表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

03幕 愛は育てるものなので*

「あんた明日婚約破棄されるけど受ける?受けない?どうする?」

突如現れた不思議な光が、婚約破棄だ乙女ゲームだ愛人だと信じたくない運命を告げて返事を迫る。私、ヴェロニカの答えは――


キーワード:R15 西洋風 乙女ゲーム 婚約破棄

「あんた明日婚約破棄されるけど受ける? 受けない? どうする?」


 それは突然やってきた。

静かな午後の昼下がり、テラスでのんびりとお茶を楽しんでいたその時。

ふわりと宙に浮いた光のかけらに話しかけられた。

「……え? 何……? 誰かいるの……?」

「ここ、ここ。キラキラしてるこれ」

声がする光をじっと見つめても何も見えない。白昼夢かと思い頬をつねるが痛いだけ。

「ベタなことはいいから、早く決めてよ。婚約破棄、受ける? 受けない?」

ベタってなにかしら、と思うがそれより婚約破棄とは何事かと思考が急回転する。

「明日? 婚約を破棄される? どうして?」

婚約者との仲は悪くないと思う。彼が学校に上がってから会えていないが至って普通。そう普通。

「落ち着いてね。あいつは学校で好きな女が出来たの。だから別れるって」

ショックで言葉を失った。どういうこと?

「……そんなの、信じられない……」

婚約は家と家の約束。簡単には反故に出来ない。おまけに目の前の変な光にそんなこと言われても現実味はゼロだ。夢じゃないの。

「一応聞いてるけど抵抗するとあなた最悪死んじゃうから、大人しく受けた方が良いよ」

ぎょっとして光を見ると、光は事情を話し始めた。




 ここは恋愛小説のようなものの中だと言う。お話はヒロインと呼ばれる偉い? 少女が様々な男性と素敵な恋をして、真実の愛を見つけ幸せになると言うもので、私はそれに出てくる意地悪な令嬢らしい。確かに話の通りヴェロニカ・デインズで男爵令嬢だけど。光である彼女は、死ぬ前にこれを読んだ? 遊んだ? ことがあり結末を知っている。死んだ、と思ったら光としてこの世界にいたと。天国も地獄にも行ってないなら死んでないんじゃないかしら、と思ったけど不思議な光の言うことの辻褄が合わなくても気にしてはならない気がする。


「私はヒロインの恋を助ける案内役の妖精なの」

「ヒロインの……それならどうしてここにいるの? 私を助けるの?」

実は、と妖精はため息交じりに……ではなく怒号と共に愚痴をこぼす。

「さっきまでは手伝ってたんだけど、あの子勝手すぎ! きちんと手順とかこの国の決まりとかあるのに、主人公だからって調子に乗って! ゲームのルールも国のルールもじゃんじゃん破ってその後始末押し付けてくるから大喧嘩して置いてきたわ! 節度を弁えろっつーの! どうなるかしるもんか! ざまぁみろ!」

凄い剣幕に驚くけど、その妙な言葉遣いに確かに普通じゃないものを感じる。

 叫んで冷静になったのか妖精はこっちを見た(気がする)。

「それで、あなたの婚約がダメになるのも私のせいだから、せめて死なないでほしいと思って……罪滅ぼし出来たらと思ったの……ごめんなさい……」

謝る光を見て考える。嘘を言っているようには思えない。どうしよう。婚約者のことは別に好きだった訳ではないから悲しくはない。けど死ぬのは嫌だ。

 元々単純で負けず嫌いな性格なので答えは割とすぐ決まった。

「わかったわ! 婚約破棄、受けましょう!」

光はぱぁっと明るくなった。

「なら善は急げ! やることがたくさんあるのよ! いざ鎌倉!」

妖精は不思議な呪文を知っているのね。質問するのが追いつかないわ。



「何をするの?」

明日の婚約破棄に備えると言っても、家同士の決定だし、今動いたら危ないのは自分なのでは?

「父親に手紙を書くの。明日中に絶対に婚約破棄を出来るようにね」

この国では婚約は然るべき機関に届け出る必要がある。当日処理とは忙しい。

「急なのね……そもそも私、何も悪くないのに破棄なの?」

「そうよ。あなたって別にバートに興味なくて冷たいじゃない? ヒロインはそれに対してバートが可哀相だって、私ならそんな思いさせないのにって言って彼を落としてる」

言われてみれば確かに冷たい……いや、普通なつもり。だけど悪いことしたのかも。でも破棄だなんて。

「明日、あいつらがやってきて婚約破棄を告げて行くわ。でも彼の父親はカンカン。そりゃそうだよ、あなたの家からの援助がなくなるんだもん」

そう、裕福な男爵家の我が家は彼の伯爵家に私の持参金として援助をしている。

「で、明後日には破棄を取り消すから結婚するようにこっちに言ってくる」

随分勝手だ。だがそのヒロインは納得するのかしら?

