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05幕 砂丘の夢*

砂漠の自国から隣国の王の元へ嫁いだアイシャ。穏やかに過ごしたいと願うも、蘇った曖昧な記憶は穏やかではない現実を告げる。


キーワード:R15 物語 中東風 政略結婚

 今日、私は隣国の王の元へ嫁いだ。

 嫁いだ、と言っても正式に結婚をするのはもっと先だ。砂漠の国は一夫多妻制であることが多く、この国もそう。私以外に3人の妃がいるらしい。後宮入りしてから各妃の元を王が訪れ、関係を築いて、正妃が決まるという。何番目の妃だろうが、王の寵愛は変わらない。ただ国の中での発言の重さが変わる。

 王女として育った私は政の煩わしさを知っている。自分が正妃の重圧に耐えられるかどうかは隣の王次第。まだ見ぬ王は私と歳もさほど変わらぬ若い王だと聞く。民の心無くして砂漠の国は有り得ない。果たしてどうなることだろうか。

 だから正妃に選ばれないなら選ばれないで構わない。そんな気持ちで後宮の扉をくぐった。



 この国は2つの大きなオアシスに挟まっており、水や緑の資源が豊かだ。自国とは違う豊かな緑に心が弾む。

 後宮の扉をくぐったところが吹き抜けの中庭になっており、庭園の中央には小さな池が作られていた。贅沢な作りだ。建物の造りは砂嵐が抜けるようシンプルになっており、壁は美しい幾何学模様で彩られている。このあたりは自国と同じで、見慣れたものに安心感を覚えた。

 中庭の向こう側に案内される。途中にもいくつか部屋があるが、どうやら後宮の妃たち用の談話室や娯楽室であるらしい。平たく大きな円柱型の建物に着く。入口は全部で7つあり、それぞれ別の妃の部屋であったと兵が説明してくれる。円柱の外側に廊下が付いており、それぞれの扉の間隔から、どの部屋を王が訪れているかわからない作りになっているらしい。

 本来、一夫多妻は4人が限度だが、一部の王族は別だ。国の為に戦死した勇敢な騎士の妻などを身請けすることがある。多妻であるならばそれぞれ妻の住まいを別棟にするのが主流だが、砂漠の国ではそうもいかない。苦肉の策という気はあるがなるほど全く入口が見えない。

 先々代が作ったと聞いたが、7人も囲んで平等に愛せていたというのは中々凄い事だと思う。



 与えられた部屋はとてもきれいだった。入口の先に応接間、その先に寝室。応接の続きに砂漠なりの水回りが集結している。正妃になると本殿に部屋がもらえるらしいが、ここで十分すぎる程の大きさがある。

 ふと、自国のことを思い出す。私の国は豊かではない。小さなオアシスにかじりついているだけの小国だ。申し訳程度の織物以外の産業がないため、貿易などが盛んで、この国にも大量の品物を卸している。

 だが生活の基礎となる食料品には弱い。だからこの国の資源の豊かさを頼り、政略結婚で王女を送り込んだのだ。

 どうか帰らされることだけはないように、努めて地味に役目を果たそうと思う。




 他のお妃も到着しているようで、幾人もの侍女が慌ただしく動き回っている。私は王女でありながら荷物も何も少ない身のため、もう支度が終わり、1人で窓から緑を眺めていた。自国から持ってきたのはわずかな服と装飾品、気に入っている本を数冊とランプとティーセット。大きいものは織り機が1台だけ。

 別にこちらで買おうと思っている訳ではなく、それくらいしか日常で必要がなかったのだ。この国でもきっとそうだ。ここには庭がある分、もっと退屈しないだろうと思う。


 今日から私の侍女になる予定の彼女はこの部屋の片づけを終えてすぐに、慌ただしい他の部屋を手伝いに駆り出された。出歩くことは許されない。手持無沙汰な私はなんとなく機を織り始めた。慣れた音が心地いい。

 目に入るこの国の織物の模様は特殊だ。我が国はとにかく緑に飢えているので、花や緑や水をイメージした織物が多い。対してこちらは記号が中心。珍しい上に美しい幾何学模様は見ていて飽きない。この国の侍女が戻ってきたら、記号の意味を聞いてみよう。


 侍女が戻ったのは日が沈む頃だった。疲れた様子で夕食の支度をするというので断り、休むように言う。

 すると飛び上がって詫びられた。どうか首にしないでほしいというのだ。そんなつもりではない。涙を浮かべる彼女から話を聞いてみると、自国とこの国では侍女の扱いに大分差があることを知った。


 自国では侍女は世話係として身の回りの世話をしてくれるだけではなく、良き友人として余暇に付き合ったり、時には勉強を教えてくれる存在だ。主人と従者は信頼関係で結ばれる。

 対してこの国では世話係はあくまでも世話をする係で、それ以上のことは許されない。それを全うしないことも許されない。主人には逆らわずに従う。主人と従者は完全なる支配関係で結ばれている。

「なるほど。昼間他所の部屋を手伝ったことで怒りを買ったと思っていて、私があなたを休ませることで、あなたの職務をじゃましてクビにする理由になるというのね」

 頬に手を当てしばし考える。他の部屋の手伝いはこの宮殿側から頼まれたことだ。許可だって快く出したので、その発想はまさかだった。

「わかったわ。夕食の支度をしてちょうだい。けどそれが終わったら明日に備えてあなたはもう休むの。これは命令よ。よろしくね」

 完全に納得してくれてはいないようだが、夕食を作り始めてくれる。他の女性と顔を合わせるのを防ぐためか、夕食は各部屋のキッチンで作るらしい。間もなく、同じ砂漠の国だが、馴染みのない良い香りが部屋を満たした。



 翌日、聞きなれない水の音で目を覚ます。そうだ、嫁に来たのだと思い出す。明日から王の訪問、お渡りが始まる。どの順番でいらっしゃるかわからないので、今のうちにこの侍女から話を聞いて備えておかねばならない。

