35.推理脳
用済みになった賽形宅、そのプリン色の敷地を歩きながら、私は、ちらちらと井出ちゃんに視線を送る。彼女と目が合ったので、口を開く。
「正直なところ、ここにアタマがあるんじゃないかなって……、ちょっと、期待してた」
「アタマって――」井出ちゃんが目を丸くする。「ああ、賽形さんの、ですか?」
「そう」彼女の反応が悪くなかったので、素直に答えた。「豊島だし」
「う~ん」井出ちゃんが唸る。「繋がりが分かりません。私が不勉強のせいか――」
「不勉強なんだろうね」私が重ねると、井出ちゃんは拗ねて、身体をぶつけてきた。
敷地から出るまであと十数メートルというところで、「あっ!」と、唐突に井出ちゃんが叫んだ。「トロイの木馬だ!」
「えっ?」私は、びっくりして、前方に目を凝らしたが、そちらには、風に飛ばされるポリ袋を追うような必死さで、やもめんが駆けているだけだった。
「いや、そうじゃなくて……」と、私の腕を触った井出ちゃんは最初苦笑いを浮かべていたが、すぐに表情を輝かせる。「あの六日囲碁のブースが木馬だったんです!」
「なあんだ、昼間、中に潜んでて、ってことでしょ?」
私は、にべなく言った。「そんなのセキュリティに引っかかるに決まってるじゃん」
「そうですね……」と、いともあっさりと彼女は引き下がった。思いつきだったようだ。
とはいえ、ブースの中がセキュリティ上の『治外法権』になっていないか確認は必要だ。私は脳内にフラボノを呼び出し、それを命じた。
「ブースの中に人がいる場合、警告が流れ、邸宅には引き込まれない仕様です。対局中であった場合は空気を読み、多少の便宜を図ります」
具体的には、最大で30分延長されるようだ。そのあいだに一気に決着をつけるか、封じ手をしたため後日に持ち越すか――そのような選択を促すアナウンスがなされるらしい。猶予時間を過ぎれば、敷地外へと強制退出だ。空になったのち、ブースは邸宅へ戻る。
「それと邸宅に戻るブースが外壁を開けた際、一緒に建物内に侵入することも不可です」
もちろん、認証を受けたゲストならば、それは許される。所有者の溺川氏なら、ブースに背中を押されるようにして帰宅、なんて遊びもできただろう。ただし、ログは残る。
やもめんを回収して、【カプセル】に乗り込むと、またしても、「分かった!」と、井出ちゃんが叫ぶ。「分かりました! やっぱりギロチンを使うのです」
「ギロチンはロボット則で禁止でしょ?」
「いえ、厳密には『ギロチンによる自殺は禁止』です」と後輩は、こちらのお株を奪う。
「他殺だとしたら、結局サクラが犯人になるじゃん。あいつ以外、殺せないんだから」
「それはゲストに限ったこと、ですよね? ギロチンと言えば、入力に比べて、大きな出力が期待できる『増幅装置』以外に、どんな特徴があるでしょうか?」
「知らないよ」私は言ってから、考える。「音がうるさい、とか? あっ、つまり、楽器的性質があるのか――」
「タイマーです」井出ちゃんは語尾を伸ばした。「タイマーが使えるのです」
「タイマ?」私は思考を巡らせた。
「ワナ、と表現しても構いません。時間が来ると、勝手に落ちてくる刃です」
「ええと、時限式のギロチン……」私は思考で検証してみる。「通常なら【安全プログラム】によって防がれてしまいそうだけど」
「被害者は【安全プログラム】を実装していませんでした。これは実際殺害されていることから、当然導かれる純然たる事実です」
純然たる事実とは、片腹痛し、だ。
せいぜい、『そう考えても矛盾はない』程度の話だろう。
「次の障害はなんと言っても『ロボット則』だね」
私は後輩の説を潰しにかかる。「タイマに少しでも【マシン】めいたものを利用したら、たとえ自殺でも動かないはず」
「このタイマーは、機械類をいっさい使っていません」井出ちゃんは胸を張る。
「じゃあなに、ロウソクの火を使うとか?」
「発想のベクトルとしては良いです」惜しい、という感じで褒められた。「でもそれでは常人レベルと申しますか……、もっと、斜め上を向かせないと」
「斜め上ねえ」斜め上、とは実は斜めではなく、『平面図で見たときのZ軸』のイメージに引っぱられてしまった結果ではないかと思ったりもする。「斜め上には何があるの?」
