19.タイムテーブル
「では、ご案内の締めくくり……」森岡刑事が神妙な声で始める。「井出先生の流儀に倣い、タイムテーブルをまとめてみました。ゲストの皆さんの証言によれば、密閉時間の1時間ほどまえ、午後8時の段階では、このような顔ぶれでした」
刑事が、円卓みたいな【プロペ】を宙に浮かべて解説する。
直径1メートル20センチほどのプリン色のテーブルの中央、50×100センチぐらいの領域はオレンジ気味の土色で、どうやら溺川宅の敷地をイメージしているらしかった。
敷地にはまだ邸宅はなく、中央地点に六日囲碁のブースめいたオブジェの存在が認められた。その奥、ブースから少し北側に東屋があって、そこに6名の人間――それぞれ表面に名前を刻んだコインが集まっている。所有者である溺川、被害者である賽形、それと、安田、伏木、帷、万理崎の6名。6枚だ
サクラと『式』の根岸の姿はない。
この時点ではまだ密閉されていないから――つまりはセキュリティが掛かっていなかったということなので、もしかしたら、他に『客』がいたかもしれない。
さて、上からマンモスが足を乗せても揺るがなさそうな円卓は、横から押すと簡単にへこむので、私たちは、敷地を崩さない程度に『余白』を減らし、見やすい位置へ寄る。
「彼らがここでどんな話をしていたか……、その詳細までは把握していません」刑事は照れ笑いを見せる。「ありていに言えば、教えてもらえませんでした」
「いきなり減点ですね~」井出ちゃんが【プロペ】を覗き込みながら教師のような口ぶりで言う。彼女は指でコインを触ったが、盤に貼りついて動かせないようだった。
「まあ、状況からして、おのおの、紹介が行なわれたのではないかと推測されますが……」
刑事は濁すことで、そうではない可能性――『そもそも自己紹介などしなかったのではないか』という疑義を含ませた。つまりは、そうであっても、なんら不思議ではない世情ということだ。まあ、今さらだが、現代に生きる私の説明には、なにかと行き届かないところがあるだろう。センゾはともかく、物言わぬ『貴方』は、想像力をたくましくして、ぜひ察してほしい。
「密閉される午後9時、その5分まえに根岸さんが、2分まえに不染井さんが到着です」
刑事の情報が【プロペ】に反映される。
要するにコインが2枚追加された。
敷地の端っこに、デジタル表示の時刻が浮かんでいる。これが早回しのように午後9時を示すと、敷地の中央、地上の一点からホタルグリーンの光の粒が生じた。それは地表に接地したまま風船のように、みるみる膨らんでいく。敷地に置かれていた8枚のコインは、その風船に触れると、そのまま浸食され、内部に取り込まれる形になる。
同時に、空中に浮かんだ【プロペ】に8名の名前が表示された。
「敷地内にいる人間は、先ほどの光で脳波を読み取られ『一覧』に載ります。所有者である溺川氏は、その『一覧』から、取捨選択し、改めて『ゲスト』として登録します。【TEN】によれば、このゲスト登録は『一覧化』の7秒後には終わって、以降、警察が踏み込むまで、登録者に変更はありませんでした」
風船は、徐々に角張り、面のような部分を形成しつつも膨れ、敷地の縁、ぴったりまで広がると、高さ50センチほどの半透明なケース状となって定着する。
「溺川氏は生前、午後9時から翌日の午前5時までのあいだを『密閉時間』と定義して、このようなケース型のセキュリティを施していました。ちなみに――」と、刑事は少年のような顔を井出ちゃんに向けた。「たとえ母体にいる胎児でも、脳波を出しますので、見逃したりはしませんよ」
それに対して、井出ちゃんは抗議をしたようだが、なにかの『ネタバレ』なのか、こちらまでは届かなかった。
「敷地の中で孕んだら?」私は訊く。
