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40.初公判



 生中継されているにも関わらず、定員50名の第2号法廷の傍聴席は満杯、札止ふだどめだ。

 彼らの一部は、証言席の真上に浮かんでいる巨大モニタから出力される映像情報――たとえば、廷内での理想的な振る舞いや公判のルール、今回のように被告人不在のまま裁判が行なわれることは刑事訴訟法によって保障されていることや、弁護側が検察側立証を崩せなかった場合に限り、冤罪えんざい防止のために被告人を強制召喚し【エイリアス】が掛けられること。【TEN】の登場により形骸化した刑法の条文は、ほとんどが『削除』されたものの、ナンバリングだけは残され、引き継がれているのは、かつてこの国が、いかに罪が多い『野蛮な』あるいは『自由な』世界であったかを思索するための配慮である――などというトリビアルな情報に見入っていたが、そのほかの大半の傍聴人は、そんなの常識だよ、とばかりに廷内を見回したり、【プロペ】を広げたりして、時間を潰していた。

 正面の検察席には、櫛引くしびき検事が一人だけ。六法全書みたいに分厚い本型の【プロペ】を手元に置き、腕組みし、目をつむっていた。

 私たちのすぐ前に設けられた被告人席には、誰もいない。

 左隣にいる井出ちゃんが「いらっしゃいました」と手で示した視界右奥、今どき珍しい観音開きのドアをあけて、稲原裁判長以下、2名の判事と、6名の裁判員が入ってきた。

 私たちは起立して、迎える。心得知らずがいたらしく、廷吏ていりの「ご起立ください。全員です」という声が傍聴席のほうから聞こえた。

 入ってきたジャッジサイドの面々は、予行演習したわけではないだろうが、ベルトコンベアで選別されるスイカのようにとどこおりなく自分の席へ着く。手前に稲原裁判長。左右に判事。6名の裁判員たちはその後方、廷内を見下ろすような、少し高い位置だ。

 黒衣に身を包んだ稲原さんが、まずは検事を、次にこちらを見て頷き、正面を向いた。

「一同、礼」廷吏から声が掛けられる。「着席」

 宙に浮かべた座面だけの、足のないイスだから、騒がしくはならない。

 卓上に展開させた【プロペ】の時刻が、午後9時ジャストを示した。

「え~、それではさっそく始めていきたいと思いますが……」稲原さんの声が静まり返った廷内に響き渡る。スピーカ型の【プロペ】がその音量を、廷内にいる誰にとっても聴きやすいよう調節してくれているためか、直接話しかけられているような印象だ。稲原裁判長は証言台のほうを手で示す。「ご覧のありさまです。リバイバルドラマに出てくる裁判風景と違う、と面食らった方もいらっしゃいましょうが、事前にモニタで案内したとおりです。え~、では、まずは人定質問。この法廷で裁かれる者の名前は……、被告代理人」

「はい」私は返事をし、立ち上がる。「被告人は、不染井そめないよしのあやで間違いありません」

 私の言葉に合わせて、証言台にサクラのホログラムが現れる。

 その人形は『不染井桜』とプリントされたA4サイズのカードを胸の前に掲げていた。

 私は座る。手順はこれだけだ。

 今の時代、私たちのように職業に就いている者のほうが珍しいし、『自宅』も、禁じられた土地でなければ、どこにでも自由に建てられる。そのような事情をかんがみ、人定質問は、このワンワードだけである。

「続いては、起訴状の朗読」裁判長は傍聴席を見回しながら言う。「被告人がどのような罪を犯した疑いを掛けられているのか、検察官による説明が行なわれます。では、検察」

「はい」櫛引検事が立ち上がる。「まずはこちらをご覧ください」

 検事の合図と同時に私の前に秋霜烈日のマークが付いた書籍型【プロペ】が現れた。隣の井出ちゃんも同じだ。裁判席はもちろん、傍聴席にも同様の現象が起きていた。改めて書籍型に目を戻すと、待ち構えていたように勝手に表紙が開かれた。そのまま風に吹かれたみたいにページがめくられる。そのさまに目が離せない。ページは真っ白――いや、ほのかにランプに照らされたように黄色いか。文字は書かれていない。黄色い羽ばたき。