「ここがキモなんだけど、あなたのポジションは愛人。ヒロインは子爵家だから貴方が正妻な訳がない。お金目的で結婚するわけ」

「なんですって!」

屈辱に顔が真っ赤になる。許せるわけがない。

「更にここがヒロインのミソなんだけど、彼と結婚する気はほぼない」

――どういうこと? 人の婚約をダメにしておいて結婚しないの?

「彼女はもっとお金持ちの男性とも関わりがあって、全員から貢がせて楽しんでいるから。彼は保険」

開いた口がふさがらない。なんてことなの。それじゃ――

「それじゃ彼、捨てられる可能性があるんじゃない?」

一応数年来の婚約者だ。遊ばれて捨てられるのは可哀相な気がする。

「案外優しいのね。あなたすごく意地が悪い面しか出てこないから意外。けど、あなたを愛人にするような男だよ、本質は。それにあなたたち結婚するまでは肌を合わせちゃいけないって言われてるでしょ?」

キスですら結婚式の日が決まった2人しかしない風習だ。もってのほかである。

「あの女、それを利用して色々やらかしてるの。年頃の男の子の純情も衝動も、あいつにとってはおもちゃ。だから見限った」

今度こそ本当に信じられない。言葉を失った。破廉恥にも程がある。流される方も流される方だ。


 紙とペンを用意し、指示通りに書き連ねていく。内容は彼らのデート記録。

「私が指示してたんだもん。覚えてる。証人はお店の人。請求書も残ってる」

婚約者がポンポンと買い与えている贈り物。お金の出処は、まぁ、察した。


 これを明日、父親に涙ながらに渡しこれで泣き寝入りなど男爵家の名折れだと、絶対今日中に処理してほしいと訴えろという。

「さて、それじゃ次。あなたは明日中に仕方なく婚約しないといけない」

「えっ? そんなの無理よ!」

破棄されたその日に婚約など、まず無理だ。

「でもしなきゃ。だけどあなたが好きな人じゃダメ、あなたの浮気を疑われるのはまずいから。あくまでも向こうがあなた必要としてる……お金とかそういう条件で、あなたが空くのを待ってる人がいればいいんだけど」

好きな人はいないが、そんな都合良い人もいない。泣きそうになる。

「明日じゃなきゃだめなのね……」

「そうよ、じゃないとあなた愛人か死ぬかだもの」

「死ぬって言ってたけど、どういうこと?」

「それは最悪のケース。相手はあなたより身分が上だから、あなたが破棄に応じなかったり、愛人になって酷い意地悪すると不敬と取られて処刑されるの。刃傷沙汰……家庭内とはいえナイフ振り回す事もあるから死刑も不思議じゃないの。今のあの子なら何もしないあなたでも冤罪で死罪にするかもね」

あんまりだ。

「素直に破棄を受け入れると、変な噂が立った上、金の為に次の婚約を彼女に邪魔されるからしばらく婚約できないわ。結局愛人一直線ね」

どうしてそう目を覆いたくなるような選択肢しかないの。絶対にご免よ。

 頭を悩ませていると妖精が暗くなりながら謝ってくる。

「実はこれ以上あなたの情報がないんだ……役に立てなくてごめんなさい……」

「いいえ、充分よ」

「せめてあなたに片思いしてる人でもわかれば良かったんだけど……」

その言葉に記憶が弾け飛ぶ。満面の笑みで妖精に応える。

「いるわ! 私を好きって言ってくれる人が! たった1人!」



 殆どノックもせずに扉を開けたその先に彼はいる。

「ウィル! 遊びに来たわ!」

「やぁ、ロニー」

花のような笑顔で迎える男性、ウィリアム・オルドロス。幼馴染の伯爵令息だ。私の婚約が決まった時、号泣しながら私が好きで私と結婚したかったと叫んだ話は領内では有名である。振られたら取引に支障が出ると子ども心に心配で言えなかったらしい。子ども同士だから言えたと今なら思う。それ以来も幼馴染で領地同士が絹関係の取引相手なので繋がりは大事にしており、仕事の都合で月に一度は顔を合わせる関係。ある意味残酷。

