18.ソメナイvsオボレガ
「では、ここで、ゲストから拝借できた貴重な行動記録――この部屋の真下で行なわれた不染井さん対溺川氏の一戦をご覧いただきましょう」
そう言って、刑事が【プロペ】に映したのは、天寿を迎える半時間まえ、サクラと溺川がバトルゲームで戦ったときの映像記録だ。
あ、私の『行動記録』を読んでいる『貴方』に、ちょっと説明。
自動記録型の日記と呼べる行動記録は、文章だけではなく、映像で視聴することもできるのだ。その際の『視点』は当人だけではなく、俯瞰や第三者ふうにすることも可能だ。
では、動画に戻ろう。場所は、溺川宅の1階フロア。例の大草原。画面には二人だけ。観戦しているであろう、他のゲストたち――ギャラリィたちの姿は、シルエット加工がなされ、名前も隠されていた。もちろん、彼らが発したであろう、解説や感想、感嘆などの言葉もだ。ただ、刑事は、この場にいないのは賽形だけ、と教えてくれた。
さて、七本先取制のノーハンデマッチは『7‐0』でサクラの圧勝。
さすがは現役の日本代表。
どこも危うい箇所はなく、完膚なきまでに叩き潰した感じだ。
負けた溺川にとっても、これ以上ない、冥途のみやげとなったことだろう。実際、対戦後にサクラを讃えていた彼の表情は清々しく、一点の曇りも認められなかった。
けれど――
「おかしいな……」
そう、私が呟くと、「ええ」と井出ちゃんがすぐに応えた。
怪訝と微笑みを両立させた顔をこちらに向けた刑事に、私は「彼女は『溺川氏には敵わない』みたいなことを言っていたのですが」と嘘をついた。厳密には『上には上がいる』だし、そもそも、溺川に対して用いた言葉かどうかすら、今思えば不明だ。
「え? 敵わなかった? 不染井さんが? そう?」刑事は心底驚いた様子で【プロペ】に何度か視線を落としたあと、こちらを見た。「いやあ……、どういうことでしょう……」
「このあと、溺川氏は天寿を迎えるのですよね?」私は訊く。
「はい。この一戦の、およそ22分後くらいに、ですね……。対戦後に、ここへ不染井さんと賽形氏を除いた全員で移動したそうです。そこで歓談をして、時間になると、溺川氏が『人生、隅々まで生ききりました』とおっしゃって、まもなく天寿が始まったと」
「天寿を迎えると、いったい、どんなことが起きるのですか?」私の興味が逸れた。
「【TEN】により口外禁止です」刑事は微笑む。「ただ、天寿の際、特殊な【エフェクト】が出たと、それだけは『聞き取る』ことができました」
先ほどフラボノから訊いた『自殺可能方法』と同じシステムだ。
ネタバレ発言は、【TEN】によって、『なかったこと』にされる、という。
「彼女は――」私は動画のサクラを示しながら切り出す。「溺川氏以外に、誰かとバトルをしなかったのでしょうか?」
「表立っては、なさってなかったようですね」刑事は思案顔になる。
バトルは原則として、現実世界に重ねられた異軸世界に身を投じて楽しむ『体感型』のスポーティなゲームなのだけれど、プレイヤのあらゆる事情を鑑み、俗に言う『脳内バトル』――例えば、幽体離脱のように寝たまま、座ったまま、あるいは、何か別の行動をしながら空想のようにプレイすることが可能だ。要するに、周囲に感づかれることなく、楽しむことができる。そんなわけだから、私はフラボノを【TEN】の管理する『バトル対戦記録室』に送り込んで、溺川がサクラとリマッチ――脳内バトルをしていないか調べさせた。
どうもサクラが残した『上には上がいる』のメッセージが気になって仕方がないのだ。
あれをまともに受け取るなら、サクラは、溺川に、少なくとも『一本』取られたはずだ。
「なさっていませんね」耳の中にフラボノの声が響いた。「この一戦から溺川氏が天寿を迎えた午前0時まで、不染井様は誰とも戦っておりません」
ということは、サクラのあのコメントは溺川を評したものではないのか。
けれど、ゲストのなかにサクラと比肩しうる者がいたとは思えない。顔を見ればわかる。
とすれば、あれは謙遜だったのか。
あるいは、じきに天寿のご老人相手に花を持たせず本気を出してしまった自分を今さらに恥じて誤魔化したのか……。
ん? ひょっとして私の日本語読解力の問題?