 ふっと意識が飛ぶ。

 賽形きゆぶ事件に関する、あらゆる情報が、画となり、声となり、文字となり、入ってくる。

 いや、そんな奔流のような追体験ではなくて、なんというか……。

 次の瞬間、私の意識は、もう、法廷に戻っている。 

 裏表紙にも秋霜烈日のマークが刻まれていた。

 書籍型は、霞むように消える。

 まるで、独善的なシャレードを利かせた映画をたっぷり3時間も視聴したような気分。

 それは、ぐらんぐらんとした酩酊めいていをもたらしたが、思考はすこぶる明瞭だった。

「これが本案件の概要にしてすべてです」検事は断じた。

 私たちにとっては、それら情報は既知で、目新しいものはなかった。

「検察」稲原さんの声で、ようやく私から情報酔いが消えた。「手順が違います。まずは起訴状の朗読を」

「もちろん承知しております。が、伝えるべき被告人が不在のため段取りを変更――」

「起訴状の朗読をお願いします」裁判長は静かな口調で再度促した。

「被告人・不染井桜は本年11月7日午前3時ごろ、東京都浦安区96‐46、溺川おぼれが過世しほん氏邸宅において、被害者・賽形きゆ氏を殺害したものとする。刑法第199条、殺人罪」検事はすらすら言った。「それと、すでに皆さんご承知のとおり、被告人以外に犯行が可能な人物がいないことは明々白々です。異例ですが、これをもって検察側の立証と致します」

 井出ちゃんが挙手して、稲原裁判長から発言権を得る。

「ご冗談を。検察は何も立証していません。被告人がたしかに犯行をおこなった、という証拠がなければ、反論のしようがありません。検事は『屏風の虎』の故事をご存知でしょうか?」

「そもそも公判に被告人がいない、というのが異例中の異例なのです」検事は挙手せずに発言する。「今回の案件において、原理原則が通じる、などという欺瞞は捨てましょう」

 井出ちゃんは面食らったようだがすぐに、

「……問題発言です。ここをどこだと――」

「重ね重ねになりますが、そもそもこのようなイレギュラな状況をつくりだしている元凶が被告人自身だということをお忘れなく」

「これはイレギュラーでも例外でもなんでもありません。この状況は刑事訴訟法で保障された権利であり、その行使です」

「だからと言って、なにもかも許される、というわけには参りません。被告人にしか犯行が成し得ないのは、ご覧いただいたとおり、純然たる事実なのですから」

「消去法で導き出された結果を、純然たる事実などとは呼びません」

「そういうのを減らず口というのです。すべてはあなた方の怠慢――いや、失礼、あなた方の『法廷戦略』のせいではありませんか。被告人が無実というなら、【エイリアス】を受けさせればいい。それで済む話です。ここにいる全員、それで納得します」

「検事は、痛くない腹を探られる、という故事をご存知でしょうか? 我らが善良な依頼人には【エイリアス】を受けなければならないいわれなどありません」

「条文解釈や学派の争いは余所よそでお願いします。それと、弁護人は、少々、思い違いをしている。リバイバルドラマに毒されているのかもしれません。いいですか、時代は変わったのです。こんにち、法廷とはテクニックを競う場所ではありません。なんら臆面おくめんもなく、真実を明らかにする場所なのです。それが叶う場所と換言してもよろしい。なにしろ、【エイリアス】があるのですから」

「【TEN】のため息が聞こえてきそうです」井出ちゃんの表現に私は危うく吹き出しそうになった。「真実とは【エイリアス】が決めることではありません。我々、人類が希求し、追究し、切磋琢磨して探しだし、掴み取るものです」