「胎児は一日にしてならず、です、波戸先生」先ほどまで刑事に文句を言っていたらしい井出ちゃんが、こちらに妙な笑顔で振り返る。「刑事さんの説明によれば、敷地のセキュリティは、一日に一度、午後9時に張り直されます。母体が孕んで、受精卵になっているときはともかく、胎児にまで成長して、脳波を出したら、引っかかるでしょう」
「邸宅の中にいても?」
「邸宅自体、昼間は消していたようです」刑事が言う。
彼は【プロペ】を指差して、「少なくとも、この時点では邸宅は消されていましたから」と続けた。
それに対し、現時点では、私は反論が思い浮かばなかった。
「複数のゲストの証言によると」刑事は言う。「このときに六日囲碁のブースと御神刀の紹介がなされたようですね」
ジオラマでは、東屋が消滅し、代わりに、その北側に邸宅が出現する。六日囲碁のブースはその中に吸い込まれた。時刻を見ると、密閉されて1分も経っていなかった。表示は最少単位が1分なのではっきりしないが、もしかしたら同時だったのかもしれない。
邸宅は、俯瞰で見ても、水の建物だった。
それで透明かと思えば、葛飾北斎の浮世絵――その、飛沫を立てる波の『青』に見えたりもする。バースデイケーキのように、ずっと見入ってしまう不思議な魅力があった。
「本宅は、心音により、個人を識別するシステムです。普段、このような仕掛けはなく、どうやら今回の催しのために、特別に設置したようですね」当然、【TEN】が管理するシステムなので、水も漏らさぬ堅牢さ、正確性を有していると言える。「こちらは、ゲストが建物の中に入ると同時に、心音をモニタし、自動的に認証を与えた、ということです。なんでも『人が水面ドアを破って入ったときに立てる水音で心音を測定する』のだとか」
「よく分かりませんが」と、井出ちゃん。「面白そうな機構ですね」
「ログは、部分的です」刑事は説明を続ける。「というのも、溺川氏が導入したセキュリティは本来ログが残らない仕様でした。『式』を行なうにあたって、根岸氏が設置しました。そのため、幸か不幸か、彼が『式』を始めて以降、事件が発覚し、警察が現着するまで、本宅の開閉と敷地の入退出ログは残されることになりました」
「それで根岸さんはアリバイ成立。【エイリアス】聴取を回避できた、と」井出ちゃんがあごに手を添えた。「やっぱり、すっごく怪しいですよね」
「まあ、認証自体は【TEN】がやっていますからね……」刑事は共感する声色だったが、論旨としては、【TEN】のやることに不備不正はあり得ない、という感じだ。さて、ログは、もし式が邪魔された際には、そのフトドキな人物を特定するためのものであったらしい。けれど、それなら、そもそも敷地に入れないよう全出入り口を『封鎖』すれば良かったのでは――と思うのだが、それは式の規定によりできなかったのだそうだ。
「なんだか都合のいい儀式ですね」井出ちゃんはこちらに笑顔を向けた。
刑事は、数秒ほど待ってから、「では、続きを」と、ジオラマの『時計』を『昨日の午後11時30分』にする。コインはすべて邸宅の中だ。すでに時計は動いている。1秒で『3分』のペースだったが、午後12時になると止まった。
まずケースの中が暗くなる。この国では午前0時から『夜』だ。地球外宇宙空間で行なわれている太陽光の回折が中断され、ごくごく自然な闇に包まれる『ルール』になっている。それを再現しているのだろう。同時に、本宅が提灯のように内側から輝く。光源は1枚のコインだ。上へ上へと浮かびあがっていくのが分かる。溺川だ。2階の高さに留まると、輝きが収まり、灰色になった。おそらく天寿を表現したのだろう。
注意を促す音が鳴り、時刻が12時――表示法が変わって、午前0時2分となる。
