7.井出ちゃんは本格ミステリがお好き
1階に戻るなり――
「報道によれば、遺体は『頭部を切り取られた状態』で発見されたとのことですが」と、井出ちゃんが刑事に話しかける。「正確な発見場所は――」
「ああ、ギロチンですね?」刑事はニヤリとした。それはもう検討済みの案件です、と言わんばかりの笑みだ。「遺体は、この1階フロアのちょうど中央で発見されましたが、この家で【マシン】で形成されていないのは、あの六日囲碁のブースだけです」と、指さす。
ブースは1階フロア南東の隅にあった。
邸宅をつくると自動的に中に飲み込まれる形式らしい。
井出ちゃんの放った白い犬は、ちょうどその周辺をぐるぐる駆けまわっていた。
井出ちゃんは腕を組み、細い指をあごに添えたポーズで、森岡刑事をじっと見つめ、言う。「どうやら、私の流儀を弁えているようですね」
そこで生じた一瞬の無音に、私は笑いを押し殺すことができなかった。
一転、恥ずかしげに拗ねる井出ちゃんの表情や挙動は眼福だった。
さて、【TEN】の定めた『ロボット則』により、殺人行為に、機械や【マシン】を利用することはできない。かつ、この家は【マシン】で構築されている――ということはギロチンを活かす『高さ』を得るためには、唯一の人工物である『六日囲碁ブース』を利用しなくてはならない。と、そのように思えるのだが……、まあ、考えるのはあと。まずは情報収集に専念しよう。
「ええと、2階は誰でも好きなように部屋をつくれるのでしたね?」
気を取り直して井出ちゃんが訊く。
「そうですね」刑事は手帳型の【プロペ】を出した。「犯行時間帯、誰がどこに部屋をつくっていたか――そんなログはありませんでしたが、イメージ的には、こんな感じです」
刑事の出した【プロペ】には、2階フロアの平面図が表示されていた。
無駄に広い円形エリアに、同じような小さな個室が星座のように点在している。
画面左上に時刻があった。今日の午前4時半付近。
どうやら、これは警察の現場検証の様子らしい。
刑事に促され、井出ちゃんが【プロペ】内の時刻を動かすと、部屋は消えたり、また別の場所へ生じたりする。
原則として、一人一部屋。
新たに部屋をつくる際、元の部屋を消すルールらしい。
あらゆる所持品を【マシン】で形成している『手ぶらがデフォルト』の現代ならではのシステムだが、『人工物』を部屋に残しておいた場合、それが『花見のブルーシート』の代わりとなって、退室しても部屋を消滅させずキープできるようだ。最大三部屋まで。もちろん、生首を置いておけば、それも『文鎮』代わりになっただろう。それについてのアイディアは、いまのところ思い浮かばないが。
「中央の丸い部屋は消えませんね」井出ちゃんが目ざとく発見する。「遺体のあった場所のちょうど真上」
「溺川氏の私室です」と刑事。「お気づきのとおり、ここだけは常設で、消えません」
「ひょっとして、そちらに溺川さんの天寿体が?」
「ええ」
「もしかして、出入りも自由だった、とか?」
「ええ、天寿体を誰にでも見てもらいたい、との本人のご意向があったようで」
「これは重要ですね」井出ちゃんは私に微笑む。
冗談か、それとも何か思いついたのか。
私が「足跡」と口にすると、プレート内に、私たちが辿ったであろう足跡が表示された。
――と同時に、アニメに出てきそうなレバー型の【プロペ】が現れる。
私はそれを『過去』方向へと引いてみようとしたが、固くて動かない。
「【TEN】により、閲覧を禁じられています」雪だるま型の『フラボノ』が出現し、私の視線と同じ高さに留まって、言った。「どうやら前所有者が申請していたようですね」
前述したようにフラボノは『法務助手』的な役割も担う。関連法律の検索・提示はもちろん、判例と照らし合わせた法的解釈についての助言もしてくれるのだから、現代の弁護士は楽でいい。
「なら、現所有者に要請して閲覧許可を得て」と、偉そうに注文する私。
「その場合、もし許可を得られたとしても、すでに亡くなっている溺川氏から所有権が移転したあと――つまり、事件発覚後までしか遡れません。なので『真相解明』という点においては『無意味』と思えますが?」このように生意気なところがあるのが、玉に瑕だ。
「足跡もそうですけど、建物および敷地における事件発生前後のあらゆる『痕跡情報』は閲覧禁止になっていますね」【プロペ】を見ながら井出ちゃんが補足した。彼女は「先ほど刑事さんに見せていただいた、2階の部屋割りの記録もそうです。殺人事件なので【TEN】が隠しているっていうことでしょうか?」と続けた。
隠している、というより、開示に協力しない・非協力的である、という感じだろう。
