第二話
「ごちそうさまでした。流石シェイフィン、すごくおいしかったよ」
「うむ、もっと褒めていいぞ!」
イノシシ魔物を狩った日の夜。
シェイフィンとティレイズは、言っていた通り、イノシシ肉と芋をシチューにして食べていた。
二人とも食べ終わり、机の上には空になった木製皿が並んでいる。
「うっし、皿、さっさと洗っちまおうか」
「ああ、私も手伝うよ──」
シェイフィンが立ち上がって皿を片付け始めると、ティレイズもそれに倣おうとした。
しかし──
『ごめんください。開けてもらえませんか?』
ノックの音とともに、ドアの外からそんな声が聞こえてきたために、ティレイズの動きが止まった。
「この声はシェイズかな? 何の用だろう?」
「旦那様、出てくれない? アタシ、手が塞がってるし」
「うん、わかった」
シェイフィンが両手で皿を抱えているのを見て取ったティレイズは、二つ返事で了承し、ドアへと向かった。
そしてドアノブを引くと、シェイフィンよりも更に大きな荷物を抱えたシェイズと出会う。
「こんばんは、シェイズ。どうしたんだい?」
「こんばんは、ティレイズさん。イノシシ肉を分けてもらったお礼をしようと思いまして」
シェイズはそう言って、手に持っていた大量の荷物──ほぼ全てフルーツである──を、ティレイズに差し出してくる。
「ウチの畑で採れた物です。お口に合えばいいんですけど……」
「これはおいしそうだ! ちょうど夕食を終えたところでね、デザートにいただくよ。シェイズもいっしょにどうかな?」
「え? でも、せっかく夫婦水入らずのところにお邪魔なんじゃ……」
「そんなことは気にしなくていいよ。さぁ、入って入って」
「じゃあ、ちょっとだけお邪魔し──きゃっ!?」
ティレイズとシェイフィンの住む家は、入口部分に小さな段差がある。
そしてシェイズは今現在、大量のフルーツを抱えているため、足元が見えない状態だった。
とどのつまり、彼女はその段差につまずいて、転んでしまったのだ。
「危ない!」
当然ティレイズは支えようとするが、持っていたフルーツが邪魔で、うまく彼女の体を掴むことができず──
「きゃああっ!?」
「うわぁっ!?」
結局、ドシンと派手な音を立てて、二人そろって床に転がってしまう。
「いたた……シェイズ、大丈夫かい?」
「え、ええ……ひぅんっ!?」
シェイズが、生娘のような甲高い悲鳴を上げる。
「シェ、シェイズ?」
顔を真っ赤にして喘ぐシェイズを、ティレイズは不思議に思ったが、その原因はすぐにわかった。
もつれあうように倒れこんだ結果、シェイズがティレイズに覆いかぶさるような形となり、彼の手が彼女の胸に当たってしまっていたのだ。
「す、すまないシェイズ! すぐにどくよ!」
とは言うものの、ティレイズが下になっているため、手をどければシェイズの体が落下し、二人はますます密着してしまう。
早いところ、シェイズに起き上がってもらいたい。でないと──と、思った時にはもう遅かった。
「随分楽しそうなことになってるじゃないの」
倒れた二人の真上から、地獄の底から響いてくるような声が聞こえてきた。
確認するまでもない。死んだ魚のような目で二人を見下ろす、シェイフィンのものである。
「シェ、シェイフィン、待ってくれ。これには事情があって……」
「あぁんっ! ティ、ティレイズさん、そんなに動かれたら、わたし、もう……!」
ティレイズは弁解をするべく、シェイフィンの方に体を向けようとした。
すると、その動きが手に伝播し──結果的にではあるが、ますます苛烈に、シェイズの胸を揉むこととなってしまう。
「ほう、事情とな。嫁であるアタシの目の前で、アタシ以外の女の乳を揉むのに、どんな事情がお有りなのかしら?」
呼吸を荒げ始めるシェイズを見て、シェイフィンが、目をまったく笑わせないまま、口の端だけを吊り上げる。
長い夫婦生活の中で、ティレイズは知っていた。これは、シェイフィンが完全にキレた際に見せる表情だと。