「おはよう。昨日は自己紹介する時間もなくごめんなさいね。私はアイシャ。東のオアシスの第二王女よ」

侍女も頭を下げる。

「私はアミーナと申します。姫様、よろしくお願い致します」

「アミーナ、あなた織物は出来る?」

侍女は首を横に振る。

「申し訳ありません。私に出来ますのはお料理などのお世話と、お子様に物語を聞かせることだけでございます」

「謝らないで、充分だわ。お話をできるなんてアミーナは記憶力が良いのね」

アミーナが真っ赤になる。

「驚くだろうけれど、私の国では侍女は友でもあるの。織物を学べとはいわないけれど、この部屋の中では私にとってそうであってほしいわ。そうね、まず今日はこの国と王のことを教えてほしいの」

「……はい、私にわかりますことでしたら何なりと」

まじまじとアイシャを見つめるその目には驚きと好奇の光が揺れていた。


 就寝前に寝室で本を読んでくつろいでいると不思議な胸騒ぎを覚えた。窓の外の本殿は昨日と変わらず美しく灯りが付いている。一見何も変わりがないように見える。

 応接間へ出ると、侍女が朝食の為の水を運んでいた。

「いかがなさいました?」

「なんだか、胸騒ぎが」

一瞬耳を澄ましたアミーナがそっと戸を開け、慌てて閉めた。

「……王がお見えになるようです」

「え? こんな夜更けに? 2日間はお渡りはなしと……」

「急ぎのご様子ですのでお渡りではないのでは……どちらのお部屋に行かれるかわかりませんが、何も聞いていないのでここではないと思います」

念の為、と私の髪を編み始める。あっという間にゆるく編み上げ、ヴェールをかけてしまう。

 たくさんの人の足音が静かに聞こえ、部屋の前を通過していく。やはりここではないのね、と2人で安堵の表情を浮かべる。

 しかしお渡りの予定はないというのに、どの部屋だろうか。王が急ぎで挨拶をするような高貴な身分の方が夜にいらしたのだろうか。などと考えているとふいに扉が叩かれた。兵士が声をかけているようだ。



 アミーナがサッと扉に駆け寄り、隙間から対応してくれる。兵の話の内容がわかるまでは安心できない。小声で何事か話した後、こちらを振り向く。

「アイシャ様、王命で兵が部屋を改めたいとの事ですが宜しいでしょうか」

部屋はそちらが用意したもので持ち物はここに入る時に全て見せている。その部屋を改めるとはどういうことだろう、と思いつつも、やましい事はないので許可をする。

 アミーナが戸を開けると兵士が1人入り、その後ろには浅黒の肌に緑の瞳の美しい、麗しい男性が続く。

「夜分に失礼する。他の部屋で賊の報告があったので、無礼は承知だが潔白の証明のためにも部屋を改めさせていただく」

 その言葉とその男性を見て思わず固まった。そしてうすぼんやりと思い出した。


 ここが昔読んだ本の中であることを。



 先の兵の他に数人が入ってきた。確認の間、侍女と寄り添って応接間の長椅子に座って待つ。正面には王が座った。王から目が離せない。

 物語の通りに、それから想像したよりも美しい男性。彫刻の様な彫りの深い顔と逞しい身体。全てが夢のようである。ぼんやりとした記憶の中の、物語を思い出そうと努力する。覚えているのは、自分は主役ではないということ。それも手伝って中々記憶は明るくならない。

 王が連れてきた侍女に立ち上がるように言われ、身体のあちこちを触られる。

 その展開に本の一部を思い出す。これは確か他の妃が大事な宝石を盗まれたと言って始まった荷物改めだ。因みにその姫の自作自演のため犯人は見つからない。だがその妃はそれによりこの王に負い目を背負わせることができ、その宝石の償いとしてたくさんの贈り物を授かる。

 何か他に思い出せるかと考えていると解放された。部屋にも問題がなかったらしい。結果はわかっていたことだが安堵の息を漏らした。王は非礼を詫び、部屋を後にした。

 王が消えたドアを眺めながら、物語を思い出そうと必死になっていた。



 翌日の夕方、もう一度王は部屋を訪れた。あまり機嫌が良くない。昨日の宝石が見つからなかったからだろうか。遅くまで対処していたのか顔色が悪い。

「手短に話そう。あなたの私物が少ないことは目録からわかっている。何故そんなに少ない?」

長椅子にどかりと座り、王の質問は突然だった。展開はわからないが、事実盗んではいないのだ。落ち着いて答える。

「元々持っていないのです。向こうでも、これに本が数冊加わる程度でした」

それでもやはり何か疑われている気がする。

「その少なさでどう生活するつもりだ?」

「これで足ります。たまに本を買ったりはしますが、面白いものに出会わない限りはこれで充分。服も装飾品もこれで充分。定期的に買うのは織物の糸だけです」

すらすらと本音を話すと王は少し驚いた様な色を瞳に浮かべた。

 アミーナに目で合図をすると温かいスープをカップに入れて持ってきた。

「すぐにお帰りになられるとのことでしたけれど、少し顔色が悪いようです。自国の味付けで恐縮ですが宜しければスープをどうぞ」

毒見係が横から一口飲み、味を確かめるように飲み下す。問題はないようだ。

「自国? もう家が恋しいのか?」

「いいえ、アミーナが良くしてくれますし寂しくはありません。昨日彼女が用意してくれた食事がとても美味しかったので、今日は私が彼女に自国の料理を紹介してお互いの国への理解を深めようと思いまして。私の拙い説明でも彼女がとても上手に作ってくれましたの。お気遣いありがとうございます」

そういうと王はますます驚いた色を示す。アミーナは照れて縮こまっていた。

 本当は、もやもやした気分をごまかすために料理をしようと思ったらアミーナが泣きながら止めてきて、アミーナに作ってもらうことになったのだけれど、そんな事は些細なことだ。