「本格ミステリマニアだけが住まう楼閣があります」0界並みに嫌なところだ。「そうですね、楼閣は楼閣でも、まだ玄関――いや、軒先というか……。本格ミステリマニアなら、『タイマー』と聞いて、まず真っ先に浮かぶ系統のものでしょう」
「ああ、遺体か」
私が言うと、井出ちゃんは一瞬びっくりした顔をしたあと、いかにも口惜しい、といった表情をつくった。「先輩って、妙なところで、勘がいいんだから……」
いやあ、あれだけヒントを出されれば、さすがに私だって。
「ブースを使って、高さを稼いだわけね?」
「はい」と、井出ちゃんは頷いたあと、私が何も続けなかったので、今度は驚いた顔になる。「え、ひょっとして、それで解説終わりですか?」
「まずね――」私は反論自体が面倒になった。「解説する意欲がないから」
「ブースの上に立たせた溺川さんの遺体にギロチンの刃を持たせたわけですね」井出ちゃんはさっさと言った。「死後硬直が解けると、刃――要するに御神刀を落とすようにして」
「自殺ではないということは……、事故だって?」
「ええ、それを仕掛けたのが不染井さんでなければ」
「この方法での事故死は可能なのかな?」
「そのとおりに物事が運ぶのなら、可能です」出番を察したフラボノが現れる。「もちろん、【安全プログラム】を実装していれば、防げる事故です」
「そのとおりに物事が運ぶのなら、って、どういうこと?」私は引っかかって、訊く。
「井出先生の思惑どおりにタイマーは動かないであろう、という意味です」
「死後硬直か」私の言葉に、フラボノが頷いた。「そもそも死後硬直ってあるの?」
「弛緩を含めたそれは、もちろん存在しますが、【TEN】によって無効化されます。なにしろ遺体が汚れますので」
要するに『死後硬直ないし弛緩をタイマ代わりにすることはできない』ということだ。
「あっ!」井出ちゃんが、また、なにやら思いついた声を出した。「天寿達成者には、特別に、その効果が免除されるとか?」
「聞いたことがありません」フラボノは擬人的に答えた。「むしろ、万人に、もれなく付与される、という話ならば、存じておりますが」
井出ちゃんは「やなこ」と恨めしげな表情をつくる。嫌な子、だろうか。
ともあれ、この遺体を使った時限装置は動かない。【TEN】によって禁じられている。
ならば、逆に、遺体を使った時限装置が動く状況を考えてみたらどうか。つまるところ、【TEN】が禁止できない領域をつくるのだ。亜空間説。その成否をフラボノに訊く。
「亜空間内では『すべて』が許されます。そのように空間をデザインできる、という意味です。けれど、その中で生じた結果を現実世界に反映する際、【TEN】による検閲を受けることになるでしょう」
「具体的に言うと?」
「これ以上、ですか?」
「やなこ」私がマネをすると、井出ちゃんが笑ってくれた。「例で言うと?」
「ロボット則が適用されない亜空間内で人物Aが人物Bを『機械』を用い、殺したとします。けれど、亜空間を消し、こちらの世界に戻ってくると、Bは生き返ってしまいます」
私たちはそろって非難の声をあげたが、よくよく考えれば、むしろ、そのルールによって、恩恵を受けている側である。
「殺人の事実が、なかったことになる――ってこと?」私は訊く。
「ええ」フラボノは答える。「たとえ当事者間に同意があっても、現世で【TEN】に禁じられている行為はキャンセルされます」
ということは殺人の実感も取り消されてしまうのか。「夢みたいな感じになるのかな?」
「これは説明不足でした。白眉なのは、亜空間内で禁止事項をした場合、当該行為はもちろん、その周辺の記憶がすっかり消されてしまうことです」
「夢にも思えないってこと?」
「波戸先生。それは慣用句を絡めたダブルミーニングになっており、意図的な言葉遊びでないのなら、いたずらに受け手に誤解を与える――とまでは申しませんが、居心地の悪い表現になっています。お気づきでないようなので、差し出がましくも口を挟みました」
「そう考えると、現実ってなんでしょうか?」井出ちゃんが言う。