「今日も可愛いね。お茶の用意をさせるから、テラスへ行こう」

私だけが遊びに来た時は不貞を疑われないように必ず人目につくところに案内してくれる。さらっと褒め言葉を交える事も忘れない、出来た男性だ。

「おや、ぬいぐるみなんか持ってどうしたの? お友達かい?」

私が手に持っているのはうさぎのぬいぐるみ。これに妖精を宿らせた。ウィルが『攻略対象』……つまりヒロインと恋をする人物かを確かめたいというからだ。変な光をふわふわさせていたら不自然過ぎる。

「ありがとう。この子に似合うリボンがあればと思って来たの」

 ウィルの領地は織物が盛んだ。うちの領地の絹を使って色々作ってくれる。次期当主としてウィルは仕事にも携わっていて、仕入れから出荷までの間の染色と機織りのことも全て管理している。当然品物にも詳しいしセンスもある。

「それじゃあ素敵な色を見繕って持って行くから、先にテラスへ」

にっこり笑ってテラスの扉を開けてくれる。やはりスマートだわ。


 ウィルを待つ間にこっそりぬいぐるみに話しかける。

「どう? ウィルは」

「ちょっと思い出せないけど、ヒロインにころっといくキャラじゃなさそうね」

もう少し話してくれる? わかったら報告するわ、と妖精は黙った。

 それからウィルの持ってきてくれた素敵なリボンをうさぎに飾り、時折仕事の話を混ぜつつ呑気な午後を過ごす。そこでちらっと婚約の話を振ってみた。

「まぁいけない。こんな時間。ウィル、お仕事中だったのでしょう」

「大丈夫だよ。丁度一段落して染色の事を考えていたから」

「ウィルは1人で何でもできるからすごいわ。おじ様も安心ね」

そういうと謙遜の笑みと共にウィルは少し寂しそうに言った。

「家の問題があるから安心はしてないよ。努力はしてみるけどね」

家の問題、とはウィルの結婚と跡継ぎのことだ。こういう言い方をする時は必ずそうだった。つまりまだ婚約が決まってないのね。

「……もし……色の事で悩んだりしたら、何でも相談して頂戴ね」

ここでフライングをしたらまずい、と何とか言葉を抑える。

「ありがとう、ロニーは頼もしいよ。ロニーも何かあったら何でも相談してね」

優しいこの人を利用していいの? 少し心は痛むけど、でもこの人しかいない。




「ヴェロニカ、婚約を解消してほしい」

妖精の予言通り、バート・デンブルグ伯爵令息はシャーリー・テイル子爵令嬢を伴って、私、ヴェロニカ・デインズに婚約解消を申し込みに来た。違うのは解消ってところ。妖精を信じてよかった。私は打ち合わせ通りに話を進める。

「まぁ、どうしてですの? そちらの方は?」

ちらりと視線を移す様はいかにも性格の悪そうな感じに。

「こちらはシャーリー。学友なんだが……彼女のおかげで僕は真実の愛を見つけたんだ。愛のある家庭の為にも彼女と結婚したいと考えている」

なるほど確かに愛らしい容姿ね。バートってば腕に胸押し付けられて嬉しそう。見ていられないわ。

「……そうですか。婚約は破棄ですわね? 浮気なさったバート様の有責ですわ」

ちょっと慌てたバートが破棄は困るというがこちらも譲らない。

「私の今後に傷が1つつきますの。捨てられた令嬢となると家が困ります」

ぴしゃりと言うとバートは顔を曇らせた。が、隣のシャーリーが何事か呟くと顔を曇らせたまま頷いた。彼女も情報を持っているのだ、当然だろう。

「では、これにサインを」

と昨日用意したバート有責での婚約破棄を認め異論を認めない、という書類にサインをさせる。用意の良さに一瞬怪訝な顔をされたが、こういうものは仕事の契約書のようなもので万一の時の為にあるものですよ、と言うと納得した。嘘です。ついでに少し悔しそうに唇を噛んで目を潤ませておいた。完全に嘘です。

