33.ニビィ
「まあ、観てみろ」事務所に到着した私たちの顔を見るなり、篤長さんはそう言った。
促されるままに動画を再生すると、画面に意外な人物が現れた。
「ハーイ、動画をご覧の皆様、ニビィで~す」
今年春のバトルカップ三次予選で、マッチアップしたサクラを終始圧倒した雷斧使い、よみがえった北欧女神、スウェーデンの霹靂――こと、ニビィ・ロイツェルだ。
肩まで伸ばした髪も、整った顔も、オーロラを織り込んだようなドレスから覗く肌も、すべてが白く、瞳だけが月のようにプラチナだった。もはや『美女』というレベルを超えている。
「私は、今、ニホンで、殺人事件の容疑で起訴されている不染井桜――アヤね、アヤの裁判延期を懇願するわ」日本語で吹き替えがなされている動画のニビィは、穏やかな表情で、とんでもないことを口走った。「こんな世界でしょ? どうせ逃げられないんだし、もう罪を犯せないんだから、多少の延期をしてもいいと思うのね。いいえ、他国の死刑制度を云々する気はないわ。そこまで耄碌はしていないつもり」と、笑った彼女は、サクラより4才は下、まだティーネイジャのはずである。「私が言いたいのは、アヤのバトルカップ参戦を熱望する、ということだけで、これ以上簡単に言えないわ」彼女は続ける。「アヤは、そうね、前回大会で、私のデビュー戦の相手だったわ。彼女とはたしか二回『ツヴァイ』したわ」『ツヴァイ』とはチーム戦の最中に、局所的に行なわれる一騎打ちみたいなものだ。「二回とも私の勝ち。両方とも、三手、掛かったわ。彼女は、この私に三手目を打たせたわけね。ええ、もちろん、私は通常、『ツヴァイ』なら、平均五手――最低でも十三手以内に必ず、必ず相手を倒すけど、彼女とのある種あっけない一戦はとても素晴らしくて、よく憶えているの。三手で終わったけれどね。彼女は、そのわずかな時間に私にバトルという競技の深みを教えてくれたわ。そもそも『雷』に『傘』では分が悪すぎるもの。それなのに前回大会で唯一、私に、負けるかもしれない、と思わせたのよ。凄いデュエリストでしょ。だって、たとえ負けても、負けたって思わない人なのに、私は」と、また笑う。「スウェーデン・チームは前回の躍進で世界ランク7位――シードAに入ったから、ニホンが決勝リーグまで上がってくれば……、いえ、笑わないで、何もおかしくはないわ、その可能性はなくはないでしょう? そうしたら、手を合わせるチャンスはあるわ。あの独特の場で、またアヤと戦いたいの。そう思わせる女子選手は――」ニビィは両手の指を順々に曲げて。「両手に余るほどだけど」そう言って、照れたような笑顔をこちらに向けた。「ええ、その中でも、彼女は飛びぬけているわ。飛びぬけて、そうね、なんでしょう、奥ゆかしいわ。だって、まだ、私はアヤのすべてを見ていないもの。そう、彼女のアメージングなエア・テクニックのことよ。あれを拝めていないのは、それこそ、飛びぬけているわ」彼女は画面に指を突きつける。「グラグラ揺れる吊り橋みたいに要領を得なくなってしまったけれど、私の言いたいことはこうよ。アヤの裁判延期、それと、彼女のバトルカップへの参戦要求。これが叶わないなら、私は今回のバトルカップへの参加を辞退するわ」と、思わず耳を疑うような衝撃的な発言。「脅迫めいた内容になってしまったのは、我ながら残念だけど、これで私が本気だということは伝わったと思う。バトルでも本気を出したことがない私が、よ? 笑っちゃうでしょ」そこで吹き替えが消えて、ニビィ本人らしい笑い声になる。ハハハハハハ、とオペラ歌手の発声練習みたいにお腹から響いて、少し怖かった。「もう話すことはないわ――と言って続けるのは不本意だけれど、先ほどの提案について、私は本気です。そうね、彼女の名前が『もみじ』だとしたら、私は今すぐにでもニホンへ行って、彼女の逃避行を実力でやめさせるべきなのでしょうけれど、彼女は『さくら』だから。やっぱり、散るのは、決勝リーグが行なわれる春が相応しいわ。この手でそれを実現させられたら、これ以上の贈り物は――これは、私から私への贈り物だけど――考えられないわ。では、各国の、各機関のお偉い方々、ご検討のほどよろしく。それと素早い返答もね。お願いだから、春に私に月面旅行なんてさせないでね」
