星の乙女の中の人
お父さんのことはあまり好きじゃない。すぐ怒るし、わたしの事を叩くし、わたしの体に触ろうとする人がお店でたくさんお金を使った人だと全然助けてくれないから。
お母さんのことは……よく分からない。わたしが小さい頃に死んじゃったからよく覚えてない。お父さんが仕事を手伝わせるために買った「どれい」だったんだって。わたしを産むときに体を悪くして、仕事の行商であちこちお父さんと一緒に行くたびにどんどん弱ってそのまま死んでしまったって、まだ買って8年しかたってなかったのに大損だったってお父さんはわたしによく文句を言ってくる。わたしに言ったってしかたないのに。
お母さんが死んだ時わたしはまだ小さくて、どの町でお母さんが死んだのかも、どこにお母さんが眠ってるのかも分からない。もうお母さんの顔も思い出せないけど、ひとつだけ覚えてる。お母さんが教えてくれたおとぎ話……いじめられて、大変な思いをしながら暮らしていた女の子が、それでも正しい心を失わずに生きていって、最後には今まで助けたり仲良くなったたくさんの人達に祝福されながら幸せになる話。
わたしもいつかあの話の女の子みたいに幸せになりたいなぁ……すてきな友達を作って、好きな仕事をして……そうだなぁお花屋さんがいい。お花を買う人はお花が好きで家に飾るために買うか、誰かへのプレゼントに買いにくるから皆幸せそうにしてるもの。
結婚は……わたしにはまだよく分からないけど友達は欲しいな。お父さんの仕事は行商で、わたしはその店番をいつもしている。仕事の手伝いばっかりで友達を作る時間なんて無かったし、たまに話しかけてくれる子がいても次の商売にすぐ移動するから仲良くなれた事なんてなかったもの。
今思うと、あのおとぎ話の女の子はお母さん自身の理想で夢だったのだろう。
いつ怒り出すかわからないお父さんに怯えながら仕事をする毎日。わたしはある町で店番をしている時に驚いた顔をした女の人に話しかけられた。難しい話でよくわからなかったけど、そのお姉さんは魔法使いの精霊師で、わたしには精霊がたくさんついているんだって。
学校には通ってないこと、「洗礼式」というものは一度も受けた事がないのを聞かれるままに話すとその人はお父さんに対してひどく怒り出した。わたしは自分が怒られてるみたいに胸がギュッとなって、その時のことはよく覚えてない。ただ、気付くとわたしはお父さんから引き離されて、魔法を使える人が通う学校に行くことになっていた。
わたしは「星の乙女」って力があって、精霊さん達はそんなわたしが力の使い方を学ばないまま生きてるのを心配して周りにいてくれたのをあの魔法使いのお姉さんが見つけてくれたんだって。本当はもっと小さい時に「洗礼式」っていうのを必ずやって、使い方を勉強しなきゃいけない力を持っている子供は早くから学校に通っているらしい。わたしはそれをお父さんのせいで出来ていなかったから、これから急いで学校に入り直すんだと、わたしをその学校まで連れて行ってくれることになったおじさんが教えてくれた。
おじさんはわたしと同じ歳の女の子がいるんだって。その子もこれからわたしが通うことになる学校にいるんだって。友達になれるかな……とっても楽しみ。
おじさんは、わたしの事を迎えに来たのは仕事だけどこれはそれと別にってペンとノートと絵本を買ってくれたの。これでたくさん勉強するんだよって。王都に行くまでの間に文字も少し教えてもらって、学校にある「図書館」ってところで他の本を読めるようになるのが待ち遠しかった。
最後に連れてこられたのは「お城」で、わたしをここまで連れてきてくれたおじさんと別れる事になってすごく心細く感じた。お父さんと離れることになった時はホッとしたけど。……わたしもあのおじさんみたいなお父さんが欲しかった。