 王はスープを一口飲むと「うまいな」とぽつりと呟いた。


 その様子を見ながら必死で頭を回転させる。この人は悪い人じゃなかったはず。姫は皆問題があるけれど、この人は全員に平等であろうと、ハレムのもめ事を収めようと努力してくれたはず。あら……私の問題ってなんだったかしら……。

 王を見つめながら思考に突入してしまったので、王がスープを飲み干したことにも気付かずにいた。

「……そうか、アミーナ、と言ったか。お前、アイシャ姫の後宮入りの日、他の妃の部屋を出入りしていたと聞くがどこの部屋だ?」

アミーナが疑われているの? まさかの事態に息を飲む。確かにあの日この子は殆どいなかったけれど……。

「ドゥ……ドゥーニア様のお部屋です……。調度品が多くて人手が足りないからと、そちらの部屋付侍女に言われました。彼女は私の友人なのです」

ドゥーニア様は私とは逆隣の大国の第一王女。正妃に最も近いとされる立場の方。確かこの方、高飛車な物言いでいつも喧嘩腰なのよね。

「その後は、お名前は存知上げないのですが、異国の姫様のお部屋も同じことになっていたので、上司の命でそちらのお手伝いを」

 その異国の姫というのは姫ではない。ダリア様という、確かかなり西の方に住む、肌の白い民族の貴族。ドゥーニア様と正妃の座を争って熾烈な争いを繰り広げるはず。お話では中心人物だった気が……。

 もう1人の妃はヒンド様。宝石を盗まれたという方。この方狡猾なのよね。女の武器を利用して贅の限りを尽くす……。

 あら、やっぱり問題のある方ばかりね。私も何か問題があるはずなのだけれど、都合よく自分のことは思い出せないなんて。

 考え事をしている間にもアミーナへの質問は続いていて。始めは疑っているのかと思ったけれど、不審者を見なかったかという確認の様なものばかり。

「……あなたは数時間この国で放置されていたことになる。その数時間は何を?」

「放置だなんて思っていませんわ。信用ある侍女だから頼まれたのでしょう。私は、のんびりする時間をいただきました」

織物をしていたことを話し、モチーフのことを思い出した。自然と話に熱が入る。


 暫く話していると急に王が笑い出した。

「……すまない、あなたがあまりも呑気なのでおかしくてな」

口元に笑いを残したまま、彼は続ける。

「昨日も今日も宝石泥棒を探すためにここにきている。疑われているかも知れないのに、あなたたちはこの部屋を探す間も、今の質問の間も、怒りもせずに答え、悪意のかけらも受け取らない。どういうことだ?」

この質問に目を合わせる。

「それは――やましくないのなら堂々としていればいいと思っておりますので、そのように。それにアミーナから聞いた王は、疑いで人を傷つけたりはなさらないと思いましたの」

にっこり笑うと今度こそ王は驚いた顔をした。

 そして満面の笑みを返すと長椅子を立ち上がる。

「じゃまをした。あなたの元を訪れるのは少し先だが、楽しみにしている」

部屋に入ってきたときと打って変わって上機嫌で帰って行った。

 私はベッドの上で気が付く。あの質問は私が宝石を換金したと疑っていたのかしら。だけど、王はあんなに笑われたのだもの。違うわ。そう思って、ふわりと夢に落ちて行った。




 それから1週間が経っても王は私の元を訪れなかった。確かに素敵だとは思うが別に王に恋をしているわけではないし、思い出した物語の自分の部分だけが抜けていて妙な不安もあったので、全く気にしていなかった。

 アミーナは居住まいが悪そうにしていたけれど、別にお渡りがないくらい、どうということはない。手持無沙汰な様子の彼女に尋ねると、妃はもっとあれこれ着替えたり、お茶を飲んだり、宝石を磨くように言いつけたりというのが普通らしい。

 その中ならお茶以外のことは無関心だ。自国では私が何かしない時は従者も皆本を読んだりして大人しく控えてくれていた。彼女に本を与えようとすると、字が読めないという。この国では女性は立場が低く、身分あるものしか文字を学ばないのだと。王室付きの侍女とは言え余計なことを洩らされては困ると、文字が読めるのは正妃付きの侍女だけらしい。彼女が物語を語れるのは口伝が普通だからなのか。文字を教えればいいが、事情を思えばいいことだと思えない。それならと私がアミーナに本を読んだ。何度も読んだ大好きなお話。アミーナが目を輝かせて聞いている。私が思い出した話も、この物語の結末のように幸せだったろうか。思い出せない不安を抱えていても、毎日は穏やかに過ぎていく。


 本に登場する夕日の描写で思い出したと、アミーナが夕日の見える塔へ連れて行ってくれる。ハレムの西の端にあるその塔は大分古いがしっかりと建っている。埃っぽい階段を上まで登ると見事な夕日が見えた。久々に見る夕日の赤にほんの少しだけ、国のことを思い出して胸が痛んだ。



 その帰り道、渡り廊下で王に遭遇した。

「おや、姫。どちらへ」

その声にこの前の様な疑う様子はない。後ろの兵たちも黙って控えている。

「あの塔に夕日を見に。アミーナが教えてくれたのです。見事な眺めでした」

「夕日など、見飽きているのでは?」

「いいえ、毎日見ても砂漠は美しいです。この国は緑も豊かですからそれも夕日色に染まって素敵でしたわ」

柔らかく礼をすると、王も思いがけない優しい言葉を掛けてくれた。

「なるほど、あの塔は母が好きだった塔だ。亡くなってから手入れをしていなかったが……掃除をさせよう」

毎日通うわけではないから別に構わないのだが、手入れをしない建物は朽ちるのが早い。折角彼が関心を持ったのに断るのも違う気がして、私は感謝の意味を込めて微笑んでおいた。

