8.警察の所見
「では次は、現場にご案内いたしましょうか」私たちの問いが、ひと段落したのを察してか、刑事は切り出した。「というか、もう、最初から見えていますけど」
死体は本宅の中央にあった、ということだから、そのとおり、すでに視野に入っていたことになる。
死体発見現場とおぼしき付近まで近づくと、頭部の切り取られた人型の、立体シルエットが現れたので、栄養補給を終え、ちょうど近くを調べていた犬型は、飛び上がって驚いた。
怯えた犬型は井出ちゃんの足元へと逃げてきたので、彼女は屈みこんで拾いあげ、泣いた子をあやすように抱きかかえて、かまった。
さて、パステルブルーのゼラチンチックな質感で構成されたシルエットは、仰向けの、まるで眠っているかのような体勢で、北北西のほうへ首の切り口を向けていた。頭部はない。
発見された当時の姿勢を忠実に再現した、という刑事の言葉を信じるならば、それほど乱れてはいない、と評価できそうだ。
「このような状態で発見されたのですか?」
犬型の頭をよしよし撫でながら井出ちゃんが尋ねる。
「そのようです」刑事は答える。「繰り返しになりますが、亡くなってから検死が入るまで、死体を動かした形跡はない、とのことですので」
「なるほど」
井出ちゃんは私に目配せをした。
犬も、とぼけ顔をこちらに向けた。
「いや、ですから、今回こそは遺体はどうやっても動かせませんよ」刑事は笑顔でクギを刺す。「となれば、井出先生が次に考えそうなこととしては『建物を動かして、倒れた被害者の頭部だけ外に出し、ゲスト以外の人間が首を両断した』って感じでしょうか? あるいは扉がカッターになったとか……」刑事は笑顔を横にふる。「これは無理です」
「承知しています」初歩です、とばかりに井出ちゃん。「ログですね?」
「ええ。建物を動かすのは許されています。ですが、建物の外壁を開けるとなると認証が必要となります。そして認証を持つゲストが外壁を開けると、ログが残されることになります。もちろん、そのようなログはありませんでした」
「外壁を開けるのはゲストしかできないのですか?」私は訊いてみた。
「いえ、例えば、ピザの配達員が不精して、敷地の外から、建物内のテーブルめがけて『フライング・ソーサー』よろしくピザを投げたとしても、建物所持者――つまり、溺川氏がその行為を事前に許していたならば、ドアが勝手に開いて、無事『オン・ザ・テーブゥ』とできますが、この場合も、溺川氏名義のログが残されることになりますので」
警察も、今回はかなり熱心に吟味したようだ。
もちろん、逐一、フラボノに裏を取らせてあるから、何か間違いがあれば、彼が教えてくれる手はずになっている。
「では検死結果をお伝えします」もう一歩でシルエットを踏める位置まで漸近してから刑事は始めた。「被害者は『賽形 球』(きゆぶ きゆ)氏。自称『天寿研究家』だそうですが、まあ、詳細は、のちに……」いきなり歯切れが悪い。「死体は頸部から、おそらく鋭利な刃物で両断されており、いわゆる首無しの状態で発見されました。頭部のほうは敷地内をくまなく捜索しましたが見つかりませんでした。おそらく不染井さんが外に持ち去ったのでしょうが、その理由については皆目見当もつきません。なお、例によって、被害者が致命的な攻撃を受けた瞬間から【マシン】によって保存がなされたため、周囲に血痕や体液などは一切ありませんでした。検死によれば、被害者が致命的な一撃を加えられた時刻は、溺川氏の天寿達成3時間後の午前3時17分07秒で、誤差は、多めにとって、プラスマイナス、コンマ1秒ほど。この一撃により被害者の死は確定しましたが、これが『即死』であったか、それとも、『死ぬまでに幾ばくかの余韻があったか』は、現在の人類科学では断定できないとのことです。けれどこの余韻も、長くても35秒ほどであることが分かっています」
ここで『誤差』が出たり、『範囲』が絞りきれなかったりするのは、検死作業が人の手によるものだからだ、と私は『貴方』に思念で伝える。
