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20.検事


 溺川おぼれが宅を辞去し、公道に出て、【カプセル】に乗り込む。

 座席に背もたれた瞬間に【プロペ】が現れた。

 音声通信。21世紀風に言えば、電話だ。

 発信者欄の『櫛引 漸太郎』という見おぼえのない名前には『クシビキ ヤウタロウ』とフリガナが振られている。

 【プロペ】に描かれた『秋霜烈日しゅうそうれつじつ』の模様から知れるとおり、相手は検察官だった。

「では15分後に開廷――で、いかがでしょうか?」櫛引検事は挨拶抜きで言った。

「いきなりですね」井出ちゃんに対応を任せる。「まだゲストのお話を聴いていません」

「これ以上、何を訊くことが?」検事は、せかせかとした口調で返してくる。「そもそも彼らとの面談に、どのような意味があるというのです?」

「意味があるかどうかはやってみないことには――」

「ないと思いますがねえ」検事は、そう被せた。「すでに彼らは全員、【エイリアス】により無実が判明しています」と、まったく取りつく島もない。

 『全員』という言葉に反応しないよう、私は後輩に【プロペ】を出して注意を促す。

 すると事もあろうに井出ちゃんは、「もちろん、【エイリアス】の判定結果は尊重します。我々は『真犯人』を探したいわけではありません。依頼人が無実であることを証明したいだけです」と返してしまった。

「ええ、それならば被告人を【エイリアス】に掛ければいい」相手は見逃してくれなかった。「あなたが尊重しうる判定結果を出す【エイリアス】に。それで一切合切いっさいがっさい済む話です」

 私は、井出ちゃんに寄りかかるように軽く頭突きをしてから、応える。「そこまで急がなくてはならない事案でしょうか?」

「ええ、早急に『形』にすべき事案です。悠長にしていると大衆が気づいてしまいます」

 大衆、と来たか。

「大衆が、何に気づく、とおっしゃるのですか?」そう訊いてみようとしたのだが――けたたましい歌声に遮られた。

 テノール。どうやらオペラの一節らしい。

「失礼」検事の声と同時に曲のボリュームも下がっている。「他から着信がありました。なにしろ忙しいもので」嫌がらせのたぐいだろうか。ふつう、通話中にべつの通話要求が入っても『今話し中です』と相手を待たせるメッセージが流れるだけ。21世紀のように着信音など流れたりはしない。「それで? 何か言いかけたようですが?」

 高圧的な検事の態度に屈するわけではないが、とはいえ、逆らうのも大人げないと思い、「大衆が、何に気づく、とおっしゃるのですか?」と、再び私は尋ねた。

「殺人犯には死刑が相応しい、と」検事は、被り気味に答える。

「それは比喩でしょうか?」

「ええ、もちろん。けれど額面どおりの意味です」櫛引検事は、5ミリ秒、合間を置いてから、「よろしいですか、死刑となれば当然、誰がそれを執行するか、という問題になります。ごくシンプルな二択です。ヒトがやるのか、それとも【TEN】がやるのか」

「【TEN】が執行するというのは言語道断です」井出ちゃんが憤慨して横入よこいりする。

「では、ヒトが?」検事は心外そうな声で返す。「とすると、いったい、誰が?」こちらが黙っているので、彼は続ける。「やりたがる者などいません。いや、むしろ、やりたがる人間がいたとして、そんな人間に『ではどうぞ』と首吊り台の床開閉スイッチを渡してしまうのもまた問題です。このテーマは、仮想の議論だけで、紛糾に紛糾することでしょう。まったく、夜空の星を指折り数えるぐらいに時間の無駄です。それで最終的には、なし崩しに【TEN】が執行することになるわけですから」

