9.いっぽうそのころ不染井は……
不染井桜の行動記録
2332年 11月7日 午後2時49分
不染井は手首で得物を――ガンブレードを、くるくると回す。
バトントワリングでいうところの『フィッシュテール』に似ているし、不染井自身もそう呼称しているが、彼女の手首や、あるいは手の中で、刃が勝手にプロペラのように回っているようにも見える。
実際、彼女にも、どうやって回しているか分からなくて、けれど、自らの意思で『制御』しているという実感――楽しさはあった。
傍目から――いや、不染井本人から見ても、ガンブレードの鋭い刃の部分を手首で回していることになるはずなのだが、痛みなどはなくて、感触としては、空気みたいに柔らかな何かがまとわりついているような感じだった。
本来、刀身だけでも1メートル以上はあるこの剣は、回転させているときだけ最小50センチまで縮めることが許されていて、今のところ直径77センチで描く円が気に入っていた。
刃は不染井から見て、時計回りに回しているのだが、他者から見ると、どちらに回転しているか分からない。
それもそのはずで、不染井は『フェイク』スキルを使い、ホンモノそっくりのブレードをつくり、同じ軌道、同じ速度で、反時計回りに回しているのだ。
『フェイク』は、前述のとおり、ホンモノそっくりの外観と感触、わずかな質量こそあるものの、他のすべての要素がなかった。
二本の刃は、不染井の思いどおりに踊ってくれた。
光の反射の加減だろう、時折、回転面に水銀のような膜が浮かぶのも美しい。
さて、手遊びをやめ、剣の柄を握り直す折りには、不自然にならないタイミングでフェイクを消す。
その際、残像のせいか、サイズが元どおりになるせいか、硬いはずのブレードがムチのようにしなって見えるのも不染井は気に入っていた。
彼女のデザインしたガンブレードでは、どれだけ生成ポイントをつぎ込んでも、『刃を透明にする』という芸当は叶わないようだから、『せめてこのフェイクで遊びたい』と彼女は考えていた。
このようにバトル世界では、発想や実感することによって、容易に『ルール変更』が成され、遊びの幅が広がる。
なので、いろいろ試してみたいのだが、あいにく今は会敵中。
現実世界だけではなく、ここバトル世界の『政府』から『賞金首』認定されている彼女の現在地は、数分置きに、政府公式掲示板を介して、他プレイヤーへと伝わるから、息つく間もなく、ひっきりなしに追跡チームと相対しているような現状だった。政府による『賞金首討伐イベント』が、【TEN】公認の『スペシャルイベント』に格上げになったため、そこでやりとりされる経験値や報酬などが高騰している――そういう事情も追跡者が絶えない要因となっていた。
(願ったり叶ったりだけどね~)
当然、討伐報酬は早い者勝ちである。
おかげで、このようなあからさまな『平地』でも相手には事欠かない。
不染井は名前しか知らなかったが、ここが、かの有名な魔術師育成学校――『ホウオウ学園』らしい。
サッカー場くらいの広さの、砂と土で構成された校庭に、彼女はいる。
ソロで動く不染井からすると、市街地や森など、障害物があるステージのほうが、身を潜められるし、飛び道具の射線が切れるため、有利に働くよう、一見思える。
実際、序盤はそのような地形での『ヒット・アンド・ハイド』を繰り返して、『不染井は込み入った場所での戦闘を好む』と印象づけたのだが、実のところ、かような視界のひらけた平地のほうが、上空に放ったハヤブサ型による情報支援が真価を発揮するし、なにより、いざというとき『空を飛べる』彼女にとって、都合が良かった。相手も変な小細工をしてこない場合が多い。
(いや、まあ、少しくらいは工夫してほしいんだけどね)
まるっきり猪突猛進で突っこんできたように見える敵を避けつつ、攻撃の態勢に入った不染井は、見事に一撃で斬り伏せた。
すると、剣の柄が、お殿様のちょんまげみたいに曲がる。
だから剣は、全体として、閉じた傘のような形状となった。
あるいは見ようによってはライフル銃にも見えるが、実際、曲がった柄、ちょうど右手の人差し指で引ける位置に蛍光ピンクの『トリガー』が現れている。
これは先ほど斬りつけた際、刃が敵から奪った『エネルギィ的なもの』が具現化したものだと彼女は理解していた。