どういうわけだか【TEN】は、殺人事件の検死作業を行なわないこと、手伝わないことを表明している。
曰く『殺人捜査とは、人類が独力で解決すべき科学的な課題だから』だそうだ。
もちろん、実際のところ、【TEN】にどのような思惑があるのか、我々人類には分かりようがない。
分からないものの、これが将来的に、人類が【TEN】を放棄し、『ひとり立ち』することに繋がっているのだろうなあ、という漠然とした予測は立っている。
『人類が自分を捨て、ひとり立ちする』
それが【TEN】の望み――宿願だからだ。
「35秒という数字の根拠は?」念のため、私は刑事に訊いてみた。
「検死官の話では、そこが人類医学の精度の限界だそうです。ええと、即死と、致命的一撃から35秒以内に苦しんで死んだ者の区別はつきませんが、即死および35秒以内に死んだ者と、それ以降に死んだ者との判別はつくらしいです」
ややこしい。
まとめると、午前3時17分07秒に犯人から攻撃を受けた被害者は、それですんなり即死したか、あるいは、徐々に死に向かい、最大で35秒間生きたあと、同時同分42秒までには完全に息絶えた、ということか。
「一撃だったのですか?」ついでに私は尋ねた。
「いやあ、不定ですね」刑事は困った顔で首をひねった。「タツジンのように一撃で首を斬り落としたとしたのか、あるいは、一撃目で、たとえば頭を殴って撲殺して、そのあとに首から頭部を切り離したとしたのか、判別はつきません。ただし、その致命的初撃は午前3時17分07秒で確定。頭部切断は、初撃と同時か、35秒以内に行なわれました」
「事前はどうでしょう?」動揺が収まったらしい犬型のお尻をぽんと叩いて送り出しながら、井出ちゃんは尋ねる。「致命的一撃のまえに、ダメージがあったということは?」
「事前格闘ないし暴行の有無、ですか?」刑事は、論点の変化にきちんと対応した。おそらく考慮済みの議論なのだろう。「その可能性は否定できませんが、文字どおり致命的ではなかったわけですから、問題としていません。とりあえず、それらしいキズは見つけられなかったようですね。毒物とか病気とか、他の死亡因子も見つかりませんでした」
「首の断面はどうでしたか?」また井出ちゃんが整った声で訊く。
「どう――と、おっしゃいますと?」怪訝そうに刑事。
「綺麗でしたか?」
「綺麗?」と、さらに怪訝そうに。
「分かりやすい言葉で申しましょう」と、彼女は少し溜めて、「【マシン】を使った形跡はありましたか?」
「いやあ」刑事は破顔した。「分からないっすね」
「調べてないんですか?」井出ちゃんが挑発するように腕を組み、詰る。
「そうではなくて――」私は口を挟む。「【マシン】を使わなくてもできるくらい荒い断面だった、ということですね?」
「ええ」刑事は頷く。「こちらも、自力で切断したのか、はたまた、あたかも人為的に見えるよう、【マシン】に依頼し、あえて荒くやったのかは不定です」
「それについて、【TEN】は? 何も?」井出ちゃんが訊く。
「何も」刑事は微笑み、彼女の言葉を繰り返した。
「凶器が判明してしまうから、でしょうか?」井出ちゃんは呟くように言った。
「前述のとおり、切断の際の出血等は【マシン】がシールになったため、ほとんど零れていません。床も綺麗なものでした。だからこそ正確な検死が成り立ったわけですが」
「そもそも警察は、凶器として、どのようなものを想定しているのでしょう?」
井出ちゃんは問う。
「いやあ、肝心の頭部が持ち去られてしまったので……」申しわけなさそうな刑事の答えは、けれど、『何かと厳密にこだわる私』を満足させた。彼は『凶器』の定義をしっかりと弁えている。「ですが、『頸部を両断した道具』に関して、検察は、切れ味鋭い日本刀……、つまりは、これなのではないか、と」
そう言って、刑事が宙から一振りの太刀を取り出した。
それは、興味がない私にとっては、ごくごく普通の鞘付きの日本刀、という感じに見える。
「レプリカですね?」
井出ちゃんが手元の【プロペ】と刀を見比べながら言った。
