一話 氷結の国
雪の降る12月24日、クリスマスイブ。白銀の髪と紅い瞳の少女が、近所の公園に一人佇んでいた。ただポツリと、まるでそこに居るのが当たり前の様に儚げに、空を眺めていた。
「……こんにちわ」
島崎 春樹は堪らず佇む少女に声を掛けた。ただ公園の前を通って見掛けただけだったけれど、何故かいても立ってもいられなかったのだ。
「………………」
少女からの応答はなかった。けれど、視線が此方にゆっくりと向けられるのがわかった。瞳の色はその醸し出す心情とは裏腹に赤く熱の色をしている。
「…ねぇ。貴方は人間が好き?」
「え?」
彼女からの唐突の質問に意図が分からず言葉を詰まらせる。何を思ってそんな質問を投げかけてきたのだろうと思考したが分かる訳がない。
「……分からない」
「そう。」
少女は再度、視線を夜空へと向けた。
「私は、人間が嫌いよ。目に見える物を軽々と信じて思い込んでそれを事実と勝手に受け止めてしまうから。」
確かに、人間の本質上有り得る事だ。人は見た目が9割という話も聞く。でもそれは至って僕には問題のそれではなく、目の前に立っている見ず知らずの少女は何故自分にそんな異様な質問をしてくるのか不思議に思ってしまった。
刹那、吹雪が勢い良く舞った。
「────うわっ!」
思わず激し過ぎる突風で自分は反射的に目を瞑ってしまった。
「………ッ…。」
暫くして肌に伝わる風が弱まったのを感知してから、恐る恐ると閉じていた瞼を縦に開く。僕は驚愕した、何故なら。
「……あれ?」
先程まで目の前に居た筈の銀髪赤眼の彼女の姿は、綺麗サッパリそこには無かった。一瞬にして姿が消えていたのだ。
周りを隈無く見渡すも、僕の居る空間には滑り台やシーソーと言った遊具しか無い。もしかして、今まで自分が話していた少女は人間ではなく幽霊だったのだろうか。今思えば銀髪に赤眼なんて普通じゃない。
「…………兎に角、家に帰ろう。」
微小のゾクッとした悪寒を懸命に払い除け、僕は覚束無い足取りで誰も居なくなった公園を後にした。
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「ただいまー。」
「あ、おかえり〜お兄ちゃん。」
場所は変わり、帰宅した自宅で出迎えてくれたのは妹の千秋だった。中は暖房が効いてあり冷えきった体は徐々に温まっていく。
妹が寛いでいるリビングのソファーを通り過ぎ、短い廊下を通り着いたのは自分の部屋だ。扉を開け、自分は上着のコートを適当な場所に放り投げるとそのまま重力に身を任せベッドに体を沈めた。
脳裏に蘇るあの銀髪赤眼の彼女は誰だったのだろう。考えた所で答えが出る訳じゃないけれど、とても謎に包まれていて気味が悪い。
────私は人間が嫌いよ
「…………………」
仰向け状態でただ呆然と天井を見ていた。人間が嫌い、と彼女は言っていた。多分だけれど────
「いや、もう深く考えずに忘れよう。」
僕は思考を停止させ、先程起こった不可解な現象は忘れる事に決めた。頭を一旦リセットさせ切り替える。
「さてと、晩飯作らないと。」
寝ていたベッドから立ち上がり、再度部屋の扉を開けた。そしてそのままキッチンルームへと赴く。
「あ、お兄ちゃん夕食まだー?」
冷蔵庫を開け夕食の材料を漁っていると背後のリビングから千秋の呑気な声が聞こえた。
振り向くと部活のジャージ姿でソファーに寝そべりながらテレビを観ている千秋が見える。私服にさっさと着替えてこいよ。
「あー… ちょっと待ってくれ。」
「今日なにー?カレー?」
「いや、肉じゃが」
「おー、やった。」
どうやら肉じゃがは千秋のお気に入りの品らしい。
肉じゃがは意外にも僕にとって想い入れのある料理でもある。人生で初めてちゃんと作ったのがこの肉じゃがだったからだ。同時に、自分の最も得意料理で自身のある料理でもある。
「出来たぞー、肉じゃが。」
「おっほー、出来ましたか!」
料理時間、僅か20分で肉じゃがは完成した。千秋は肉じゃがが出来ると兎の様にぴょんとソファーから上体を起こしキラキラと瞳を輝かせていた。
二人でテーブルに向かい合う様に座る。
「頂きまーす」
「はい、どうぞ。」
「ん…!やっぱりお兄ちゃんの肉じゃがは最高だよ!」
「フッ、当たり前だろ?」
自分も千秋に続き食べてみたが予想以上にこれが美味しい。勝手な憶測だけれど店を出せるのでは無いだろうかと思ってしまうぐらいだ。
「…………」
「……ん?どうした?」
千秋が此方の顔を見るなり訝しげな視線を送ってくる。なんだ、顔に何か付いてただろうか。
「いや、今日のお兄ちゃんちょっと元気ない?」
「え、そう見えるのか?」
「うん……パクッ。」
自分自身そんな自覚はなかったが、そう見えるのか。
「元気がないと言うか、少し疲れてるのかもな。」
