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34.賽形の家に行く

 

 さて、まだ開廷までには時間がある。

 ということで、私たちは、東京プレート上、豊島エリアにある賽形きゆぶの自宅――というか、賽形名義の家に向かった。

 プリン色の、だだっ広いところに、ぽつねんと巨大なサイコロ状の箱型がある。所有者がいなくなったためか、敷地に入っても【視覚エフェクト】が掛からず、このような殺風景な眺めとなっている。

 例によって、井出ちゃんがペットボックスを出現させると、中から、犬型が出てきた。

「じゃあ、調べてきてね」

 そう井出ちゃんから頭を撫でられた犬型は、豆粒のような双眸そうぼう、その上の眉尻を、やる気に逆立て、笑っているように見える逆三角形の口で、ホイルスピンするF1カーのように、何度もその場でバタバタと空足を踏んでから、いや、むしろ数メートルほど後ずさってから、ようやく、スットコトットットーと珍妙な音を立てて、前に走っていった。

「ムカつくなあ~」私は、半分吹き出しながら言う。

「どうして?」井出ちゃんは悲鳴のように笑った。「かわいいのに」

「あれでまた、何も発見できませんでした、って言うんだよ、どうせ」

「それはあのコのせいじゃありませんから」

 たしかに――と腑に落ちて、私も笑いそうになった。

 どこまでも走って行ってしまいそうに思えた犬型は、わりあい近くで留まり、一心に地面の匂いを嗅いでいる。そもそも犬型と言っても、実物の犬をモデルにしたモノではない。井出ちゃんがラクガキで書いたようなものを三次元で実体化させた、二頭身の『亜生物』だ。なので地面の匂いを嗅ぐには、体勢に無理が出る。そのぎこちない後ろ姿――フォルムは、なんとも言えない、目の離せない格好だった。それは、ちょうど歩いてくる私の進行方向線上にあったので、思わず、足運びのついでに、そのお尻を足で小突いてみた。

 犬型は匂いを嗅いだ姿勢のまま、ぽーん、と弧を描くように3メートルほど飛んで行った。そして何事もなくピタッと着地したのだが、振り返った目をウルウルさせていた。

「な、何するんですか!」犬型に声を掛けようと私のほうへ一歩踏み出していた井出ちゃんは、そのままの足で、慌てて、犬型を拾いに行った。

「ごめんごめん、つい」笑いがこぼれてしまう。「だって、わざとらしいんだもん」

「だからって――」井出ちゃんは犬型を抱きかかえた。「蹴りますか、ふつう」

「蹴ってないよ。足で押しただけ」

「それを、蹴る、っていうんです」

 いや、それは誤りだ。私は、足ですくって、投げた、という感じ――のつもりだったが、今にして思うと、正確には憶えていなかった。そう信じたい、という妙な心境になる。

「先輩って今に生まれて良かったですね」井出ちゃんが口を尖らせる。「昔なら、動物愛護法違反で逮捕です」だよねえ、と彼女は犬型に言葉を掛けた。

 なんだか痛いところを突かれた気分だった。「だって、それ、生きものじゃないし」 

 私の言葉が分かるのか、犬型は『どういう意味ですかワン?』みたいな顔で井出ちゃんを見上げた。それで単純にも私は、不憫ふびんに思ってしまった。


 さて、すでに裁判所から調査許可は得ていたから、建物に近づくと、壁に切り込みが入り、そこから紙のようにめくれて戸口になった。靴のまま中に入る。部屋がひとつだけだが、今どき珍しくはない。【マシン】により、ベッドもシャワールームもガレージだって一瞬にして構築できる時代だ。同居人や客がいなければ、ワンルームで事足りる。

 床はプレートのまま。室内には何もなかった。ガランドウじゃねえか、とセンゾが言ったが、これはデフォルト、いやスタンダードか。調度品は欲しいときにつくればいい。ちなみに、窃盗行為は【TEN】によって禁止されるからドロボウの存在はないけれど、もし、ドロボウの存在が許される社会だとして、果たして何を盗もうというのか。とんちを働かせなくてはならないくらいに何もない。

 私は【プロペ】を広げ、その上に登記情報を呼び出す。この建物および敷地の名義は、もう、賽形球ではなかった。本日の午前6時に、裁判所の預かりに変更されている。備考欄には『当該建物および敷地は裁判所が管理、保存する』とあった。