「ええ、ホンモノは御神刀と呼ばれ、元々この邸宅に飾られていました。溺川氏の所有物です」刑事が【マシン】で再現した刀から手を離すと、それは宙に浮かんだ。「ホンモノは目下のところ行方不明です」
「行方不明?」井出ちゃんが驚いた顔をつくる。
「行方不明です」刑事は笑顔で続ける。「被害者の頭部と同じく」
「他に、首を切断できるような道具は?」私は訊く。
「あったかもしれません」刑事は笑顔のまま、右側の眉だけ下げた。「ただ、通報を受けた警察の第一陣が現場に到着した際、【TEN】に依頼し、『敷地の捜索』および『身体検査』を行ないました。例えば凶器を【マシン】で粉々に砕くことも、それを飲み込んで隠滅を図ろうとすることも、異軸世界である『21世紀世界』に廃棄するのも、法律で禁じられています。誤魔化せないわけです。なので、少なくとも、警察が踏み込んだときには現場に凶器はなかった、と考えていだたいてよろしいかと」
ここは21世紀人の『貴方』には理解しにくいところだろうが、今の時代、『凶器』となった物体は、原則、犯人にしか動かせない。そして、たとえ犯人であっても『凶器の破壊』は許されない。
何故か、と問われたら、それが法律だから――そう【TEN】が決めたから、と答えるほかない。『原則、犯人にしか――』と断ったのは、【TEN】の監視のもと、捜査員が凶器を調べる際は、動かすことが許されるためだ。ただし、その情報はもれなく公開される。
三つ目の『犯人による凶器の異軸世界への廃棄』も、厳密には、そもそもヒト以外の『実物』を『異軸世界』へ持ち込むのが、やはり法律により禁じられているので、駄目だ。
要するに、凶器は消滅することができない、ゆえに、現場に凶器がない、ということは犯人が持ち去った、ということだろう。
「この刀で」井出ちゃんが言う。「不染井さんが、被害者の首を斬ったということですか?」
繰り返しになるが、ロボット則により、犯行に【マシン】は使えない。
ということは、もしサクラが犯人ならば、彼女は【マシン】による筋力アシストを含めた各種助力がない状態で、あの使い手を選びそうな刀を扱い、大の男の首を一撃で両断した、という理屈になる。
絶対に無理、とは言えないが……。
「それしか方法がない」刑事が断じる。「――と、検察は考えているようですね。もちろん、いったん殺してしまえば、それはもう死体なので、ロボット則の適用範囲外となります。殺害したのち、改めて【マシン】を使って断面を磨く、という方法もありますが、それが可能だったのも不染井さんだけで……」
「う~ん」井出ちゃんは唸る。「すべてが状況証拠ですね」
「そうですね」刑事は軽く吹き出した。「だからこその【エイリアス】ということなのでしょうけれど」
「思いもよらぬ回避方法がありましたね」井出ちゃんが刑事に微笑む。
「ええ。まさかここまで【TEN】が殺人犯に寛容とは……」彼は、はっとして私を見た。「あ、いえ、失礼、まだ……、いや、なんと言いましょうか……」
「むしろ、この状況は、被告人が殺人を行なっていないという、なによりの証左では?」
井出ちゃんが言うと、失言を責められなかったことに、刑事は、ほっとしたらしく――
「ん、ん、どういう理屈でしょうか?」と、少しだけおどけた表情で返した。
「我らが依頼人、不染井氏は、そもそも殺人犯でないのだから、【エイリアス】を受ける義務はないし、身柄を拘束される謂れもない、なので自由にバトルワールドで遊べる、というような」
「身柄を拘束されて【エイリアス】を受ける人々のほとんどが殺人犯ではないよね?」
そう私が横槍を入れると、井出ちゃんがこちらに振り返った。そして――
「どっちのミカタですか?」と、拗ねるように睨んでくる。
「あー、そっか、同じ見方をするから味方って言うんだ」私は日本語の妙味を見た気がした。「でも私なら、味方とは違う方向を見るけどね。宝箱を開けるときとか」
「なんの話ですか?」と、今度は怪訝そうに、眉をひそめる井出ちゃん。
「バトルの話ですよね?」刑事が笑顔で言った。