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5.現場に到着

 

 出迎えてくれたのは見知った顔。

 『森岡 才』(もりおか じにあ)刑事だった。

 彼は、こちらが近づくごとに笑顔の度合いを増していって、ついにはこらえきれずに吹き出した。

 【TEN】の登場以降、人類の無個性化が叫ばれて久しいが、いろんな人間がいるのものだ。私は嫌な気はしなかったし、隣の井出ちゃんも伝染したのか、笑顔だった。その笑みをたたえた口が開く。

「外塀などはないのですね?」

 ここまでずっとプリン色だったプレートは、その領域だけが白く染まっていた。

 当時、『溺川 過世』(おぼれが しほん)氏が所有していた敷地。

 事件現場だ。

 あたかも巨大なタマゴのような質感の、白く染められたプレートを踏むと――つまり、敷地に足を踏み入れると、強制的に【五感エフェクト】が掛かって、風景が、空の色が、変わった。


 そこはまるで荒野のようだった。


 暗いオレンジ色の地表は、悠久と風雨にさらされたかのごとく、凹凸に削れて、におい立つような陰影をつくっていた。大地は本来敷地である領域を越え、どこまでも広がり、はるか遠くで、同じ色の空――いわゆる、夕焼け空と繋がっている。この【視覚エフェクト】が掛かるまえには、そこいらに存在していたはずの近隣の家々たちが、ものの見事に消えているから、これはある意味『借景』と呼ぶべき眺めなのかもしれない。ともあれ、見入ってしまう眺めだった。

 センゾが「グランドキャニオンみてえだなあ、行ったことねえけど」と評した。

 普段なら、前述のとおり、こういう仕掛けはすぐに解消する性分なのだが、事件当日のサクラの気分を味わおうと今回だけは特別に【視覚エフェクト】を活かしたままにする。ただ、デコボコした地面は、固さも曖昧だし、いちいち細かく踏み崩れたりして、思いのほか歩きづらいので、【感触エフェクト】だけはデフォルトに戻した。ついでに敷地の範囲を分かりやすくするため、外枠に『金色に点滅する黒いライン』を引いて区切ってみた。すると途端にこぢんまりと狭くなってしまった印象だったが、冷静に見れば、充分に広い。

 黒枠で囲った敷地は、フットボールができそうなほど広大な、奥に長い、綺麗な長方形で、ちょうど中間地点辺りに、ゾウがぴったり収納できそうなサイズの箱型があった。かわやを模したような木造風。敷地にはそれ以外の建造物はなく、奥まですっかり見渡すことができた。事件現場となった建物もない。隠されているか、それとも片づけてあるのか。

 井出ちゃんが手品師のように、何もない空間から、切り絵でつくったようなペットボックスを取り出し、プレートに置く。するとボックスから、ラクガキを三次元化したような二頭身の白っぽい犬型がのそのそと出てきた。犬型は、ゆったり、緩慢な動作で左右に首をふって周囲を確認するや否や、一転、逃亡を図るかのような速さで敷地の奥へと駆けて行った。いわゆる探索犬だ。出現描写から察せられるとおり、ホンモノの動物ではない。【マシン】でつくったモドキ。ペットである。センゾやフラボノと同じだ。


「午前5時から、ぐるっと回って、午後9時まで、この敷地には誰でも入れます」

 刑事が、私たちを先導しながら説明を始めた。

「公共に開かれていた、ということですか?」井出ちゃんが、いつものように透きとおった綺麗な声で尋ねる。

「ええ。敷地内に、ほら、六日囲碁むいかいごの専用対局ブースがありますので」

 先ほど失礼にも『厠』と表現したのは、それだったのか。ブースは木製の板で構成されているようだ。戸が開いているのか、それとも戸という概念がないのか、中が見えて、ここからでも対局用のテーブルとそれぞれ向かいあったイスが確認できた。

「午後9時になると?」井出ちゃんが問う。

「敷地をすっぽり覆うようにガラスケースみたいな塀と天井が出来て、翌日の午前5時まで完全にパッケージされます」

 このように、と、刑事が【プロペ】を操作した。

 すると、敷地の中央付近からデジタルグリーンの光の点が生じた――かと思うとそれは一瞬にして、風船のように膨らんで、私たちは中に飲み込まれる形になる。『風船』はさらに広がると、敷地ギリギリでとどまり、『箱』型になった。

「こちらをご覧ください」刑事は【プロぺ】でつくった『一覧表』を私たちに提示した。そこには、森岡刑事と井出ちゃんと私の名前がある。「午後9時から日付変わって翌日の午前5時までの『密閉時間帯』は、所有者である溺川氏が許可――つまり、彼がこの名簿に登録した者しか、敷地内に滞在することはできませんでした」