「ご冗談を」井出ちゃんが怒気のこもった笑い声をつくる。私と目が合ったが、我慢しきれずに、「そんなことになったら、日本どころか、世界が黙っていません」と返した。

「ええ、『そうなってしまったら』とても厄介な事態となります。ですから、そうなるまえに――少なくとも、議論が本格化するまえに手を打ちます。大衆が気づくまえに、けりをつけてしまおうと……。この事件は国を代表するバトルカップの候補選手が起こしたことで注目を浴びていますが、幸い、今はその逃亡劇のほうへ関心が向けられています。この熱狂が、まかり間違って、裁判の仕組みに及んでしまうと、もう手遅れでしょう」検事はそこから少し声をひそめた。「なので、そこに至るまえに結審させてしまおう、と。ドサクサ、という表現は我ながらどうかと思いますが、検察としては、死刑など眼中に入らなかったような素知らぬふうで、無期懲役を求刑し、そちらへと落とし込みを狙います」

「勝つおつもりなのですね?」私は言う。

「でなければ起訴にあげませんよ」検事は鼻を鳴らす。

「一審を即結しても、控訴審があります」と、井出ちゃん。「なんだかんだで結審までは14日以上は掛かるでしょう。そのあいだも『大衆』は大人しくしているでしょうか?」

「控訴審」検事は意外そうな声。「ああ、そちらは、一審は捨てるお考えなのですね?」

 私はまた井出ちゃんを頭突く。「弁護士はあらゆる可能性を考慮します。それが我々の仕事が櫛引検事には遅々ちちとして見える所以ゆえんかもしれませんね」そこで検事が何か言ってきたようだが、構わず被せる。「何を言われようが方針を変えるつもりはありません。こちらとしては弁護士としての本分をまっとうするだけです」

「強情な方だ」検事はため息をつく。「そして、ご自分らの立場を理解していらっしゃらない。いいですか? 良くも悪くも、あなた方の捜査は前例となり道となります。早い話、あなた方の悪あがきが、以降、刑事弁護をするであろう後進たちへのモデルケース、ボーダ、ノルマになるのです。この情報低減化社会にまったく逆行する徒労を子孫らに押しつけることになるのです。これでは、いったい、なんのための【エイリアス】なのか……」やれやれ、と検事。「あなた方は、後進にイバラの道を示すおつもりらしい」

「うるせえ野郎が文句ばっか言って、うるせえな」センゾが出てきてタンカを切る。「人ひとりの人生かかってんだぞ。こんなの苦労のうちに入るわけねえだろ。ちったあ真剣にやれ、こんのクソボケが。楽ばっかしようとしやがってよお。てめえこそ、21世紀の先達せんだつに顔向けできんのかあ、その足りねえ頭で考えろ、このクソボケクソガキがボケェ~」

 柳を狙うカエルのように飛び跳ねるセンゾをようやく井出ちゃんが捕まえ、口を塞ぐ。

 途端に沈黙に包まれる。

 『どうしましょう!』という切羽詰まった感じで井出ちゃんがこちらに振り返る。

「失礼」私は言う。「他から着信が入りました」

「……そんな風変わりな着信音はないでしょう」絞り出すように検事が返す。

 私は中途半端に開いた自分の口に手を当てた。あまりにも的を射たツッコミに、危うく笑ってしまいそうだったのだ。


「どうやら我々の出番のようですね」通信の割り込みが入る。

 それでいつの間にか、裁判所を表す、八咫やたかがみ型の【プロペ】が出現していることに気づいた。

「今回の公判、裁判長を務めます、稲原ソワカ(いなはら そわか)と申します」

 井出ちゃんが、はっとしてこちらを見た。『彼』とは旧知だった。

「双方の意向を汲みまして、初公判は、現時刻から、約4時間後――本日午後9時に開廷、ということでよろしいでしょうか?」

「遅すぎる!」櫛引検事が吐き捨てた。憤りがありありとにじんでいた。半分はセンゾのせいかもしれない。ちなみに現代日本人にとって、いや、『明るさ』という観点から見ても、午後9時は夕方だ。

「遅い、と思えるくらいの慎重さも必要でしょう」稲原さんは動じなかった。「それを失念した検察は、先々月、危うく無辜むこの人間を有罪にしようとしました。お忘れですか?」

「どの口が……!」検事は呆れたような、苛立いらだった声を出す。「それはあなたのせいでしょう、稲原『元』検事!」

「ええ、あれを担当していたのは私」稲原さんはいつものように飄々ひょうひょうとしていた。「その過ちを正してくれたのは彼女――そちらの波戸先生です」まあそれに、と、「ことわざにも『二度あることは、少なくとも一度目があった』というのがありますし」