「賽形さんに関するほとんどの情報は閲覧禁止ですね」井出ちゃんが見ていた【プロペ】を閉じる。「元々そういう設定だったのか、それとも、殺人事件だからでしょうか?」

「いや、たしか、TEN法では、当該人が死亡した場合、当人の情報を閲覧するのを禁じる――ってのがあるから」

「死んだら、情報が秘匿される……」

「だから、アルバムをつくるんだよ。生きてた記憶を忘れないように」

「いえ、そうではなくてですね……」井出ちゃんはそこで止まった。「あ、それポエムですか?」私に睨まれて、話を戻す。「すいません、でも、動機になりますよね、これって」

「どゆこと?」

「賽形さんは天寿達成者の献体解剖を通じて、ある秘密を知ってしまった。ゆえに口封じにあった」

「知ることで殺されちゃうような秘密なんて、この世にないでしょ?」

「そうなんですよね~」井出ちゃんはすぐに折れた。「それが問題なのです」

「どこが問題なんだよ」センゾが現れる。「いいことだろうが」

 私は、他に呼び出せる項目がないか調べてみる。宙に賽形が記したであろうファイルが浮かんだ。タイトルは『お達者たっしゃ解剖記録』で、論文のようだ。実体化させて、パラパラとめくってみると、さすが専門的だったが、図解があるのでおおよその内容には見当がついた。まったく情報低減化社会さまさまである。

「『天寿をまっとうする瞬間に万物の真理が分かる。だから死ぬのは怖くない』という、それなりに権威のある仮説を補強する実験データのようですね」隣で覗き込んでいた井出ちゃんがざっくりと鑑定した。

 私が気になったのは、被害者がデータ作成のために使用した献体が、国内が3体、国外が2体の、計5体であること。これが少ないのかどうなのか……。

「少なくとも素人目にもこれが素人の論文であることは分かります」井出ちゃんは重大視していないようだった。「あくまで趣味程度だったのでしょうね」

「うん、素人は素人だよ。医師会にも所属してなかった、ということは、医師免許を取得してなかった、ってことだからね」

 私は【プロペ】を呼び出す。『天寿達成者の人体解剖』『オーソリティ』『こちらの用意した論文を読んで、今すぐに意見を聴かせてもらいたい』という条件で検索すると、ベトナムの医師とのコンタクトがとれた。挨拶抜きで、さっそく賽形の論文を送って、感想を訊く。もちろん、フラボノに同時通訳してもらっている。

「これは日本の中学生が書いたものですか?」相手はそう返して来た。

「いえ」私は言う。「つたなかったのでしょうか?」

「いや、そうではありません。かなり良い出来です。データ採取の方法は正確だし、文章は平易ですが、しっかりと本質を押さえています」そのあとに、「日本のティーンは優秀なので」と付け加えた。

「これは価値のあるデータですか?」相手の貴重な時間を慮り、私は単刀直入に尋ねる。

「天寿達成者に起こるであろう不可思議な体験、その主力たる仮説を証明するうえでは、決定的なものとは言えません。ですが、このテーマを研究する者にとって、このような後ろ盾となるデータは、いくつあっても困りません。貴重なものです」

 どうやら気を使われてしまったようだ。この論文に大した価値がないのは、相手の丁重な態度から明らかだった。礼を述べ、通信を切る。

「では、溺川氏の遺体を献体されるのを何者かが嫌がった、という説はどうでしょう?」

 細く長い指で唇の下をなぞりながら井出ちゃんが言う。

「また話が変なほうにいってる」私は、たしなめる。「動機はどうでもいいの」

「けれど正攻法で解決できる案件ではないのは先輩も気づいているのでは? だからこそ、こんなところに――」井出ちゃんは表情と余韻で『来たんでしょう?』と含めた。

 議論には乗らない。「だけど、改めて何もないところだね」人のいとなみを思わせる気配どころか、ホコリひとつ落ちていない空間を、私は見回す。あるじの声を吸収していたであろう壁や天井は、きっと、【マシン】の新陳代謝で、もう別ものになっているはずだ。

 ひょっとすると、この眺めは、先立った者に対する、残された者の心情を暗喩しているのかもしれない。死なれた瞬間、価値や興味が薄らぎ、想い出すら空虚になって。

 それは、おそらく『死別』のショックを軽減するために、現代人が得た身体的反応なのだろう。あるいは、知らず、【TEN】から差し込まれた『プログラム』なのか。人に甘い【TEN】は、けれど、人が望まなければ、与えない。渇望かつぼうの果てに体得したこの感覚は、そのデメリットすら打ち消されているのだろう。だから、今、私がこうして浸るセンチメンタルにも、そこはかとない高揚が感じられる。どんなに悲しい曲を奏でても、一方で、その美しさに魅入みいられるような。