「それが『ゲスト』の定義ですね?」と、井出ちゃん。

「ええ」刑事は頷く。「重要なのは、このセキュリティは【TEN】が管理していること。つまり、この名簿を書き換えるには【TEN】の許可が必要であること。そして、事件時間帯から今の今まで、そのような書き換えなどなかったと【TEN】が証言していることです」


「【TEN】は、人に対し、ウソをつかない」

 私は『貴方』のために、この世界のルールを呟く。


「つまり、ゲスト以外の人間は、絶対に、ここには入れなかった」井出ちゃんは私を見て、すぐに刑事に向き直る。「ちなみに、さっき私たちが受けた認証はホンモノですか?」

「いえ、あくまでイメージです」刑事は笑み、補足しますね、と続ける。「実際は、午後9時になると、自動でセキュリティが起動。敷地内にいる人物の脳波を測定。それを【TEN】のデータベースと照合し、名簿に一覧にします。溺川氏が、その一覧を見て、ひとりひとり敷地滞在の許可を出し、完了します。セキュリティ起動から、溺川氏が承諾を完了するまで、ほんの一瞬。本案件でいうと作業終了まで10秒も掛かりませんでした」

「溺川氏に、滞在を認められなかった方は?」私は尋ねる。「あるいは、ゲスト本人が滞在を望まなかった場合は?」

「敷地外に、追い出されます」刑事は即座に答えた。「極めて、穏便に」

「脳波認証とおっしゃいましたが――」今度は井出ちゃん。「被害者の遺体は? 殺害され、脳波が停止した瞬間、敷地の外に排出されてしまうのでは?」

「脳波認証が発揮されるのは、ゲスト登録の瞬間と……、それと、入るときと出るときだけです」

 21世紀風に言えば『キセル』というやつか。

 出入りのときだけ脳波が必要で、滞在中は認証しない、と。

「ゲストの名簿は見せてもらえるのでしょうか?」私は刑事に訊く。

「もちろん、開示いたしますが」彼はうやうやしく言った。「先に案内のほうを済ませてから」

 刑事の話によれば、密閉時間帯になっても『不意の客』が訪ねて来られるよう、敷地南側の、ちょうど私たちが入ってきた辺りに『門』が設けられる仕様らしい。当然というか、事件発生日――まあ、今朝方なのだが、そんな『イレギュラな客』など存在しなかったことが警察の調べで明らかになっている。

「たしか溺川さんは事件が起こるまえに亡くなったのですよね?」

 井出ちゃんが刑事に尋ねる。

 『ツール』を製作していた私と違い、彼女はちゃんと事件のことを調べていたらしい。負け惜しみではないが、それは『ネタバレ』ではないのか、と言いたくなる。

「ええ、いわゆる『天寿』というやつです」刑事は答えた。

「二度の還暦を迎えると――つまり、数えで120才の誕生日に、【TEN】から、来年の何月何日何時何分何秒という詳細な『命日』を伝えられる。それを『天寿』と呼び、無事その時刻を迎えると、死の間際、【TEN】の持ちえるすべての情報を知ることができる。だから未練なくこの世を去れる――」井出ちゃんが【プロペ】を見ながら、私に解説してくれた。「まあ、都市伝説のたぐいですね――というのも当事者以外に確認するすべがないからです。そもそも【TEN】からの『命日告知』があるのかも怪しいところですけれど」

「昔だったら、『ボケ老人のたわ言』で片づけられちゃう話だね」

 21世紀人をつくったせいか、私の思考はそちらに引きずられた。

「溺川氏曰く、天寿達成日時は本日の午前0時ジャストです。事件発生の3時間まえでした」と、刑事が言う。「今回招待されたゲストのほとんどは、『剣術家』である溺川氏の門下生で、『天寿まっとう』の瞬間に立ち会うのが目的だったようですね。実際、天寿を迎えたとき、溺川氏の身体から、特殊な【エフェクト】が巻き起こったそうです」

「【エフェクト】とは、具体的には?」私は訊いてみる。

「いやあ、教えてもらえませんでした。どうやらは口外を禁じられているようで」

「禁じられてるって、【TEN】に?」さらにつっこむ。

「そういうことです」刑事は、にやり、として頷く。下卑た感じはない。

「ええと、天寿達成の際に出現する【天寿エフェクト】を浴びると、霊験新れいけんあらたかな効果がある、と一部で信じられているようですね」井出ちゃんが雑学を披露する。

「【TEN験】でしょ?」私も、言葉だけは音として聞いたことがあった。「でもなるほどね、だからそんな、他人の死を見取るなんていう悪趣味なことをしようとしたわけね」

「バトルの世界ランカーも、過去にこの【天寿エフェクト】を浴びていた、という噂がありましたからね」刑事も加わる。「ちなみに、不染井さんは立ち会わなかったそうです」

「そもそも彼女はどうしてこちらへ?」

 井出ちゃんは、そう刑事に尋ねたあと、私を見た。

 間が空く。

「あ、ご存知でない?」刑事も私を見ながら答える。「溺川氏は、バトルの元・日本代表選手です。国内の歴代ランク8位にまで登りつめた猛者で、まあ、生ける伝説です。今回、冥土のみやげに、現役の日本代表選手である不染井さんにラストマッチを持ち掛けたそうです」