「星の乙女」っていうのはこの国を作った勇者様と一緒に悪い神様をやっつけた女の人のことで、同じ力を持っている人をそう呼ぶらしい。おじさんの買ってくれた絵本にそう書いてあった。でも……だからわたしは本当は大切にされてなきゃいけなかったんだよって高そうな服を着たおじさんにそう言われてもわたしにはピンと来なくて、「ピナ様」って呼ばれてメイドさんって人達に体を洗われたり髪の毛をいじられたり、食べたことのない御馳走を出されたり……今まで触ったこともないふかふかのベッドで1人で寝るように言われても落ち着かないだけだった。
それでも、学校に行けるのと、そこには同じ歳くらいの子達がたくさんいるから友達がたくさんできるかもしれないって……それだけは楽しみにしていた。慣れない生活に体がびっくりして、次の日から熱を出してしまったが、メイドさん達もみんな優しい。お父さんと2人の時は具合が悪くても荷台の中で放っておかれて、こうして面倒を見てもらったことなんてなかったから。
早く良くなりたいな……良くなって、学校に行っていろいろな事をたくさん勉強したい……
わたしはある夜、そう思いながら眠りについて……目が覚めると自分で体を動かせなくなっていた。目で見るのは変わらずできるし、耳も聞こえる。でも体は動かせないし、自分の言葉で喋ることも出来ない。わたしが驚いて混乱していると、わたしの体が勝手に動いて喋り出した。部屋の中にあった大きな鏡の前に熱でフラフラしたまま歩いていって、そこで自分の姿としばらく見つめたあと部屋を見回して「異世界転生キターーーーーーーーー!!!」と大きな声で叫んだの。
わたしは余計にびっくりして、もっと混乱してしまった。
大声に驚いたメイドさん達が駆けつけて、わたし……わたしの体に話しかけて具合が悪かったのを心配してくれている。でもその言葉をめんどくさそうに聞くわたしの体は「魔法はあるの?」「あたしは誰? この部屋なら貴族? それともお姫様?」なんて変な事を聞き始めてメイドさん達を困らせていた。
やめてやめて、親切にしてくれたその人達に変な事言わないで。必死になって叫んだのにわたしの声はわたしの体を今動かしている人にはまったく聞こえてないみたいで、何とか口を塞げないかとか、喋るのをやめさせたりも一切出来ない。
優しくしてくれたメイドさん達に、困ったような驚いたような、そんな気持ちが混じった顔で見られて申し訳なさでいっぱいになった。
最後には……わたしの体が、「ねぇ、あたし熱が出てちょっと混乱してたみたい。この話は誰にもしないでね? ……おかしな事を聞かれたとか、星の乙女の悪口なんて話したらどうなるか分かってるわよね?」と彼女達を脅していて。わたしはメイドさん達に聞こえないけど体の中で精一杯大声で謝っていた。
やめて……やめて……
「これってオトキシの世界だよね? 今は学園入学前? やった!!! ヒロインじゃん最高!! アンヘル様待っててね、あたしが結婚してあげるから!」
「入学前のここから始まって良かった、ヒロインの親って確かクソだったし貧しい生活だったって書いてあったからそこはスキップ安定でしょ。やっぱあたしは選ばれた存在なんだ、神様の説明はなかったけどこれくらいならまぁ許してあげても良いかな」
その後も、わたしの体はわたしの意志では一切動かず、わたしは中から見ているだけしか出来ない。王子様って人達に会った時もわたしの体は彼らに無理に触ったりしようとしていてとても恥ずかしかった。友達はいなかったけど店番で色んな人を見てたから、女性から男の人にああやって触ったりベタベタするのがいけない事だってわたしでも知ってる。わたしの体は「平民はこのくらい普通だったから」なんて言っていたけど……平民だってそんな事普通の人はしないのに。