「やっと泥棒騒ぎが片付いてね。あなたの元にも通えそうだ」

王の笑顔は眩しいくらいだった。久しぶりに見た王はやはり素敵で、適当な社交辞令でその場は解散となったのだが、呑気な私は陰から見られていることに気が付かなかった。



 お渡りが始まって3日目の夜、王は私のもとを訪れた。先日と同じように穏やかな顔で現れた王はその手に2種類の織物を持っていた。

「先日、織物の件をうかがったが、実はあなたが織物をするのはあなたの父上から聞いていた。織機も先日見せていただいたが、今度是非織ったものを見せてくれ。我が国とはだいぶ柄が違うのだな」

そう話しながら応接室の机に並べた織物は椅子の上に敷く小さなもので、自国とこの国の2つの柄があった。自国の織物に気分が高揚した私は自分の織ったものも見せながら、王に織物の柄や織り方の違いなどを熱弁した。

 王は私の腕を褒めながら真面目な顔でそれを聞いていたが、時折嬉しそうに笑った。楽しい時間はあっと言う間だった。

 帰り際、王は振り向いて言った。

「あなたに織ってほしいと言ったら頼めるか?」

それは私にとって嬉しい言葉だった。

「ええ、勿論。色も柄も大きさも指定があればその通りに」

「わかった。ありがとう。あとで糸を届けさせよう」

満面の笑みで王は扉を閉めた。初日以外、いつも別れは上機嫌だ。

 正妃になりたいわけではないが、笑ってもらえるのは嬉しい。



 4日に一度、王は部屋を訪れる、はずなのだが、そうではない。初めのお渡りの翌日に織物の糸が届けられた。アミーナによると図案は次回のお渡りで相談したいと王本人からの伝言だという。楽しみに思っていると2回目の訪問はその翌日だった。各部屋を1周して初めに戻るところ、まさかの私の部屋に戻るとは思わなかったので驚いた。

 織ってほしいのは部屋に飾るタペストリーで、図案は互いの国の模様を混ぜて緑あふれるオアシスの様子をイメージしてほしいと言う。なんとなくの織図を示すと王は満足そうに頷いた。

 それから織るところを見たいと言うので初めの少しを織って見せた。織り機の動きや音が気に入ったらしく、続きを織るように言われてその日はそのまま、少しの会話と共に機を織った。



 その日から生活が一変した。王は他の部屋も勿論回るが、毎日必ず私の部屋に立ち寄り、機織りを見るようになった。初めは機織りの動きを面白がって見ているのだと思ったが、応接間の長椅子で気持ちよさそうに空間を楽しむ姿は、日々の疲れを癒しているようにも見えた。塔の話や緑の話など、色々な話も楽しんでいた。



 ある時、王は眠ってしまった。僅かな間だったが、無防備な顔が見え胸が高鳴った。恋に落ちても、私は主人公になれないのだからこんな気持ちを抱えるだけつらいのに。振り切るように立ち上がり、王にひざ掛けをかけようとする。

 その時、王の目が開いた。

「――眠っていたか?」

「……ええ、その……たった今少しだけ。お風邪を召されてはと思ってこれを」

言葉の途中で王は身体を起こした。立ち上がると少し驚いた表情のまま私を見つめ、本殿へ戻ると告げた。

 急によそよそしく感じるその態度に、呆気に取られていると王は私の手からひざ掛けを取り後ろ手に長椅子に置いた。そのまま流れるような仕草で私の手を取る。瞳には妖しい熱が揺らめいている。

「あなたの側は気持ちがいい。毎晩、あなたに会えることを願おう」

そう言って私の左手首に口づけをして色香の漂う笑顔で出て行ってしまった。

 胸の高鳴りが危険な信号を示す。男性の危険性と、もう1つ、私の不安の答え。

 そうだわ。思い出した。

 私は王に愛され過ぎて殺されるの。なんの取り柄もないのに王に愛されてしまって、それを妬んだ他の姫によって。妃に迎えられる前に死ぬのだから、話の途中で居なくなって印象が薄くて当然。話の中では裏で狡猾に王に取り入っていた。他の姫からはそう見えているということなのかしら。

 必死にどう死ぬのか思い出そうとするが思い出せない。不安だけが募る。どこで誰に見られているかわからない。出来る限り外出を控えて、王のお渡りも幾度かは具合が悪いと断ろう。一歩間違えれば織りかけのタペストリーを渡す日は来ないかもしれない。先日の故郷を思う気持ちとは違う痛みが鼻の奥をツンと痛めた。




 それから2週間。塔に通わない以外は変わらない日々が続いていた。王のお渡りを断ろうと具合が悪いと告げるもやたら心配されてしまったので、正直に訪問の多さを心配したら次の日から騎士の服をまとって現れるようになった。

「大臣にも心配されていた。姫たちの夜間の外出は禁止されているが、万一目撃されてはあなたの立場が悪くなるとね」

「それでそのような服を?」

「そう。警備の騎士に見えれば王の使いで済む。咎められる事もあるまい」

国によっては後宮は男子禁制だがこれを逆手に砂漠の野党が襲ってくることもあり、この国では騎士が警備に当たっている。

 どうやら物語の通りに王に気に入られてしまったらしい。こうなったからにはとにかく他の姫たちに接触せず、殺されないように気を付けるしかない。



 ある晩、王が話しかけてきた。

「今度、談話室でダリヤ姫が他の妃を招いて茶会を開きたいとのことで許可を出した。あなたも行かれるといい」

茶会。その言葉に嫌な予感がする。茶会ではホストのダリヤ様がお茶をご用意なさるはず。

「ええ、お誘いいただけましたら是非」

「後宮の女性同士仲良くしたいなどと、初めてのことだ。西側の人間は中々友好的で感心だな」

その言葉に私はにこりと笑う。頭の中では必死にお茶会、ダリヤ様、という言葉を脳に問い合わせ続けた。

 お茶会のお誘いはその翌日に手紙で届けられた。出身地の料理を振る舞いたいのだという。勿論出席の返事を返す。当日は適当に理由をつけて欠席するつもりだった。

 そして当日、私は発熱を理由に欠席となった。しかしこれは本当であり、実際熱が出ていた。知恵熱だと笑うと、侍女は心配そうに傍らに寄り添ってくれた。今日まで必死に思い出そうとして、やっと思い出した本の主人公はダリヤ様。西の国の貴族の彼女が、砂漠の異国に嫁いで幸せになる物語だった。今日のお茶会に出席したら間違いなく何か盛られた、そんな気がした。