『放出』or『吸収』 残り5秒のうちに選択してください。
不染井の視界、右下隅に、そんな選択肢とカウント、注意メッセージが表示される。
取り込んだエネルギィは不安定なので、のべ5秒以内に吐き出すか取り込むか選択しないと暴発して刃が欠損してしまう設定らしい。『のべ』というのは、具現化したブレードを消せば、そのあいだはカウントダウンが中断されるためだ。これらは不染井が決めたわけではない。一番初めに『ガンブレード』という武器を創造した『先人』がそういうルールにしていたのだ。彼女に許されたのは、デザインを多少変更するくらいのこと。
不染井が狙いをつけ、『放出』――つまり、ブレードを拳銃のように構え、フォルテの勢いでトリガーを引くと、剣先から青色の光弾が飛び出し、敵の頭部を撃ち抜いた。
これがガンブレードの由来だ。
発砲の反動は凄まじく、剣に引っぱられて、不染井の身体は後方に吹き飛ばされそうになったが、勢いに逆らわず腕ごと、たなびかせたり、踊るように身を翻したり、後ずさりしたりして、減衰させ、どうにかいなす。ガンブレード最大の欠点とも言えるリアクションだが、ステップを踏んでいるあいだに周囲の状況を見渡せるし、次の予備動作を隠すこともできる。焦らされている感じも彼女は好きだった。気が逸る自分が楽しいのだ。
さて、見える敵は、あと一人。
朱色のプラチナで仕立てたような西洋甲冑に全身を包み、右手に同色の西洋剣、左手に、これまた同色の、盾を構えている。騎士型。装備も良いし、レベルも高い。先ほど不染井が屠った相手とは別のチームらしい。
仲間はどこかに隠れているのか。だとしたら巧妙に隠れている。あるいは、まだバトルワールドに入っていないのかもしれない。現実世界からは、こちら側の様子は見えるが、こちら側から現実世界は見えない。もし見えたら、興ざめだから致し方ない。ちなみに、現実世界から『こちら』に入る場合、味方以外の『先客』から、最低でも10メートルは離れた場所に出現しなくてはならないというルールがある。というのも『現実世界』から『こちら』に入った瞬間、目の前の敵を攻撃できるような『不条理』を禁じるための措置だ。
「悪いけど、時間ないから、ソッコウで終わらせるよ~」
不染井は、そう、わざと宣言してから全身に発光エフェクトをまとい、柄頭に刻まれた『白い盾に重ねられた青十字』の紋章を相手に見せつけるような、腰の位置で剣を逆手に持った姿勢で突進。
騎士型の直前で、くるっと剣を回し、順手で握りなおして、分かりやすい大振りの一撃。
思ったとおり、盾で防がれる。ダメージは軽微。けれど、エネルギィが奪えた。
守備側の『防御』が成立したので、ペナルティとして、攻撃者である不染井の身体は、一瞬だけ、強制的に硬直したが、その隙を狙った追撃は来ない。釣れない。いつもより多めに余韻をつくってからバックステップとバク転の複合で距離を取る。その最中に、トリガーを前に押すように倒し、奪ったエネルギィを『吸収』処理。ガンブレードと不染井の身体が一瞬光って、体力が微量回復したけれど、もともと満タンに近かったので、焼け石に水――
「いや、水に水かな?」と口に出して、集中していない思考を、彼女はむしろ歓迎した。
1秒と半、たっぷり待ったものの、相手は攻めてこない。
朱色の騎士は、先ほどより左足を数センチほど前に出してはいるが、むしろ重心は後方へ移したように思える。潜んでいる仲間と相談しているような気配。時間からみて、六から八人くらい、そのうち四人ぐらいは騎士型の後ろに隠れているようだ、と不染井は見当をつけたくなる。こういう見立ては当たっていても外れていても大差はない。バトルは、将棋や六日囲碁みたいに論理的なゲームではなく、即興でいくらでも挽回できるスポーツに近い、というのが彼女の持論であり、実感である。アテが外れても勝つときは勝つし、負けるときは負けるもの。そうやって偶然出た結果に、それらしい理由がつけられるだけだ、というのが信条。何が勝負を左右するか分からないのがこの競技の醍醐味。それが彼女の認識なのだ。
さて、だいぶ待った、と不染井は思う。
「曲変更、セーウンの曲ならなんでもいいや」