「死んだらこうなるんだ」この世界で一番儚はかないのは言葉だな、と夢想した。

「家族がいなければ、そうですね」井出ちゃんはいつもどおりの声で応えた。「この光景を見たら、『被害者は身辺整理をしていた。つまり、自分が死ぬことが分かっていた』と推理したくなりそうですが……、引き取り手がいないなら、痕跡を消されるのが世のつねですからね。まあ、一応、個体情報は人類史の一端ということで、【TEN】が憶えていますが、プライベートな記録や情報を残すか残さないかは当人に委ねられます」

「タツトリアトヲニゴサズか」かくいう私の行動記録も、私が死ねば、すぐさま抹消される設定にしてある。「井出ちゃんが死ぬと、あの犬はどうなるの?」

 また私に蹴り飛ばされるのを警戒してか、やもめんの姿はなかった。

「しばらくこの世界を漂流したのち、『0界』(れいかい)に向かう設定にしてあります」

 そう語る井出ちゃんの表情に21世紀的なかげりなんてものは認められなかった。

「罪つくりな」私は言う。

「霊界?」センゾが飛び出してきて、わざわざフキダシでコメントを表示した。

「0界です」井出ちゃんも、フキダシを使った。「ここがセンゾさんの住んでいた『21世紀世界』とは別世界であることはご存知ですか?」

「あ~、異軸世界ってやつだろ?」センゾが答える。

「『あちら』と『こちら』は、【TEN】の登場ないし人類の移住を契機として『ビフォア』と『アフター』、つまり『B面』と『A面』などと呼ばれますが、それとは別の『軸』で、ここを『1』としたとき、『0』となるような世界があるのです」

「それが0界?」

 そこは、同じように飼い主をなくしたペットたちが住まう、絵本に出てくるような安穏とした地で、肉体を捨てたペットたちは、『式神しきがみ』やら『モノノケ』と呼ばれる情報体となり、おのおの飼い主との想い出話を語り合っては、心穏やかに暮らす――とのことだが、その画は、まったく想像がつかない。ちなみに『0界』は、この国固有の『架空世界』であり、我らがご先祖様たちが、取り残されるであろうペットたちを儚んで設計したものだが、実際に創世し、管理、運営しているのは、もちろん、【TEN】だ。式神たちの影響は、本当にごく微々たるものだがバトルの世界にも現れているらしい。

「アンタが死んだら、俺もそこに行くの?」センゾが私を見あげた。

「いや、べつに、今すぐにでも、私の決定ひとつで行けるよ?」

「い、行きたくねえ!」と彼は一瞬怯えたが、「いや、一回どんなもんか見てくるか……」

「ちなみに、一度、0界に入ったら、もうこちらには戻ってこられません」と井出ちゃん。

「……そうなの?」

「大丈夫大丈夫、足を踏み入れた瞬間に自我がなくなって、心地よくなって、なんの疑問も持たずに永久に幸せに暮らせるから」と、私。

「いや、それが怖いって言ってんの!」

 ただペットは自分の意志で『完全に消える』ことができる。『0界』が気に入らなければ、消えればいい。そして、消えることに関して『恐れがない』のがペットの特徴だ。つまるところ、センゾは、それらを踏まえたジョークを言っているわけで、聴き手側の私たちも、毛ほどの深刻さをもって受け取ってはいなかった。

「あのコも私と一緒に消えてしまうより、0界でお友達をつくって暮らしたほうがいいかなあ、と思うのですが」井出ちゃんはそこで気づいた顔になる。「あ、もしかして、先輩、引き取りたいんですか?」

「あれを?」

「あれって」井出ちゃんは不服そうに口を尖らせた。「やもめん、です」

「いや、その名前もどうかと思うけどね」

「あっ!」いきなり井出ちゃんが叫ぶ。「賽形さんのペットを横取りするための殺人、というのはどうでしょう?」

「フラボノ」私は呼ぶ。

「『賽形氏のペット』は、本日の午前4時29分ごろ、警察が溺川邸に到着したのを見届けたあと、自らの意思で『消滅』したようです」

「復元は可能?」私が尋ねると――

「残念ながら」フラボノはメガネを掛けた顔を左右にふった。

 これ以上ここに留まっていても仕方がないので、外に出た。



次の投稿は、明日の14時を予定しております。

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