 次の日には熱も下がり、ダリヤ様にはお詫びの手紙を書いた。


 熱が下がるとなんだか無性に寂しくなって塔まで夕日を見に出た。美しい夕日を眺めているうちに、ふと辛くなって涙がこぼれた。

「姫様」

アミーナが心配して声を掛けてくれる。

 この国が悪いわけではない。この国に来たことが悲しいのではない。王のことは好ましく思っている。嫁いだことを後悔もしていない。ただ普通に幸せになりたいだけだ。なのに何故、命を狙われなければならない。何故死ぬのだ。空しさと心細さが胸にこみ上げて涙は止まらなかった。

 どれくらいそうしていたかわからない。砂漠の向こう側は、昼の橙を夜の橙が優しく覆い隠し、今にもその光は眠りにつきそうだった。心配そうに涙を拭いてくれるアミーナの手を取り、礼を言った。

「ありがとう。熱が出て弱ってしまったのね。なんだかとっても、綺麗なものに感動してしまって」

まだ心配そうだったその顔は、私の寂しさをより募らせた。


 寝室でぼんやりと休んでいると王が訪れた。寝室まで入ってくるのは初めてだ。起き上がろうとすると手で制される。上半身を起こしただけの私の顔を王が覗き込む。

「昨日は具合が悪いと聞いたが、今日は気分が悪いと聞いた。どうした」

アミーナから泣いたことを聞いたのだろう。部屋の入り口でおろおろしているのが見える。

 答えない私の頬に手を添えて続ける。

「何か不満があるか? 不自由させているなら何でも望んでくれ」

ゆるゆると顔を横に振る。私の悩みは解決できることではない。口にすれば妄言であり暴言。誰にも何も話せない。

「あなたがそんな顔をすると胸が痛い」

「……何でもありません。ただ熱が出て弱気になっただけです、ご心配をおかけしました。砂漠の者なのに情けないですね」

薄く笑ったつもりだったが王は切ない顔で私を見つめ、そっと抱きしめた。

「誰だって国が変われば身体くらい壊そう。あなたには長くここにいてほしいから、早く良くなってほしい。その為なら力を尽くそう。あなたの侍女もあなたのことをとても心配している」

「彼女には迷惑をかけます……」

「侍女をそう大事にしてくれる姫など初めて見た。あなたは優しく、私も彼女もそれに心打たれた。私はあなたを妃に迎えたいのだ。あなたの側は居心地がいい。私はこの厳しい砂漠を愛し、癒しとなれる妻を望んでいる」

 突然の事に言葉が出ずにいると、身体を離した王が私の額に口づける。

「私の気持ちが励みになれば幸いだが、今は答えを考えずゆっくり休んでくれ」

そう言い残して曖昧な笑みのまま部屋を後にした。


 次の日も顔が赤い私をアミーナは微笑ましく見守ってくれた。

「アイシャ様、私もアイシャ様がお妃様になられたら嬉しゅうございます。たくさんお話をして下さいました。たくさんお料理を教えて下さいました。文字が読めれば済むことを丁寧にご説明下さいました。私に文字を教えたら立場が悪くなるとお考えだったんでしょう。アミーナは、こんな侍女にも優しいアイシャ様が大好きです。きっと王もそれをお分かりなのだと思います」

優しい侍女は初めて私の手を取った。荒れた働き者の手は、温かく私を包んだ。

 どうかこの夢が冷めないでほしいと、願わずにいられない。




 ダリヤ様主催のお茶会、その次の日から事態は急展開を迎えていた。私は気が付いていなかったが、私を片付ける動きは確実に始まっていたのだ。


 ある日、ドアを叩く人がいた。アミーナが迎えると侍女を伴った、可愛らしい笑顔の女性が2人そこにいた。1人は主人公のダリヤ様。間違いない。物語の表紙の彼女の通りの金髪碧眼、この辺りには珍しい程の白い肌。

「初めまして、アイシャ様。南方の商人の娘のヒンドと申します。突然ですがドゥーニア様が良い茶葉が手に入ったので妃の皆様で、とお茶会を開いて下さいますの。今日は体調が良いとうかがっていますので是非ご一緒しましょう」

 にこやかに話すヒンド様は砂漠を行き来するキャラバンで儲ける豪商の娘。宝石を失くしたのも彼女で、大人しそうに見えるけれど身体も武器に大胆に王に迫る、かなりのやり手。この笑顔からは何も読めないが、ダリヤ様と随分親しそうだ。

「先日、お加減を悪くされた時のお茶会で私たち、仲良くなったんです。それで、アイシャ様も是非と思いましたの」

 ニコニコ笑うダリヤ様に悪意など感じられない。先日は熱に浮かされながら失礼なことを考えたが、物語の主人公は彼女。悪者な訳がない。それに正妃の座を巡って険悪だったはずのドゥーニア様とも仲良くされているなら、危ない事はないのかもしれない。

「ええ、先日はごめんなさい。今日はご一緒出来ますわ。すぐに支度をして向かいます」

 アミーナに指示を出し、私が背中を向けた瞬間、ヒンド様が驚いた声を出す。

「あっ! これ! 私がなくした宝石です! こんなところにあるなんて……」

 ゆっくり振り向くと入り口横の水瓶の脇から、ヒンド様は光る石を1つ、つまみあげていた。見事なサファイア。

 そんなわけがない。水瓶は1週間前に王命で運ばれた。運んだ時も、事件の時に王の兵が改めた際もそこには何もなかった。だが彼女の手には確かに宝石がある。盗まれたものかどうか保証はないが息が止まりそうになる。