 上手くいったと帰っていく2人を見送って猛烈な速さで行動を開始する。まずは父親だ。


 嘘泣きは出来なかったので、怒ったような顔で父の執務室の扉を叩く。父親は厳格故に不愛想だが、決して愛がないわけではない。

 仕事の邪魔をするなという返事を無視して開けた。不機嫌な父より不機嫌な顔をして私は机に書類を出した。途端に父親の顔が変わる。

「今、お見えになって。解消したいというので破棄にしました」

「お前、これは家と家の……」

「わかっています。ですが、以前からバート様は浮気をなさっていました。お相手の子爵令嬢と結婚なさると言うのを無理に説き伏せても私は良くて愛人でしょう? 嫌です」

デートの記録をなぞる目の上の眉はこのうえなく不機嫌そうだ。

 暫くの後、ニイッと笑った。

「よくやった。ニカ。ここまでコケにされて黙って解消したら我が家の名折れ。よもや我が家の金を浮気相手に使っていたなど、許し難い。今日中に処理しよう」

父も負けず嫌いなのだ。これで計画はほぼ完璧。

「お父様、もう1つお願いがあります。もし私に求婚して下さる方がいらしたら、婚約を認めてその書類も一緒に出していただきたいの」

「お前に? 今日? 今か?」

驚くのも無理はない。昨日までの自分も同じ考えだった。

「ええ。お父様も納得して下さる方よ。途中ですからご一緒に宜しいでしょうか?」




 昨日と同様にウィルの部屋の扉を開ける。今日も優しい笑顔で迎えてくれる。

「ロニー、珍しいね2日連続だなんて、嬉しいよ。テラスでお茶を……」

「いいえ、ウィル。聞いてほしい話があるの」


 浮気で婚約解消を申し込まれたこと、お金を浮気相手につぎ込まれたことを話すとウィルは静かに怒った。浮気は勿論、領民が汗水流して働き、領主の娘の為に使われる筈だっためでたいお金の使い込みには珍しく嫌悪感をあらわにした。


 そして急にぱっと明るくなって私の手を取る。

「ロニー、僕と結婚しよう」

ありがたい限りの想像通りが早すぎて、思わずぽかんとしてしまう。

「前にも伝えたけど僕は君と結婚したかった。あの男が君を粗末に扱った以上、遠慮はしない。君は我が家の取引先としても重要だ。愛がなくても喉から手が出るほど欲しい人材なんだよ。君がもし、条件だけで婚約してもいいと言ってくれるなら受けてほしい。何より僕は君を愛している」

 興奮して早口になっているウィルの目は泣いていた時と同じで真剣だ。

 彼を利用すると思うと気が引けたが、私は私なりに幼馴染のこの男のことを好きではある。本当にいいの? と聞くと彼は私の手にキスをして勿論と美しく笑った。こんなきっかけでなければ見惚れてしまいそう。



 応接室で話している父親たちの元へ2人で向かう。ウィルの希望で手をつないでいる。思えばバートとの婚約が決まる前はよくこうした。懐かしい手は一回り大きくなっていた。

 あっと言う間に書類が出来る。オルドロス伯爵も話は早い。幼い頃から面倒を見てきた可愛いヴェロニカの名誉を守り、嫁にもらえるなら誉だと喜んでくれた。父親も愛想はないが優秀なウィルが夫になるとわかると、珍しく表情を和らげ、快諾と感謝の意を示した。気の毒な婚約破棄を聞いて長年片思いをしていた幼馴染が婚約を成立させる。このお互いの名誉ある構図の為に強面の父親たちは意気揚々と連れ立って出かけて行った。


 夕暮れのテラスでお茶をして親の帰りを待ちながら幼い頃の話をたくさんした。次第に気が付く。やはりウィルの側は居心地がいい。さっきまでの緊張が嘘の様だ。幼馴染だから当然なのだろうが、ウィルとなら幸せになれるだろう、となんとなく感じる。

「嬉しいなぁ。ロニーが奥さんになってくれるなんて」

うっとりした顔のウィルが何度もそういうので思わず笑ってしまった。

「本気だよ! 領民にも泣いた時のこと、まだ気の毒そうに笑われてるんだから」

容易に想像がつく。令嬢らしくなく笑うとウィルも恥ずかしそうに笑う。

「情けないところばかり見せているけど、ロニーを幸せにすることを約束するよ」

初めて言われた嬉しい言葉にどきりとしながら幼馴染の手を取り笑顔を返した。


 この日の妖精は彼らの動きを見る、と別行動で出ており帰りは夜中だった。首尾を聞かれ、勿論と答える。

 受付の人は異例の持ち込みに相当驚いたらしいが、強面のおじさん――私たちの父上だけど――が揃って窓口で早く処理しろと騒ぐのですぐに許可を取りに行き、リボンがお好きな王妃の「絹業界を盤石にする」という絶賛により、この例のない婚約はこれまた例にない早さで成立したのである。

