はじまりの村の孤児院の話
本日11/25にコミカライズ5巻が発売されます!
どうぞよろしくお願いします
「えーと、白ラーパに赤コラフクを一束、コブシ菜を一山、後はインチ豆を一袋……そうそう、塩も少なくなってたわね」
「えー、ソーニャ姉ちゃん、まだ買うの~?」
「当然でしょ。明日からまたうちの孤児院には子供が増えるんだから、今倉庫にある分じゃ足りないもの。新しく来た子達にお腹いっぱい食べさせてあげたいでしょ?」
「……うん」
「しょーがねーな。がんばるぞ!」
市場の買い物の荷物持ちとしてついて来ていた子供達は、顔を見合わせるともう一度奮起して手提げ袋を背負い直した。私はそんな彼らを見て笑みを浮かべる。
子供がちょっとした不満を気軽に口に出来るこの状況がいかに平和で、幸せな事かを知っているからだ。
あたりは魔族と人が入り交じり、しかし誰もそれを不思議に思わない。道端でうずくまる物乞いもいない。盗みをはたらこうと路地に身を潜める子供もいない。そんな存在が生まれないように、皆に手を差し伸べてくれる素晴らしい方が街を治めている。
昔の私が聞いても信じられないような……ううん、想像もしなかったような、理想の光景が広がっていた。
市場の人込みの中をチビ達とはぐれないように一列になって歩く。人込みを抜けると、大きな通りの向こうでこの街の魔法使いが魔法で物を浮かべて運んでいるのが見えた。ルグラーツェの村民服を着ている魔族だから、きっとこの街で暮らす人なんだろう。知らない顔の人もずいぶん増えた。きっとそれだけこの街が大きくなったという事なのだろう。そして、レミリア様に救われた魔族がそれだけたくさんいるという、嬉しい事実でもある。
孤児院に辿り着くと、重い重いと文句を言いつつもちゃんと手伝ってくれた三人に労いの言葉をかけた。
「三人とも、お手伝いありがとう。助かったわ」
「ふふん、しょーがねーな。次もまた手伝ってやってもいいぜ」
「まったくもう」
生意気な口をききつつも、キオセスも良い子なのよね。口は悪いけど、やっぱり可愛い所の方が多い。
「ソーニャ院長、何かおてつだい、ある?」
「ある?」
「大丈夫よ。あとは買ってきたのをしまうだけだから、ラビィとスルクもキオセスと一緒に遊んでらっしゃい」
私がそう言うと、二人共待ちきれないと言うように走って行った。庭には年長の子が出ているから大丈夫そうね。駆けだした二人が転ばないかしばらくその背中を見送った後、買ってきた物を抱えて厨房に向かう。
「あ、ソーニャさん、お帰りなさい」
「ナティク、先に戻ってたのね。ヤム芋を取って来てくれてありがとう」
「ううん。この孤児院で俺が一番力持ちだから」
大きな体に似合わぬおっとりとした笑顔を浮かべたナティクは、照れたようにそう言って笑った。
支給所は街の外れにある。孤児院の主食になっているヤム芋を一週間分と言うと、私が両手を使ってやっと一つ持てるような大袋が二つになる。それを身体強化も使わず軽々といっぺんに持てるんだから、ナティクは力持ちよね。さすが元冒険者だわ。
そう思いかけて私は「あっ」と思いとどまった。
いけないいけない。ナティクは冒険者時代にあまり良い思い出がないんだから。危うく話題にするところだったわ。
私と同じく、ナティクも魔族である。ナティクは私よりも魔力が多くて、腕力だって普通の人よりもかなり強い。それを生かして、前の街では大きな盾を持った冒険者として暮らしていたらしい。
ソーンさんの話では、ナティクが住んでいた街には他に冒険者として活動している魔族がいなかったらしく、種族を隠して人間のパーティーに混ざって、結構無理をしながらお金を稼いでいたのだという。
貧民街の片隅にあるあばら家に、自分より年下の魔族の子供を三人保護して、そのせいでとても貧しい暮らしをしていたそうだ。
……私も、覚えがあったから。レミリア様に救ってもらうずっと前も、私達の生活を一生懸命助けてくれるお兄さん達がいた。三人で冒険者をしていて、そんなに多くない稼ぎの中、私を含めた魔族の子供の面倒を見て、自分達が借りてる部屋に住まわせてくれていた。私達も出来る限りの手伝いはしていたけど、幼い子供達の生活を負う事がどんなに大変だったか分かる。
魔国から避難してきたサシェとメルが加わってしばらく経った頃だっけ……ある日彼らが仕事から帰って来なくなったのは。冒険者の仕事の最中に魔物に殺されたんだ、って大家さんは言っていた。家賃が払えないなら出て行けって言われて……お兄さん達の私物もいつの間にか取られて。
家族同然に思っていた彼らの死を受け入れて悲しむ暇もなく、他に身寄りもない私達はなすすべもないまま放り出されるしかなかった。魔族であることを隠さなければならない以上、他の人間や普通の孤児院は頼れない。同じような暮らしをしている他の魔族が助けてくれることもあったけど、あれはつらかったなぁ……。
私は路上生活していた時の事を思い出して、今の幸せを噛み締めてそっと涙を堪えた。
ナティクも同じようにレミリア様に救われてこの街にやって来た魔族だ。正確には命を救ったのは魔国の魔族の作ったポーションだけど、救いの手をナティクの元まで差し伸べてくれたのも、魔族の体に合わせたポーションをお金をかけて開発してくれたのもレミリア様だから間違ってないだろう。