「いえ、そういうことではないようです」フラボノが口を挟んだ。「こちらも天寿を達成した溺川氏がそのような設定になさったようです」
「溺川氏が?」私は少し引っかかった。
「先ほど申し上げたとおり――」刑事が応えてくれる。「この建物の所有権は、溺川氏の天寿達成直後ではなく、時間差をもって、およそ6時間後にご子息へと移されました。その際、建物と敷地……、すべての痕跡記憶がリセットされたようです。立つ鳥跡を濁さずの心境だったのか……、もはや知る由もありませんが」
私はフラボノにだけ聞こえる思念の声で、「ハッキングしても駄目?」と尋ねてみた。
「駄目ですね」彼の返答は、私の脳内に響く。「死者の意向は手厚く保護されます。百年待てば、かなり融通が利くようになりますが」
過去に実在し、活躍した歌手を、擬似的に蘇らせて、今の風潮に沿った新譜をつくらせ歌わせる、などという、考えようによっては背徳的なソフトにも、死後100年未満の者には人権保護法が適用され、禁じられる(※私的使用と認められる場合、その限りではありません。←フラボノ註)。
「ゲストの行動記録は?」井出ちゃんが刑事に尋ねる。
「【エイリアス】により、本件に関与していないことは保証されましたからね」刑事が返す。「閲覧申請しても拒否されるだけでしょうから、そもそも訊いていません」
行動記録を他人に見せるのは、通常、『悶死するくらい恥ずかしい』ことだから、よっぽどの事情がない限り、開示要求は叶わないし、ごくごく一般の感覚でも、たとえ殺人事件の容疑者であっても開示拒否は当然かつ正当な態度だ、と判断される。
『完璧な裸体を手に入れた人類は、必要悪的恥部を外部に――すなわち行動記録へと移した』とは、当代の――というか国内唯一の職業人類学者である『太沢 路銀』(ふとりさわ ろぎん)氏の言葉だが、似たようなことは過去にさんざん言われているだろう。普遍的な真理だ。
ともあれ、痕跡を探るのは不可らしい。
井出ちゃんの探索犬も、『疲れたワン』と言いたげな態度で、どこから拾ってきたのか、『低脂肪、低価格、低品質』と銘打たれたドッグフード箱を背中に乗せて、ヨロヨロとこちらへやって来た。
私たちから絶妙に離れた位置で、箱を落とすと、それはアニメチックな煙とともに皿になった。
内側が区切られた皿にはドッグフードと水が入っているようだった。
探索犬はすぐにがっつくと、あざとく、『喉に詰まったワン』というように二本足で立ち上がり、短い前足で胸を叩いた。
そこで私は、探索犬に棒状の眉毛があることに気づいた。
「つかぬことをお伺いしますが」と刑事のほうを向いた井出ちゃんは愛犬の異常に感づいていないようだった。「この外枠を動かすことができますか?」
「ああ、つまり、建物を動かす、ということですか?」刑事は、彼女の嗜好を熟知しているようだ。理解が早い。「まだ試してはいませんが……」と手帳型【プロペ】をめくり、「なるほど可能なようですね。その場合、移動は敷地内に限られ、壁が動くことにより、内部の人間に著しい不都合が生じる場合にのみ注意喚起のメッセージが流れる仕様、と」
「では、ゆ~っくりと動かすくらいなら……」
「ええ」刑事は頷く。「【TEN】に慣性計算してもらえば、2階にいたゲストに影響を与えずに――つまりは、彼らに知覚されずに建物を動かすことも可能でしょうね」
「ご遺体は?」と、井出ちゃん。
「え?」さすがに刑事も訊き返す。
「事件当時、被害者のご遺体は、モノ扱いとなったのでしょうか?」
「つまり――」私は横入りする。「外で殺してから、そこに被せるように建物を動かしたパターンね。遺体はゲートを通るのか」
「遺体がヒト扱いされるなら、ゲートは開きますが……。だとすると、時刻的にもログが残りますね。そもそも心音を打っていないとゲートは開きませんし……」顔こそ戸惑った様子だったが、脳内は整理ができているのか、素早く森岡刑事は答えた。「一方、モノ扱いされるならばログは無反応になり、開きません。他のID認証者と一緒なら――要するにその人物の『持ち物』と認識されれば、通過可能に思えますね」
ただ、遺体を持ち物と見なすには、その付近に所有者がいなければならないらしい。この『付近』という言葉も曖昧だ、と気になる向きもあるだろう(私だ)。『付近』とは所有者が触れているか、すぐに触れられる位置にあること、と専用マニュアルにはある――と今度は『すぐ』という言葉をどのような定義で使っているのか調べたくなったりする。
「ですが、犯行推定時刻から遺体発見のあいだに、建物のドアを開けた人物は、皮肉にも不染井さんだけです」刑事のコメントは『遺体=モノ』仮説の『存在意義』を粉砕したように思えた。