「あっちは予想通り。父親がカンカン。明日来るけどどうやって追い返す?」

「お父様かウィルに助けてもらおうと思うのだけどどうかしら」

妖精はふわふわと浮かびながら、お父様の方が良いんじゃない? という。

「まだウィリアムが何者か思い出せなくて……」

 ウィリアムは関係ないんじゃないかしら、というと自信なさげに応える。あれだけの美男子だから可能性はある、と。美男子。確かにね。泣かなければ。



 翌日、バートはやってきた。ふてくされたような気まずい顔で、昨日は感情的になったとお詫びから始まる。が、本題に入る前に控えていた父親がそれを遮る。

「済まないがそれ以上の謝罪は受け入れられない。昨日のうちに婚約破棄の書類は受理された。元々の婚約の取り決めの通りにしたまで。デンブルグ伯爵にはこちらを」

バートは絶句して父の差し出す封筒を受け取ると、力なく礼をした。

「真に残念だが……お父上に宜しくお伝えいただきたい」


 重い足取りの彼を玄関まで見送ると、ぼそりと本音を呟く。

「俺はこれで構わない。だけど数年は婚約者だっただろう。お前にも少しは気持ちがある。今後お前は愛のない結婚をするのか?」

何を、とちょっとびっくりする。まだ愛人という話を知らないのかもしれない。

「バート様、あなたと結婚してもそれは同じでしょう。同情と愛は別物。貴族であれば多少の愛のない結婚は仕方ありません。愛は育てるものなのです」

バートとの婚約が決まった時、そう思った。それに。

「いくら始めがゼロと言っても、他の方を愛している人に嫁ぐのは辛いです」

そう言って別れの礼をすると馬車はゆっくりと遠ざかって行った。自分の言葉が胸に刺さる。自業自得は私もだ。




 さらにその翌日、デンブルグ伯爵本人が屋敷を訪れた。昨日バートに渡した封筒は私の持参金の返却要求だったらしい。真っ青な顔でどうにか再婚約できないかという。備えていた父親は丁寧に断る。

 爵位から考えれば立場は逆。だが貴族間でもお金の問題だけは非常にシビア。特にこのお金の問題は完全に伯爵家の落ち度だ。私が嫁ぐ時に不自由ないように渡していたお金、それと別に持参金を持って私は嫁入りする予定だった。だが、不履行であれば返却が常識。しかも伯爵家有責の破棄。返さない理由はどこにもない。そのお金を全く別の事に使い、且つ家を建て直せていないのも伯爵の立場を悪くさせた。

 最終的に求められて既に別の婚約が成立しているから諦めてくれと言う羽目になった。相手が同じ伯爵家で自分より条件の良いオルドロス家だと知るとすごすご引き下がった。なんだか妙に気の毒に思える。



 それから数日間は言い様によっては平和だった。

 私は学校に通う歳ではないから噂だけで済んでいるが、養蚕と織物で有名なデインズ家とオルドロス家は街で有名。バートとの婚約破棄、そしてウィルとの電撃婚約が街の話題をさらった。輪郭だけなぞれば怪しい話だが、ウィルの長年の片思いが実った謎の美談として語られているので大変に助かる。隣り合うお互いの領地はお祭り騒ぎという。あの若様が! ついにあの子と! と涙するオルドロス領民もいたらしい。うちの領地からも生温かい気配を感じる。

 まぁ私たちの関係は相変わらず――と言いたいがそうではない。正式に婚約者となったウィルは遠慮がない。数年来の願望が溢れている気がする。

 暇さえあれば手を取って好意を伝えてくれる。幼い頃からよく見てくれていた彼の気遣いは行き届きすぎている。嬉しい。だけどバートと違って距離も近いし、改まるとすっかり男性になったウィルとのこの関係が恥ずかしい。今もにこにこと私の髪にリボンを編み込んだりと幸せそうだ。不慣れでドキドキするばかりで私の心は平和じゃなかった。

 妖精は「ルートが変わったからどう出るか見てくる」とヒロイン、シャーリーの様子を見に行ったりしていた。


 そしてその日、赤い光で戻ってきた彼女は大興奮で告げた。

「思い出したの! ウィリアム! 隠しキャラだ!」

隠しなに? と聞くと、妖精はぴょんぴょん跳ねながら口早に話す。

「ウィリアムもヒロインの恋人候補! でも全然落とせないの! そもそも話もしてくれなくて、話せるようになっても気難しくてまったく心を開いてくれないの!」

気難しいって、ウィルが? 有り得ないわ。怪訝な顔をすると妖精は更に赤くなる。

「本当だって! 他のキャラに比べるとバートと同じ伯爵で爵位は高くないけど、とにかく一番甘やかしてくれるの! そりゃもうドロドロに」

それはわかる気がする。とにかく甘い。

「落ちない理由はあなたか。大事な幼馴染の婚約者を奪って不幸にする女なんて、好きになれなくて当然だよ……」

なるほど、確かに。ウィルのバートへの嫌そうな顔を思い出す。彼女にはもっと嫌な顔するでしょうね。

 急に背中が寒くなった。

「でも今回私は不幸にはなってないわ。……ウィル、もしかしてしまう?」

「……わからない。ないと思うけど……」

自分だってウィルを利用した身だ。取るなとは言えないが、妙に寂しい。

「……勝手だけどウィルが彼女に恋をするのは嫌だわ……」

妖精は何も言わず、考え事をするようにふわふわと漂っていた。



 不安もあり私はウィルをよく訪ねるようになった。なんてわがままで勝手かと思うが絶対に嫌だと思ったのだ。恋心を自覚した私は強かった。ウィルはいつも喜んで迎えてくれた。仕事の邪魔にならないように過ごしたり、仕事の話をしたりと、私たちの時間はいつも緩やかで穏やか。充分な幸せがここにあると感じられる。

