騎士は誓いを捧げた
書籍化記念の番外編を投下していく予定です
デイビッドの事は「ちょっとバカなところもあるが憎めない弟」としか思っていなかった。まぁ、あいつも私の事は「口うるさい姉」程度に思っていたのだから。良い家族にはなれたのだろうけど、婚約者らしい事を義務以外でした事はなかったし、されたいとも思った事は無かった。
なんたってデイビッドには、私の婚約者になった時にはすでに心を捧げた人がいたのだから。
本人は胸に秘めているようだったが、周囲の結構な人数がデイビッドの本心を知っていた。わざわざ指摘するような無粋をする者はいなかったが。
婚約者に思い人がいる……私はその事については一切嫉妬や怒りなどを感じた事は無い。むしろ「婚約者同士の甘い交流」とやらをしなくて済んだ、とせいせいしていたくらいだ。どうやら私は男女の恋愛というものが向いていないタチらしかった。
デイビッドの思い人が次世代の王妃、王太子ウィリアルド殿下の婚約者レミリア様だった……と言うのも大きいだろう。貴族出身の女性騎士である私が将来仕え、剣を捧げる相手になる尊い女性。王妃に、誠実にそっと秘めたまま恋をする騎士の姿はとても素敵なものに思えたし、何よりその未来の王妃であるレミリア嬢が素晴らしい女性だったからだ。
しかし残念ながら挨拶程度しか直接言葉を交わした事は無かった。すでに騎士として勤めていた私は令嬢としての社交を行う事はほぼ無く、数少ない女性騎士として王宮で王族に連なる女性の警備についている事が多く、機会がほとんど無かったのだ。
そのため婚約者間の交流として顔を合わせた時は、デイビッドからレミリア嬢の話を聞くのが私の何よりの楽しみになっていた。もちろん私も情報としては耳に入るが、やはり近くで見聞きした者から実際の話を聞きたいのが人情だろう。
剣聖と呼ばれる兄とどうしても比較されがちに育ち、それでも腐らず自分なりの戦闘スタイルを模索して今では魔法騎士として名をあげているのもレミリア嬢のおかげだとか。
魔法使いとして著名なレミリア嬢に嫉妬して家出騒動を起こした時に、追いかけてきた彼女に叱られて連れ戻されたと話だけは知っていたが……細かいやりとりは聞いていなかったのでとても感動的だった。少し恥ずかしそうにしていたが、本人の中ではもう「いい思い出」に昇華されているようで私の求めるがままに話してくれた。その時のやり取りをきっかけに、兄へのコンプレックスに向き合うことができたのだと誇らしげに語る姿は騎士としてとても素晴らしかった。
レミリア嬢について話を伺う度に、「私がお仕えする事になる方はなんと素晴らしい女性なのか」と打ち震えるほど感動する。誰も思いつかないような便利な発明に、社会問題を鮮やかに解決して多くの民人を幸福へと導く政策。戦うためではなく人々の生活のための魔法を産み出し、魔法使い達の新しい活躍の場を作った。自身が治癒魔法を使えることにおごらず、魔法に頼らない医療も広げて治癒院を作り、「防疫」の研究は自身の手が届く以上の大勢の命を救われた。
早くお役目につきたい、と期待が高まる。魔道士か発明家か聖女か、はたまた偉大な指導者か。あの方は未来の歴史書に何という二つ名で残るのだろうか。私は将来、王妃となったレミリア嬢の護衛騎士として任命される時の妄想をするようになった。
その時のレミリア嬢は威風堂々と、女王のような貫禄でもって私に剣を授けるのか……はたまた、任命の後にはにかみながら「よろしくね」などと微笑まれたり……昔絵本で読んだ女騎士と姫の物語のように、「私の騎士さま」なんて呼ばれてしまったらどうしよう……
幸せな未来を夢見て自分を磨いていた日々は唐突に終わった。……なんと、レミリア嬢が王太子殿下に婚約破棄されて公爵家を勘当されたのだと言う。星の乙女を陰で酷く虐げ、忠告を聞き入れず自分の行いを改める事なく、挙句罪を認めなかったため……?