「ねえだろ」と、センゾ。

 さすがに『お笑い全盛期』の21世紀から来ただけはあって、声のトーンもタイミングもばっちりで、またしても私は吹き出しそうになった。

「彼女には『二度目』があるかもしれません」稲原さんの話は続いている。「そうでなくても、かの弁護人は、名にし負う『クレータ』です。我々とは一線を画す、実績の持ち主。そのような、正真正銘の『ホンモノ』が語る言葉に耳を傾けることも、意向をおもんぱかり便宜を図るのも、ごくごく当然の配慮であると、私なぞは思うのですがね?」

「……分かりました」検事は不承不承の声で返す。「裁判長がそうおっしゃるのなら」

 意外とあっさり引き下がったのは、稲原さんの『のれんに腕押し』なキャラクタを知ってのことか、それとも本当に時間が惜しいのか。

 ここで『夕刻の裁判は肌に悪いので、日を改めませんか?』などと井出ちゃんに言わせて、検事の怒りの炎に油をそそぐ、という選択肢もあったが、そんなジョークのために相手側に『準備』させてしまうのも得策ではない、と思いとどまった。了承する。

 検事が通話の輪から外れたあと、井出ちゃんが「稲原さん、裁判長に就任なさったのですね」と華やいだ声を、むしろ私に向けて放った。

「それもいきなり、殺人事件の、です」彼は笑いの混じった声で返す。「いやあ、就任なんて大仰おおぎょうなものではありませんよ。お鉢が回ってきただけです」

 今の時代、裁判官などの役職は非常置だ。刑事事件が起こると、政府は『その一件限りの裁判官』を任命する。そうやって選ばれた2名の裁判官が『その一件限り』の司法機関を立ち上げ、官憲が行なう捜査の手続き――【エイリアス】の立ち合いや令状の発行などをこなしつつ、裁判の段取りを整え、これまでの実績を踏まえ、検察官を除き、弁護士を含めた司法資格者の中から、適当な者を『裁判長』として選出する。

「でも、裁判長に選ばれるということはたいへんな名誉ですよ」と井出ちゃんは、我がことのようにはしゃいだ声を出す。「司法資格者の中でも、とりわけ素晴らしい経験と実績を備えた人格者と認められたわけですから」

「まあ、実績はともかく、経験には自負がありますよ」稲原さんは落ち着いていた。若い娘(美人)におだてられて図に乗るなどという愚挙は、この人の場合、考えられない。「なんと言っても、ここ100年のあいだで、殺人事件を扱った、国内唯一の検察官、ですから」

 井出ちゃんたちの牧歌的なやりとりを見守りながら、私は、この人が裁判長で良かったと安心する反面、担当検事でないことが残念でならなかった。

 もしかして彼がこの事件を検察官として担当していれば、私が出張でばることもなく、あっさりとサクラの無実を証明してくれたかもしれない――そんな甘ったれた期待感を抱かせてくれるほどに、卓越した頭脳の持ち主なのだ。

 話の脱線ついでに言えば、この世に、私が「敵わないな」と、ひそかに尊敬する男性が二人いて、一人は事務所の先輩弁護士だが、もう一人は何を隠そう、この稲原さんである。私に『探偵』として足りないものを、ほぼ、すべて備えている、と言って過言ではない。まあ、唯一、私が長じている部分があるなら、それは能力ではなく、志向。なにかと手に余らせがちな、『厳密にこだわる性癖』ぐらいのものだろう。

 ともかく、この稲原さんは、私が手放しに誉めることができる数少ない人間であり、それだけに、彼の超越的な能力が、現在も私を苦しめている難題に向かわないのは、下手をするとサクラだけではなく、国家規模の損失であるように思えた。

