穏やかな日々が、ずっと
「お嬢様は本当にお転婆さんでしたからね」
お茶の時間。とりとめのない話をしているうちに、幼少期の話になった。
とぽぽ、とティーカップに紅茶を注ぎながら想い出を語るのは、すっかり成長した従者・フレンである。
金色のやわらかな髪と翠色の瞳を持つ彼は今年二十七歳、高い身長も相まって、とても見栄えのする青年になっていた。
「あんなこと、話さなくても良いじゃない」
気心知れた彼と二人なのだ。『お転婆さん』と称された元・少女であるグレイスは膨れた。
元・少女のグレイスもあれから十年近い月日が経って、立派な淑女になっていた。
長く艶やかな黒髪はハーフアップにされているのが常。瞳は偶然であるが、フレンと同じ翠色である。
そんなグレイスは、もうすぐ誕生日を迎えて十六になるところだ。その間、従者のフレンはずっと仕えてくれている。半ば、彼が育てたようなものだとからかう者もいるくらい。
「そういえば、あの雛は助かったのだったかしら……」
幼かったグレイスはその部分が曖昧だった。しかしフレンはしっかり覚えていたらしい。
「大丈夫でしたよ。親鳥が助けに飛んできましたから」
そう聞けばほっとしてしまう。あのかわいらしい雛が地面に落ちて死んでしまっていては心が痛む。それに、そんな悲しいことがあったなら嫌な想い出として残っていただろう。それがないということは、すべて無事に収まったということだ。
「お嬢様はお優しいですけれど、少し向こう見ずなところがありますからね。私は心配で」
「もう聞き飽きたわ」
一応、ありがとう、と言って新しい紅茶を注いでもらったティーカップを取り上げる。ひとくち飲み込んだ。
今日のものは多分、アールグレイ。薫り高く、濃くておいしい。濃く淹れても苦くならないのは、品質が良いということだ。
フレンこそ、とグレイスは心の中で思う。優しいけれど、ちょっと……いや、だいぶ過保護なのだ。幼い頃から一緒にいて、『半ば育てて』くれたのだから、当たり前かもしれないけれど。
グレイスの家は、一応貴族に当たる。けれど高貴で裕福かといったらそれほどでもない。
貴族の中でも一番下の男爵という爵位であるし、小さな領しか持っていない。いわば弱小貴族なのであった。それでも貧しくはないし、領も大概は平和だった。
よって、グレイスの周りは落ちついていたと言える。
ただ、母はとっくに亡かった。病弱で、グレイスが物事つかないうちに病にかかって、あっさり亡くなってしまったのだという。
けれどいかんせん、物心つくかつかないかというほど前の出来事であるので、少しの寂しさはあるものの、グレイスにとっては母がいないことに対して違和感はなかった。
それに。こうして『半ば育てて』くれたフレンがいるのだから。寂しいことなどちっともなかったのだ。フレンは従者であり、兄でもあり、そして母のようでもあったといえる。
ただしグレイスにとって、そうだけとも思えないのだった。きょうだいもいないグレイスには、なにしろ一番身近な異性である。恋愛感情に似たようなものは昔からほんのりあると感じていたし、社交界に出られるような歳にもなろうとしている今では、これはおそらく恋なのであろうと確信しつつあった。
けれどなにしろフレンは従者。
自分は弱小貴族とはいえ、身分ある身。
結ばれるかといったら大いに謎であった。
謎ではあったけれど、身辺があまりに平和すぎて、グレイスは楽観していたといえる。
このまま、穏やかな日々がずっと続いていくのだろうと。貴族のお嬢様として、お勉強やお作法を習って。フレンはずっと自分に仕えていてくれて。そんな日々が、ずっと。
しかしグレイスのそんな呑気な考えは、その数日後に吹っ飛ぶことになったのである。