1枚のコインが邸宅から滑るように出てくる。
そのまま敷地の外へ出て、止まった。
万理崎だ。ログを表示したパネルには変化はない。まだ起動していないためだ。
時刻が回って、ようやくログが表示される
『午前0時19分 ログの記銘開始』
『午前0時19分 根岸 邸宅の外へ』
いつの間にか、根岸のコインが邸宅の外へ出て、敷地の中をウロウロし始めた。式の準備か。
「午前0時39分に式が開始」刑事が言う。「六日囲碁大会は午前1時ジャストです」
ジオラマの時計も午前1時になり、邸宅の中にもコインが現われる。
床に『六日囲碁』と書かれた領域の中を、賽形・伏木・帷・安田の4名のコインが踊るように動き出した。
『溺川』のコインは、2階の中央で灰色になっている。
『サクラ』のコインは、2階の一角に部屋をつくって、そこで佇んでいる。
「こちらは証言を鵜呑みにした、あくまで、イメージというわけですね?」井出ちゃんが邸宅を指差して尋ねる。
「というか」刑事は困り顔。「先ほどご覧いただいたとおり、ブースに入れるのは二人だけですので、これはまあ……、ウソですよね。ログと人の流れだけを確認する装置なので」
本宅の周りを回っていた根岸は、たまに邸宅の中へと入る。その際、ログは、しっかりと記録される。二度ほど出たり入ったりした根岸は、2時19分に敷地の外へ出た。
溺川を除く、邸宅の中のコインに『着信マーク』がつく。
彼らが受け取ったであろうメッセージが、宙に表示された。
『式、滞りなく終了。ご協力感謝。あとはご随意に。根岸』
「あ、メッセージは、こっちの意訳です」刑事が頭をかく。彼が考えた文面のようだ。
ふと見ると、もう、『六日囲碁』の領域は消えていた。
各自、一人で2階に部屋をつくり、休んで(?)いる。
しばらくすると動きが現れた。
まずは安田が邸宅の外に出た。ログが残る。
『午前2時45分 安田 邸宅の外へ』
数分ほど滞在して、また邸宅の中へ戻る。こちらもログに反映された。
『午前2時47分 安田 邸宅の中へ』
「まあ、おそらく、完成した式を観に行ったのではないか、と」刑事が言い、私は、ありそうな話だと思った。「根岸氏のお話では、外観的な変化はない、とのことですが」
「ちなみに」私は尋ねる。「ゲストは、ログを閲覧することはできたのですか?」
「やろうと思えば」と刑事。
「誰が閲覧したかは――」
「さすがですね」刑事はアニメみたいに口の端をあげる。「もちろん、できません。ただ、その発想に至ったことは賞賛に――」
「できないとは、【TEN】に禁じられている、ということでしょうか?」私は被せる。
刑事は苦笑いして、何度も頷いた。「おっしゃるとおりです」
それ以上の質問がないと見たのか、邸宅からコインが飛び出た。ログが動く。
『午前2時57分 賽形 邸宅の外へ』
賽形のコインも少し敷地に留まってから、建物へと戻った。
『午前2時59分 賽形 邸宅の中へ』
「この時間帯、外に出たのは二人だけですね」刑事が言う。「では、事件が起きたと思われる時刻まで進ませます」
午前3時16分。いや、もう、17分か。
まだケースの中は暗い。
いきなり、『ズビシュッ』とデフォルメした音がする。
きゃー、というチープな悲鳴。
1階フロア中央に賽形のコインが現われる。
すでにわずかに欠けている。
コインの色が変わっていく。
灰色に変わる――と同時に邸宅のドアを開けて、べつのコインが出てくる。サクラだ。ピンクとブラックのまだら模様の彼女のコインは、そのままケースを抜け、敷地を出たところで留まる。20分ほどそうしていただろうか、やがて敷地に戻ってくるが、本宅には入らない。敷地の一箇所に留まっている。
(この感じ……、誰かと脳内バトルをしたのかな?)と私は思った。