おかしすぎる。今まで耳にしたレミリア嬢の言動から見えるお人柄と、「星の乙女に対して行われた」とされる陰湿で長期間続く嫌がらせが一致しない。
王太子殿下とは仲睦まじい婚約者であったため嫉妬をするのは分かるが、レミリア嬢なら陰でいじめるような事はせずにきちんと場を設けて公正な話し合いをまずしそうなものだが。
「……なぁ、本当にグラウプナー公爵令嬢がそんなことをしたのか?」
「何を……あり得ないと言うのか?!」
カッとなって怒鳴ったデイビッドに、私は眉をひそめた。まるで盲信している神を否定された信徒のようだった。
私はここのところ数ヶ月、外交に出ていた王妃様に付き従って国を出ていたから知らなかったが、学園では王太子の婚約者であるレミリア嬢と星の乙女の不仲は有名だったのだと言う。いくつか疑問があって尋ねるも、私の納得する答えは得られなかった。なぜ専門の調査機関を使わなかったのか。なぜレミリア嬢と星の乙女両者に監視を兼ねた護衛をつけなかったのか。学生の間で起きた問題にしては罰が重すぎないか。
「学生の間のことだから、と公的な記録の残る官警や高等法院を使わなかったのは殿下の温情だった。近衛も同じ、彼らの勤務内容は記録に残る。しかし生きる伝説として国が保護した星の乙女に対しての非道な行いには、示しをつけるためにも厳しく対処しないとならなかった」
私はまだ納得できない。まるで、王太子殿下とデイビッドを含めた四人が全員、「レミリア嬢が苛烈な嫉妬から星の乙女を虐げていた」方が嬉しいとでも言うようだ。
それはデイビッドの言葉の端々に見えていた。「幼馴染みの俺を友人として大事に思うのは分かるけど、レミリア嬢は超えちゃならない一線を超えてしまったからな」なんて語るその顔は、悲哀ではなく自慢げな様子がうっすら感じ取れる。
そして、こうはなったがウィリアルド殿下はレミリア嬢を王妃に再度迎えるつもりだそうだ。裏には、レミリア嬢の発明で大きく潤い影響力を増したグラウプナー公爵家の頭を叩き沈めて王家がイニシアチブを取りたいという思惑も若干透けて見えるが。後にレミリア嬢が許されて再度王家に迎えられたら、公爵家と表向き一度縁が切れた彼女の才能は全て王室が独占できる。勘当された現在の状況まで国の意向が絡んでいる……? その場合、地位に見合わず小物で気位だけ高いと耳にするグラウプナー公爵は踊らされて金の卵を生むガチョウを手ひどく捨てたことになる。
しかし両方の意見がここまで食い違っていたのなら片方が故意に嘘をついているのは確定だ。デイビッドの言う証拠が全て真実なら……だが、今までの人物像から、レミリア嬢がそこまで往生際が悪いようには思えない。「その嫌がらせが法に触れると認識していなかったのだろう」とデイビッドは言うが、恋に溺れたとは言えそこまで愚かになるか?
それに証拠……そうだな、証拠も証人も多すぎる。もし本当に罪になるような愚かな事をしたとして、レミリア嬢はこれほど証人や証拠を残すほど頭が悪かったと言うことになる。
そのまま話を聞いていて、私は確信した。デイビッドは「星の乙女はレミリア嬢を直接非難するような言葉は口にしていない、様子がおかしいと察した俺達が動いて判明した事実だ」と言っているが、聞いた話を冷静に見るとあからさまな誘導に引っ掛かったようにしか見えなかった。
……私は、学生時代から女性のファンが多かった。多分男を含めた騎士の中でも一番。長身に中性的な顔、都合の良い「王子様役」だったからだろう。爵位が低く婚約者もまだ決まっていない一部の令嬢ならともかく、高位の貴族女性は男性に黄色い声を上げるわけにはいかない。その点私は女性だから、親達も安心して「女騎士のおっかけ」を容認していた。
私自身は爵位を考えた一線は引きつつも学園の同級生や後輩や先輩として付き合っていたが、中には……その恋愛との代替行為に夢中になり、本気で私に恋心を抱いてしまう令嬢もいた。そんな時は真摯に謝罪をしお断り申し上げて良い友人に戻るよう努力するのだが、時には私のファン同士でトラブルになる事もあった。
他の子達への牽制をしたり、私のファンになって日が浅い子に対して「ご新規のくせに態度が大きくてよ」なんて複数人で囲ってみたり。中でも、私への告げ口。いや貴族女性として教育されているのだからあからさまに糾弾するような事は当然なかったが、そのやり口は大層陰険なものだった。
