43.ダイイングメッセージ
「被告人以外に犯行が可能な人物――ですか、それはそれは興味深いですねえ」
と、櫛引検事は大げさな身振り手振りで、ヤケクソのように言い、廷内の笑いを誘った。「あるいは、まだどこか検討していない事柄が残っていたでしょうか? 具体的におっしゃってください」
「まず差しあたっては――」私は答える。「果たして賽形氏は本当に他殺だったのか、その吟味が足りないように思います」
「他殺ではないということは、自殺か事故、ということですか?」検事はもう切り替えたようだ。油断のならない目に戻っている。それを鑑に私も気を引き締め直す。
「自殺、という可能性はどうでしょうか?」井出ちゃんが提言する。
「どのような方法で?」検事が水を向けた。
「自殺と言えば、首吊りです」うっとりした声で井出ちゃんが言う。「窒息狙いではなく、頸椎損傷による首吊りならば即死も可能です」
「不勉強で申しわけない」櫛引検事は皮肉っぽい調子で遮る。「支えがなくても、首吊り自殺というのは可能なものなのですか?」
井出ちゃんはどこ吹く風だ。「もちろん、あの敷地内にある、建物を含めたほとんどのものは【マシン】で構成されたものなので、ロボット則により、首吊りの支柱にすることはできません。ただひとつのものを除いて」
「六日囲碁のブースのことですか? たしかにあの骨組みは地球Bから取り寄せた、自然の――木製でしたが、かなり老朽化しています。あれが崩れないのは、【マシン】によって補強されているお陰です。とても人ひとりの体重を支えるなどということは叶わないでしょう」
「事件当時……」井出ちゃんは小声で言う。「老朽化していなかったら?」
「はい?」
「自殺実行当時、ブースの骨組みが老朽化していなかったとしたら?」
改めて井出ちゃんが、そう言い添えると、勘の良い検事はそちらを見据えたまま、六法全書型の【プロぺ】をめくり始めた。
彼女は、裁判席に顔を向ける。「弁護側の主張はこうです。当時、首吊りの支柱として充分機能していたブースの骨組みを、自殺のあとに、【マシン】を使って、意図的に老朽化させたのではないか――そういう主張です。その可能性は、果たして、ありえないのでしょうか?」
井出ちゃんの攻勢に、検事は視線を落とした。
「【TEN】によれば――」井出ちゃんは、トドメを刺す。「理論上、それは可能です」
検事は叩きつけるように書籍型の【プロぺ】を閉じた。「理論上可能なだけであって、実際、それが行なわれたかどうかは分からないはず」
「ええ、おっしゃるとおり不明ですが、少なくとも自殺は理論上可能であるわけですから、『被告人にしか成し得ないから、他殺』とした検察の主張には穴がある、ということになります」そう言いながら、井出ちゃんは、流れるような所作で左手を前にかざした。「挙証責任は、常に検察にある、という原則をお忘れなきよう……、ちなみに」私には彼女の目が輝いたように見えた。「賽形氏が自殺であったことを、間接的に指し示す証拠を、弁護側は用意しています」
「参考までに、お聴きしましょう」言いながらも検事は再び、六法全書型をめくっている。どうやら自殺説を覆すアイディアを模索しているようだ。
「ずばり、申し上げましょう」井出ちゃんは、本日一番の美声だった。「ダイイングメッセージです」
一瞬の沈黙のあと、廷内がざわつき始めた。
傍聴人の首のひねり具合、【プロペ】の呼び出し率からすると、そもそも『ダイイングメッセージ』というものを知らないのだろう。さすがの検事も指を止めていた。
「知る人ぞ知る、咎人指摘の極致ですので、致し方ありますまい」井出ちゃんはニヤニヤと演技っぽく言い、隣にいる私は『その場から逃げたくなった』という表現の真意を知った。「それだけ世の中が平和になった、ということですので、また喜ばしからずや、と」
「弁護人?」稲原さんが声を掛ける。
「賽形氏は、けれど、具体的な文章を残したわけではありません。体現に近い」
「体現、ですか……?」リアクションは裁判長の役目になったようだ。
「状況を思い出してください。まず2階には天寿達成者たる溺川氏のご遺体がありました。そのちょうど真下で、賽形氏は自殺し、頭部を切断された……。つまり『お達者――』」
「ちょっと待ってください」検事が水を差す。「自殺なら誰が首を切断したのですか?」