セーウンこと『清雲 青雲』(きよくも あおい)の曲をリクエストすると、上空を旋回しているハヤブサ型が不染井の脳に直接、音楽を流す。聴覚を介していないので、歌声は邪魔にならない。周囲の音はちゃんと聞こえている。
また、不染井から動く。
今度は、大仰な発光エフェクトをまとわず、騎士型に突っこんだ。
最短距離を直線的に、先ほどより三割増しの速度で駆けて、攻撃の届く間合いに入る。
そこからフェイクも入れず、きっちり踏み込み、全力での横薙ぎ。
盾ごと左腕、いや、左肩まで斬り飛ばされた騎士型は不思議そうな顔をしていた。
トドメを刺す必要もない。致命傷だ。
けれど、不染井は彼の心臓にガンブレードの剣先を向ける。
トリガーをピアニッシモの強さで引くと、剣先から赤い光弾が発射されたが、騎士型に到達するまえに、致命傷を負っていた彼の身体は砂状になり崩壊した。だから、光弾は騎士型の後方に身を屈めるようにして控えていた狩人型に顔面を命中することになる。
光弾の威力は弱めにしたから、フラッシュ(目くらまし)だけ。倒せない。
しかし、そのぶん銃撃の反動も弱かった。
不染井は素早く刃をいなして、すぐに動く。
顔を押さえる狩人型の周りには予見どおり三人。
彼らのあいだに不染井は飛び込むと、まだ、戸惑っているらしい斧使いの首を突くようにして、斬り落とす。持ち帰りたくなるくらい、綺麗にやれた。
次に不染井は左手側、西洋風のメイス(棍棒)を持ち、呆けている女子の顔に向け、刃の先端を突きつけ、またしてもピアニッシモで、エネルギィを放出して、フラッシュ。
トリガーを引くと同時にグリップから手を離していたから、反動でブレードが後方に飛び、不染井を背後から棒で狙おうとしていた『尼さん型』のミゾオチに当たる。
それで勢いが相殺された剣は宙に一瞬留まる。
ブレードの重心は剣先に設定してあるので、やがて、そちらから先に地面に落ち、反対側の柄が弧を描く。振り返った不染井の手にちょうどグリップが収まる形になる。計算どおり。
ようやく目くらまし状態から回復しつつある狩人型とメイス使い、さらに、まだダメージリアクション中――つまり、腹を押さえている『尼さん』の、計三人の首を、円を描くような一振りで斬り飛ばすと、嬉しいことに高い評価点が付いた。
すると、潜伏していた残りが両手を挙げて姿を現した。
降参のポーズ。
こうなると、もう、彼らを攻撃することはできないし、彼らも、以降15分間は不染井に触れることができない。
彼らが潜伏していた位置が彼女の予想どおりだったのは、嬉しさが7に、呆れが3だ。
刃が暴発してしまうまえに、残ったエネルギィを吸収処理していたところ、ダジャレではないが、まだ隠れていたらしい残りの敵が急襲してきた。
頭部や心臓への攻撃を想定し、刃で受け流す構えを見せた不染井の足首に感触。
こちらへの接近を思いとどまった敵を見据えたまま、磨かれたガンブレードの刃を鏡代わりにして、足元を確認すると、右足に足枷がくっついているのが見えた。
足枷には鎖がつながれていて、その先には奇襲を仕掛けた敵がいた。バトルワールドでは常套の、『逃亡阻止』アイテムである。お互い、鎖の先の相手を倒さなければ、この場から去ることができない、という代物だ。
いつもニヤニヤしている不染井だが、これには内心興奮した。
相対する女性プレイヤーは、梓弓といい、装備といい、明らかな狩人型だったからだ。
肉眼で相手の瞳孔の開き具合すら確認できるこの距離は、もう遠隔攻撃者のそれではない。
近い。
このようにセオリィを無視した行動には――プレイヤーの即興的な、本能に従った行動には、いろいろとボーナスがつくケースが多い。
『覚醒』した相手と戦うのはどんなにレベル差があっても楽しいものだ。
それを証明するかのように、狩人型のこぢんまりとした弓が、みるみる西洋風の瀟洒な意匠に変化していく。
怪しげに蠢く得物を握る彼女は、最初こそ困惑の表情を浮かべていたが、すぐに対面の不染井の笑みがうつった。
いや、もっと、絶頂を迎えた直後を思わせる、蕩けるような笑み。
息が、けれど品を損なわない程度に、荒い。恋人に向けるような。
それが不染井にも伝染してくる。この世界ならではの共感。快感。
不染井はあえていったん構えを解き、背筋を正し、火照りを飛ばすように右手首で刃を回した。