第1話 開拓士との出会い
新しい物語を描き始めました
お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
きっと世界が人の形をしていたらこんな性格に違いない。
びっくりするぐらい理不尽で高慢で。
呆れるほど身勝手でこちらを振り回して。
いつだって私たちを挑発してくるのだ。
むかつく。本当にむかつく。
一発ぐらい殴らせてほしい。
なのに……そんな腹立つ性格なのに。
泣きたくなるぐらい優しい一面もあって。
いつだって自信満々で頼りになって。
姉や母のように笑って見守ってくれて。
悩み一つ見せない顔しているのに裏では悩んでいて。
結局、殴ろうとしたゲンコツを下ろしてしまうのだ。
なんてずるい奴なんだろう。
やっぱりむかつく。
でも。それでもだ。
何だかんだ言いながらも、私たちはこの世界で生きていくしかないのだ。
晴れの日にはいっぱいの洗濯物を干してよく乾きそうだと笑って。
雨の日には畑の作物よ育てと祈って。
雪の日には寒いねと言いながら家族と身を寄せ合って。
突然の理不尽な災害には悲しんで怒って仕方がないなと諦めて。
そうやって生きていくのだ。
これまでも。
これからも。
きっと、ずっと、いつまでも。
怒って、笑って、悲しんで、感謝して。
大変いい性格をしている殴りたくなるような世界で。
私たちは───生きていく。
◆
ドクンドクン。脈打つ心臓の音すらうるさく聞こえる。
自分の息を殺したいのに、肺から漏れ出るのを止められない。
大丈夫だと自分に言い聞かす。
そうしていないと不安に押し負けてしまいそうになるから。
「お、おねえちゃんっ……」
「──大丈夫よイリス。お姉ちゃんが守ったげるから」
汗と泥と涙でぐちゃぐちゃになった妹のイリスの背中を撫でてあやす。
大丈夫と何回も言って。
妹に言い聞かせているが、自分にもそう言っていないと今にも不安に負けてしまいそうになる。息を整えろ、自分の置かれた状況を考えろ、希望を捨てずに足掻け。
浅かった息が少しずつ間隔が深く長くなっていく。
───大丈夫だ。私はお姉ちゃんなんだ。しっかりしろ!
広くなった視界にバッチリと森と妹の姿が映る。
冷静になった頭でどうしてこうなったのかを思い出す。
いつものように森に入って果物や山菜を採りに来ていた。
森に入って数十分後ぐらいにはいつもと違う感じがした。嫌な感じだ。背中がもぞもぞとするような、いつもあるものがないような。間違い探しをしている気分になった。
妹のイリスは何も気付いていない様子だったが、今日は早く上がって父に報告しようと思った矢先の出来事だった。
茂みの中から───自分よりも大きな《灰色猪》が現れたのだ!
鋭い牙と体格からは考えられないような突進力で獲物を貫く獣だ。
里の大人たちだって正面から捕まえようとはしない危険極まりない獣で、父から出会ったらすぐに逃げるように教えられてきた。
だけど、森の深いところならまだしも、子供たちが入っても問題ないところで出るなんて聞いていない!
自分の運のなさに嘆きたくなるのを堪えて、山菜採り用の鞄から護身用の薬玉を取り出した。万が一、危険な獣に出会ったら投げるようにと持たされたものだ。
すぐさまそれを《灰色猪》の目の前の地面に向けて放つ。
「イリス! 逃げるよ!!」
「う、うん!」
赤色の煙が立ち込め、《灰色猪》が悲鳴を上げる。
森の中ということもあって風の流れがほぼないに等しい。刺激臭のある煙が充満するように漂うので、自分たちが煙を吸い込まないようにすぐさま逃げ出した。
妹のイリスの手をギュッと強くつかんで力の限り走る。《灰色猪》が煙で怯んでいるうちに一歩でも早く遠くへ行かなければ!
「お、おねえちゃんっ……!」
「今はだまって走りなさい!!」
イリスが何かを言い出そうとしたが今は時間が惜しい。ちゃんと考えればよかった。妹は私より幼いけどバカではない。むしろ、幼いながらも賢い部類に入るし可愛い。
この時のバカは私だった。
「きゃっ!」
「イリス!?」
焦るあまりに全速力で腕を引っ張って私は走っていた。年上の私の方が背が高く足も早い。だから妹を引っ張って走らないと思っていた。イリスの歩幅のことも何も考えずに。
ぐんと引っ張っていたイリスが重く感じた。
次の瞬間、イリスの足がもつれて体勢を崩して勢いよく転んだ。
腕をつかんでいたせいで土と砂利の入り混じった道の上をイリスの膝が滑る。
「イリス、ごめん! 走れる!?」
「だ、だいじょう……ッツ!」
イリスが立とうとして痛みに顔が歪んだ。膝から血が溢れている。傷だけなら走れるかもしれないが、膝を打ったせいで骨にも異常があるかもしれない。到底、走れそうな状態ではなかった。
どうすればいいと考えていると、悪いことは続くのか《灰色猪》の怒声が聞こえた。迷っている時間なんてない。
とりあえず、イリスを抱えて茂みの中へ身を隠すことにした。いつ来るかもわからない恐怖心と戦いながら。
──そこまで思い出してようやく自分のやるべきことがはっきりとわかった。
腕の中で震えるイリス。怪我を負わせてしまい走れない。
このまま震えて助けを待っていたら二人とも見つかってしまい死んでしまう。
だったらやることは一つだけだ。
「ねぇ、イリス。ここで大人しく待てるよね?」
「おねえちゃん……?」
「あんたは私の賢くて可愛い妹だもん。できるわね?」
「だ、だめだよおねえちゃん……!」