そこで動画は終わった。
「感想は?」篤長さんが訊く。声も顔も服装も佇まいも、殺し屋みたいな人である。
「ニビィ……、想像していたより、変なコでした。悪い意味で掴みどころがない、というか……」井出ちゃんがそう評価する。「まるで飼っている子犬のことを話すような愛らしい表情で、政府もろもろを脅迫していますし……」
「そりゃそうだろう」篤長さんは鼻を鳴らす。「実際、こいつは飼っている犬ころの話をしているんだから」
「えっ?」井出ちゃんが驚く。
「俺が吹き替えたんだよ」
「えっ?」今度は私も声を重ねてしまった。
「いや、誤解するな。声は俺じゃない」篤長さんは表情を変えずに言う。「声は21世紀に活躍した声優の沢――」
「いえ、そうではなくて……」
井出ちゃんが困惑の表情でこちらに振り返り、まもなく、私たちは同時に吹き出した。
実際のニビィは、飼っている犬の数を答えたり、吠えマネをしていたらしい。それを篤長さんに淡々と説明されると、私たちはまた笑ってしまった。
「この動画を使って、世論を動かし、公判の延期を要請する」と、篤長さん。「俺が見たところ、依頼人の願望は、無罪獲得ではなく、来春のバトルカップ出場だろう。なら、それを第一に考えるべきだ」
「でも、それで有罪になったら――死刑になったら目も当てられません」私が何も言わないのを察してか、井出ちゃんが口を出す。
「自分が世論に染まってどうする。死刑にはならない。おそらく、無期判決だろう。あらゆる権限を剥奪され、20年くらい自宅謹慎か。バトラーの最盛期は40から60才と言われているから、熟成させるには、ちょうどいい期間だろう。どうしても謹慎中にバトルカップに出たくなったら、代表選出の時期に合わせて、再審請求をする。現行法では、再審中、請求人の身柄は宙ぶらりんになるから、監督が数寄者なら召集もありうる」
「そちら方面の戦略はお任せしてよろしい、ということですね?」
私は目を細めた。
「依頼人が殺人犯なら、二審で、俺が無期にしてやる」
と、彼は事もなげに言った。「依頼人が無実なら、それはお前たちの仕事だ」
「無実なら――」井出ちゃんは訊く。「どうして依頼人は逃亡しているのでしょうか?」
「依頼人は――逃亡してるのか?」
今度は、私だけが笑った。
それを『承知済み』の動画だった。つまりは篤長さんの『ボケ』だ。
「依頼人が無実だとして」頼るように私の腕を触りながら、井出ちゃんは続けて尋ねる。「この不可解な状況はどう解釈したら良いでしょうか?」
「中で殺せないなら、外で殺すしかない」彼は即答した。
「ですが、遺体には動かした形跡は認められませ――」
「歩かせればいい」篤長さんはあっさり言う。「被害者は致命傷から死ぬまで最長で35秒生きていたんだろう?」
「ま、まさか……」
井出ちゃんが、ただでさえ大きな目をさらに大きく見開いた。「頭部がなかったのは、外で殺されたから? 心音認証だから、身体だけは中に入れた?」
「その場合、ログが残ります」私は指摘する。
「依頼人がドアを開けたタイミングで中に入るのは駄目か?」
私が一瞬、答えにつまると、フラボノが現われる。
「説明がおろそかになってしまっていたとしたら申しわけないのですが」フラボノがぺこり。「ログには当然、ドアの開閉だけではなく、外から中へ、中から外へ、誰が行き来したか、そのような『方向』も記録されます」