「ですから生産性のない意見は余所よそで――わざと水掛け論にして時間稼ぎするのはやめていただきたい。再三にわたって申し上げているとおり、被告人を【エイリアス】に掛ければもう完膚なきまでに済む話なのです。弁護人も、殺人者を野に放つような過ちに加担せずに済みますし、『我々』も無辜の人間を処刑台に送るような最悪を回避できるのです」

 異議ありだ。前述したとおり、こちらが負けたら、冤罪防止のため、被告人に【エイリアス】を掛ける決まりになっている。『無辜の人間を処刑台に送る危険性』などない。

「それは思考停止というものです」けれど、井出ちゃんはその点を指摘せず、違う方面から潰しに掛かる。ヤブヘビになるのを回避したのだろう。「むしろ、なぜ、【TEN】は【エイリアス】による聴取を我々に義務づけなかったのか、今をもって、被告人を自由にさせているのか、その理由を思料しりょすべきです。過ちというなら、事が起こったら、短絡的に【エイリアス】に頼ろうとする人類の甘えた態度のほうが、自覚していないぶんだけタチが悪いと――」

「口を慎みなさい」検事は一喝する。「よろしいですか。私たちが今議論すべきは、ありもしない仮想や理想の話ではなく、今、目の前の、現実の話です。被告人はなぜ【エイリアス】を拒否するのか。忌避するのか。弁護人こそ、その理由を考えてみて下さい。逃げ回って逃げ回って、それで犯行を直接立証できないから無罪というのでは――」櫛引検事は注意を引くように拳で卓を二度、小突いた。「道理に合いません」

 なおも井出ちゃんは執拗に食い下がる。その最中に『まずいですね。検事の言葉は、こちらではなく、裁判員に向けられているようです』と密談用の【プロペ】に表示した。

 私からすれば『やっと気づいた?』という感じだが、検事相手に抗弁しつつ、こちらに思念メッセージを出せる井出ちゃんのマルチタスク能力には、素直に感心した。

 さて、そろそろこの膠着に痺れを切らした裁判員の誰かが、検事に肩入れするような発言をするころかな、と思いきや、「よろしい」先に検事が折れた。「では、こうしましょう。検察側が行なった立証は、先に申し上げたとおり、ひと欠けの瑕疵かしもない、との自負があります。もし、本当に被告人が無実ならば、ほかに真犯人がいた、という理屈になります。いえ、名指ししろ、とまでは申しません。影でいい。その存在を、可能性を――示してください。それができたら潔く負けを認めましょう。ただし、【TEN】が殺した、などという血迷いごとをおっしゃるつもりなら、この提案は取り下げますが」

「むろん、そのようなことは申し上げません」井出ちゃんが品よく嘲る。

「検察側は、かなりの妥協を示してくれたように見受けられますが」今まで、発言ルールを無視した井出ちゃんと検事の応酬を見守っていた稲原裁判長があいだをとりもつ。

「提案自体は、願ってもないもので、感謝の意にえません」私は答える。「もちろん、謹んで承諾いたしたいと思います」

「では、さっそく、弁護側の証拠調べから」裁判長はこちらに手の平を向けた。

「そのまえに――」井出ちゃんが手を挙げる。

「なんでしょう?」

「こちらは法に殉ずる者です。あくまで原理原則手順どおり行ないたいと思いますので」

「ああ」と勘のいい稲原さんは、それで察してしまった。もう少し、時間を稼ぎたかったが。「では、被告代理人に尋ねます。先ほどの検察が読み上げた起訴状に、どこか間違いがありますか?」

「もちろんです。被告代理人は、被告人・不染井桜の無罪を主張します!」井出ちゃんが虚空を指さす。

 廷内に響いた彼女の声は水晶みたいに凛と透きとおっていて、傍聴席から「おお~っ!」と万雷ばんらいの拍手が起こってもおかしくなかったが、軽くどよめいただけに終わる。

「段取りと言えば――」思い出したように裁判長が言う。「遅ればせながら、私からもひとつ」と背筋を正し、厳粛な面持ちをつくる。「被告人・不染井桜には黙秘権があります」

 そちらはウケた。


次の投稿は、祝日なので早めに、明日の午前6時を予定しております。

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