表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/55

6.建物に入る

 

 代わり映えのしない壁づたいに、さらに10メートルは歩かされたか、突如、進行方向、前方の壁に出入り口を示す黒いふち取りが現れた。実は、誤解していたのだが、刑事によると、邸宅に入りたい場合、一度外壁に触れなくてはならないルールらしい。外壁に触れたあと、左右どちらか23メートル歩いた先に入り口が生じる仕掛けなのだそうだ。

「なぜ、そのようなことを?」井出ちゃんが歩きながら尋ねた。

「いやあ見当もつきませんねえ」刑事はそう言いながらも、「出る人と入る人がぶつからないような配慮、でしょうかね?」と説得力に欠けるもののなんとか説をひねり出した。

「あるいは、この外観を堪能してほしい、ってところでしょうか」井出ちゃんがこちらにそう言ってから刑事に向く。「内側も――あ、つまり、出口も同じ仕組みなのですか?」

「いえ、出口は固定されています。ぴったり東西南北の四方向――ですが、不精ぶしょうして、外壁を通り抜けることは可能です。今回、不染井そめないさんがやったように」

 彼女は逃亡の際、壁抜けをした、ということだった。その程度の融通は利く世界だ。例えば、今、案内をしてくれている森岡刑事なら、すでに入宅許可を得ているはずだから、私たちを差し置いて壁抜けして中に入ることも可能だろう。

「事件周辺の時間帯に正規のドアを使わずに出入りした者は?」私は尋ねる。もちろん、刑事の『壁抜け』を阻止する意図などはない。

「ログを信用する限り、いませんね」刑事は善良な微笑みをたたえていた。

「壁抜けしてもログに残るのですね?」

 私は、良くも悪くも『こだわる人』である。

「ええ、分かります。というか、そのログは、ゲストの一人が付けたものなのですけど。その正確性は【TEN】が保証しています」

 刑事に問うたことで、質問役は私になったらしい。

 井出ちゃんはまし顔をしている。

「ログは標準装備なのでは? つまり、溺川おぼれが氏が用意したのではないのですか?」

「いや、セキュリティ自体は溺川氏が設置しましたが、こちらにはログ機能がありませんでした。なので、ゲストの一人がログを付けたそうです」

「なんのために?」

「『シキ』のため、と言っていました」またしても刑事は即答し、【マシン】を使い、宙に毛筆体で『式』という漢字を書いて私たちに見せた。「溺川氏がめでたく、天寿ということで、なにかそれに関連した『儀式』があったようですね。その施術の円滑な進行のために、ログを付けた、と。まあ、詳しくは本人にお訊きください」

 けれど、刑事は、この場でその名を明かすつもりはないようだ。

「建物は心音認証です」刑事は続ける。「入った瞬間、心音登録がなされ、『一覧化』されます。こちらも【TEN】による認証システムなので完璧。間違いはありません」

「事件当時、この心音認証を受けていたのは?」井出ちゃんが訊く。

「それも『ゲスト』の定義ですね」焦らないでください、という感じで刑事は濁した。

「こちらも、溺川氏とゲスト以外は入れなかった……」井出ちゃんが呟く。

「ええ、システムは念入りに調べました。例外はありません。溺川氏とゲスト――彼らだけです」刑事は自信に満ちた顔で断じる。「そのうち犯行可能な1名を除いた全員が【エイリアス】でシロ判定。状況から事故・自殺とは考えられない。決定的だと思いませんか?」

「過去に似たような状況を覆した方を私は存じております」

 と、井出ちゃんがうやうやしい声で横入りして、私に笑顔を向けた。

「ミス・クレーター」刑事も気づいたように私を見て、感慨深げに呟いた。

 前回の事件解決後、私は、どういったわけかそのようなセンスのない二つ名を受ける羽目になってしまった。『満月に、肉眼では確認できない傷をつけた』ことを意味するそれは、先々月、私が、2097年施行の司法改正以降、有罪率100パーセントを維持していた『鉄壁』の刑事事件裁判を覆したことに由来する。