たしかにログには、時刻と、人物名、それに移動先が記されていた。
サクラが邸宅を出るのと入れ違いに、誰かが中に入ってきた――などという記録はない。
「ちょうど、ドアを通る瞬間に、賽形さんが息絶えた、というのは?」井出ちゃんが無茶を言う。「不染井さんがドアを開けます。入れ違いに賽形さんの遺体が自分で歩いて中へ。このとき、賽形さんは死んでいるのでログには残りません。ドアが通過できたのは、不染井さんの『所持品』として認められたため。おそらく、賽形さんはフードか何か被って、頭部を隠していたのでしょう。気づかず、不染井さんは外へ。賽形さんは死んでいるものの、実際のところ死んでいませんので、ご自分で歩いて遺体発見現場へ……、って、篤長先生は?」
「アンタが喋るほどにだんだんと薄くなってって『所持品』のくだりで消えちゃったよ」
「見切るのが早すぎます」
「まず、サクラがドアを開けたときには、彼は、もう、遺体発見現場に横になってないと」
私は切り替えて、反論をぶつけてみる。
「たしかに、その時間的余裕のなさは気になりますね」後輩はちゃんとついて来る。
「念のため」フラボノがおずおずと。「頭部のない人間は自力で歩くことはできません」
井出ちゃんが先に笑ったので、私もつられてしまったが、笑うほどではない。
「もちろん、【マシン】を用いて、歩かせる、運ばせる、というのも駄目です」とフラボノ。「死体そのものに対し、【マシン】が行なえるのは『保存』だけですので」
けれど賽形の死が確定するまでの35秒以内ならば、まだ『死体』ではないので【マシン】で歩かせることができただろう。ただ、そうやって敷地から邸宅に入れたとしたら、心音認証して扉を開けたことになる。つまり、ログが残ってしまう……。
どうやら、篤長説は完膚なきまでに否定されてしまったようだ。
ふと宙に浮かんだ【プロペ】を見ると、一時停止された笑顔のニビィが映っていた。
実際、この動画が出回ったら、すぐに、加工されたジョークモノだと突きとめられてしまうだろうが、その内容は、この国に一定数存在する熱狂的なバトルフリークの『あの小憎たらしいニビィに一矢報いてほしい!』という潜在的な願いに直撃し、煽りたてるものだった。巧妙なのは、その打倒ニビィの旗頭にちゃっかり、サクラを据えていること。事実、彼女は『向こうの政府』が放つ多種多様な追っ手をクリアしており、前回大会後に指摘された適応能力のなさを克服したと思わせるに充分な活躍を見せている。まあ、なんといっても得物を変更しているのが大きい。ニセ・ニビィが言っていたとおり、『雷』に『傘』では相性が悪すぎる。『前回は三手』の発言も布石だ。今のサクラのスタイルは『有無を言わせぬ、一手詰め』である――とまあ、これは、一見ジョーク動画に見せかけているが、実のところ、『ウチのエースは前回とは違うぞ』と視聴者に印象づける狙いが潜ませてある。
篤長さんは世論を扇動し、『公判を延期させる』などと、うそぶいていたが、それだけではない。いざサクラが無罪になったとき、この『期待感』は、実は当落線上にいる彼女の代表選出の後押しとなるだろう。唸りたくなるくらいに、考えられている。
このように、もし、私がヘマをしても、大局を見とおした後詰めがいる。
それはまるで、背中を守られているかのような心強さだったのだけれど、反動なのか、そんな助けを借りてたまるか、という気持ちが、私の中で、むくむくと湧きあがっていた。自らの手で親友を救いたい、などという殊勝なものではない。『こんなオイシイ展開』を、他の誰かに齧らせてたまるか、という、まあ、現世では珍しい欲求だった。
次の投稿は、明日の14時を予定しております。