「この浮気者がぁ! 一晩外で反省してこーい!」
ドアを開け、シェイズもろともティレイズを家の外に放り出すシェイフィン。
そして彼女は、バタンと大きな音を立てて、ドアを閉めてしまう。
「うーん。これは、ホントに明日になるまで入れてもらえそうにないな……」
「あの、ウチに来ますか? わたしのせいですし、お詫びとして、ベッドくらいは提供しますけど……」
「いや、それじゃますます誤解されてしまう。今日は森で野宿でもするよ」
「そうですか……じゃあ、せめて明日、わたしもいっしょにシェイフィンさんに謝ります」
「そうしてもらえると、誤解が解きやすくて助かるね。じゃあ、また」
と言って、ティレイズはシェイズと別れ、近くの森へと歩いていった。
この時彼は、微塵も気づいていなかった。彼らの動向を、遠くから監視している者がいたことに。
***
「ふわぁああ……いい朝だわね」
翌日の朝。
ネグリジェ姿のシェイフィンが、あくび混じりに木製の窓を開ければ、穏やかで暖かな日光が、これでもかと言うほど部屋に入ってくる。
とても清々しい朝だった。
「さて、そろそろ旦那様を探しに行こうか。まぁ、どうせ森で野宿でもしてるんだろうけど──ん?」
そこでシェイフィンは、窓に何かが刺さっていることに気付く。
手に取ってみると、紙が括りつけられたナイフだった。
「手紙……?」
どことなく嫌な予感を覚えながら、ナイフから手紙を外し、広げてみるシェイフィン。 そして、彼女の目が文章の最後に向かうに連れ、その顔が険しいものになっていく。
「『旦那は預かった。返してほしくば、下記の物を持って森の最深部に一人で来い。なお、このことは村の自警団等には告げないこと。もしも告げれば、旦那の命はないものと思え』……」
読み終えたシェイフィンは、完全な真顔となり、手紙を手のひらで握りつぶした。
***
農村近くの森、その最深部。
森は、深くに行けば行くほど危険な魔物が出やすいため、この辺りには悪戯の常習犯であるテッドさえも近づかない。
そんな場所で、手首を拘束されたティレイズが、丸太に座らされていた。
「貴様たち、私を誘拐して、一体何が目的なんだ?」
ティレイズが尋ねた。
尋ねた相手は、青い肌と巨大な翼を持ち、額から太い角が生えている。
人間よりもはるかに強大な力と、残酷な精神を持つ亜人──魔族であった。
しかも、一人ではない。リーダー格らしき巨漢の周囲に、同様の格好をした者が数人。いずれも剣や斧、槍で武装していた。
「お前らが持ってるっつう『光の剣』さ」
「『光の剣』?」
「十年くらい前、人間でありながら、魔王様の軍勢をばったばったと倒しまくった奴がいたのは知ってるだろ? 勇者とか呼ばれてた奴だ」
「……ああ」
「『光の剣』ってのは、そいつが使ってたっつう武器さ。どういうわけか、それをお前らが持ってるって噂で聞いてな、ちょいといただこうと思ったわけよ」
「そんなものを手に入れてどうするというのだ? どれほど強力であっても、あくまで人間の武器。魔族にとっては何の価値もないと思うが」
「はん、何も自分で使うだけが武器の使い道じゃねぇ。売ればいいのさ」
「売るだと?」
「そうさ。何しろ、最強の魔王軍を壊滅にまで追い込んだ武器だ。人間にも魔族にも、欲しがる奴は山といる。どれだけの値がつくかすらわかりゃしねぇ!」
「ふん。とどのつまり貴様らは、ただの金目当ての野盗か」
ティレイズが吐き捨てるように言うと、巨漢の魔族が彼の顎を掴み、その体を宙に浮かせた。
「調子に乗るなよ人質が。魔王様が行方をくらませた今、魔族は群雄割拠の状態になってる。俺ぁ今回の金で一旗上げて、そこに割り込むのさ!」
「貴様のような下等魔族が、第二の魔王になるとでも?」
「誰が下等魔族だコラァ! 俺はな、人間との戦争で手柄を挙げて、魔王様直々に子爵の称号をいただいたんだ! 次に侮辱したら、その腕叩き斬るぞ!」
「……」
黙ったティレイズを臆したと見たのか、魔族は手を離した。