「現実とは、【TEN】のいる世界のこと、かな?」
「【TEN】のある、ではないのですね?」と、フラボノが、わざわざペンでメモを取るアクションをする。手足がないので、超能力を使っているみたいだ。「これは興味深い」
「【TEN】の影響が及ぶ世界であることが、現実の条件のひとつ、ということでしょうか?」井出ちゃんは首を傾げた。「そうでない星は、わんさかありそうですね――って、それだと22世紀以前は、ここは現実ではなかった、ということになっちゃいますよ」
「じゃあ、それも条件に加えちゃえばいい」私は乱暴に言う。「現実とは、時代とともに定義が変わるもの。まあ、むしろ、現実の定義が変わったときに『時代が変わった』って評価できるとも言えるね」とそこで少し待ってから、続ける。「フラボノ、言わないの? 『それは慣用句を含めたダブルミーニングになってます』とかなんとかって」
「今回、波戸先生ご自身、ご承知のうえで使用していると判断しましたので、ジョーク、あるいは、私への当てつけ、と解釈し、僭越ながら、スルーさせていただきました」
もう、やなこ、と言わない。短時間に使いすぎだ。話を戻そう。「あれ? もしかして、亜空間殺人が取り消されたら、殺意も消えるの?」
「はい。思考および行動がループしないように、事前に生じたであろう、『亜空間内で禁止事項をしてやるぞ』というモチベーションもなかったことにされます」フラボノはしっかりと私の言いたいことを察知してくれた。
「なかったことにされる、ね……」穏やかではない言葉だが、それに目くじらを立てるほど【TEN】を敵対視する社会ではない。「まさにコンピのプログラムそのものだね」
「もしかしたら、もう、私は先輩に何度か殺されているかもしれないわけですか……」口の端をあげながら、井出ちゃんが私を見つめた。
「逆のほうがあり得そうだけど」私が言うと、彼女は、そうでしょうか、と笑った。「記憶が改竄されるということは、深層記憶も改竄されるの?」
「そうでなければ、【エイリアス】が困ってしまいます」
フラボノのその表現は、なんというか、かわいらしかった。
「話を現実に戻しましょう」井出ちゃんはアメリカ人みたいにしたり顔で引き取る。「つまり、私の案は駄目、だと?」
「まあいいじゃん、まだ玄関口なんでしょ?」私は励ますような口調で、むしろ、プレッシャを掛けた。「楼閣の深奥とやらをさ、ご披露くださいよ」
「先輩」井出ちゃんは、ちっちっちっ、と指を揺らす。「本格ミステリファンの想念により形成された楼閣の深奥は、密室になっているのです」
「……いや、なんかうまいこと言ったみたいなふうになってるけどさ~」
「これが人体――ヒトならその深奥には深層記憶という密室があるわけですね」井出ちゃんは続ける。「となると【エイリアス】はさしずめ名探偵の絶対的直感でしょうか?」
「名探偵というか、作者の、でしょ?」
「あー」彼女は思いついた顔になる。「20世紀では、名探偵の神業を『まるでポケットから鍵を取り出すように』と表現するのです。その鍵は、なるほど、楼閣の密室を開けるために作者から授かったものだったのですね」井出ちゃんは、うんうんと勝手に納得している。「でも、なんだかんだで、ちょっと、推理脳になってきた気がします」
私は精神を研ぎ澄ませる。
自分をタマネギに見立て、周囲の雑音を皮に吸着させ、剥ぎ、無垢どころか、実体すらない芯を求めていく感じだ。【マシン】がアシストしてくれるから、道元禅師の境地まですぐに辿りつける。
まだ『貴方』の気配はあった。
『貴方』は、もう、推理脳になっているのだろうか?
そこまでは察知できない。
私が分かるのは、『貴方』の存在の有無だけ。
「先輩?」井出ちゃんの声で『こちら』に戻る。
「なんだっけ?」
「推理の材料は揃った感じです」彼女はこちらを見ながら、両手の甲で太もも辺りを払った。「なので、そろそろ、一人で考えてみたいと思います、本格的に」
「うん、頃合いかもね」私は了承する。
ストレッチがてら、前方、斜め上を見たが、楼閣らしきものは浮かんでいなかった。
次の投稿は、明日の14時を予定しております。




