29.根岸
続いてのゲストは、ええと、『式』の根岸だ。
「根岸さんが行なったという儀式について、お伺いしたいのですが」井出ちゃんが口火を切る。
「我々はあれを『式』と呼んでおります」そう答えた根岸は、頭や顔にこそ何もつけていないが、勧進帳の弁慶のような格好をしていた。私の目には、そう見えているというわけだ。
「ええ、そうでした」井出ちゃんは軽く頷く。「具体的にはどのようなことを?」
「通り一遍の説明になるのは恐縮ですが、今回、溺川さんのお宅に施した式を例にとりますと――」根岸は口頭で説明するつもりらしい。「邸宅内に安置した溺川さんの天寿体に対し、まずは祈祷を捧げます。そのあと遺髪を少し頂戴して筆とし、筆にした遺髪から色素を抽出し、これを墨として、邸宅の外壁に文字を書き連ねます。墨がなくなったら、また邸宅に入って、祈祷、筆をつくり直し、外に出て、描く――この繰り返しです」
「どのくらいの回数……、お時間が掛かったのですか?」
「皆さんが天寿を見届けた直後から、もろもろ準備をして、およそ40分後――午前0時39分ごろから始めて、30分書いては、5分ばかり邸宅に入り、祈祷と瞑想を兼ねた休憩。筆をつくりなおしたら、また外へ、というサイクルでした。計3回で書き終えましたので、30、5、30、5、30で、きっかり100分ですね」
「では、午前2時19分には作業を終えたわけですね?」
「ええ、そのころにはもう敷地を出ていましたね。ログにも、そう残っているはずです」
たしかに、そう、残っている。
さて、根岸が溺川邸を去った、およそ50分後に事件が起きたわけだから、彼は事件に関与していない、というか、関与できない。では、彼の施した『式』とやらが、どうにかなって、賽形の死に繋がったなどという夢みたいな可能性は――いや、血迷いごとか。
ひょっとして、そんなこちらの『手詰まり』な雰囲気を感じ取ったのだろうか、「そういえば――」と根岸から言ってきた。「刑事さんからお聴きでしょうか?」
曰く、『インク補充』のため、二度、邸宅の中に入った際、根岸は、それぞれ『賽形VS伏木』と『帷VS安田』の対局風景を、ブース越しにだが見かけていたらしい。行動記録の開示はさすがに拒否されてしまったものの、当該時刻は教えてもらえた。
すでに安田から得ていた六日囲碁の対局時刻と照らし合わせてみても、時間的な矛盾はなかった。
ちなみに、その際、賽形と鉢合わせになり、式の進捗について訊かれたらしい。
実は、式を行なう直前にも、賽形は、ぶらり、やって来て、挨拶がてら、進捗を訊いていったそうだ。
私たちは、もたらされた情報の咀嚼をいったんスキップ――というか、持て余したので、とりあえず根岸に式の説明を続けてもらうことにした。
改めて井出ちゃんが『式』について、水を向ける。
「建物外観に文字を書く、というのは、どのような意味があるのですか?」
「うーん、そうですねえ……」根岸は、熱いお茶が飲めるくらい、たっぷりと間を取った。「極めて簡単に言うと、家を墓石に見立てる遊び、でしょうね」
「遊び、ですか?」
「ええ、義務というわけではありませんし」
「そういう宗教観、ということですね?」
そう私が尋ねると根岸は口元だけで笑う。「どうぞ、お好きなようにご解釈ください」
「外壁に……、具体的にはなんと書くのですか?」私は問いを重ねる。
「なんと書く?」根岸は自問するように呟く。「なんと書く、と言いますか……」
「経文のような?」井出ちゃんが助け舟。
「あ、いえ、そういったものではなくて」彼は、そこで居ずまいを正した。「このたびは依頼者の希望で、墓石には『闘』という概念を刻むことにしました」
ご丁寧にも根岸は、『闘』の文字を【プロぺ】に出して見せてくれた。
「そのひと文字を、のべ90分掛けていた、ということでしょうか?」
と井出ちゃん。
「いいえ、ひと文字ではありません、それでは純粋過ぎて……。人間界とは、もっと、豊かな、複雑怪奇な世界でありましょう?」具体的には、と根岸は言ってから、「まず、外観に世界を描きます。世界を彩る概念すべて、ですね」
「ああ」私は少し分かった気がした。「建物の外壁に『陸』『海』『空』とか『男』とか『女』とか、様々な言葉を書くわけですね?」
「ええ、書き敷き詰めます」根岸はこちらから目を離さずに頷く。「平均して1万単語ほど。溺川さんのお宅には10781個ほど書きましたか」
秒間二単語ほどの速度。量も量だし、【マシンアシスト】があればこその荒業だろう。
「それで世界を表わすわけですか」井出ちゃんは驚いた表情をつくる。「ちなみにモチーフである『闘』という文字は建物のどの位置に記すのですか? やはりてっぺんに?」
「そうですねえ」根岸は子供のような目つきになった。「まず主題である『闘』という概念があり、かつ、存在しない世界を、文字を書き敷き詰めることによって、構築します」
「矛盾を飲み込んだ世界、ですか……?」井出ちゃんが呟く。