 責められると思った私だったが、彼女の口から出たのは意外な言葉だった。

「転がってきたんですかね、良かったです。見つかって。お騒がせしました。王様にも報告しないと……」

私を泥棒と詰るのかと思ったが違った。あまりの軽さに不思議な感覚を覚える。変わらない笑顔で2人は一足先に行くと部屋を出て行ってしまった。

 どういうことだろう。私があの本の中身を勘違いしているだけ? それとも話が変わっている? 曖昧な記憶では何もわからない。返事をした手前、今更断ることもできず戸惑っているうちに談話室についてしまった。



「お待ちしてましたわ。丁度新しいお茶が入りましたの。さあ、お掛けになって」

優しい笑顔で迎えてくれる3人。嫌な気配はないが、嫌な予感は胸にくすぶる。

「ええ、ありがとうございます」

中央に置かれていたポットから私のカップに紅茶が注がれる。他のカップには既に紅茶が注がれていた。

 ドゥーニア様が侍女に指示を出し、ポットを持った侍女たちが外に出る。彼女はアミーナにも指示を出したのか連れ立っていなくなってしまった。

「ドゥーニア様の侍女は後宮で一番位が高いのでしょう? お茶も上手に淹れて見事ね。この国の侍女は主従関係のレベルが高くて安心だわ。アイシャ様の侍女も輿入れの際に私の侍女の言うことをよく聞いてましたわ」

ダリヤ様がカップを片手ににっこり笑うとドゥーニア様も薄く微笑む。妃の中で一番気が強く、好待遇のダリヤ様への嫉妬で彼女を傷つけようとして王に追い出されてしまう彼女。

「厳しい環境でもある砂漠では上下関係は大事ですから。さ、皆様冷めないうちに召し上がって。次のお茶はもっと香りが強い茶葉をと思ったので、ポットを洗いに行かせましたわ」

「あら、楽しみだわ」

 何気ない会話をしている。可愛らしい姫たちのその様子に思わず笑みがこぼれる。考えても考えても、こんなシーンは思い出せない。何気ない1日。私はきっと考えすぎた。

 この部屋のどこにも武器になり得るものはない。あるのはスプーンだけ。毒を入れられそうな食べ物もない。テーブルの上にはデーツ。塗られている恐れがあるから口にしなければいい。毒という発想がそもそも王宮に対し物騒ではあるが、油断はできない。この辺りでは熱に強い毒は禁止されているからお茶だけは安心だ。

 そう思ってその甘い香りのお茶を一口含む。

 少しの後、妙な痺れが身体を縛った。視界がふらふらする。身体に力が入っていない。

「なに……」

手からカップが落ちる。カシャンとテーブルに落ちたそれは割れていないが、残りはすべてこぼれてしまった。力が入らず、椅子に座っていることも難しい。ずるりと身体を右に傾け、そのまま床に崩れた。


 6つの冷たい瞳が私を見下ろす。

「良い様ね。小国風情が弁えずにたてつくからこうなるのよ」

ドゥーニア様の口元は美しく歪められている。

「そんなつもり……」

「いいえ、あるわ。ダリヤ様のお茶会を欠席なさったでしょう? 仮病まで使って。私たちのこと、見下していらしたのかしら?」

ヒンド様の声は冷たい。

「ダリヤ様、泣いていらしたのよ。私たちそこでとても仲良くなりましたの。あなたに――」

「ヒンド様、そのことはもういいの。私が耐えられないのは、この何の取り柄もない女が王を騙して正妃の座に就こうとすることなの」

優しい口調のダリヤ様。しかしヒンド様の発言の核の部分を聞かれたくないように遮ったその顔は厳しい。

 彼女たちは結託して私を排除しようとしている。大元は例の茶会のダリヤ様の誤解なのではないか。身体は動かないが幸い意識はある。きっと致死性の毒でない。誤解さえ解けば助かるかもしれない。

「誤解です。お茶会の日は本当に熱を出しておりました。医師に確認して下さい。それに王を騙すなどとんでもないことです」

必死に訴えるも反応は薄い。

「誤解ではないわ。あなたの元に騎士が通っているのを見たもの。おまけにヒンド嬢の宝石を盗んだでしょう? 同情の為に荷物も少なく持ってきて」

 あらゆることが誤解だが、そこに作戦が絡んで膨れ上がってしまった。通いの騎士は王だ。しかしここでそれを話してしまえば、一夫多妻のルールを壊したと、王の名誉を傷つけかねない。

「あの方は、そのような方ではありません。王の命でお見えに」

「嘘仰い。王命でほぼ毎晩だなんて王への侮辱よ。よく恥ずかしげもなく」

ドゥーニア様が汚いものを見るような目で蔑む。宗教上の理由もある。砂漠の民として許し難いのだろう。

 ダリヤ様は楽しそうに笑っていた。

「身体に力が入らないのでしょう? 砂漠には良い毒があるものね。ここであなたを殺すのは簡単だけど、ばれては元も子もないから、出入りの商人に連れ去ってもらうわ。その後の事は知らないけど、運命通りに死ぬことになるといいわね」