苦笑いで微笑すると、千秋はふーんという顔で肉じゃがを食べ続けていた。千秋は普段、呑気なノロマだけれど心配性な所がある。故に勘が鋭いと言うか自分自身自覚はなかったけれど、今も僕に元気が無い事に気付いていた。
暫くするとお互い容器に入った肉じゃがと米を平らげ完食。
「ごっちそうさまー。大変おいしゅうございました」
「はいはい、お粗末さまでした。」
向かい合って座っていた千秋は座っていた場所から立ち退くと「お風呂に入ってくる。」と引き出しから取り出したであろう緑色のタオルを片手に洗面所の方向に歩いていった。
僕はテーブルの上に置いてある空の容器を両手に持ち、台所で洗う。
「……眠い」
指摘された事は強ち間違えではなく、本当に疲れがどっと来ている。僕は容器をスポンジで洗いながら閉じそうになっている瞼を懸命に開けた。
それから間もなく洗い物は無くなり、洗剤が着いた泡だらけの手を水で隈無く流すとタオルで綺麗に拭いた。
僕は覚束無い足取りで自分の部屋へと歩いていく。
「なんだ、この眠気は…。」
取り敢えずベッドに体を沈め自然と目を瞑っていた。こうして僕は耐えきれない睡魔に陥り、意識をそこで途切れさせた。
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………………………
……………
……
真っ暗な空間に、一人佇む少女が見える。
姿は冬だと言うのに季節外れの白いキャミソールで、膝までしかない黒のスカートを身に纏う銀髪赤眼の幼い少女。
僕はこの少女を知っている。先ほど会ったあの公園の少女だ。
「あ、あの────」
話しかけようとした直後だった。少女と僕の距離が段々遠のき、離れていく。
「ちょ、待ってくれ!!君は一体────」
僕は走った、少女に近付く為に。だけれど距離は一向に縮まらない、離れていくばかりだ。
何時しか少女の姿は見えなくなり、完全に姿を消した。
「ハァハァハァ………」
…………………………
…………
……
…
「────ハっ!?」
次に視界に入ってきたのは見覚えのある天井だ。というか、自分の部屋の天井だった。僕は自分がいつの間にか寝ていた事に気づく。
「……………夢オチ?」
その通り夢オチだった。僕にとって、相当さっき公園で見掛けた少女は、印象的だったという事だろう。確かに、銀髪の赤眼なんて、僕が生きてきた中で兎ぐらいしか見た事がない。
「………寒っ!」
ここは北極か南極だろうか。いや、自分の部屋だ、だけれど異常なまでに部屋が寒い。
付けていた暖房が消えたのか?
暖房の様子を見てみると、案の定電源が切れていた。それどころか
「……え、なんだよ、これ…氷が張って、いる?」
暖房の全体に氷が張り、電源が切れたと言うよりは壊れていた。
前代未聞の出来事だった。不意に周りを見てみると部屋全体が氷結に見舞われていた。
疾うに此処は僕の部屋ではなく、言ってしまうならばさっき例えで言った筈の北極と南極が現実となって存在している状況だ。吐く息は白く純白で気温の急激な低下を上手く表している。
自分の頭は周囲の状況の変化に順応する事が出来ず、その場に暫く硬直した。その硬直は寒さからではなく戦慄からだ、人は余りにも予想外な展開が起こるとまず初めに硬直してしまうらしい。
────そうだ、妹は?
自分は慌てて開いていたドアを飛び出し、妹の部屋へと向かった。尋常じゃない寒さで、今全裸でこの場にいたら死ぬんじゃないかと思える程笑えない気温だけれど、自分が生きていたのならば妹も生きている筈だ。
この時の僕はそう、楽観視していた。けれど僕に突きつけられた現実は残酷で、そんな甘くはなかった。
妹の部屋に向かう廊下で、妹が廊下の脇に横たわっていた。
「あ、お、おい!大丈夫か!千き………」
氷が張っている妹の体は真っ青で、傍から見たら冷凍保存されている人間だった。ゆっくりと妹の側にしゃがみ、首元を指で脈があるか確かめた。
「……う、嘘だろ……お前…」
期待を裏切った結果が待ち受けていた。この感覚は、小五の時に飼っていた犬が車に跳ねられて死んだ時に触った感覚と似ていて、この世のあらゆる物よりも冷たく悲しい感触だ。
妹は死んでいた。
「アァァァァァァァァア!?!?!?!?!?」
僕は只只発狂する事しか出来ず、妹の死を受け入れられなかった。これは全て夢だと、現実では無いと割り切ってしまえば少しは楽になったと思う。だけれどそんな余裕は無く、底なし沼にハマったのと同じで、あるのは絶望の一つだけ。それに見事に飲み込まれて、光が完全に閉ざされた。
なんでこうなった?
考えて分かる事ではない、答えは出ないだろう。僕が今出来る事は、目の前で死んでいる妹の前で悲観に溺れる事だけだ。
それから暫く、自分は妹の目の前で大粒の涙を流し号泣した。
この世に神が居るならば、神を一生憎み続けようと誓いながら




