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2.もうひとつのプロローグ

 

 prologue public // 公開が許されたプロローグ


 たった数時間ほどまえ、『不染井 桜』(そめない よしのあや)が子犬のように跳び駆け巡った大草原は、今や見る影もない。

 まるで子供が『銀山』という字面から素直に想像したような無垢むくの山――そこに穿うがたれ、延伸された坑道を思わせる全面銀色の通路。

 不染井の前を行く長身の刑事ならば、クシャミをした弾みで頭をぶつけてしまいそうなほど低い天井も、彼が五つ子ならば、並んで歩くのはさぞや窮屈だろうと心配になるくらい両側から迫った壁もそろって銀色で、それらは高温であぶられたかのように、ところどころ、ただれたみたいに膨れているせいか、どこか生物的な造形に見えた。

 一方、同じくシルバーに染められた床は――不染井が履いたブーツ、その江戸切子のようなデザインのヒールに打ちつけられ、コツ、コツと心地よい音を立てる床面は、標準器として使えそうなくらいにフラットだった。

 この銀のトンネルには脇道はない。つまりは一本道で、終着にある部屋の『性質』と合わせれば、さながらフローチャートのようだ、と不染井は空想した。

 思考コマンドで足跡検索をすると、床面に、のし棒で引き伸ばしたエクスクラメーションマークのような、デフォルメされた足跡が浮かび上がった。人物ごとに色分けされている。もちろん、それらはホンモノの痕跡ではなかったが、『この時刻に、この人物が、あちらの方向へと歩いた』ぐらいの情報は示されている。


 (私以外の、直近の足跡は?)


 思考の中で、不染井がそう尋ねると、床面には『緑色』と『黒』の足跡が残る。

 黒は、前を行く刑事が今まさにスタンプしているものだ。邪魔なので消す。

 緑色は不染井と同じく『被疑者』であるとばりのもの。

 足跡に重なるようにプリントされた『時刻』から鑑みて、『行って』『戻ってきた』ものらしい。

 移動も含めて、事情聴取は5分もせずに済むようだ。

 試しに、現時刻から30分以内に限定して、『帷の軌跡と類似の足跡』を呼び出すと、思ったとおり、不染井以外の被疑者全員の往復痕が現れた。


 つまり、彼女以外の被疑者全員、滞りなく聴取を終えた、ということだ。


 すなわち、あの『死体』というのか『遺体』というのか、誰がどう見ても『他殺体』のあれをつくった人殺し――その候補は、もはや自分だけ、ということだ。 


 なのに、前を行く刑事は一人だけ。


 殺人事件の最重要容疑者を前に、なんとも手薄ではないか。

 今までシャキシャキ歩いていた不染井は、足音のテンポが崩れぬよう注意を払いながら、よろけたみたいに左側へ右足を一歩踏み出してみる。

 そして、そのまま何事もなかったかのように歩みを続けたが、前方、長身の刑事は気づく素振りを見せない。

 刑事の襟足のあたりを見上げつつ、さて、どうしようか、と彼女は迷う。


 この世界を運営する神様――こと、【TEN】は、あらゆる犯罪を禁じたが、どういうわけだか『殺人』には寛容だ。

 一片の誇張もなく、この24世紀の地球上で起こるあまねく事象を監視しているであろう【TEN】は、なぜだか『殺人事件は人類が独力で解決すべき事柄』と捉えているらしい。

 殺人行為を許し、行為者を罰せず、官憲が放つ『殺人犯は誰か?』という問いについて『だんまりを決め込む』と事前に表明している。せいぜい、冤罪防止のために【エイリアス】を提供する程度。


 (【エイリアス】かあ……)


 この一本道の深奥に設けられた聴取室に鎮座しているであろう、『決して間違わない』という触れ込みのウソ発見器。

 ちょっとだけ、体験してみたい気もあった。自分なら、騙しきれるんじゃないかな、という妙な自信も。

 不染井のルートは、当初より、30センチは、左手側の壁に寄っている。

 靴音もそのぶん移動したはずだが、刑事には気づいた様子はなかった。

 これのせいだろうか、と彼女は、鈍い銀色の壁を見る。

 湖底の地形を模したような壁は、こんもりと膨れ、分厚そうだった。


 (でも、【TEN】が本当に殺人者に優しいのなら……)


 もとい、【TEN】が殺人犯の特定に非協力的ならば、自分はこの壁をすり抜けることができるのではないだろうか、と彼女は推測する。

 いや、そう思うよりも先に、身体が動いていた。

 銀色の壁めがけて、転ぶように走っていた。

 その際、破くように脱いだブーツが、ひとりでに歩き、『足音』を継続させる。

 裸足になったはずの不染井は、すでにスニーカーを履いていた。

 大気中に漂う擬似原子こと【マシン】を、足にまとわせて、一瞬にして、つくったのだ。

 その足で銀色の床を蹴り、壁に突っ込む。

 衝突の予兆を感じてか、眉間の裏側で何かが、ぐねぐね、と、うねった気がしたものの、まぶたは閉じず、迫りくる壁の組成までしっかり見定める気概で、無理やりに目を開いた。