この頃にはわたしの体を今動かしているのが別の人なのは何となく分かっていて……その人が何を考えているのか、何を感じているのか無理やり流し込まれてそれがひたすらとても辛く感じる。
わたしの体は「リィナ」って女の人が今動かしているらしい。リィナって人は別の世界で一度死んで、気が付いたらわたしになっていたようだ。リィナって人の心の中は人への悪口と不満ばっかりで、聞いていてとても嫌な気持ちになる。
こことは違う世界で学校に通っていて、小学校中学校高校っていつも気に入らない人を嘘で「こんなことされた」って悪者にして虐めていた。大学生になってからも同じ事をしようとしたけど「スマホ」って道具で録音や撮影をされてて嘘がバレて、それで恥をかかされたって酷く怒って親にも叱られてリィナって人は「ひきこもり」っていうのになっていた。死んだ記憶ははっきりしないみたいだけど……真夏に「クーラー」が壊れていたようで、でも親とも口をきくと部屋から出なさいって言われるから嫌だからって苛立ち紛れに家族の生活を邪魔するように床を踏み鳴らすだけで。そのうち部屋にたくさん置いてあった甘い飲み物をいくら飲んでも喉の渇きがおさまらなくて……汗だくになって頭がぼんやりして、目がチカチカする、そう思ってそのまま死んだみたいだった。
意識がなくなる瞬間までリィナって人はずっと誰かを恨んでいた。「あたしの部屋のクーラー壊れたの何で気付かないんだよ」「室外機動いてないから壊れてるのわかるはずじゃん? これ虐待でしょ」「あたしはこんなに苦しいのに家族は普通に暮らしてて腹立つ」「そもそもあの女が変に騒ぐからあたしはこんな生活する羽目になって」汚い感情を流し込まれるのはつらくて苦しい。
わたしの体に入ってからもリィナって人は幸せそうな誰かを恨んだり、誰かのせいにしたりすぐ何でも「ズルイ」って言ってそればっかり。それとは逆に誰かが悲しんでたり傷付いてたりすると喜んでいるのがとても嫌だった。
学校に通うようになってからも……わたしは見てるだけしか出来なくて、泣いても涙は流れないけどずっと苦しかった。
あの優しいおじさんの娘さん……マリーちゃんがせっかく友達になってくれたのに、「あーやっぱサポートキャラいるんだ。ねぇウィル様は今の時間どこにいるの? 好感度分かる?」とかよくわからないことばっかり言って、困ってるマリーちゃんに「使えない」とか散々酷いこと言って一方的に絶交してしまった。わたしはこれもただ見てるしか出来なくて、謝罪すら届かなくて死にたいくらい申し訳なかった。
今まで何度もわたしの体を取り戻そうとしてた。「はやく元に戻って、それでみんなに謝らないと」って。でもわたしはここで初めて「わたしを辞めたい、こんな体いらない」ってそう思って……気が付いたらいつも体の中から見ていた視点がズレていたのだ。
何て言ったらいいんだろう……わたし自身が透明になって、わたしの体だったものを少し後ろの斜め上から見下ろしている感じ。わたしの体がやる酷い事を見たくなくてもっと離れたかったけど、何故か少しズレただけのそこから遠くに行くことは出来ずに見えない紐で繋がってるみたいだった。
それからもわたしは、わたしの体を使うリィナって人が人の悪口を言ったり、嘘をついて人を傷付けたり……男の人に付きまとうのを嫌だと思いながら見ているだけしか出来ない。うまくいかないって寮の部屋で物に当たって暴れてそのたび見るのも嫌だったけど、でも体だけとはいえわたしが嫌われたり誰かを傷付ける所を見るよりずっとマシ。ずっと1人で暴れててくれないかな。
「あの女ブスのくせに恋人からもらったって高い髪飾り使っててバカじゃないの、身の程知らずもいいとこ。盗んで捨ててやろうかな。それで恋人の方には『気に入らないって捨ててた』って言ってやるの。キャハッ! 良い考え!」