「どっちつかずの、ある意味、均衡した状況です。さて、ここから『非闘』という概念を排除すれば、ほら、全体として『闘』という主題が浮かびあがる気がしませんか?」
白色光のうち、緑を弱めれば、補色である赤が強く出て、全体的に赤くなる。
そんなイメージだろうか。
「一度書いた文字を消す、ということですか?」と、井出ちゃん。
「いえ、申しわけない、説明が下手でした。そもそも、最初から『非闘』を表わす言葉たちを抜いて書き始めるわけです」
「言葉たち、というと、ひとつではない?」私はつっこむ。
「ええ。『非闘』を表わすのは、義務の『務』と『維持』、それから『青魚』」
「青魚……」きょとんとした顔で井出ちゃんが繰り返す。
「それともうひとつあります」彼は私たちを交互に見た。「お分かりになりますか?」
私はぴんと来た。「『闘』という文字そのものですね?」
「ご名答」
「なるほど」納得した様子の井出ちゃん。「『闘』という文字を使っていいなら、そもそも、1万もの単語を書く必要はない、ということでしょうか?」
「むしろ、『闘』という言葉はノイズが多くて、望むべき純粋な『闘』ではない、ということです。我々が文字に書き起こしたい『闘』は、『闘』の中にはない、という」
「概要は、なんとなく分かりました」井出ちゃんが流れを断つ。もちろん、私がひそかに命じたのだ。「『式』にはルールがあるそうですね。根岸さんの作業中、他のゲストが建物の出入りをしないこと。これを破ると作業をまた一からやり直さなくてはならないと」
「ええ。作業風景、ありさまを他者に見せてはいけない、というルールというか、なんでしょうかね……、宗教的事由というやつでしょうか、ありましたので」根岸は軽く微笑んで続ける。「幸い、皆様のご理解ご協力もあって、一回こっきりで済みました」
「ご自身がインクの補充に出入りする場合は?」私は訊く。「どちらから?」
「外壁の一箇所。事前に決めていたところを使いました」
「入るのも出るのも、その一箇所からですか?」
「ええ。最後は、その出入り口に使った場所に、とある文字を描いて終了しますので」
「なんと書くのですか?」と、井出ちゃん。
「いやあ、これこそは、門外不出の秘です」
それは意図的なダブルミーニングだろうか。微笑んだ根岸の表情からは読み取れない。
「その文字は、今、見えるのですか?」私は興味が湧いて尋ねた。
「およそ1万もの単語を用いて描かれた式は、完成した瞬間、ある文字は建物の外壁に留まり、ある文字は内部に染みこみ、全体でひとつの三次元文字となります――なりますが、建物によって阻まれ、全体像を把握することができなくなり、これにより、四次元文字となります」根岸はニヤリとして続ける。「四次元文字となれば、私たち凡夫の目には映らない――そのような道理になります」
「つまり、見えない、ということですね?」雲を掴むような話を、井出ちゃんは極めて現実的に解釈した。
「描いた直後は見えました。不思議なものです」根岸は遠い目になり、あの輝き、とため息をつくように呟く。「天寿達成者――『お達者』には見えたかもしれませんねえ」
あるいは【TEN】ならば、ということか。「式が完成したあとは?」
「『こちら』に帰りました」彼の『本体』は今、24世紀東京の隣のプレート――神奈川県の鎌倉市にいる。
事件の日も、午前3時11分ごろには帰宅していたそうだ。ただし、証拠はない。
ちなみに、『式』を描いた者が、その完成させた建物の中に入ることは、ルール上禁じられているそうだ。その理屈というか、宗教観には、なんとなく頷けるものがある。
この立入禁止は、実に、式完了の12時間後まで及んだそうだ。なので、その不在証明というか、身の証を立てるために、根岸は退去後もログシステムを残したらしい。
結果、それにより、彼は、賽形殺しとは無関係と評価され、当然、【エイリアス】の聴取対象にもなっていない。怪しいと言えば、まあ、怪しいのだが……。
「ところで、あの日バトルをなさいましたか?」井出ちゃんは、ラストの質問に入る。
「いえ」
「得物はどのようなものをお使いですか? もし、よろしければ――」
「いや、持っていません」
「バトルをなさらない?」井出ちゃんが失礼にならない、ギリギリの上品さで尋ねる。
「いや」根岸は、むしろ、やりこめたような、悪戯な笑顔を浮かべていた。
「素手、ですか?」私は言う。「武器ではなく、衣服系を生成しているわけですね?」
「え? ええ……」根岸は一瞬驚いた顔をして、恥じ入るような、今度こそ魅力的な笑顔になる。「昔からカンフーが好きでして」そういうと彼の身体はダボダボの拳法着に包まれた。「これを着ると、身体能力が著しく向上し、一対多の戦闘に特化した格闘術を体得でき、さらに『気』と呼ばれる体系だった独特なスキルを使用することができます」
他に訊くべきことはない。些末な事項を確認し(やはり、根岸も御神刀を見たのは、最初の一度目だけだそうだ)、礼を述べ、根岸に消えてもらう。
次の投稿は、明日の14時を予定しております。