 ダリヤ様の言葉にハッとする。

――知っているのね。なら騎士が王であることも全て知っているはず。

2人を利用して自らの手を汚さずに企てた黒幕は、この人。

「今日の茶会は王には秘密なの。あなたを運び出して素知らぬふりをすればおしまい。あなたは砂漠に消え2度と戻らない」

「……私が正妃を望まないといってもそうなさるおつもりですか?」

ヒンド様が私を不愉快そうに見下ろす。

「だめよ。だってあなたが王に一番気に入られているようだから。あなたと王を会せるなんて私たちのプライドが許さないの」

「確かにあなたは第二王女だけれどあんな小国。私の国の方が大きいのですもの。私を差し置いて薄汚いあなたが正妃など」

「そうよ。私だって元は王族。西の方から求められてわざわざ来たのよ。公爵家の長女を正妃に迎えないなんて失礼な話、到底受け入れ難いわね」

ドゥーニア様と、ダリヤ様も私を睨みつける。

 立ち上がりたいけれど力が入らない。頭がしびれる毒じゃなくて良かったと思うけれどうまく大声も出せない。これでは困ったことになるわ。

「もう商人が来る頃よ、足音が――」

迫る大股の足音に本当に力が入らなくなった。



 その時、広間に凛とした声が響く。

「姫たちよ、何をしている」

声の主は王だった。

「これは一体どうしたことか。傍から見ると倒れたアイシャ姫を助け起こさない非情な集団に見えるが、誰か事情を説明せよ」

その言葉に少し希望を見出すも、3人の姫たちの罠からは抜けられる気がしない。

 ヒンド様が王に駆け寄る。

「王! 私の宝石が見つかりました。アイシャ様のお部屋から出てきたのです!」

「ほう」

王の視線がちらりと私を捉える。盗んだのではないと言いたいが、あの部屋から出てきたらしい事実は変わらない。何と言えばいいかわからず不安な瞳を返すだけ。ダリヤ様が続ける。

「私もその場にいましたわ、物陰に転がっていましたの」

「それに、お茶に毒を……! これが証拠です!」

いつの間にか戻っていたドゥーニア様の侍女が洗っていないポットを差し出し、ドゥーニア様はそれを片手に駆け寄ると香水の小瓶と共に王に差し出す。侍女も仲間なのね。小瓶には証拠はないけれど他の2人が証言するのかしら。

「洗おうとしたところ、妙な香りに気が付いたと。それからこの小瓶がアイシャ様の手元から……」

「そうか」

王の声は落ち着いている。

「それに毎晩のように、どなたか兵をお部屋に誘っているというお話がありますの。私も先日その様子を偶然にお見かけしましたわ。笑い声がこぼれて大変仲が良さそうでしたわ。東の小国というのは随分自由でいらっしゃいますのね」

ダリヤ様の発言に目の前が真っ暗になる。聞き耳を立てていたの。信じたくない。

 これは王本人なので構わないと言えば構わないが、王はそれを自分だと話す訳にいかないとダリヤ様はわかっているのだろう。それにその前の2つは非常に宜しくない。何か釈明をしないといけないのはわかっている。頭は働いている。だが何を話したらいいのかわからない。

 涙が溢れそうだった。

 やはりこうなる運命だったのだと心が諦め始めてしまう。アミーナの姿が見えない。無事だろうか。共に処罰されたりしないだろうか。考えたくないが、あんなに優しかった彼女も加担していたらもう立ち直れない気がする。

 王は小瓶をころころと手の中で回し、開けて臭いを確認して、しばらく考えるとヒンド様に話しかけた。

「ヒンド嬢、宝石はアイシャ嬢の部屋のどちらに?」

「応接間の隅ですわ! 水瓶の裏に隠されていましたの!」

「そうか。ドゥーニア姫は盛られた毒を飲む前に何故お気づきに?」

そうだ。紅茶は特に変わった味はしなかったし、見た目も普通だった。

「この茶葉は以前にダリヤ様が下さったものなのです。その時はすっきりした香りだったのですが、今日は甘い香りが……ダリヤ様も違和感がおありだったようなので新しく淹れ直そうと思ったところ、彼女が執拗にすすめてきたのです。恐ろしい剣幕でした。機転を利かせたダリヤ様がカップを入れ替え彼女に飲ませたところ、彼女がこれを落としたのです!」

 ダリヤ様の顔が強張る。ここまで協力的だったドゥーニア様はここで彼女を蹴落とす作戦に出たらしい。知っていながら飲ませたとなると無傷では済まない。ドゥーニア様であれば身分の低いヒンド様を黙らせることは簡単。ここで『誰かを害する危険人物』としてダリヤ様さえ排除すればいいのだ。裏の掻き合いは恐ろしい。

「香りね……」

王の声は少し冷たい。ダリヤ様のことを少しは気に入っているのか、ドゥーニア様の回答がお気に召さなかったように思われる。

 もう一度瓶の蓋を開け、中身を確かめている。



 やがて静かに口を開いた。

「宝石の件だが、誰かが最近持ち込んだものだな。私はあの日隅から隅まで部屋を調べている。侍女を他の部屋に貸し、一番怪しいという意見があったのでね」

「そんなはずは……!」

「あの日の私の兵の捜査に問題があったとでも?」

食い下がったヒンド様に、王は優しく質問を返した。

「誰の仕業かわからないが、あなたには私の方から離宮での不備の詫びとして相当なものを贈っている。もう問題にしないとの約束もされただろう」

ヒンド様が悔しそうな顔で私を睨む。

「それからこの毒だが、これをアイシャ姫が手に入れるのは不可能だな。この毒は西方で取れる植物から出来るものでその危険性からここより東の国では流通を禁止されている」

ドゥーニア様が青ざめて震えだす。

「私が数年前に禁止にしたものだから間違いがない。交易国の彼女の国も同様だ」

「それより前に手に入れられたのでしょう! このような危ない毒……」

「この毒は精製から1年以内の物しか効果はない」

瓶を兵に渡す。

「抜け荷など、我が国が許すとでも? この瓶も西方にしかない香水瓶だ」

その声もやはり優しい。

「それから――」

話しながら私の側に寄り、跪くと私を抱きかかえて立たせて下さる。腰を支えられていないと立てない私はぐったりとおぼつかない。

 視線が高くなって初めて王が来た方向に兵と共にアミーナがいるのが見えた。無事で良かった。可哀相に泣いているわ。

「毎晩彼女の部屋に通っていたのは私だ」

姫たちが驚愕の表情で王を凝視した。ダリヤ様は苦虫をかみつぶしたような顔で目をそらす。

「王であるなら公平でなければならない。個人として通うため兵の服を借りたのだ。さてダリヤ嬢。あなたの国では夜分外出禁止の決まりを破り、部屋に聞き耳を立てる習慣がおありか? この国では歓迎されたことではない」