「さて、この均衡を保ったまま、およそ50分後、午前4時26分です」刑事は時刻を進める。「帰宅しようとした帷氏が賽形氏の頭部なしの死体を発見。宅内に滞在している、他のゲストに連絡」
現場にコインが集まる。サクラはまだ敷地にいる。
「午前4時28分、通報があり、2分後に警官らが駆けつけますが、そのまえに――」
敷地の外にあった万理崎のコインがケースを通過して、中へ。
「万理崎さんが戻ってきます。友人の安田さんから、賽形氏死亡の連絡を受けたそうです」
「はえ~な」センゾが現れた。「数分で来たぞ。万里崎の家は近いの? 東京?」
「ええ」と、頷く刑事。「浦和です」
「ふざけんなよ未来人コンニャロー!」センゾは憤ったものの己を鎮めるように深呼吸し、私を見た。「……この世にはなあ、決して越えちゃあならねえ一線ってもんがあるんだよ」
「ギリギリだったね」
「越・え・て・ん・だ・よ・コンニャロー!」とセンゾがまた叫ぶ。「百歩譲って浦安は許すわ。いや、断腸だわ、そんでも。だけど浦和はダメだろ。絶対、承知ならねえ――」
うるさいのでセンゾは退場させた。なぜか井出ちゃんが私に拍手。
「続けてもよろしいですか?」刑事が言い、私は鷹揚に頷く。「彼は、敷地にいた不染井さんの姿を見つけ、声を掛け、一緒に建物の中へ」卓上のコインもそのように動く。
「不染井さんが犯人だとすると、なんか変な流れですね」井出ちゃんが言う。
いや、彼女が真犯人であると考えた場合、これは『死亡推定時刻』を錯誤した――つまりは、アリバイ工作をミスったため、と解釈することができる。
「その2分後――午前4時30分に警官らが到着」『警』と刻まれたコインが敷地のケースの前に出現したが、中には入らない。「彼らは【TEN】に要請して、彼ら『捜査官』が入れるよう、認証に追加してもらいました。この際、根岸氏のログは警察へシームレスに、縫い目なく引き継がれましたので、真犯人に『脱出』されるマヌケはあり得ません」
まんまとサクラには逃げられてますけどね――と私は言わなかった。なんだか刑事が『誘っている』ように思えたからだ。
ジオラマの時刻が午前4時57分になる。
サクラのコインが邸宅から飛び出てくると、敷地の外へ消えた。『警』コインが追いかける。
「ちなみに」刑事は言う。「現状は、もう、ここの所有権は移っていますが、殺人事件ということで、ご子息に捜査協力をお願いして、裁判所の預かりとなっています。なので、敷地も本宅も調べたい放題でしたが、賽形氏の頭部は、見つかっておりません。初動捜査の段階で『未発見』に終わっています。先ほどご覧になったとおり、【エイリアス】により、『不染井さん以外のゲストの誰も、賽形氏の頭部には触っていない』ことが確定しています。なので、まあ、常識的に考えれば、先ほど、賽形氏死亡直後、不染井さんがいったん敷地の外に出ましたよね? おそらく、そのときに御神刀ともども頭部を運び出したのだろうと」
「理由は?」私は尋ねた。
「さっぱりです」刑事はヒゲダンスに似たポーズをした。「一応、不染井さんの政治的な思想を調べましたが、とくに何か見つかるわけではなくて……。むしろ、逃亡後のバトル、そのスタイルの変化のほうが、なにやら、思想的で……」
サクラはあちらで首を斬りまくっているらしい。
「木は森に隠せ、かな?」私は言う。
「真犯人の思考をなぞりたいのでは?」井出ちゃんは返し、刑事を見た。
「甲乙つけがたし、です」その刑事の声色が良かった。私たちは笑った。「他にご質問がなければ……」
笑顔の残る顔で井出ちゃんは私に振り向く。私は首を横に1パルスだけふった。
「では、たいへん名残惜しいですが」
刑事は、私たちが敷地を出るまで見送ってくれた。
別れ際は、あっさりだった。