井出ちゃんと話していた森岡刑事も気になっていたらしい、私と目が合うと、「戦ったお二人にしか分からない、水面下の攻防があったのでしょうか?」と慮った声で言った。
「そうかもしれませんね」私は応えたが、ほとんど真に受けていなかった。
溺川とのバトルは、どう解釈してもサクラの圧勝だった。動きの質、ひとつひとつの細かな攻防や読みに関しても、彼女は常に溺川の上をいっていた。ラスト三戦にいたっては、それこそ冥途のみやげだろう、ここぞというときにしか見せない、華麗かつ凶悪な威力を誇る『エア・ムーブ』まで披露して、結果も内容もサクラの完勝である。
「いえ、というか」井出ちゃんは、むしろ私の注意を引くように言った。「不染井さんの得物、ガンブレードじゃないんですけれど……」
私は即答せず、少し考え、一番可能性の高い想像をもとに言葉を選んだ。「今、彼女は、ガンブレードを使ってるってこと?」
「ええ……」井出ちゃんはびっくりしている。刑事もだ。「もしかして、不染井さんの逃亡動画ご覧になっていないのですか?」
うん、と無防備な声色で答えるのが、急に恥ずかしく思え、頷くだけにした。
沈黙。
「このまえの、ザンビア・バトルカップでは『番傘』でしたね」
刑事が水を向けた。
サクラの白い肌、黒い髪に、朱色の番傘はとてもよく映えた。
公式戦では、彼女は21世紀の高校生のような制服を好んで着ていた。
白いブラウス、黒系のスカートとソックスに、赤いスカーフ。
あの日本的な色彩が見られなくなるのは個人的には残念な気もする。
「もう2年ぐらいまえから、番傘の限界を感じていたようです」私は『関係者』みたいに答えた。「なので彼女は『札使い』にコンバートしました」ついでに、サクラのために言いわけしてやる。「ザンビア・バトルカップは、まだ札使いとしての立ち振る舞いが熟していなかったので、仕方なく番傘で出場したそうです」
結果、日本チームの、まさかまさかの三次リーグ敗退は、記憶にも新しい。
「たしかにこの動きなら世界に通用したかもしれませんね」刑事が唸る。
もちろん、動画を見る限り、溺川の動きも悪くなかった。代表時代、彼の代名詞であったという『十手』捌きも堂に入っていた。さすがに日本代表は難しいが、15才以下の日本代表世代と遜色ない程度には戦えていた。サクラのパフォーマンスがそれをはるかに凌駕していただけだ。水を得た魚というか、刑事の評したとおり、一皮剥けた感がある。
刑事がもう一度、サクラ・溺川戦を再生すると、私たちは反射的にそれに見入ってしまう。
とかく何事にも執着せず、『本能を解消した』とすら言われる現代人だが、このバトルという競技に対しては別だ。妙に惹かれてしまうのだ。たとえそれが一度観たものであっても。21世紀の感覚で言えば、『異性』への興味に近いように思われる。
さて、サクラが相手の身体に貼りつけるトランプ大の札は、札に表示された制限時間内に剥がさないとペナルティ――ダメージや能力低下を受ける仕掛け。パワーはないが、アジリティに長ける彼女にとっては極めて親和性の高い武器だ。札は相手だけではなく、自分や地面、障害物はもちろん、空間にも貼れるので、かなりフレキシブルな戦略が期待できる。
私ならカードの上に別のカードを貼って錯誤させたり、矛盾する二枚の札を――
井出ちゃんが私の左手に軽く触れた。もう動画終わってますよ、また空想の中ですか、という目をしていた。彼女はそのまま、口を開いた。「札なら世界に通用していた……。それならどうして、今、不染井さんはガンブレードで逃げているのでしょうか?」
「不染井さんのガンブレードの熟練度は、逃亡開始時点で『E』評価です」とフラボノが報告してきた。他の者にも分かる出現だった。「ちなみに札は『B』で、番傘は『Aマイナス』です」つまり、まだ慣れない、使い勝手の悪い武器、ということだ。