「あたしが仲良くしてあげようとしたのに断るなんてあの男ってばなんてやな奴……酷い事を言われたって星の乙女のあたしがお城の偉い人に泣きつけばどうなるか分かってるの? 2人きりになってから自分で服を破ってやろうかな……うふふ」
やめて、やめて、やめて。
わたしがわたしを嫌いになるたびに、わたしの視点は少しずつ離れていく。今は5歩くらい離れた場所をついて歩いているようなイメージだけど、それ以上離れられないので部屋の外に出ることは出来ないし、リィナって人が誰かを貶めて喜びを感じることも伝わってきてしまう。ただ、自分がやってるみたいに中から見るよりずっとマシだった。
最初は周りの人も、リィナって人の言ってる事をそこまで信じてなかったし男の人たちも迷惑そうにしてたのに。怪しいお店で甘い匂いのする香水を買ってつけるようになってからみんなの態度が目に見えて変わってしまった。
リィナって人の言ってることはおかしいし、よく考えれば嘘だってすぐ分かるのにその内みんな信じてしまうようになる。普段から嫌がるのも構わずベタベタしにいってる王子様達に、その怪しい店で買った何かの薬を混ぜた紅茶やクッキーを食べさせ始めてからはさらに酷くなって。わたしは見ているだけ、聞こえないのは分かってるけど謝るしか出来ない。
王子様達の態度がおかしくなってすぐ、王子様の婚約者ってとても綺麗な女の子に集中して嫌がらせを始めた。嫌がらせと言っても分かるようにやらない、「嫌がらせをされてるように見せる」ってすごくすごく酷い嫌がらせを。
レミリアさんは王子様とはお似合いで、女神様みたいにキレイで……最初は優しい言葉をかけてくれていたのにリィナって人は彼女になんて酷い事をするんだろう。
「ああいう良い子ぶってるやつが一番腹立つし一番嫌い、絶対実は性格悪いってやつじゃん」
部屋で1人でいるとき、リィナって人はいつも誰かの悪口を言ってて……今はひたすらレミリアさんへの言いがかりばかり。わたしはリィナって人こそが誰よりも性格が悪いと思う。
レミリアさんはテストはいつもトップで、歩く姿ひとつとっても見惚れるくらいに綺麗で……初めて見たときは「本物のお姫様だ!」ってとても感動した。魔法使いとしてもすごい人らしくって、そうやって何でもできるのに貧しい人への支援や、目立たないけど大変な仕事をこっそりしてるような「淑女の鑑」と呼ばれていた。
わたしがわたしのままだったら、優しく声をかけてもらえたあの時……レミリアさんと友達になれたのだろうか。
今のわたしは、自分の体が嬉々としてレミリアさんを冤罪にかけるためにあちこちに嘘をついたり、お金を払って嘘をつかせたり、レミリアさんの持ち物から盗んできた物を「証拠だ」って言って犯罪を捏造しているのを見ていることしか出来ない。
最近はわたしの視点がだいぶ体から離れられるようになって、リィナって人がわたしの体を使って男の人達とすごくすごく嫌な事をしているのをなるべく見ないように、壁を通り抜けて廊下に出られる事だけが救いだった。
そしてあの夜……わたしはわたしの体と、繋がっていた見えない紐が突然切れた。リィナって人がついた嘘で、レミリアさんを……みんなで寄ってたかって虐めて。本当のことなんて何ひとつ無いのに……!
「もっとちゃんと調べて!!」
「何もされてないよ! わたしの嘘を信じないで!!」
いくら叫んでも、わたしの声は誰にも聞こえない。でもレミリアさんが悲しそうに……涙がこぼれそうになっているのが見えてしまった。「やめて!」と何度も叫んだけど何も変わらない。リィナって人がついた嘘でレミリアさんは罪人になって、傷付いて、それを見たわたしの体が「ざまぁ見ろ、あんたなんか幸せにさせるもんか」って今までで一番嬉しそうにしてて……それが伝わってきたわたしはあまりのおぞましさに自分の体を全力で拒絶した。
嫌だ、嫌だ、汚い……っこんなもの流し込まれたくない、やだ!!!