「へえ」だとしてもサクラがそんな誘いを引き受けるのは珍しい。「あ、そっか。天寿付近の人間がどれくらい戦えるのか――っていうか、衰えるのか、体感したかったのかも」

「衰える、ですか?」井出ちゃんは不思議そうな顔をこちらに向けた。

「サクラは根っからのバトラだから」ハッキング資格所有者である私は、その奇妙な制約のせいで『バトラー』と語尾を伸ばして発声できない。けれど『サッカー』や『スター』などは伸ばせたりする。基準は曖昧だ。

「生涯現役のための指標にしたわけですか……」井出ちゃんは、ピンク色の、手帳を模した【プロペ】をめくる。「溺川さんが最後にバトルカップに出場したのは、もう40年以上まえの、78才のとき。バトルカップにはシニアの部がありますが、そちらではなく、『無差別級』にこだわったようですね」彼女は手帳型越しに上目づかいで刑事を見る。「それで、結果は?」

「それは、のちのち」刑事は、にんまりと微笑んだ。

 もったいぶる必要はない。『上には上がいる』という言葉を残しているサクラだ。にわかには信じがたいが、額面どおり解釈すれば、結果には想像がつく。

 そんな私の思惑を表情から汲み取ったのか、刑事はこちらに笑みを向けつつ、口を開く。

「事件の日、招待されたゲストは、午後9時になるまで敷地に東屋あずまやをつくって、そちらで自己紹介やら、最後となる歓談をしたりやら、なごんでいたようです。密閉時間になったら、【マシン】で邸宅がつくられ、そちらに移りました。こんなふうに――」

 刑事が、宙に浮かべた丸ボタン型の【プロペ】を押すと、行く手に巨大な建造物が、音もなく出現した。

 それは最初、透明な氷柱に思えたが、近くに寄ってみると、むしろ、水だ――とはいえ、触れても手は濡れないし、つるつるとフラットなので、水族館の水槽という感じ。一見、中まで見通せそうだが、覗くと数メートルもいかないうちに、ほんのりと青い領域に阻まれる。すると途端に建物全体が青く染まった。けれど、瞬きをしたわずかな隙に、また透明に戻っている。それで再び、中を凝視しようとすると青くなる……。これは存外、透明でも青でもなく、『水色』と呼ぶべきものなのかもしれない。

 さて、建物は、高さが10メートル以上ありそうだが、幅が広く、床面積は想像もつかない。俯瞰図を取り寄せたら、直径およそ43メートルの真円型だった。

 21世紀人であるセンゾの目からしたら、これは、巨大水槽はもとより、前衛的なモニュメントか、あるいは、なにか科学的な測定装置に映るかもしれない。情報低減化の波に押し寄せられ、『建築基準法』などすっかり形骸化されている今は、『建てられるなら合法』の、明瞭な世界だ。そんな現代において、この手の一般家屋は、別段、珍しいものではない。

 刑事は念のためか、わざわざ、「これは事件発生当時の溺川宅と同型です」と断った。

「現在、この建物の所有権は?」原則として、質問は井出ちゃんの役目である。

「こちらの所有権は、前所有者の天寿達成直後ではなく、翌日ゲスト全員が敷地を退出した1時間後に、溺川氏のご子息である『吉村 来世』(よしむら かいむ)氏へ自動的に移転されました。そういうレギュレーションを事前に決めていたようです。その引継ぎに不正な箇所は一切ありませんね。これも【TEN】が保証していますから」

 『ご子息』なのに名字が違うのは、24世紀の日本では不思議なことではないので、あしからず。詳しく知りたければ、あとで自習を。

 さて、具体的には本日午前6時に所有権が移動していた。サクラが逃走したあとだ。現行法では死者の所有権を認めているから、死後数時間後の所有権移転は、こちらも特段、不思議ではない。要するに『遺言の延長』と見なされているわけだが、当然、限度はある。

「これは外枠だけ」刑事は、ぱしん、と建物の外壁に手を触れる。「中は、まあ、ガランドウです――と言っていいかな? 必要に応じて部屋をつくる、って感じです」

「ウチと同じです」井出ちゃんが私に小さく笑いかける。

 むしろそうでない仕様の家のほうが珍しい昨今だ。

 建物の出入り口は、私たちが辿たどってきたルートから少し、左――つまり、西側に設けられてあるらしい。21世紀なら、まっすぐ歩いているつもりでも、知らぬ間に左右どちらかに1メートルもずれてしまった――などということがあり得たのだろうか? あの時代でもさすがにGPSが導入されていただろうから、ちょっと自信はなかったが、それを確認するためだけにフラボノを呼ぶのは、さすがに気が引けた。


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