遠回しに、言葉を濁し、「同じスフィア様の友人として、彼女とは仲良くなりたかったのに、私は嫌われてるみたいで……悲しいわ」なんてやるのだ。その後こちらが「どうしてそう思うのですか?」「何があったんですか?」と言わせてから、「私の勘違いかもしれないのですけど……」と続く。私は王子様役を求められていたが、実際は貴族女性として教育も受けていた為、こんなものに簡単に騙されはしなかったが。
いや、男女の教育内容の差を考えてもおかしい話では無いだろうか。単純に見えるがこいつだって一応次期王の側近候補として教育を受けていたはずなのに。
しかし私はその日、レミリア嬢への罵詈雑言を聞く気になれずに早々に席を辞した。
どうしてもこの件の真実について、納得のいかなかった私は独自に調査を始めた。公式ではないとは言え王家……王太子の決定に異を唱える事になるため表立っては出来なかったが。
何か聞かれたら、私は「未来の王妃と言われた方がそんな事をしていただなんて……?!」とショックを受け、それ故少し周りに聞いてみただけだと弁明する。
証人となっていた生徒の中に私のファンの女性が複数含まれていたのも幸いした。侍女を常につけている高位貴族の息女もいたが、女の私が相手であれば何の疑いもなく人払いに応じてくれたし、真摯に願えば「……スフィア様にだけお話しします」と迷った挙句に真実を話してくれたから。
結果だけ言うと、レミリア様が星の乙女へ行ったとされる様々な犯罪行為は捏造だった。私が真実を聞けたのは三人からだが、共通項が「私のファン」というだけで爵位も家の派閥も証言した事件もバラバラな三人だけに「たまたま星の乙女が偽証を願った」という事はないだろう。匂わすような事だけで直接依頼するような言葉では無いが、思わず「良かったら私が……」と思うような言い方をされたのも同じ。
彼女達の言い分は共通していた。「レミリア様に辛くあたられる星の乙女の可哀想な様子は有名だった」「他にもたくさんの証拠や証人がいると聞いていた」「自分もお力になってあげたいと思った」
頼まれた事は様々だった。
中庭の人目のつかない場所で泣いていた星の乙女に声をかけたら、「グラウプナー様……?! まだ私に何か……っ、いえ、失礼しました」と人違いされて、何があったのか尋ねたらグラウプナー公爵令嬢に呼び出されて罵倒された経緯を聞いた。まだ近くにいないか怖がる星の乙女のために侍女に付近を見廻らせ、自分は涙をこぼす彼女を慰めてあげたのだと。
確かこの件は、星の乙女をその日その場所に呼び出すグラウプナー家の透かし紋の入った手紙と、その時間に中庭で女性が誰かを怒鳴りつける聞くに耐えない暴言を聞いたという一般生徒の証言、さらにその直前に「一人にするように」と言いつけられて中庭近くで待たされていた護衛と侍女の証言もあった。
更にこの私のファンだという女生徒は、侍女が「遠目に美しい金髪の女性を見た気がした、誰かは分からなかったが」という嘘の証言をした事をこっそり話してくれた。星の乙女の力になりたくて、元平民から健気に頑張っている姿を応援していた自分の侍女も同情していたため、つい、と。私はそこに、「完璧な令嬢」と呼ばれていたレミリア様への嫉妬も見えた。「ああ、あの人も嫉妬から愚かな真似をするような、普通の人間だったのだ」と思いたかった、そんな無意識が。
全部合わせて見ると、状況証拠としては「星の乙女に暴言を浴びせたレミリア嬢」が浮かび上がってくる。実に巧妙、一人一人の偽証は小さく、罪の意識も生まれにくい。金髪の女性を見た、だけでは嘘とも追及出来ないし、例えバレたとしてもこれだけでは罪には問えなかった可能性も高い。
彼女は、「どうせ一人二人の声ではグラウプナー公爵家の名の下にもみ消されてしまうだろうから、事を公にするつもりはない」と怯える星の乙女のために、調査に乗り出した王太子殿下に率先して情報を提供した。ほんの少しの偽りも含めて。
