の間に戦争が起こった。
魔族を率いた魔王は、しかし、争いなど好まない、とても穏やかな人物だった。
伝説の武器を振るう、人類最強と呼ばれた勇者の少女は、戦いの中で、自分にはないその優しさに、いつしか惹かれていった。
殺し合う運命にありながら、どうしようもなく魔王に恋焦がれてしまった彼女は、葛藤の末、彼と結ばれることを選んだ。
そして魔王と勇者は揃って行方知れずとなり、魔族と人間の戦争は終わった。
彼と彼女が一体どこに行ったのか、今何をしているのか。それを知る者は、世界のどこにもいない──。
(完)