ダリヤ様は真っ赤になるが反論できずに戦慄いている。王の行為も褒められたことではないが、婚姻を結ぶ前の娘が約束を破りはしたないことをしたのだ。

 王はため息をつき、兵に声をかけた。

「この3人の姫を捕らえよ」

「なっ……そのようなこと、許されますまい!」

「あなた方の行いは罪だ。妃として相応しいものではない」

「ハレムはどうなさるおつもりです!」

3人の姫への対応はここにきて初めて冷たさを明らかにした。

「立場を弁えよ。あなたがたにハレムのことを決める権利などない。私は以前からハレムには反対していたのだ。祖父のように8人も妻を抱えて、財政に影響を与え民を逼迫させることはならん。折角父と母が持ち直した国だ。私も父に倣って妻は1人とする。アイシャ姫さえいれば構わん」

3人の姫たちは取り乱して騒ぎ立てた。

「私たちはどうなるのでしょう! 国に返されたところで……」

「あなたたちは我が国の侍女を使って罪を犯している。忠誠心の高い侍女を悪用する等、我が国への侮辱。勇気ある侍女の知らせで最悪の事態は免れたが罪は罪。罪人を妃に迎えるわけがあるまい。追って沙汰を出すまでは、牢に入ってもらう」

その言葉に騎士の後ろに控えるアミーナの想いを知る。よく礼を言おう。

「わが国を敵に回すおつもりですか!」

叫んだのはドゥーニア様。王は冷たく睨むと怒気をはらんだ声で告げた。

「それはこちらのセリフだ。あなたは私の国と、彼女の国を敵に回した。彼の国の同盟国は多い。あなたの国は大国だが、砂漠中の国があなたを潰しにかかるだろう」

 悔しそうに唇を噛んだ彼女を兵が捕らえていく。ダリヤ様はブツブツと、こんなはずではなかったとしきりに繰り返し、ヒンド様は全てダリヤ様のせいだと大泣きしながら連れていかれた。


 その様子を王の腕の中で力なく見届けた私は、おもむろに横抱きに抱えられる。

「きゃっ……何を……!?」

「本殿へ行こう。医者に解毒剤をもらわねば」

そういうなり王は速足で歩き始める。




 どんなに口で抗議しようがどの道1人では歩けない。つれていかれた部屋は豪華な作りになっており、ここが医務室ではないことは明確。下ろされたベッドには天蓋もついており、離宮の物とよく似ているがそれより少し豪華に出来ていた。すぐ隣に王が座る。

「あの……」

王は切なくも優しく笑った。

「辛い思いをさせてすまなかった。高位の侍女を振り切ることも、私の元へ来ることも不敬と覚悟しつつアミーナが走ってきてくれたのだ。怪しいと思ったことはあったがまさか薬まで盛るとは……」

愛しそうに手をさすってくれる。しびれてはいるが優しい温もりはわかる。

「いいえ、ありがとうございます。私を信じて下さって助かりました」

「私がアイシャを信じないわけがなかろう」

「王に感謝を……アミーナを罰さないで下さいますか……?」

「無論だ。寧ろ褒めるべきだ。あなたが望むならこれからもあなた付でいさせよう」

嬉しくて笑うと応えるように爪先に口づけた王が私の頬を撫でる。

「まもなく医者が来る。もう少しの辛抱だ」

安心して眼を閉じると、王が笑ったのがわかった。

「あなたは体の自由が利かず、私と2人きりだというのに、随分安心した顔で笑うのだな」

「王はそのような無体はなさいませんでしょう」

薄く目を開けるとやはり笑っていた。

「……本当に私で宜しいのですか。見た目も地味ですし、なんの取り柄もございません」

「あなたは誰かを傷つけることもしない。いつも温かく私を癒してくれるではないか。砂漠で必要なことは厳しい感情だが、隣に立つ者が信用ならないなど、自滅行為だ。厳しさの根底に温かさがなければ民はついてこない。あなたとなら、と信じている」

母親をこよなく愛している父親も似たようなことを言っていた。あの小さなオアシスに縋りつく小国が、小国をとどめていられる理由は、そこにあったのだろうか。

 思い出して目が潤む。頬を優しい手が撫でていく。

「今日からここがあなたの部屋だ。後宮のあなたのものはここに運ばせよう」

僅かに動かせる頭でかすかに頷くと、それを同意ととらえた王が幸せそうに微笑んだ。

 少し私に覆いかぶさるように、いつかと同じ熱をその瞳に浮かべながら私の唇を奪った。空気を失い混乱する私に勝ち誇ったような笑みを浮かべる。離された唇から吐息が漏れた。

「約束通り続きは初夜に」


 そのセリフは小説の一番最後に王が妃に贈るものだ。私は高揚と安堵の間に涙をこぼした。もうやっと自由になるのだ。この人と手を取り合って生きていける。

「砂漠の王よ、お慕い申し上げておりますわ」

「サーイドだ。あなたにはそう呼ばれたい」

この優しい温もりの人に織りかけのタペストリーを渡せる日は遠くない。


>>すみません。とっても遅くなりました…。

私はリーディア。乙女ゲームの中に転生した前世2X歳絶賛婚活中のOL。ヒロインに婚約者である王子を奪われ嫉妬→いじめ→断罪→婚約破棄&人生終了のお知らせ。あがいてもある程度はストーリー通りになってしまうこの人生。でも冤罪なんか認めない。大人しく追放なんてされてやらない。将来的には幸せになってやる。

……と思って気合入れてたのに、展開がおかしい。ヒロインは聖女なのに(主に性の)素行が悪すぎて最後のピースがはまらない?こんな展開ゲームにないわよ。

キーワード:R15 西洋風 乙女ゲーム 婚約破棄 恋愛は薄め ※割と口語体が多めです。

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