「私の証言はなくても他に証拠はたくさんありましたし」「あのような事をして婚約者の座を降りる事となったグラウプナー公爵令嬢よりも星の乙女に味方をしておいた方が」「何より王太子殿下がグラウプナー嬢が罪を犯したと裁いたのですから」と、偽証への罪悪感はあったらしく私に罪の告白をしながら自分自身への言い訳をしていた。
私はこの独自の調査記録をもとに、再調査を提案した。ほぼ無作為に近い抽出で複数の証人が偽証を認めた。全員を洗い直す必要がある。学生間の虐めではなく、これは王太子の婚約者を貶める明確な犯罪行為であるため、今度は正式に立件して公的機関が捜査するべきだ、と。
しかし私の意見書は握り潰された。王家の面目、王太子よりも市井の人気が高くこれ以上扱いづらくなる事を危惧した王家、グラウプナー公爵家の勢いを削ぎたい敵派閥、グラウプナー嬢の発明を軍事転用してもっと儲けたかったが特許保持者のレミリア様が頑なに拒絶したためそれが叶わず更なる莫大な利益を手にし損ねたグラウプナー公爵家、周りの全てにとって都合が良かった。あの断罪はすでに起こってしまった。それを覆す事は、無いのだと。私は突きつけられて。
これほど明らかな偽証について、「正式に上奏を」と願った私を父は殴った。これ以上余計な事はするなと釘も刺されて、……家族らしい事はした事なく、父の顔色を伺ってばかりの母に、父の複製のような兄。家族愛は無かったが、騎士としては尊敬できる人だと思っていたのに。自分の保身のために、分かっていて悪を見逃すとは。
私は貴族籍を捨てる選択肢をこの頃から考えていた。「レミリア嬢は俺達を大切に思うあまり嫉妬から星の乙女を傷付けた、それほど大切に思われていたんだ」と妄想に浸ったまま私が何を言っても聞き入れようとしない婚約者も、同じように「愛されているから」とレミリア嬢の嫉妬をあった事にしたくてたまらない王太子殿下達も、自分達にとって都合が良い話を受け入れて「正式な事件にしなかったのは温情」だと、証拠も証言も書面の上で判断してまともに調べもしなかった無能な周囲の大人達も。自分の保身が何より大事で、騎士の心を失い正義よりもメンツを大事にする家族も。
全部捨ててしまおう。
私は馬を駆ってレミリア様が授かったという領地へと向かった。数ヶ月の間、王妃殿下の外交に付き従った護衛役はまとまった休みをもらっている、それを丸々利用して。
そうして目的地に着いた私は心の底から驚愕した。……これでは本当に、罪人の島流しではないか、と。
デイビッドの言い分では王太子殿下は「反省を促し、しかるべき成長をした後で再度婚約者に迎えるつもり」だそうだが……ここでは王都に届くような成果を出すのは不可能ではないか……?
金とツテに物を言わせて開拓を行い、成果を買うことは以前のレミリア様なら出来ただろうが……勘当の際に公爵家に個人資産を全て取り上げられたと言う。今まで育てた費用と、王家から婚約破棄された事で発生した損失の補填に……と聞いたが。レミリア様の発明でグラウプナー家はすでにだいぶ儲けていたはずなので、それは全て建前だろうが。
真っ先に訪れた領主邸は、元とは言え公爵令嬢の住まいとはとても思えない粗末な家だった。他にぽつぽつ見える半廃屋とは異なり、唯一の二階建ての家屋であり、古びてはいるものの見る限り壁や屋根に穴はあいていないようだが。来る途中の町や村で聞いたが、通いの使用人も全て解雇しているらしい。どう生活しているのやら。言葉少なに「巻き込みたくないから」と、勝手に雇い止めする事を詫びて十分な手当てを渡された田舎の婦人達は同情半分、貴族間の諍いが飛び火しないか用心半分といったところだった。
この最初の訪問は空振りに終わる。レミリア様は留守にしていると、通りがかった男が家の前で腕を組んで思案する私に親切に教えてくれた。もしや田舎村の領主が気に食わず、名前だけここに置いて他の都市で悠々自適の暮らしをしているのでは……? と思いかけた私は心の中でいたく反省した。
なんでも、村を作る資金もろくに持たされなかったレミリア様は、運営資金を作るために冒険者として金を稼いでいるのだと言う。
村長代理だという男の家に招かれて、このあたりで採れる薬草から作った苦味の強いお茶を振る舞われた私はその話を聞きながら感銘を受けた。ショックを受けて閉じこもっている可能性を考えたが、何という……!