 まあ、結局、その裁判は、無罪判決が確定するまえに検察が起訴を取り消しての痛み分けとなり、有罪率を二桁に減じさせることは叶わなかったのだけれど。

「いやあ、それでも、さすがに今回ばかりは難しいと思いますよ」刑事は、むしろ同情の表情を浮かべていた。「いくらクレーターの力を持ってしても……」

「警察も彼女の犯行だと?」私は遮るように言った。

「う~ん」一度、空を仰いだ刑事は、諦めたような笑顔でこちらを見た。「まあ、でも、そう考えるしかないから、送検しましたし、検察も起訴を決めたのだと思いますけれど」

無辜むこの人かもしれないのに?」

 という、井出ちゃんの意地悪な横槍に刑事はもう怯まなかった。

「ええ、それは法廷で決めることです」

 私たちは、すでに『出入り口』の前に到達していた。



 建物外壁にギリシャ文字のΠ(パイ)のような、黒色の縁取りがあった。

 『両足』を地表に接し、タテヨコ、ともに5メートルくらい――なので正方形と言っていいか。

 これが出入り口だ。

 私たちは、そのふち取られた壁面へと直進する。

 ぶつかる瞬間、水面へとダイブしたかのように知覚されたが、『あれ、勘違いかも』と思えるくらいに一瞬の違和感だった。


 建物の中――そこは、うってかわって、草原だった。


 まるで毛並みの良い巨大生物の背中のように柔らかな足元は、一面緑色で、どこからか心地よく流れてくる風に揺らいでいた。

 見上げると天井はなく、代わりに青空が果てしなく広がって、こちらも際限なく広がった草原と、はるか遠くで地平線を形成していた。

 年甲斐もなく駆け出したくなる爽快さは、この鮮やかな景色のせいもあるのだろうが大半は【フィッティ】の効能だろう。

 多少、未練があったものの、捜査に支障をきたしかねないので【嗅覚エフェクト】を消す。

「アルプスですね」井出ちゃんが、ざっくりと評した。

 試しに【視覚エフェクト】もオフにしたら、ただただ無機質な白いだけの空間となった。

 フロアには部屋どころか仕切りもなく、建物の外壁がそのまま内壁になっているようだ。

 むやみやたらに広い。足元は、外と同じく、むき出しの地盤プレートのまま。

 24世紀の東京は、このように『床』を設けない建造物が主流だ。

 先ほどまで澄み渡っていた青空は、5メートルほどの高さで制限されていた。

 天井がある、という意味だ。

 目に見える位置に照明器具はなかったが、全体的に明るかった。

 井出ちゃんの放った白い探索犬もいつの間にか入場していて、鼻先を床に押しつけるように、入念に匂いを嗅ぎながら、ねり歩いているのが見えた。短い四本足のついた、これまた小さい胴体に比べて、頭部が異様に大きい二頭身な犬型だから、土下座しながらも、あわよくば隙をついて逃げようと後ずさりしている――そんなふうにも見えた。


「これは事件当日の『仕様』を再現しています」刑事の声で、私はそちらを見た。彼は続ける。「出口を求めなければ、見た目どおり横方向にはどこまでも進めます。そのように錯覚できるということですね。上は一見、空のようですが2階フロアがあります。その上はもう、屋根ですが、外からなら、のぼれますので『屋上』と表現しても良いかもしれませんね。2階フロアは基本、通路はなく、フロアに上がった瞬間に部屋が出来る、という感じです」

 彼は、その様子を『シャボン玉』と表現したが、今ひとつピンと来なかった。

「どうやって入るのですか?」井出ちゃんはこちらに喉を見せながら尋ねた。

「どうとでも」刑事は軽く肩をすくめた。「階段をつくるなり、ジャンプするなり。もう、どうぞ、ご随意に――という感じです。『2階に行きたい』という意思をもっていればあがれます。ただ、闇雲にジャンプしてあがろうとしたとき、そこに部屋が――つまり、すでに先客がいる場合は、スーパーマリオのように頭をぶつけて下に跳ね返されてしまいます」