 妖精は他にも仕事があると言って飛び回り、必要に応じて私の所へ現れた。元々私はヒロインではないからサポートする必要はないし、私はウィルを守れればいいから充分だった。


 それからまたしばらくは平和な日が続いた。ただ、恋心を自覚した私の反応が面白かったのか、ウィルが私に触れる機会が増えた。たまに抱きしめては照れる私の反応を楽しんでいるようだった。


 このまま、シャーリーなんか関わらずに終わればいいと思った頃、影はやってきた。ある日、ウィルが学校で彼女に話しかけられたというのだ。

 彼女の名前が彼の口から出た時、不安が胸を占めて思わず涙がこぼれた。

「ウィルはその人、好き?」

驚いたウィルの顔が涙で歪む。一度泣いたらもう戻れない。ウィルはただ話しただけだと言っているが、泣いてしまうと胸のモヤモヤがどうにも我慢できない。思い出せるシャーリーの顔は、私なんかが敵わないくらい可愛かった。

 わっと泣き出す私をウィルがそっと抱きしめる。

「嫌よ、ウィル。その人を好きにならないで」

抱きしめてくれる胸元が涙で濡れていく。

「勝手だってわかってるわ。私だけ家の都合で婚約して、ウィルが泣いてくれた時もどうにもできなくて」

「そんなの子どもだから当然だよ」

「自分が不遇に見舞われたからって都合よくウィルを頼って」

「僕は嬉しかったよ」

「ウィルの気持ちを利用してるだけだって」

「いいよ」

ウィルは優しく言葉を掛けてくれる。

「いいよ、ロニー。僕はロニーが大好きだから、きっかけがなんでも婚約できて嬉しい。僕を必要としてくれるならそれでいい」

「……なんでそんなに優しいの。私嫌われるのが怖くてずっと言えなかったの」

「好きな子に優しくするのに理由なんてないよ」

あやすようにぽんぽんと背中を叩きながらウィルは続ける。

「僕を頼ってくれて良かった。ロニーの中に僕が居て、婚約なんて大事な事を、その瞬間に僕でいいと思ってくれたなら本望だよ。だから泣かないで」

「……ごめんなさい、ウィル……ありがとう……」

そう言ってウィルの頬にキスをする。

「誰にもウィルを取られたくないわ。だってあなたのこと大好きなの」

ぎゅっと抱きしめ返した途端、今度はウィルが感極まって泣き出して、2人で笑い合った。


 ウィルの話によると、最近たまにシャーリーに話しかけられるらしい。婚約者がいる男に近づく彼女の事を警戒する男子生徒も多く、ウィルはそちら側なのに平気で声をかけてくるという。そもそも君の事で良く思ってないのにね、と苦笑いだ。

「誤解だとかなんとか言っていたよ」

「誤解?」

「人の婚約を壊す気はなかったとか……ごめん、聞く気がなくて覚えていない」

私を抱きしめながらソファに寝そべったウィルの指が髪を梳いていく。

 見せつけるように婚約解消の場に現れておいて、誤解も何もないわ。口をきゅっと結ぶとウィルは優しく頭を撫でてくれる。美しい瞳に甘い光が宿っている。

「安心して。僕はロニーだけ」

腰に回された手が腰骨をつうと撫でる。頭を撫でる手がするりと首に回って――慌てて上半身を起こしてウィルをお茶に誘う。危ない危ない。ウィルが浮かれているのがわかる。そうよね、私初めて好きって口に出したもの。恥ずかしいわ。

 ふと、胸を押し付けられていたバートの事を思い出す。愛情のない女に自分の感情を操られている気の毒な人。あの時は破廉恥だと腹が立ったが憎むべきはあの女だ。同時に思う。あの女がウィルに同じことをしたら――