やっぱりイリスは賢い。私が何をしようとしているのかわかってしまったみたいだ。
察しが良すぎるのも考えものである。
「大丈夫。あんなバカな猪をちょっと引き付けてからかうだけ。巻いたらさっさと逃げるから。あんたはその隙をついて歩いて村まで行きなさい」
「ごめんなさい。わたしのせいで…」
「あんたのせいじゃない。それに私は絶対に死なない」
「ほんとう?」
「もちろん。私が嘘ついたことあった?」
「……いっぱいあるよ?」
「……忘れたわ。ごほん。こういう時はないって言えばいいのよ」
「うん、わかった。ぜったい帰ってきてね。約束だよ」
「うん、約束だ。私は絶対に帰ってくる!」
最後に穏やかに笑ってイリスを抱きしめる。
小さい子特有のミルクの匂いが香り、小さな手はギュッと私の服を握る。この小さな体のどこにそんな熱があるのかと思うような温かさを感じる。
──妹の全部から勇気をもらった。
私は潜んでいた茂みから飛び出し走る。
十秒も経たないうちに《灰色猪》を見つけた。こんなにも近くにいたのか。即断即決したのは正解だった。あのまま隠れていたら妹共々やられていただろう。
「そこの頭空っぽのウリ坊! 私はこっちだぞ!!」
足元に落ちていた石を投げつけ挑発する。
《灰色猪》は危害を及ぼした私に一直線に向かってくる。
予定通りだ。このままイリスの反対側へと走る。少しでもイリスから遠ざけなければならないが、さすがは森の獣。全力で走っているのに簡単に追いつかれそうになる。
村の大人を含めて身軽さには自信がある。全力を出せば大人に追いつかれたことなんてないのに《灰色猪》には、その俊足が通用しそうもない。
ならば!
「木の上なら上がってこれないでしょ!」
全速を保ちながら木の幹を蹴るように登っていく。
そのまま枝から枝へ、子供一人分の体重に耐えられる程度の太さを瞬時に見分けて樹上を駆ける。一つ間違えればそのまま落下してもおかしくないはずなのに、危うげなく進んでいく。
この調子なら巻けるかも──と思った瞬間だった。
《灰色猪》はアリカが着地しようとした木に体当たりをした。
「うそでしょっ……!?」
メキメキという音を立てながらゆっくりと木が倒れていく。いくら身軽さに自信があっても足場そのものが破壊されてはどうしようもない。それでも、空中で体勢を整えて倒れる木の枝を辛うじて掴み、落下するダメージを小さくする。
「ぐぁっ……!!」
ドンと木と共に落ちてしまった。
倒れながら瞬時に自分の状態を確認する。落下中に葉や枝がこすって怪我をしたがどれも軽症だ。足も動くし手も大丈夫だ。体に問題はない。
一番の問題は──《灰色猪》に追いつかれてしまったことだ。
「ち、くしょ……」
ノロノロと起き上がり、鼻息荒くしている《灰色猪》と対峙する。
鼻息が荒く目が血走っている。どう考えてもここから気を鎮める方法なんて思いつかないし、信じられないような圧迫感と殺意がビリビリと肌を突き刺す。
怖い。死が間近に迫った状況で恐怖が顔を出す。
でも、
「約束したんだ……!」
絶対に帰るって。イリスと約束した。
つまんない嘘はつくかもしれないけど、お姉ちゃんとして交わした約束を破るわけには絶対にいかない。
「お前なんかに……負けてたまるかああぁぁぁ────────!!」
護身用に持たされていた短刀を抜いて構える。
火の精霊様、お父さん、お母さん、じっちゃん、ばっちゃん誰でもいい。
私に生き抜く力をお与えください!
腹の底から大声を上げる。
森の全域に響いて届け。
命よ怒りよ炎となって猛々しく燃えろ。
私を殺せるものなら殺してみろ。
この命はウリ坊なんぞにくれてやるほど安くないぞ!
「────はっ、悪くない吠えっぷりだ」
誰だろう?
目の前に枯れ草色のマントを羽織った男が風のように突然現れた。
「まだまだ子供のくせに大したもんだが、あとは大人に任せときな」
男が身の丈ほどある大剣を構えた瞬間、《灰色猪》の方が「ブオォォォォ!」と突っ込んできた。さっきはあの巨体で木を一発で叩き折ったのだ。いくら強そうに見えても人間なんかひとたまりもない!
「あぶなっ……」
最後まで言えなかった。
いつの間にか男の大剣が振り下ろされていて、その後に何かが破裂した音が聞こえた。
何も見えなかった。何も感じられなかった。
ただ男が──空気を斬ったことだけはわかった。
そして、《灰色猪》もまた一刀両断されていた。
あんなにも恐ろしく感じた獣が。村の大人が束になって狩る獣が。
あっさりと斬られていた。
男は大剣を背中にしまいこっちを向いた。
「よう大丈夫だったか?」
「う、うん……」
「お前さんがアリカか? 途中で会った妹から名前だけ聞いたんだが」
「イリスに会ったの? あの子は無事!?」
「はっ、安心しろ。無事だよ」
「よかった。本当によかった……!」
ホッとしてようやく力が抜けた。
緊張感から解き放たれて、ぺたりと地面に尻餅をつく。
「あー安心したところで悪いんだがな、アリカ。お前さんに言いたいことがあるんだわ」
「え、なに?」
男が私に目線を合わせてしゃがんだ。
そして、
「ガキが危ない真似してんじゃねーよ!!」
「いっだあああああぁぁぁぁ────────────!!!!!」
目から火花が飛び散ったかと思うゲンコツをくらった。
《灰色猪》で怪我したよりもはるかに痛かった。
これが私──アリカ・アンゲルと後に師匠となる開拓士クオンの出会いだった。