「外部に実行犯がいたとしても、被告人は少なくとも共犯者にあたると、おっしゃりたいのですか?」井出ちゃんは、めいっぱい嘲りの表情をつくったつもりのようだが、根っこの上品さが消せていない。「それなら『考え足らず』と申し上げなくてはなりません。被告人が犯人隠匿の意思なく、善意で遺体を建物内に入れたという可能性がありますから」
「う~ん……、ですが、前述のように、そもそも密閉時間になると敷地に第三者は入れないのです。なおかつ、あの時間帯、不染井さん以外のゲストは、建物の外に出ていませんから、やはり井出先生の案は難しいと……」
「建物を動かす、というアイディアは一足飛びだね」私は井出ちゃんにそう言ってから、刑事を見た。「外で殺した死体を中に入れる方法は警察でも検討し尽くしたのですね?」
「先ほども申し上げたとおり、遺体は、ID所持者と一緒ならば、ドアは開くでしょうけれど……、井出先生、残念でした。そもそも遺体を動かした形跡は認められません」刑事は断言した。「監察医が触るまでゲストの誰も遺体に触れていません。死んでいることは明らかなので死亡確認をしようとは思わなかったのでしょう。先々月と同じ手は使えませんね」
彼は、私にちらりと視線を送ってきた。
「殺害したあとに――その遺体の上に被せるように邸宅をつくった、という可能性は?」
と、井出ちゃんも食い下がったが、刑事は落ち着いたものだった。
「昨日この邸宅が出来てから、殺人が発覚し、通報を受けた警察がやってくるまで一度もリセットは掛けられていません。建てられっぱなしでした。というか、リセットができた唯一の人間は天寿を迎えていましたから」
「では、死体発見現場が当時『中庭』になっていた、というのはいかがでしょうか?」井出ちゃんが言う。
「それはどういう……」
「邸宅のIDがなくても、『建物の外』である中庭には入れる、ということね?」
私は助け舟を出す。
「あー、なるほどー、この建物は一見、建物っぽいですが、『ルール』的には、実は外、となる領域がある、と?」刑事は唸った。「相変わらず妙ちくりんなことを考えますね」
「24世紀の本格ミステリファンをなめてもらっては困ります」井出ちゃんにとっては『誉め言葉』だったらしい。得意顔で宣言してから、具体的に言えば、と【プロペ】を広げ、そこに円筒をつくった。上から見た中央部分には、同じく円柱型の穴が開けられており、全体として、ドーナッツという感じ。「こんなふうに中庭をつくり、そこを『敷地の外』と定義すれば、セキュリティを無効化できます。これなら外部犯も考えられます」
「中庭なんてありませんでしたよ」刑事がニコニコと返す。「というか、建物の2階中央には溺川氏の私室が常設してあると、先ほど申し上げましたが……」
「そんなのどうとでもなります。デフォルメした土星型というか……、そんなように敷地の設定をすればいいわけですし。あるいは、時間帯によって建物の形が変化するような設定がなされていたのかもしれません、それこそ月のように」
べつに月は形状を変えているわけでないけどね、というツッコミは口に出さなかった。
大人げないし、『さすがミス・クレータ』と面白おかしく反撃されても楽しくない。
「それら設定ができたのは所有者だけですね。犯行時間帯で言えば、まだ溺川氏ということになりますが……」と、刑事は言ったきり、考え込んでしまった。
おそらくゲストの一人に【エイリアス】を着けさせ、『これこれこの時間帯に建物の形状は変化しましたか?』と尋ねれば、どうであったか判明する可能性は高い。なにしろ、【エイリアス】は、そういう意味でも『絶対に間違えないウソ発見器』なのだ。
「いや、そうか、違いますね、思い出しました」見ていた手帳型を閉じて、刑事が顔をあげる。「先にご説明したとおり、溺川氏の天寿後、ご子息への建物の所有権移転は、その数時間後、日付変わって、翌日の午前6時に自動的に成されたのですが、データ自体は天寿と同じく午前0時にご子息へ共有されていました。要するに、ご子息のデータを調べれば、少なくとも犯行時間帯の、この建物の設定が判明する、ということです。そして、それは、まあ、当然のごとく、聴取済みです。それによれば、この建物は、今この瞬間まで事件当時と同じ設定です。間違いありません」
一応、フラボノに裏を取らせた。
曰く、建物には裏庭などはなく、外観そのままの領域設定ということだった。
これで井出ちゃんのアイディアは事実上、潰れた。
「では次は、現場にご案内いたしましょうか」私たちの問いが、ひと段落したのを察してか、刑事は切り出した。