 櫛引検事の言うところの『時間の無駄』というやつだ。

 と、こんなにも悲観的になるのには理由があって――

「稲原さんも、被告人が犯人だと思いますか?」井出ちゃんが訊くと――

「いやあ」彼は、案の定、困った声になる。「実は、まだ、事件の概要をほとんど存じあげていないもので」

 公明正大、清廉潔白を常とする稲原さんは、先入観なく公判にのぞむためか、事前情報をシャットアウトしているようだった。『ネタバレになるかもしれませんが』が口癖の彼だから、もしやと思っていたが、やはり、その悪い予感は的中したらしい。もちろん、公判の直前に無作為に選出される裁判員と足並みを揃えるという狙いもあるのだろうが。

 さて、『稲原さんは有能な探偵である』という点に関して撤回するつもりも訂正するつもりは毛頭ないが、いわゆる彼は、井出ちゃんが大好きな本格ミステリに出てくる『名探偵』のたぐいではない。法廷で証言を聴き、取り調べが終わった途端に、すっくと立ち上がり、壇上から快刀乱麻を断つ名推理を披露する――などという展開は期待できない。座布団の上にあぐらをかき、すべての情報を畳の上に広げ、じっくり考えては、お茶を飲んだり、散歩に出かけたり……、それらを繰り返しているうちに、ようやく糸口を見つけ、そこからまた時間を掛けて真相にたどり着くようなタイプで、要するに、非常に優秀な凡人である。いや、誤解しないでほしい。彼は時間さえあれば必ず結果を出す人なのだ。

「しかし波戸先生は面白いことを考えますねえ」稲原さんは、こちらの気持ちなど、つゆ知らず、のんきに言う。「あれだけのことをやってのけたのに慢心がない。それどころか、自らの能力に不足があったとお考えのようですね?」

「これのことですか?」私はセンゾを出し、その映像を彼に送る。

「ええ、それと、これを聴いている――いや、読んでいるであろう、もう、お一人のほうも」当然、『貴方』ならば、すでに察しているだろう、かの裁判官はカタカナ用語の語尾を伸ばしていない。ハッキング資格所有者だ。「なるほど、文字どおり、『先人の知恵を借りる』という発想ですか……。それで、彼らは、この案件に関して、なんと?」

「たとえ、こちらから呼びかけても返事が来るような仕組みではありませんが、少なくとも目はある、と思ってくれているようです」

「ほう。なぜ、それが分かります?」

「まだ『気配』を感じますから」

「なるほど、五感よりも原初の、0感れいかんというやつですね?」稲原さんの愉快そうな、けれど品のある声。「いやはや波戸先生は面白い。おおよそ、人は皆、カウントアップして、【TEN】を目指すというのに」

「櫛引検事のおっしゃったことは案外的を射ているかもしれませんね」井出ちゃんが意味ありげな笑みをこちらに向ける。「波戸先生は、良い意味で、逆行してます」

 そのあとは取るに足らない世間話――具体的には、昼間に行なわれた大相撲の話に終始した。今場所、綱取りの期待の掛かっていた、稲原さんご贔屓の大関・無敵山が、まさかまさかの14連敗目を喫したというニュースを、ユーモラスに、かつ、ファンならではの自虐を込めて、熱っぽく語る稲原さんの話術にすっかり引き込まれてしまった。

「亡くなった被害者には申しわけないのですが」彼は言う。「こうなると、この時期に仕事があるのは気がまぎれますね」

「現実逃避ならぬ、『現実に逃避』ですね」井出ちゃんがしたり顔で言った。

「昔の人は、仮想や空想に逃げ込むより、そうやって気分を切り替えてたかもね」

 と私。

「そうでしょうか?」井出ちゃんは首をひねる。

「【TEN】は哲学をしないようですね」引き取るように稲原さんが語る。「おそらく哲学という学問を創作物のたぐいだと捉えているのでしょう」

 異議ありだ。そもそも【TEN】は学問をやらない。

 哲学どころか、学問そのものを【TEN】は創作物と捉えているのだろう。興味深い。

「どうやら長居してしまったようです」稲原さんがそう切り出したことで、私はそれを自覚した。「貴重なお時間を浪費させてしまいました」いえいえこちらこそ、と社交辞令を返す。「では、先生方に、今場所大関が逃したぶんのご武運がありますように」

 稲原さんが通話の輪から外れて3秒ほどして、私たちは顔を見合わせて笑ってしまった。


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