12.石
「確認しましょう。これは事故や自殺ではありません」サンゴで組んだようなイスに腰を下ろしながら、井出ちゃんが言う。「なので不染井さんがシロだと仮定すると、他に真犯人がいる、という理屈になります」
「自明だね」私は、身の詰まったトウモロコシのようなイスを選んでいた。
「状況から、真犯人は1階フロアで被害者を殺害――首を両断。遺体を動かさず、その場を去った、と思われます」井出ちゃんは【プロペ】を操作する。「先ほど斉藤医師がおっしゃっていたとおり、その犯行時間帯にこの邸宅から外に出た方がいます。不染井さんです。真犯人が賽形さんを一撃したその35秒後には、不染井さんは外に出たことになっています」と井出ちゃんは一度こちらを見た。「さて、このとき不染井さんが2階フロアにある部屋から1階に降り、外出した、と仮定すると、彼女が『賽形さんの遺体』に気づかずに外に出たというのは、なかなかに不自然で、現実味がないと言わざるを得ません」
「なんで?」岩で出来た猿のような格好をしたセンゾが飛び出てきた。「なんでイワザルを得ないの?」彼はきょろきょろと辺りを見た。「つか、あの刑事は? ここどこ?」
「私には『やもめん』が、先輩には『フラボノ』がいます」
井出ちゃんの足元にあの『駄犬』が現われた。
「それ、『やもめん』って言うんだ?」私は訊く。
「はい、やもめ犬なので、やもめんです。まだ子犬の息子犬が二匹います」
井出ちゃんのお手伝いをして、生活費を稼いでいるという『設定』らしい。
ほっぺた、こんもり、下膨れ気味の、やもめんの口は、どんなときでも逆三角形なので、常時笑っているように見えるが、けっこう苦労しているようだ。
今、やもめんは、主人である井出ちゃんを守るつもりなのか、正六角形を描くみたいに周囲を巡っては、図形の頂点部分で数秒留まり、短い足をつっぱり、眉をキリリ、警戒するように虚空を睨んでは次の頂点へと移動しては警戒――という作業を繰り返している。
ちょうど私の足元に横向きで止まったので、その将棋盤のような背中に、フットレスト代わりに両足を乗せてみる。くすぐったいような毛並みと生物的な温かさ。けれど、ホンモノのような、エンジンみたいな鼓動はない。やもめんは、突如、我が身に降りかかった災難に、短い両足を必死に突っ張ってプルプル耐える。その場から動けなくなってしまったものの、それでも主人のために、顔をふって、己の任務をまっとうした。
「ちょっと、なに、やってるんですか!」井出ちゃんが気づいて、驚きの声で非難する。
「ごめんごめん」私は笑って足を下ろしたが、抜群な『足の乗せ心地』から言って、井出ちゃんも、普段、そういうことに使っているのではないかなと邪推した。
解放されたやもめんは、どこ吹く風、もう、作業に戻っている。
「ほら、ごん太くん、お駄賃あげる」と私が、今は流通していない『一円玉』を手のひらサイズにデフォルメしたものを投げてやると、どこからともなく『小さなやもめん』が現われて、器用に頭の上にコインを掲げるようにして受けとめた。どうやらこれが息子犬らしい。もう一匹いたので、コインをつくって直接頭の上に乗せてやると、嬉しそうに小躍りした。ふと気づくと、井出ちゃんの後方で、おしりを向けたやもめんが、顔だけをそちらに振り返って、口を逆三角形にして、息子犬たちを優しげに見ていた。
「かわいいでしょう?」井出ちゃんが私に笑顔を向けた。
「うん、握り潰せそうなサイズだね」
「なんてことを!」
井出ちゃんが本気とも冗談ともつかない声で叫ぶと犬たちは消えた。
「なるほどなあ」うんうん、と頷くセンゾ。「もし不染井が事件に無関係なら、ああいうペットが『近くに死体があるぞ~』って教えてくれるわけか。じゃあ、賽形の胴体を……、なんだっけ? 【マシン】で隠すっつーのは?」
「TEN法第12条2項を要約すれば――」井出ちゃんは綺麗な発音で答える。「『ヒトは、遺体に対して【マシン】を使えない』となります」
「いや」私は口を挟んだ。「ただし殺人者は除かれる――って場合があるから、範囲を限定して『【マシン】を用いて遺体を隠すことはできない』って言ったほうが正確かな?」
――と、私が訂正したように、実は『死体隠蔽』に限れば、ヒトだけではなく、【TEN】もその制約を受ける。
つまり【TEN】ですら『死体隠蔽』は禁じられるわけだ。
「遺体が見える――つっても、違う部屋の中にいたら、分からねえんだろ?」
前後するが、禁止されているのは、殺人が行なわれてからの隠蔽だ。なので、センゾの指摘にあるように全面【マシン】で構成された館において、隣室で殺人が行なわれたからといって、『【マシン】による隠蔽は禁止なので』と壁がササーッと透けてしまうわけではない。さすがにそれでは殺人者に厳し過ぎる。
私たちの無言を肯定と認識したのだろう。「じゃあさ」と、センゾが続ける。「あの六日囲碁のブースを持ってきて、『ツイタテ』にしたら?」