いやだ!!!
気が付いたら……わたしは王都のはるか上空、お城を見下ろす位置に浮いていた。今までのように「このくらいしか離れられない」と感じることは一切無く、不思議と「もうわたしの体とは何も繋がっていない」というのが分かった。
「やっと……やっと自由になれた!」
わたしの体がわたしのものだけだった頃、体を動かしていた感覚とはちょっと違うけど……今のわたしは自由に空中を動けた。早く飛んだり、もっと高く浮かんだり。実体はないのか、周りに風が吹いてもわたしの今の体は流されたりしない。わたしの体に入った人に、嫌なものをたくさん無理やり見せられたり、人の悪口を聞かされたりしなくて済むんだ。そう思うと泣きたいくらいに嬉しかった。
『星の乙女』
『やっと解放された』
『つらかったね、つらかったね』
「……あなた達は?」
気がつくと、わたしの周りには色とりどりの光の球が集まってきていた。嬉しそうに揺れながら、リンリンと鈴が鳴るようにわたしの中に直接彼らの言葉が届く。
『ぼくらは星の乙女の守護精霊だよ』
『星の乙女の魂が封じられて、閉じ込められてからずっと心配してたの』
『そばにいて守ってたよ』
そうか、きっと彼らがあの時……魔法使いのお姉さんが教えてくれた精霊達なのだろう。魔法使いでも、精霊師の才能がないと見えないと習ったけど、きっとわたし自身も今光の球になっているのが関係しているのかな。
ずっと一緒に居てくれたんだ、と気付いたわたしは暖かなものに満ち溢れた。
そのまま彼らに促されて高く高く飛んでいく。
今のわたしは魂だけの、とても不安定な存在らしく、体とつながっていないのに現世にいると世界に溶けて消えてしまうのだという。それは死よりも怖いものに聞こえて、わたしは大人しく彼らと一緒に飛んでいた。彼らがわたしの魂を包んで守るなら消えたりしないが、なるべく人の世界には留まらない方がいいと精霊さん達は言う。
「どうしてとどまっちゃいけないの?」
『精霊王様に言われてるから! 争いの元になっちゃうんだよ』
『んーとね、ぼくらがいると、いるだけで人は幸せを感じたり、魔法の力が強くなったり運が良くなったり怪我が早く治ったりするんだって。そうすると人はぼくらと一緒に居る人と過ごすのが心地よく感じすぎて、なんだか好きになっちゃうんだって』
『精霊が、星の乙女みたいな大好きな人のために与える加護のひとつだよ。僕らの大切な人が、周りからも大切にされるように、星の乙女の魂が繋がれていたからあの体ごと守っていたけど』
『星の乙女が周りから大事にされるとね、星の乙女も周りの人を大切に思って、星の祈りの力が高まるんだよ』
周りの人があんなに簡単にリィナって人の言うことに従っていたのはあの怪しいお店の薬だけじゃなくてそのせいもあったのかな。
どんどんわたし達は空高く昇っていく。足元に夜の王都の光がまばらに星みたいに光っていた。ある場所まで登ると、なにか境界のような一線を通ったのがわたしにも分かって、あっと思う間に夜だった空は突然明るくなった。雲の上のはずなのに、わたしは花畑の中に立っている。光だったわたしは、わたしがわたしだった14歳になる前の姿になっていた。
『ここで魂を休めよう、星の乙女』
『次の世界の危機はまだずっと先だから、それまでゆっくりしていていいよ』
『生まれ変わりたいならぼくらもまた一緒に行くよ』
精霊界というところに着いたわたしはそこに住んでいた様々な精霊さん達に歓迎された。生まれて初めてこんなにたくさんの人に優しくされて、いるだけで喜んでもらえて、そんな事今までなかったからとても嬉しかった。
……最初の頃は、そうして精霊さん達とお話しして、色んな事を教えてもらっているだけで楽しくて、幸せだった。けど、わたしがわたしの体につながれていた時……たくさん嫌なものを見せられた記憶が蘇ってきてとても苦しくなる。