「もちろん、【マシン】です」井出ちゃんは答える。
「いや、【マシン】は人を傷つけられません」
「ロボット則ですね」彼女は余裕だった。「大意は、【マシン】は生者を傷つけられない、という感じでしょうか? なら問題ありません。賽形氏は死者なのですから」
「たとえ、死者でも、【マシン】が独断で、遺体を加工したり、切り取った一部をどこかへ移動させたりすることは禁じられています」
「そう、それは罪になるからです。死体損壊または遺棄罪。ただし、それは他人が依頼した場合……。これは他殺ではありません、自殺です。ならば賽形氏が自殺後の己の肉体を【マシン】に切らせ、頭部を運ばせることは、遺言の効力の範疇でしょう」
「……そうでしょうか?」怪訝そうに検事は言い、また全書型をめくる。
「あ、それと、賽形氏がブースを老朽化できた、ということは、持ち主である溺川氏の許可を得ていた、と考えるのが自然です。溺川氏がどこまで計画を存じていたか、今となっては知る術はありませんが、『協力関係にあった』と考えて構わないでしょう……。では、話を戻しましょう。ダイイングメッセージ――いや、正確には『遺体とその周辺状況』が、自殺を示唆するアナグラムになっているのです。よろしいですか。2階に溺川氏の天寿体があり、その真下に、頭部を切断された賽形氏の遺体が置かれた状態です」井出ちゃんはそこで一度、間を取る。「これを言葉で表現すれば、『お達者の下、びっくり――』」
「裁判長」櫛引検事が挙手。「証人の召喚および尋問を要請します」
「検察」井出ちゃんが手を振って、注意を引こうとする。「今でないといけませんか?」
検事は彼女を一顧だにしなかった。「弁護側の提唱する自殺説……、その可能性を覆すかもしれない重要な尋問です」
「許可します」と、裁判長。
「そんなあ~……」井出ちゃんの本気で悔しそうな悲鳴が廷内に響いた。
果たして検事が召喚したのは安田だった。
もちろん、三次元映像。
いわゆる『どこでも登壇』。
本人は別の場所にいるのだが、首には裁判用の『首輪型』の【センサ】が巻きついており、どのような仕掛けは知らないが、【エイリアス】の判定は正確になされる。
「些末な用件でお呼び立てして申しわけない」検事は事務的に頭を下げた。「あなたは事件の『まえ』と『あと』で、ブースに入ったことが公に認定されている、ただ一人の方ですので……。状況はご理解なさっていますね?」関係者はいつ呼び出されてもいいよう、公判の視聴が義務づけられている。「とどのつまり、あなたの『拡張五感』ならば、ブースの骨組みが事件の前後で変化していたのか分かるのではないかと思うのです。……では、お尋ねします。『いいえ』とお答えください」検事は、いったん言葉を区切る。「あなたが入ったブースの骨組みには、老朽化を含め、先の弁護人が主張した自殺説を実現するような変化が何かありましたか?」
緊張気味の安田が答える。「……いいえ」
注目の【エイリアス】は――と見ると、すぐにシロ判定を出す。
半球型の周囲には『安田証人の拡張嗅覚の情報から、ブースに用いられた木製骨組みの材質の状態に大それた変化は無かった、と判断する。』という文章が表示される。
要するに、本人に自覚はないけれど、安田の鼻は、『とても首吊りの支柱には使えないほど老朽化した木』の臭いと、『新木ないし首吊りの支柱に使える程度に強度が残る古木』の臭いとを正確に嗅ぎ分けることができて、かつ、事件の前後で、それら骨組みの臭いに変化がなかったことを憶えている、ということだ。
井出ちゃんはすぐに挙手し、発言権を得る。「では訂正します。元からあるブースではなく、賽形氏ないし誰かが、あの日、首吊り用のツールを持ち込んだのかもしれません」
「『行動記録』を読み返しなさい」
検事がぴしゃりと叱りつけるように言い放つ。「案内役の森岡刑事から『あの日、邸宅にあった人工物はブースだけだった、と【TEN】が保証している』と聞かされませんでしたか?」
フラボノが私にしか聞こえない声で「ちなみに波戸先生の行動記録では、2332年11月7日のタイトル『13.六日囲碁のブース』に当該記述があります。波戸先生の『閲覧形式』で言えば、76行目あたりですね』と、わざわざ教えてくれた。