 背筋が凍りついた。



 家に帰ると妖精が学校での事を報告してくれた。どうやらシャーリーはプレゼントができなくなったバートを見捨て、他の男性で遊んでいるらしい。

「私が前に話した情報を駆使しながらやってるみたい。ウィルも狙われ出したわ。ハーレム……全員からちやほやされるエンドを諦めた分謳歌するつもりね」

なんと図々しい。気の毒だが全員を守るのは自分には出来ない。まず大事なのはウィルだ。

「私、ウィルを好きなの。彼女に取られたくないわ。どうしたらいいの?」

妖精は私の感情に驚いた。作中では私はウィルを好きにならないらしい。幼馴染への叶わない恋心がウィルのポイントだとか。

「あなたが手に入ったなら彼は浮気するとは思えないけど……前にも話したけど彼はすごく気難しくて冷たい。女嫌いって噂があるほど。だけど本当は違う」

嫌な予感がした。

「好きな人には触れたいの。あ、安心してね、無理にする人じゃないから」

思い出すのは今日のこと。

「好きだったあなたがすごく厳しいタイプだったのもあるんだろうけど、本当はこうしたいっていうのを我慢してた反動かな……素直で積極的なヒロインがバートの件であなたにいじめられていたってわかって和解してほだされちゃうのよ」

つまり。

「あなたは彼女をいじめてないし、素直に気持ちを伝えてるなら他の女に見向きもしないはず。心配なら可愛く『他の女の子なんて見ないでっ』とか言っておけばイチコロだと思う」

それ今日やったわ……と頭を抱えると妖精は弾けるように笑い転げた。爆笑っていうんですって。



 シャーリーはめげずにウィルに話しかけてくるらしい。勿論相手にしていない。バートの件で計画が狂ったからか、私の事も恨んでいるらしい。困る。

 私たちはいつも通りだ。上機嫌になるウィルが可愛くて、望まれればすぐに抱っこされた。たまに変な触り方をしてくる時はノーを突きつける。「破棄の件がなければすぐに式を挙げられたのに」とウィルは不満そうだ。残念ながら前の婚約から半年間はお祝い事は難しい。差し迫った不名誉な事情を除けば。




 納品先の商店にウィルと一緒にリボンを見に行った帰り道。彼女は現れた。

「バート様からウィリアム様に乗り換えるなんて! 恥ずかしくないの?」

驚きだ。あなたに言われたくないわ。

「乗り換えるだなんて……バート様が先に私を捨てて行かれましたのよ」

「それに僕が長年彼女に片思いしていた。それに応えてもらっただけだ」

予定通りの返答をするとシャーリーの顔が白くなる。噂を知らないのかしら。

 それよりもこのウィルの言葉の冷たいこと。初めて聞く声音。

「……あなたのせいで、ウィリアム様は難しいのね……」

ここで初めて彼女も妖精と同じ結論にたどり着いたらしい。

「ウィリアム様、目を覚まして下さい! 愛のない結婚など虚しいだけ!」

長々と真実の愛について話し始めた彼女だが、既にウィルも私も、彼女が多数の男性と褒められた関係ではないことを知っている。彼女の言葉が耳を通り抜けていく。

 やっと演説が終わり満足気な彼女に、ウィリアムは微動だにせず返答した。

「心配は無用です。私は彼女だけを愛しています。もし彼女に愛がないなら愛してもらえるように努力するまでです。愛は育てるものなので」


 思わずウィルの顔を見てしまった。

 私がバートとの結婚でどうにかするしかないと思いついた言葉を、ウィリアムはもっと違う素敵な解釈で口にした。同じ言葉がこんなに違う意味をもつなんて。


 ウィルの手をぎゅっと握る。感動で涙が出そう。

「ウィル。ありがとう。私もあなたを愛しているわ。一緒に育てましょうね」

あっ。こっちを見るウィルの目がまずいわ。初めてこの人の外面をみたけど、これが今ここではがれたら、いつぞやの号泣事件みたいな目に合うんじゃないかしら。私を甘やかし始める前に、この人の名誉のためにも早く帰らないと!

「シャーリー様、恐れ入りますが急ぎの用がございますので失礼致します」

礼をしてウィルの手を引いて歩き出す。

 と、シャーリーがまさかの作戦に出た。すれ違いざまにもう片方のウィルの手を掴んだのだ。振り切るように、だけど優しくふぁっと手を払ったウィルの目には侮蔑の色が浮かんでいた。