魂だけのわたしは概念っていう存在そのものに近いから、記憶は風化したり忘れたりする事はないよって教えてもらって絶望した。
みんなは優しくて、わたしが思い出して苦しむたびに心配してくれるけど、それも申し訳なくなってしまう。
忘れる方法はないのかってたずねたら
『じゃあ一回生まれ変わる?』
『輪廻の渦に入れば今世の記憶は全部なくなるよ』
それも詳しく話を聞いたら怖くなった。精霊さんは星の乙女の魂についてきてくれるって言ってたけど……次もわたしを叩く人のところに生まれたらどうしよう。
だって、精霊さん達が、わたしには産まれた時から人から好かれやすくなる加護をかけてくれてたって言ってたのに。お父さんには一度も大事にされた事無かったから不思議に思ってたの。そしたら『ぼくらがいなかったら星の乙女はもっとひどい目にあってたよ』……そう言われてゾッとした。
わたしの前にお姉さんが1人いたけど、その子はわたしよりももっと叩かれてたし、「娼館」ってところで小さい頃に売られちゃったんだって……
会ったこともないわたしのお姉さんよりわたしの方がマシだったのは分かったけど……記憶がなくなって生まれ変わったとしても、もしかして同じような人の子供にまたなってしまうかもしれないって考えただけでとても怖くなった。
それに……わたしの体に入っていたリィナって人がわたしの体を使って、色んな男の人とすごくすごく嫌で恥ずかしい事をたくさんしてて。それを見せられていたわたしは、もう一度……あんな事をされるかもしれない女の子に生まれ変わるなんて考えるのも嫌だった。
このまま嫌な記憶で苦しみたくない。でも生まれ変わるのも怖い。また女の子になんてなりたくない。全部怖くて何も出来なくなったわたしは、精霊さん達が心配してるのに花畑の中でうずくまって泣き出した。涙は止まらなくて、リィナって人のせいでわたしの中に刻み込まれた嫌な記憶はいつまでも何度もわたしを苦しめる。
どれだけ泣いていたのだろう、精霊さんしかいないはずのこの花畑の中に、精霊さんに連れられてとても綺麗な女の人が立っていた。
「こんにちは……かしら? 星の乙女の方」
「えっ?! あ、は、はじめまして……!」
女神様だ、と思ってほうけて見ていたわたしは慌てて立ち上がって頭を下げた。輝く濃い金色の髪に、晴れ渡った青空みたいなハッキリしたクリアブルーの瞳。眼差しは優しくて、わたしが知ってる中で一番綺麗な人だ。絵本に出てきた勇者様に加護を授けた女神様はきっとこの人みたいな方だったんじゃないかな。
「ふふふ、初めましてではないのよ。わたくしはあなたを知っているの。あなたも私を知っているはずよ、喋った事は無かったけど……」
「あ、え……? っ、!!」
その時はわたしは初めて気がついた。わたしの体が散々ひどい事をして、嘘をついて罪人に仕立ててたくさん傷付けた人。あの時美少女だった彼女は女神様みたいに綺麗な女の人になっていたのだ。
「ご、ごめんなさ……わたし……」
「あら、どうして? あなたは何もしていないでしょう?」
「え……?」
恐怖と罪悪感に震えはじめたわたしの手を、そっと包んで女神様……レミリアさんはわたしの顔を覗き込んだ。
「わ、わたし、中から見てるだけしか出来なくて……」
「たくさん嫌なものを見たのね、可哀想に」
「嘘をつくのも、止めたかったのに」
「止めようとしてくれたのでしょう? とても勇敢で正しい行いだわ」
「何も……何も出来なかった、ごめんなさい……」
「いいえ、あなたが1人で耐えていたのはわたくしが知っていてよ。……今までつらかったでしょう、あなたは十分頑張ったわ。偉かったわね」