「今、【TEN】からの回答がありました」裁判長が横入りする。「たとえ遺言だとしても、自殺遺体を加工するようなことは【TEN】はしない――とのことです」
「一足違いでしたか」検事は気にかける様子はない。「まあ、これで弁護人の絵空事は完膚なきまでに否定されました」彼は、こちらに向き直った。「まだありますか?」
「私からはありません」井出ちゃんはあっさり引き下がるが、声に不敵な響きがあった。
「では、波戸先生――」と検事が私を見るタイミングが悪かった。「どこに通話しているんです?」ひそかに通話をしているところを彼に見咎められてしまったのだ。「審理中の通話は問題ですよ。たとえ相手が関係者――切れ者と名高い上司であっても」
「いえ、私用です」
「なおさら問題です!」検事は苦々しい顔で語気を荒らげたあと、失礼、と、私にではなく、傍聴席に軽く頭を下げた。
井出ちゃんが密談用の【プロペ】に『わりと短気な方ですね』と表示した。
「閑話休題」と検事。そのような口語での使い方をした人間を私は初めて目の当たりにした。「波戸先生、あなたには、なにかアイディアがあるのですか?」
「いえ、ありません」
「それでは――」
「ですが」私は、平坦な声を心掛けた。「このような事態になってしまいました」
弁護席の机の上、ネームプレートのように検事に向けて置かれた【プロペ】には3万を上回る数字が表示されていた。こうしているあいだにも、さらに数は増えている。
「それを訊くのは、今でなくてはいけませんか?」皮肉っぽく検事が返す。
私は、じっと見つめかえした。
4秒間の沈黙。
彼は、ぱちんと手を叩く。「よろしい、お訊きしましょう。なんでしょうか、それは?」
「国内に存在する名探偵の数です」
「メータンテイ?」検事は、井出ちゃんを手で示す。「彼女のような?」
「まさか」井出ちゃんが上品に笑む。「私などとは比べものになりません」
「想像を絶しますね」苦々しい顔で検事が言い捨てた。
この一瞬生まれた隙に、私は、『カウンタ』を裁判席に向け、言葉を発する。「これは、この公判が始まってから今までのあいだに、ネットワーク上に寄せられた推理の数です」
「とってつけたような、もの凄い数ですが、数字の根拠は?」検事が訊く。
「それは『推理』の定義を尋ねていらっしゃるのでしょうか?」嬉々として井出ちゃんが立ち上がる。「何時間でも議論にはお付き合い致しますよ」
「1秒たりとて御免被ります」
と、検事は頭をかきながら吐き捨てるように言った。「まさか弁護人はそのすべてをここで発表し、逐一吟味するおつもりですか?」
「いえ、さすがにそれには及びません」私は、滅相もない、という感じで首をふる。「弁護側で責任をもって選定作業を行ないますので、少しばかりお時間をいただきたいのです」
「5秒くらいですか?」
「秒で答えろ、とおっしゃるなら、3×60×60秒ほど」
「3時間も?」検事は顔を顰めた。
「もっと長くても構いませんが」
「どうして!」そう検事が叫ぶと、傍聴席から笑いが起きた。彼は、咳払い、気を取り直して、「呆れました」と低い声で言った。
「それはこちらの台詞です」井出ちゃんがすかさず被せる。「検事にはこの数字が見えないのですか? 煎じ詰めれば、それは、市民の司法参加への意欲を軽んじ、その高邁な精神をないがしろにしていると取られかねない、極めて問題のある態度に思えますが」
「それにしても3時間は長い」検事は後輩の饒舌を遮る。「こちらで精査しましょうか?」
「ご冗談を」私は言った。笑ったかもしれない。「これら意見は、検察側立証ストーリィに対する異論です。握り潰されては、かないません」
「失敬な」
「ええ、ですから、最初に『ご冗談を』と申し上げました」
煙に巻いたところで、裁判長が口を開く。「弁護人の言いぶんは理解しました。今から3時間は……、長い、というよりは中途半端です。どうでしょう、検察側に異論がなければ、続きは明日ということにしては」
来た。
その提案は、こちらの狙いどおりというか、願ってもないものだが――
私は、どちらでも構いませんよ、という感じで、ゆっくりと検察席を窺った。
検事はそんな私たちの思惑をすっかり見透かしたような不機嫌そうな呆れた顔をつくり、さらにたっぷり時間を使ってから、「ご随意に」と答えた。
次の投稿は、祝日のため、早めに、午前6時を予定しております。