「普段はガンブレードを使っていざとなったら札を出すつもりかもね」我ながら妙案だ。
「札もガンブレードも『生成武器』です。生成武器は一度消すと、最低でも60秒は生成できなくなります」井出ちゃんが懇切丁寧に説明してくれる。少し呆れ気味だ。「いざ、強敵、というときに、悠長に武器チェンジしてるヒマなんてありませんよ」
「最初から同時に出せば?」私が言うと――
「同時とは」今度は刑事に笑われる。「贅沢ですね」
「波戸先生はバトルをなさらないので」井出ちゃんが、執事のように弁明してから、こちらを向いた。「生成武器は同時にひとつしか持てません」
「え、そうだっけ?」深層記憶を検索したくなったが、やめた。
「そうですよ」井出ちゃんは頷く。「まあ、伝説の魔女なら話は別ですが」
いくらバトルに疎いと言われる私でも、サクラが『伝説の魔女』などではないことは知っている。
と、このように男女が集まり、お題がバトルとなれば本分そっちのけで話に花が咲く。
さて、前回――つまり、今年の初めにザンビアで行なわれたバトルカップでは、複数の武器を使うアフリカ勢の躍進が凄まじかったのだが、刑事曰く、その理由は『彼らが生成武器ではなく、既製武器を用いていたことにある』のだそうだ。既製武器は、高価だし、あるいは入手するのが困難で、重く、いちいち持ち運ばなくてはいけないし、刃こぼれや破損しても瞬時に直せなかったり、落としたりしたら拾わなくてはならなかったり、そもそもカスタマイズができなかったり――などデメリットは枚挙に暇がないのだが、制限なく複数同時に持てるから、相手に合わせ柔軟に使い分けたり、仲間内で転用したりすることもできる。この利便性が絶大な効果を呼び込んだ――との分析が世の大勢らしい。
「チーム的な戦略よりも、個人同士の駆け引きがトレンドになっている、と申しましょうか。小さな勝利が大きな勝利に繋がる、とまあ、知ったげに表現するならば、我々のようなテーブルゲームを嗜好する民族は、軒並み残念なことになっていますねえ」
それでも連続ベスト4の新記録を樹立したドイツは凄い、と刑事は興奮の口吻で続けた。この国はドイツ好きが多い。もしかすると15年まえ、自国開催された10才以下限定のバトルカップで日本を優勝に導いたヘッドコーチがドイツ人だったことが影響しているのだろうか。ちなみにそのとき、8才にして、エースアタッカだったのが、サクラだ。私と彼女は、実はそのころからの知り合い、幼なじみである。
刑事は、ひとしきりバトル競技の現状、展望を語ったあと、「こう言ってしまうのは、まあ、あれなんですが……」とトーンを下げて切り出したきり、黙ってしまった。
「なにか?」私は促す。
「札や番傘では、首が斬れないから、ではないでしょうか?」
刑事は刑事で、サクラが武器を変更した理由を考えていたようだ。
「首を斬ることが、なにかのメッセージになっている、とおっしゃりたいのですね?」井出ちゃんが明るく応じる。「実はそれは私も考えていました。けれど、だとすると『自分が犯人だ』という主張が、一番自然に思えます」
「いや、そこまでは、分かりませんが……」彼は苦笑いしてみせる。
「単に、首を落とすのが効率的だからでは?」と、現実的な目線から私。
どんなに体力が残っていても、首を刎ねられればプレイヤは即死――一発退場となる。
「ええ、それはそうなんですが……」刑事は一度口ごもった。「一撃必殺は今のトレンドと逆行します。やはり小さなダメージの蓄積が大きなダメージに繋がるということで」
「では、どのような意味があるとお考えですか?」そう、私がつっこむと――
「う~ん」刑事は腕組みして困ってしまった。
「長引きそうならいいですよ」私が言うと、井出ちゃんが笑った。
そのあと、改めて邸内を探索したものの、徒労に終わる。