「あっ、あ……ああ……!!!」
少女の姿のまま成長していないわたしは花畑の中でレミリアさんに抱きしめられて、大声で泣き出した。誰かから抱きしめてもらったのも初めてだし、頭を撫でてもらったのも。涙は次から次へと溢れてきて、自分でも何を言ってるか分からないのにレミリアさんは「あなたは悪くないわ」「つらかったわね」「もう大丈夫よ」って言ってくれて、その度にわたしの心の中で苦しみを生んでいた重い淀みがひとつひとつ解けて無くなっていく。
しばらくして、やっと落ち着いたわたしにレミリアさんは、わたしが精霊界でうずくまって泣いていた間に起きた事を話してくれた。わたしの体を使って悪い事をしていた女の人は悪魔だったらしくて、今は罰を受けているんだって。邪神とか魔界とかはよく分からなかったけど、悪い事をした人は相応しいだけの罰を与えられて、今は前よりもたくさんの人が幸せになっていると聞いて良かったって思えた。
「それでね、わたくしはあなたの事を探していたのよ」
「わたしを……?」
「ええ、わたくしも探していたし、あなたを心配していた精霊達と精霊王様に頼まれたのよ」
レミリアさんには幼い頃に神様から神託がおりて、世界に危機が迫っていることと、世界を救うための知識を与えられたのだという。その中では、本当はわたしも世界を救う旅をする一行の1人だったらしい。レミリアさんは、その神託で見ただけだけど「星の乙女は絶対にこんな事をしない」と信じて、冤罪で追放されてからわたしの体を乗っ取った悪魔を罰した後も本来のわたしの行方を心配して探してくれていたらしい。現世で見つからないはずだわって困ったように笑うレミリアさんに、また涙が出てくる。
わたしはここで泣き続けて、精霊さん達にもみんな心配をかけていたのを申し訳なく思った。わたしは今、体に繋がれてた時に見せられた記憶に苦しんでいる事、生まれ変わるのも怖くて仕方がないのを改めてレミリアさんに話す。あれもやだこれも怖いって、わたし面倒な事を言って親を困らせる子供みたいだ。
「ええ、だからね。あなたに提案しにきたの。……わたくしの子供になる気はない?」
「えっ……?!」
「精霊王様はね、あなたが生まれ変わっても幸せになれる家族が用意できたらって思ったそうよ。わたくしに加護を授けてくださってる浄化の女神様から伝わって、わたくしにお声がかかったの」
「レミリアさんが……?」
「もちろん、わたくしの幸せとあなたの考える幸せは違うこともあるでしょうけど……あなたが心配しているような、子供を叩いたり自分の不機嫌で子供を不安にさせる親になるつもりは無いわ」
「……レミリアさんは、いいの? わたしが家族になって……」
「あなたみたいに、優しくて頑張り屋さんの素敵な子が家族になってくれるなんて嬉しいわ」
涙で濡れた頬を撫でられて、改めて抱きしめられたわたしはまた泣いてしまう。
「でも、誰かの体を奪うことにならない……?」
「あなたは優しいのね。大丈夫よ、生まれてくる赤ちゃんに魂が宿るのはお腹の中で育ちはじめて半年経つころなの。その前からあなたがいるのだから、体を奪われる赤ちゃんはいないわ」
「わたし、全部忘れて生まれ変われるの?」
「正確には全部ではないの。輪廻の渦と違って、今回は精霊王様が魂が宿るのを手助けしてくれるんだけど、生まれ変わっても『このお菓子前も食べた事ある気がする』とか、『ここに前も来たことがあったような』程度の記憶は残るそうよ」
それなら、それは、とっても素敵なことに思えた。やっとこのつらくて苦しい記憶から解放される。怖くて動けないけど考えてしまうのもやめたかったわたしは、やっと終わりが見えたことに安心した。
わたし、それなら、レミリアさんと仲良くなりたかったって……その想いは残るかな。残って欲しい。