パーティーの盾役として大怪我をしたナティクは、しかし「治療代がないから」と仲間から見捨てられかかっていたそうだ。魔族であることを隠す必要があったためポーションや治癒魔法がききづらい体質だとしていたのも大きいだろう。彼を見つけるのが、ポーションを使うのが間に合って本当に良かったとソーンさんも言っていた。
力は強いけど優しい気性をしているナティクに元々冒険者はあまり合ってなかったのだろう。この街に保護されてからは、適性を見たレミリア様によってこの孤児院で職員に任命されて、今ではイキイキと働いている。ここがとても好きだと語ってくれた、頼りがいのある力持ちのナティクは子供達にも慕われている。
もちろん私もこの孤児院が大好きだ。孤児院だけじゃない、この街が……魔族の居場所を作ってくださったレミリア様には本当に感謝している。衣食住が保証されてるとか、そんな簡単な言葉ではない。誰も不当に苦しまないし、危険な仕事で死なないし、怪我や病気をしたら治してくれる病院もある。学校だって行けるし、魔法も習えるし、自分が就きたい仕事を考えて、それを目指す事も出来る。
明日は今よりもっと良い日になるって思って毎日過ごせる、そんな素晴らしい幸せをもらったのよ。
つい昔の事を思い出して涙ぐんだ私は、ナティクに見られないように顔を伏せて勝手口から外に出た。
中庭には、子供達と一緒に作っている家庭菜園が広がっている。肥料を作る魔法や土を耕す魔法の練習にも使われている小さな畑……その柵の向こうに、見知らぬ人達が立っているのに気が付いて私は少し驚いた。
村民服ではない。外の人だ。
市場から離れたこんな場所まで入り込んでくるなんて、何の用だろうと警戒する。
「……あの、何か御用ですか?」
「ああ、すまないね、驚かせてしまったかな」
私がそう声をかけると、片方の男の人が口を開いた。小さく両手を上げて、害意が無いと示してくる。
「怪しいものではないよ……実は私も魔族の血を引いているんだ」
ほら、と黒髪の青年が少し横を向く。確かに私達と同じく尖った耳がそこにあるのに気付いた。後ろで束ねた髪がさらりと揺れている。私は警戒して力の入っていた肩を少し緩めると、もう一度視線を向けた。
「実は魔族と人が暮らす街があると聞いて、ここまでやってきたんだ。人々の暮らしが興味深く思っていたら、楽しそうな子供の声がたくさん聞こえて気になってしまって。ここは……とてもいいところだね。みんな幸せそうだ」
ルグラーツェの事を褒められて、私は嬉しくなった。レミリア様が作ったこの場所が、私達が暮らす街が褒められて、良い気分にならない人なんていないだろう。
「そ、そうなんですよ。この街を治めるレミリア様が私達に居場所を作ってくれて、ここでは皆屋根のあるお家で暮らして、ちゃんとご飯が食べられて、学校にも行けるんです。働いただけ報酬ももらえるし……」
「そうか、皆幸せに暮らしているんだね。それがとてもよく分かるよ」
「もちろん私達だけじゃなくて、大人の魔族も……ううん、魔族じゃなくてもレミリア様は救ってくれて、この町で大勢が笑顔で暮らしてるんですよ」
「ああ。さっき丘の上から見て思ったよ。整備された、清潔で素晴らしい街だ」
「そうでしょう?! この孤児院も、レミリア様が用意してくれたんです。皆毎日笑顔で過ごせているんですよ。全部レミリア様のおかげです。レミリア様は素晴らしい方なんですよ? 実は私は最初に村に移り住んだ魔族なんですけど、その時一番下の子が病気になったんです。でもご自分の身を顧みずにその子をとてもかいがいしく看病してくださって……」
私はレミリア様がどんなに素晴らしいかを張り切って説明する。
そして孤児院で過ごす日々がいかに幸せか、ここがどんなに素晴らしい場所か、子供達がどれだけ楽しそうに過ごしているかを伝えた。私も孤児院の院長を務めながら、読み書き計算や魔法を子供達と一緒に習っていて、それがとても楽しいと話すと目の前のお兄さんは嬉しそうに笑った。
「お兄さんは、この街に移住を希望する人ですか?」
「いいや。……私は運良く人に交じって生きる事が出来たから、幸せな事に、居場所があるんだ」
そっか。居場所がある人なら、良かったわ。
お兄さんの言葉には嘘は無いように見える。昔の私みたいに、「どこにも行けないけど、どこかに逃げたい」って思いながらただ死んでないだけの、苦しんでる人じゃないなら、良かった。
お兄さんはすっと顔を上げると、少し寂しげな表情を浮かべて、周囲を見回した。
「でも……私は隠して生きてきたからこそ、魔族が人と一緒に暮らす街を一目見たいと思って」
「そうだったんですね」
「だから今日、こんな素敵な街と人々をこの目で見る事が出来て、嬉しいよ」
にっこりと笑ったお兄さんを見て、私も笑顔になった。
「話を聞かせてくれてありがとう、お嬢さん」
「いいえ。この街とレミリア様がどんなに素敵かってお話が出来て、私も良かったです」
黒髪のお兄さんはもう一度笑みを深めると、後ろに立っていた人を振り返った。
ふとその人が私を見る。お兄さんと私の会話を微笑ましそうに見ていた、背の高い男の人。
ずっと黙ったままだったもう一人は、私と目が合うとひらりと片手を振ってから背中を向ける。
きっとあの二人もこの街が好きになってくれたに違いない。私はまた少し幸せな気持ちになって、足取り軽く建物の中に戻ったのだった。