溺川邸から出ると、いつの間にか敷地にいた探索犬が、井出ちゃんを見つけ、収納ボタンを押した巻尺のように勢いよく、足運び怪しげに、息を切らせて戻ってくる。
井出ちゃんが抱き上げ、撫でてねぎらうと、嬉しそうな犬型は、手足が短くなって、いよいよ鞠のように見えた。
「で、なんか見つかったの?」私は訊く。
「いえ、残念ながら、とくに何も見つけられなかったようです」
「駄犬だなあ」
「だけんだ? 方言ですか?」笑顔で言った井出ちゃんは犬型に呼ばれて、「なあに?」と耳を寄せる。そして、いきなりこちらに拗ねた顔で振り返り、「ウチのコは駄犬じゃありません!」と叫んだ。井出ちゃんの腕の中で、犬型は眉を下げ、『傷ついたワン~』みたいな顔をしていて、私の感情を逆撫でにした。
「ちょっと、それさ~」私は井出ちゃんを手招きした。
「なんですか?」
「つねっていい?」
「えー、なんでー!」と井出ちゃんは悲鳴。「なんでそんなひどいことするんですか!」
たしかに、と私は自分の不条理さに笑いそうになった。輪郭を震わせ、眉をハの字型にして怯える犬型の姿が、よりいっそう私の嗜虐趣味を刺激した。
「もう、カワイイなあ」私はにこやかに近づく。「そのコ」
「でしょう?」言いながらも井出ちゃんは上半身を数センチほど退いた。
「ちぎっていい?」
「怖いこと言わないでください!」
犬型も、口こそ逆三角形だが、泣きそうな顔で震えている。
あははは、と私は高笑いする。
もちろん、モドキだとしても動物を虐待する趣味は私にはない。親戚の叔父さんが甥っ子や姪っ子たちに怪談話をして怖がらせて喜んでいる、というような、安穏とした風景を想像していただきたい。
さて、今の時代、個人使用に限れば、動物虐待はもちろん、人の尊厳を著しく損なう残虐または破廉恥な行為を、【マシン】で再現した人や動物を相手に行なうことは許されている。けれど、その様子を他人に見せることはできない。それは『私的使用』の範疇を超える、という判断だ。なので、たとえば21世紀っぽい通勤電車の中で、一人の屈強な男性に対し、自分を含めた大勢の女性で襲いかかり、数的有利を活かして、痛めつけ、じわじわと身も心も屈服させる――という遊びがしたい場合、実在する同じ嗜好をもつ有志を集めて、みんなで享楽にふける、ということは原則としては禁じられる。どうしてもそのシチュエーションを楽しみたい場合、仲間となる女性も【マシン】で再現する方法がとられる。要するに、自分以外はすべてツクリモノなら、なんでも許される、ということだ。それらは通常、人目にふれないように自宅や個室で――あるいは脳内で明晰夢みたいに行なうのだが、その仮想体験は現実と遜色がないとされている。
ならば、どうして犯人は、殺人を犯したのだろう?
そんなふうに思考が飛躍する。
人を殺したいのなら、仮想空間でやればいい。なのに現実で殺してしまった。
ということは、現実でなければいけない理由があった――のだろう、たぶん。
センゾも言っていた『動機』というやつだ。どうして賽形は殺されなければならなかったのか。犯人にしてみれば、賽形を葬ることによってプラスがもたらされたのか、あるいは、本来被るはずだったマイナスを打ち消すためのものだったのか……。
そもそも私の中に、人を殺そうとする心理が皆無なのだから、理解は難しい。いや、リバイバルドラマを観れば、そこで描かれる『殺人に至る道筋』には頷けるものも多い。けれど、それは舞台が21世紀だからだ。ここは24世紀なのだ。欲しいものはなんでも手に入るこの世界で、人を殺すほどの『何か』に、私はまったく見当がつかないのだ。
というわけで、『動機』という観点から真相に辿りつくのは、自分には無理そうだ。
「では、ご案内の締めくくり……」森岡刑事が神妙な声で始める。「井出先生の流儀に倣い、タイムテーブルをまとめてみました。