「生まれてくるまでゆっくりお休みなさい。しばらく後にまた会いましょう、わたくしの可愛い子」
周りを心配そうに飛んでいた精霊達がわたしに触れる。「おやすみ」「おやすみ星の乙女」「また会おうね」「いつでもそばにいるよ」わたしは彼らの声に安心して目を閉じる。孤独じゃないと分かっているのがこんなに幸せだなんて知らなかった。
さらりと頭を撫でられて、わたしの体は小さい光の粒になってレミリアさんの体の中に吸い込まれた。自我はだんだん溶けていって、でもちっとも怖くなくて、嫌なことがあったのも思い出せなくなってわたしはわたしのまま全てをなくして安心して眠りについた。
「それでは現世までまたよろしくお願いします、精霊の皆様」
魂を扱う研究は一応成功した。なのに直接見ることもできるようになってからも探していたが見つからないはずだわ、精霊界で保護されていたのね。ピナの中にはいなかったからすでに生まれ変わってるはずなのにどこにもいないから人でなくなってるかもと心配していたけど良かったわ。
「ええ、あなた達の大切な星の乙女はわたくしの全力で幸せにしますわ」
エミは主人公……星の乙女も大好きだったのよ。推しと推しが仲良くしてるのも、それで幸せになってるのも見てるだけで幸せって言ってたからわたくしが……生まれてくる星の乙女を愛して可愛がって幸せにすればエミも喜んでくれるわ。
「わたくしも本来の星の乙女の事は心配していましたの。そんなにお礼なんて言わないで……わたくしも望んでいたことなのよ」
だってエミの「レミリア」だったら心の底から星の乙女を心配していたわ。エミが望む事はわたくしの本心からの願いでもあるもの。
良かったわ。魂を自由に扱う事ができるようにはなったけど……どんなに練習しても魂が「壊れちゃう」のに困っていたの。エミの侍女だった女達と、護衛だった男達を使って何度も何度も頑張ったんだけど。きっと神にしか出来ない事ってあるのね、それでも諦めないで何度も実験を繰り返したら、魂に傷がついてしまって。あの5人はわたくしに刻み付けられた記憶がこれから未来永劫輪廻を超えても残ってしまうようなの。わたくしに殺されて、魂を取り出されて、新しいレシピを試すように魂を玩具のように扱われていた苦しみからこの先何度生まれ変わっても逃れられないのよ。とっても素敵ね。
魂の質は変わらないから、生まれ変わっても屑は確定だから心は痛まないわ。ほら、親はまともなのに子供がクズに育つことってあるじゃない? 魂の質のせいもあるのよ。親にとっては災難よね。
自分の主人を裏切ったあの屑達にはお似合いの末路だと思うけど、解放するのはちょっと早かったかしら? もう少し魂に傷を深く刻んでおくべきだった?
でもお腹の中に命を宿すのに、あんな汚いものを手元に置いていたくはなかったのよね。周りに知られないように踏破したダンジョンの隠し部屋に魂の研究に使う「道具達」は閉じ込めて普段は目に入る場所にないけどそんなの関係なく。お腹に宿したまま汚いものを見せるわけにいかないじゃない? エミの記憶の中にも胎教って言葉があったし。
それにしても星の乙女の行方を案じて見せてすぐにこの打診があって良かったわ。このままでは自分で魂を自由自在に扱えるようになるまで何十年かかるか、出来るようになるのかも分からなくて不安だったから。今回恩を売った事でエミの時も精霊王様がお手を貸してくださる事を約束してくれたし、これについてもエミの前に安全性を確かめられて良かったわ。子育ても「練習」したかったし。やっぱり孤児院の子供ではなくて自分が産まないと分からない事も多いでしょうから。
「幸せな家族になりましょうね、あなたはきっと良いお兄ちゃんになるわ」