私の予想をいい意味で裏切った展開に、さらに村に入植したという僅かな民にも聞き込みを行っていく。彼らは皆、王都の貧民街で最底辺の暮らしをしていた者達らしい。子供がほとんどで、「このままここにいても死ぬか、まともな暮らしは出来ない」とその時は博打のような気持ちで入植の誘いに乗ったのだと語る。
まだ皆痩せた不健康な体をしているが、目には輝きがあった。何も無いこの村で、不便そうだが誰も不幸の浮かんだ顔はしていない。私はやはり、自分の推理は間違っていなかったのだと確信した。
レミリア嬢が村に戻ったと知らせを聞き、「良かったら力になりたい」と言いに行った私はそれをやんわりと拒否されて面食らってしまった。そんな事、予想もしていなくて。
「ここには城の監視がついているから、わたくしに関わったら貴女まで不幸になってしまうわ」
……なるほど。
私はレミリア嬢への評価を上方修正した。
無罪だとは誰よりも本人がわかっているはず。私が現れた事で「理解者がいた」と喜ぶかと思ったのだが、私の身を心配するとは。
この言葉がきっかけだったが、そのまましばらく野営をしつつレミリア嬢の言動を観察した私は王国騎士として、貴族としての身分を捨てる覚悟がついた。身寄りの無い子供を引き取って連れてきた話を聞いたからでは無い。その者達に直接仕事を教えて一緒に村を作ろうとする健気な姿、村人と一緒に畑を耕し、村の運営資金を稼ぐために怪我を負うことすらあるのに、幼い子供に病人が出れば自ら看病を行う。それを一切村人達に気負わせることなく、「やって当然」という態度で浮かべた美しい笑顔に。
これからはレミリア嬢の……いや、レミリア様の騎士として生きたい。
休暇を使い切って王都に戻った私の行動は早かった。法院に貴族籍を抜く書類を提出し、デイビッドの家との婚約も家族との縁も切る。こちらは少し揉めるだろうが、私の意思は変わらない。貴族として生まれた以上果たさなければならない義務はあるが……その程度の貢献は、騎士としてもう十分しただろう。むしろ去年のセフェル砦の活躍だけでお釣りをもらってもいいくらいだ。
そうして私は何にも後ろ髪を引かれる事なくただのスフィアとなった。
唯一、高価な軍馬である、実家に残してきたルディだけが心残りと言えるか。出来る事ならこの先も一緒に歩みたかったが、彼女は私個人ではなく家の財産である。買い取るほどの個人資産は私には無い。
実家の名前で購入した装備も全て置いてきたため随分身軽になった。冒険者として学生時代に作った貯蓄を切り崩し、新天地に向かう準備をしながら私は村で出会った子供の言葉を思い出す。
レミリア様にはありがとう以外言えません、とその子供は言っていた。
こんなにひたむきに人を幸せにしようと頑張れる人が、あんな事件を起こすはずが無い。無罪と信じさせるための演技とひねた事を言う者がいるかもしれないが、演技でこんな長期間聖人君子のような行いが出来るわけがないだろう。
はやくはやく、と気ばかり急いで、村までの道中走り出したいような気持ちに襲われてしまう。
「じゃあお友達から始めたいわ、よろしくねスフィア」
改めて村を訪れて、「貴女に仕えたい」と切り出した私に驚いたレミリア様は可愛らしい顔で驚いた後に……少し戸惑いつつも、恥ずかしそうに微笑んだ。
こんな……こんなの、姫と女騎士の完璧で美しく理想的な始まり方じゃないか!
「……っ、貴女に忠誠を捧げようとした私の目に狂いは無かった」
思わず胸を押さえて天を仰ぐ。
レミリア様の……この傷心の姫の騎士になろう、と私はこの時に強く誓ったのだ。