 彼女と壁のあいだの空気が潰れて、顔に嫌な風を送った。

 金属光沢の美しい壁は、一瞬、彼女の顔を映す。


 (ということは、光速よりだいぶ遅い、ってことだね)


 そう、空想が膨らんでしまったためか、彼女は、その『瞬間』をぼんやりとした気持ちで迎えることになる。  


 いつの間にか、目をつぶってしまった。


 まぶたを上げたとき、不染井は建物の外、敷地にいた。走っていた。

 どこか異星めいた、あたかも夕暮れの月面といった風情の、見渡すかぎりオレンジ色の荒野。

 そのビスケットみたいな質感の、陰影際立つ地面を不染井は蹴り、駆けていた。


 (抜けた? ウソでしょうよ!)


 走りながら自分が抜いた壁に振り返ったが、文字どおりの『水色』の外形をもつ建物は、何ごともなかったかのように佇んでいる。

 今なら、まだ戻れる。冗談で済む――そんな考えが思い浮かぶくらいに、なんとも言えない静謐で平穏な時間が、駆ける不染井の足を、ほんのわずか、鈍らせた。

 次に『自分は果たして本当に逃げたいのか? 逃げていいのか?』と頭の片隅に、そんな迷いが生じたが、彼女自身はそれを認識していなかった。彼女の認識の主たる部分は、数秒後、数分後、数時間後の自分の姿を想像していた。算段していた。いや、算段自体はすぐに終わっていたのだが、その夢想の余韻に囚われてしまっていた。

 足は勝手に、時計の針のように規則的に動き、小気味よく地面を鳴らす。

 それを除けば、早朝の薄い日差しの音が聞こえるくらい、辺りは静かだった。

 先ほどまで銀色に抑圧されていた五感の『窮屈さ』は、すでに解消している。なのに、どういうわけか、現実感に乏しかった。夢心地だった。罪悪感だろうか、と彼女は思う。

 あと数メートルもすれば敷地を出る、というところで――


 (まだ気づかないのかな?)


 と、振り返った不染井は、ちょうど水色の建物の影から姿を現した刑事と目が合った。

 建物周辺を調査していたらしき彼は、走る不染井に気づいていた。

 きょとんとした顔をこちらに向けたまま、右手をかざし、宙に、PC画面を模した【プロペ】を呼び出した。


 (まずい!)


 不染井は、けれど反面、心躍るような気持ちで『バトルモード』に切り替える。

 もう迷いはなかった。覚悟を決めた。口元に笑みがにじんだ。


 辺りは、一変する。


 24世紀の東京は、一瞬で、江戸の城下町――長屋がひしめく町人地へと様相を変えたが、そこに生々しい現実感はない。

 21世紀に流行ったCGアニメのような、どこか空々しい質感。

 同様の変化が、不染井の全身にも生じている。

 『舞台』に相応しい、『住人』の姿だ。


 『バトルワールド』に入ったのだ。


 全身をほどよく、くすぐられているような快感。

 視界が、思考が、磨いたように鮮明になる。

 口角が自然とあがり、ニヤニヤが止まらなくなる。

 身体も軽い。

 力が途中でコースアウトせずに、手の、足の、指の先まで、きちんと思いどおりに伝わる嬉しさ。

 なんという万能感。 


 こうなれば、【マシン】による筋力アシストの使用が限界まで許されて、彼女の走る速さも倍近くになったのだが、代わりに、『現実世界』にいる刑事の姿が見えなくなってしまった。まあ、それは致し方がない――と割り切って、不染井は、走る。逃げる。

 それだけで、もう、異様に楽しいのだ。

 『侵入可能』な長屋に飛び込んで、トップスピードを維持したまま、ちゃぶ台やら調度品などの障害物をかわしつつ、ステップを確認。誰に見せるわけでもない、左に90度曲がると見せかけた反時計回りの270度のターンで、右方向へと、直角に進路を変えると、24世紀生まれの彼女には用途不明の『小窓』にジャンプ。ハードル選手のように身体を折るようにしてくぐり抜け、外へ出る。

 パウダー状の砂がまぶされた土の地面に足を滑らせないよう着地。足裏の感覚に気をつけつつも、速度を落とさず、すぐにべつの長屋に入る。俯瞰からの追跡監視を恐れたわけではない。むしろ、試金石だ。さらに二度、長屋に飛び込んで、方向転換する。

 合計四つ目の長屋を飛び出たところで大きな川が行く手を阻んだ。その向こうには21世紀に存在した新宿副都心。ビル群がそびえるが、ミスマッチ感はない。


 さて、『この世界』での不染井は『忍者』である。

 泳ぐのは大得意だし、水面をスケーターのように渡ることなど造作もなかったが、川に沿って北上することにした。

 数十メートルほど走ったところで、追跡者の気配に気づいた。

 不染井は駆けながら宙にモニタを呼び出し、後方視野をフォローする。


 いた。先ほどの刑事だ。追いかけてくる。もう制服姿ではなかった。全身紺色の西洋風の鎧に身を包んでいるが、この世界特有の『照明』のせいか、それとも、CGアニメの肌質のせいか、コスプレのような恥ずかしさや違和感などはない。