「……女性から男性の手を取ることもですが、弁えずに婚約者のいる男性に、よりによってそういう擦れた触り方をする未婚の女性とは褒められたものではないですね」

 払われると思わなかったのか、一瞬の間の後シャーリーが叫ぶ。

「途中まで上手くいってたのに! あいつがいなくなってから……!」

喚き散らすシャーリーを眉をひそめて一瞥したウィルは私の肩を抱いてさっさと歩き出す。後ろからはまだ彼女の声が響いていた。




 何故かウィルの家に連れられ、テラスに案内される。おじ様と話してくるというので1人でお茶をいただいていると、妖精が近づいてきた。

「やだ、あなたたち本当に仲良しじゃん!」

なんだか知らないが楽しそうだ。

「今日、見てたよ。シャーリー見張ってたから。けどあの子相手にやらかしちゃまずいよ。やらかしたのは彼だけど、あの子はあなたのせいにするの得意だから。案の定、あの後めそめそ泣きだして『あなたが悪い、私は悪くない』って」

思わず椅子を倒して立ち上がってしまった。

「けど、安心して。後始末しておいたから。ちょっとその辺の人に憑りついて、バートとの件からヒソヒソしてやったの。あっという間に四面楚歌」

ケラケラと笑う妖精。しめなんとかはわからないけれど、随分思い切った行動に出てしまった事は反省する。

「ごめんなさい、ありがとう……」

「問題ないわ。シャーリーの後始末に比べたら全然。当然のことだもの」

 これからもこの問題が続くのかしら、と思うとため息が漏れた。それを察して妖精が明るく言う。

「それに明日になればシャーリーは終わりよ」

もう一度驚くと光の中の妖精が笑った気がした。


 今日の街の出来事をシャーリーと関係のある男子生徒の耳に入れたのだと言う。

「彼女、これまであの人には清廉潔白な乙女で全ては誤解だって言ってたの。当然、自分以外の男の手を自ら取ろうとするなんてって怒ってた。あちらさん公爵家だからね。加えて今日の事で励まされた、あなた同様、婚約者を奪われた女子生徒たちが決起して学校に風紀違反の抗議文を出すわ。シャーリーは退学待ったなし」

子爵家の令嬢が異性問題で退学など聞いた事がない。以前男爵家の令嬢が『差し迫った不名誉な事情』で退学になったのは聞いた事がある。領地に軟禁されていると聞く。

 妖精が小さく笑った気がした。

「ありがとう、助けてくれて。あなたのおかげで幸せになれたわ」

「いいえ、どういたしまして。あなたの縁談を1つだめにしたのは申し訳なく思うけど、罪滅ぼし出来て良かったって思いで胸が埋まるわ」

「えぇ、今の方が絶対幸せだもの」

それじゃ、と空に向かう妖精に、これからどうするのかと聞くと色々仕事があるらしい。シリーズ? があるとかなんとか……。

「そこでも誰かを幸せにするの?」

「勿論。頑張ってる誰かをね」

でもヒロインの味方なんでしょう、と聞くと彼女がにやりと笑った気がした。

「そうだよ。でもいくらヒロインでも節度も夢もないのはだめ。私、調子に乗りすぎる人って嫌いなの」

ふわりと離れていく光に「あなたも幸せになってね」と声を掛けると一際大きく輝いて雲間に消えて行った。



 翌日、妖精の言った通り、シャーリーは学校を退学になり、その足で終の棲家になる修道院に向かった。バートの元には贈り物が戻ったそうで支度金の返済に努めると謝罪が届いた。

 正直なところ、私も父も支度金は全額戻らなくてもいいと思っている。私は妖精に救ってもらえたが、彼はどうなるかわからない。一応元婚約者の彼が結婚できないのは気の毒だ。ある程度の誠意ある対応を見せてもらえれば充分。恩を売って、政略結婚の目的であった桑の葉も格安で流してほしいし。


 そして今、私は満面の笑みで帰宅した未来の夫に結婚式の日取りを相談されて慌てているところ。だって来年学校に入るのにその前に結婚だなんて。なんでも来年学校で、変な男に絡まれないか心配なんですって。貴族の通う学校でそんな事あるわけないじゃない! 

 と言いたいけど前例があるものね。でもあったって絶対大丈夫よ! 私はあなただけを愛しているから。その手にあるうさぎのぬいぐるみに着せてくれたみたいな、綺麗な花嫁衣装はあなたのためだけに着るの。



 泣かないでちょうだい。え? 救済措置のファンディスク? なぁにそれ。

>>次回は日本です。このループで進みます。


 毛利千代はある日、自分がもう一つ記憶を持っていることに気付く。ここは明治時代をモデルにした乙女ゲームの世界、そして自分はそのヒロインの恋敵の令嬢。結婚するはずだった人をヒロインに奪われ、体裁の為に女学校を退学に、家を勘当される運命。

 なら私は自分で選ぶわ。運命を変える事は出来なくても、私の幸せを探してはいけないとは思い出は言わないもの。

キーワード:R15 日本風 乙女ゲーム 婚約破棄

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ウィル、お前も転生者だったのか……。 面白かったです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