重力に従い、ティレイズの体が落下し、再び丸太の上で座ることとなる。
「ふん、最初からそうやって黙ってりゃいいんだよ。まぁ安心しろ? 女が大人しく『光の剣』を渡しさえすりゃ、命は取らねぇでやるからよ」
と、悪人顔で魔族が笑った時。
「ロヴァー様。来たようですぜ」
「ほう?」
部下にそう言われ、巨漢の魔族──ロヴァーが、顔を森の方に向ける。
するとそこでは、木々の間をかき分けるように、シェイフィンが進んできていた。
「シェイフィン……」
「アタシの旦那様を返してもらうわよ」
「もちろん返すさ。だが、要求したブツを渡してもらうのが先だ。『光の剣』はどこだ? 見たところ、何も持ってないようだが?」
「……あんたたち、『光の剣』がどんな形をしてるか、知らないでやったわけ?」
「だったらどうだっつうんだ? いいからとっととよこせ!」
「渡せないよ」
「あぁ!?」
激昂し、目を血走らせるロヴァー。
しかし、シェイフィンは微塵も動じることなく、ロヴァーを睨みつける。
「『光の剣』は、確かにアタシが持ってる。けどね、これは大切な仲間たちとの、そして旦那様との思い出の品なんだ。あんたみたいなろくでなしのゴロツキには、絶対渡せない」
「てめぇ……!」
怒り心頭となったロヴァーは、ティレイズの髪を掴み、再びその体を持ち上げる。
そして、指の先から鋭い爪を伸ばし、ティレイズの喉笛にそれを当てた。
「もう一度だけ言ってやるよ。『光の剣』を渡せ。じゃないと、愛する旦那様がどうなるかわからねぇぜ?」
「だから、渡せないよ。もちろん、旦那様も傷つけさせないけどね」
「……少し、立場ってもんを教えてやろうか」
ティレイズの首筋に爪を突きつけたまま、顎をしゃくるロヴァー。
すると、彼の周囲にいた魔族たちが、シェイフィンに近づいていく。その顔には、悪意に満ちた笑みが浮かんでいた。
シェイフィンは、逃げることもなく、ただ仁王立ちのまま、彼らに囲まれていった。
「やれ!」
ロヴァーが叫ぶと、魔族たちがシェイフィンを痛めつけ始める。
「ぐっ!」
刃や魔法こそ使わないものの、拳で殴り、武器の峰や柄の部分で攻撃し。
すぐさまシェイフィンの体に、いくつもの青あざが浮かんでいった。
それを見たティレイズが、顔を真っ青にして叫ぶ。
「やめろ! やめてくれ!」
「けけけ、旦那様からも頼んでくれよ。これ以上痛い思いをしたくなかったら、大人しく『光の剣』を渡せってなぁ!」
「違う! そうじゃない!」
「あん? 何言ってんだ?」
「私はシェイフィンに言ってるんだ! もう約束を守らなくいいと!」
「約束だぁ?」
不思議そうな表情を浮かべるロヴァーに、殴られ続け、顔を膨れ上がらせたシェイフィンが言う。
「結婚する時、旦那様と約束したのよ。アタシはもう魔族を殺さない。戦いもしないってね」
「ひゃーっはっは! 何か? お前、その気になれば、俺たち全員を皆殺しにできると、そう言ってんのか?」
ロヴァーは心底楽しそうに、シェイフィンを指さして嘲け笑う。
「面白ぇ。よし、こうしよう。少しの間、旦那様には手を出さないでやるよ。だからその間に、俺らを倒してみせろや。見事全員倒せたら、旦那様は解放してやるぜ」
ロヴァーの言葉を聞いたシェイフィンは、まっすぐにティレイズの方を見た。
ティレイズもまた、シェイフィンの目をまっすぐに見返しながら言う。
「やってくれ、シェイフィン」
「いくら森の最深部って言っても、どこで誰が見てるかわからないんだよ? もし正体がバレたら、あの村にはもういられない……」
「私は、例え世界の果てに行っても構わないんだよ。君が隣にいてくれるなら、ね」
ティレイズの言葉を聞いたシェイフィンは、体中に怪我を負いながらも、幸せそうに微笑み、頬をわずかに赤くした。
「おいおい、いちゃついてんじゃねーぞ? 早速ショータイムと行こうか! お前ら、もう構わねぇからぶっ殺せ!」
ロヴァーの言葉を合図とするように、シェイフィンを囲っていた魔族たちが、一斉に動き出した。