 彼も『こちら』に入ったのだ。


 となれば、もう彼も『バトルゲームのプレイヤー』であるから公務執行妨害も何も関係ない。

 不染井はワイリー・コヨーテみたいに両足を前に投げ出し、かかとで接地、靴を鳴らして後傾姿勢で急制動を掛けつつ、頃合いでデンデン太鼓よろしく両腕を回して、強引に後方に振り返る。

 イメージよりちょっとだけ良い身体のキレに、彼女はニヤニヤしてしまう。

 刑事は躊躇なく突っこんで来る。

 『城下』には似つかわしくない、マツボックリめいた、いかにも空気抵抗の高そうな格好なのに、タイヤのように姿勢は安定していた。


 互いの距離が十数メートルを切ったところで、使い魔――不染井をアシストしてくれる、ブルーを基調にした、折り紙でつくったような、けれど、本物と見まがうほどリアルな造形のハヤブサ型が、彼女の胸元から羽ばたき現れると、蒼い残像を残しながら、上空へ。


 それが合図で、武器――得物えものの生成許可が下りる。

 不染井の右手薬指に嵌めた指輪から光がこぼれ、棒状に広がったかと思うとすぐに、純鉄でつくられたような美しい剣になった。体感としては一瞬だった。鏡のごとき鮮明さで周囲を反射する刀身は100センチほどもあり、長い。刃幅も広く、こちらは平均17センチ。そのわりに刃の厚さは薄くて、最大で2センチほど。斧みたいに、刃から離れるほど厚くなるよう角度がつけられている。両刃だ。不染井はテニスラケットのごとく両手で握ったが、実際、それくらいの重さだった。見た目は『中世西洋風両刃型大剣』の風情。けれど、柄頭に『白い盾に重ねられた青十字』の刻印がある。つまり『ガンブレード』だった。


 不染井より『レベル』が10以上も高い刑事はほとんど無策に突っこんできた。

 左手で握った透明な盾をこちらに向けて、勢い任せの体当たり、という感じだ。


 (この人は、右手にどんな得物を隠してるんだろう?)


 不染井は突発的に生じたその興味を押し殺し、刑事の突進をギリギリまで引きつけておいてから、『ヒンズー・シャッフル』と彼女が勝手に読んでいるステップワークで刑事の背後をとる。いや、厳密には彼の背中に自分の背中をくっつけた恰好。これが『ヒンズー・シャッフル』の由来だ。そのまま、敵を見失い突進をやめようとするとする刑事を押し、150センチほど移動したが、警戒していた『狙撃』はなかった。


「エリア内に追っ手はないようです」

 ハヤブサ型の声が不染井の耳の中に直接響く。

「そ」彼女は背を離し、振り向きざまに刑事の首を斬り落とす。

 シャンパンの栓のように刑事の頭部が飛ぶ。

 頭部を失った刑事の身体は、けれど、もろもろの惰性で三歩ぶんだけ走ったが、足がもつれ、バランスを崩し倒れた。

 地面に叩きつけられ、ワンバウンド。

 跳ねた途中で全身石化すると、ツーバウンド目、地面と衝突した拍子に砕けて、さらに砂状になって、霧散した。

 もちろん、頭部も同じタイミングで消えた。

 当然ながら、彼は『実際』に死んだわけではない。

 単なるゲームオーバー。

 『バトルワールド』で敗北したため、ルールにのっとり、『現実世界』に強制送還されただけだ。もちろん、『あちら』では五体満足、意識もしっかりしているし、むしろ、充足めいた快感に浸っているはずだが、十五分間『こちら』には来られない、というペナルティを負った。つまり、当分、『こちら』側にいる不染井に触れることも、追跡することもできないわけだ。


「おめでとうございます」

 そう、労をねぎらったハヤブサ型が続けて長々と戦果を伝える気配をみせたので、不染井は制す。

「聞き飽きたことはいいよ。驚くようなことがあったら、それは教えて」

「驚くかどうかは不明ですが」ハヤブサ型は淡々と続ける。「すでに貴女は、現実世界で『殺人事件の重要参考人』として指名手配されています。なので、このバトル世界で貴女が敗北し、現実世界へ送還――となった場合、『その時点で最も適切な司法的措置』が強制執行されることになります。たとえば今なら、敗北が決まった瞬間に現実の司法警察署へ移送され、司法警察職員による【エイリアス】を用いた尋問が強制されることになります。拒否はできません。ご留意ください」

「つまり」不染井はすでに得物を消していたが、ニヤニヤしたままだった。「私が負けない限り、事件は解決しないってこと?」

「おそらく」ハヤブサ型は答える。「名探偵でもいない限り」

 『名探偵』と聞いて、不染井はとある友人のことを思い浮かべた。

 そもそもこのハヤブサ型は、彼女からの借りものだった。



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