 厳密には、マリオは跳躍の際、拳を高く振り上げているから、直接頭をぶつけているわけではないだろう。とリバイバルテレビゲーム好き(ただし家庭機用限定)な私は思う。

「なので、その場合は『ノック』が必要となります」刑事が付け足す。


 『ノック』とはこの場合、先客に対し、【プロペ】を介して入室許可を得ることを意味するのだが、なるほど、マリオのあれはノックしていたのかもしれない。たしか彼は配管工のはずだから、管をノック――叩いて異常を検知するような職業的技能を習得していても不思議ではないし、叩いた結果、金貨(報酬)を得るというのも象徴的だ。いや、あの現象を『ジャンプした結果、硬貨の音がする』とすれば、人類の知的黎明期にあったとされる『カツアゲ』という違法行為が想起される。そう捉えると、マリオが突きあげる拳は、いよいよ暗示的だ。彼が被害者なのか加害者なのかで印象は変わるのだけれど、拳を痛めないように厚手の手袋をつけていることを踏まえるとおのずと計画性が認められ――などと私が夢想しているあいだに、隣の井出ちゃんがジャンプした。

 彼女の身体は天井に吸い込まれ、消えた。

 刑事がこちらに目配せ。私たちも続くことにする。

 私としてはそこまで強く地面を蹴らなかったものの、意思を察したのか、ぐうんと飛んだような感覚で、1階の天井を突き破った――いや、そんな破壊感はなくて、気がつくと六畳くらいの空間に、井出ちゃんと共にいた。

 座標で確認。2階だ。こちらも白い空間だった。

 天井は下のフロアと同じくらい高かったが、壁で仕切られているためか狭く感じた。一緒に飛んだはずの刑事の姿は最初見えなかったが、遅れて、現れた。

 下から来た感じはなく、まばたきの合間に現われていた、という感じ。

 さながらテレポテーションというような出現だった。

「ひどいなあ」刑事は井出ちゃんに、恨みがましい顔をつくって言った。

 どうやら彼女は、刑事には『ノック』をさせたようだ。

「『ノック』をさせなくても入れるのですね?」私は、刑事に訊いた。

「ええ、そうです」刑事は笑み、横目で井出ちゃんを示す。「『ノック』の有無は、この部屋の占有者様に委ねられます」

「ドアはないのですね?」その視線を避けるように、井出ちゃんの笑顔がこちらを向く。

「ええ、先ほど説明したように、2階フロアは、ある意味、歩けません」刑事が答える。もう業務の声に戻っていた。「このように、ほとんど強制的に壁に囲われるというか、部屋になってしまうので……。隣室に行くにも、一度、下に降りないと。ただ、外壁のキワに面していれば、建物の外に出られる窓がつくれます。もちろん、そこから出れば、退出ログが残ります」

「最大でも8×8メートルくらいですね」井出ちゃんが手をかざすと、部屋は、そのサイズに広がった。「壁一枚隔てた隣室が存在していたとしてもドアはつくれないので、そちらに向かうには、やはり、面倒でも一度1階フロアに落ちる必要がある、と?」

「そうなりますねえ」

「なるほど、2階フロアに『通路』はないのか……」

 井出ちゃんたちの会話の端々から、どうやら彼女たちも【視覚エフェクト】をオフにしているものと推測された。あまのじゃくを起こしたわけではないが、【五感エフェクト】を掛けると、足元はアニメチックな雲に変わった。柔らかな危うげな感触で、バランスが崩れそうになるのが楽しい。周囲は青いまま……、いや、ちょっと薄いか。こちらも壁の存在は消されているからどこまでも歩いていけそうだったし、実際、『歩ける』のだろう。頭上には、星が煌めく、いかにもな『宇宙』が広がっていた。私は結局、2秒くらいで飽きて、【五感エフェクト】をオフにする。

 私たちは1階フロアに戻ることにした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