「さすがにブースがそんな場所にあったら、不染井さんも不審がって見に行くと思いますけど」自分なら絶対そうします、という調子で井出ちゃん。
「いや、あいつは、べつに、そんなの気にしないでしょ?」私は反論したが――
「え、じゃあ、他の可能性はどうなのよ?」センゾは、井出ちゃんの主張を支持したようだ。「じゃあ、そんときは、まだ被害者が死んでなかったとか?」
「なるほど」私は思いつく。「『石』になっていたって可能性もあるね」
「イシ?」と、首を傾げたセンゾが石化した。
『石』というのは、我々24世紀人が『とある異軸世界』を利用することで得られる『身体的状態』のことだ。『石』になると、他の人間からは『感知』されなくなり、かつ、他の人間を『感知』できなくなる。『透明人間』よりも透明で、お互いの声も届かないし、触れてもすり抜けてしまう、空気のような状態。用途としては、出先で休憩したくなった場合や一人になって考え事をしたいときに用いることが多いように観察される。
「タンマタンマ!」センゾが演技っぽく叫ぶ。「ちょっと考えるから、いったん……、いったん、その包丁、下そうか? ――みてえな修羅場で『石』になるわけだな?」
「昔のひとって凄いよね~」私は感心した口調をつくる。「包丁で殺そうとするんだもん。相手を『料理する』ってことでしょ?」
ちなみに、石となった場合に『感知できない』の範疇は、これは、誤謬が生じないくらいに文字どおりである。フラボノを使っても、感知できない――いや、厳密に言えば、フラボノならば感知できるのだが『その存在をこちらに教えてくれない』という意味だ。
当然、『石』は【TEN】に注文し、施してもらう『サービス』である。つまり、すべての『石』は【TEN】によって把握されているから、誰がどこで石になっていようと、プライベートな不安や、社会的な問題は皆無だ。もちろん、セキュリティ面も。
たとえば今回の一件に照らし合わせれば、昼の時間に、ゲスト以外の者が溺川邸敷地の中に『石』として潜んでいても、時間になって、敷地のセキュリティが起動すれば、【TEN】が『石』の状態のそれを、額面どおり『人知れず』敷地の外へと寄せたはずだ。問題はない。いや、問題が出ないよう、『貴方』には解釈してほしい。
さて、それを踏まえて、サクラの件に話を戻そう。
つまりは、サクラが1階フロアに降りてきたとき、賽形も犯人も『石』になって、その場をやり過ごした――という可能性はある。
『石』になると、こちらの世界の様子も完璧に感知できなくなるのだが、『ペット』などを介して、『今、自分が石の状態を解除したら、驚くような人が周りにいないか?』と尋ねることは許されているから、戻るタイミングも問題はない。
つまり、彼らは『石』になっていれば、サクラの目をかいくぐることができた。
けれど、『石』の状態では殺せないし、死ねない。
もちろん、すでに死んでいる人間を『石』にすることもできない。
さらに言えば、『死につつある人間』を『石』にして、隠すことはできない。
この状況下で、それを許せば、殺人幇助にあたり、『ロボット則』に反するからだ。
とかく『殺人者に寛容』と言われる【TEN】だが、『これ』がやるのは『犯人の名指しをしないこと』と『捜査協力に消極的なこと』ぐらいだ。現在進行形の殺人を隠ぺいする、なんてことはしない。なので、真犯人が『石』を犯行に活用するとしたら、前述のパターンぐらいだろう。
犯行直前にサクラがやって来たので、『石』になって、やり過ごしたパターン。
彼女が邸宅から退出したあと、『石』をほどき、改めて賽形を殺害した――という流れだ。
ただしこれだと、状況から言って、二人は示し合わせて『石』になっていたことになる。
真犯人がどうにか言いくるめて、賽形を『石』にさせたのか、あるいは共謀というか結託というか、賽形が自分の殺害を依頼するような、いわゆる『嘱託殺人』だったのか――
「いえ、その可能性はあり得ません」
その着想を井出ちゃんに話すと、彼女は即座に断じた。
「どうして?」
もちろん、すでに自説の齟齬には気づいていたから、相づち代わりだ。
「賽形さんの死亡推定時刻の終端は、不染井さんがドアを開く直前です。同時ですらありません。背後で殺人が行なわれていたなら、彼女の『ペット』が黙っていません」
そのとおり。そして、なにより、当時、サクラに『ペット』を貸し出していたのは私だ。そんな凶行を、私の『あれ』が見逃すわけがない。
では、サクラのほうが『石』であった可能性は?
彼女は始終、『石』だったので、1階フロアの凶行に気づかずに外に出てしまった、という可能性。
もちろん、これも駄目だ。石は『原則として』その場から動けない。
いや、己のなかの『厳密でありたい』精神に要求されるままに『原則』と断ったものの、果たしてどのような『原則外』が適用されれば、石になったサクラが動くことを許されるのか、あまつさえ、建物の外に出られるのか、まったく想像ができない。
念のため、フラボノに訊いてみたが、『法律的にはノーアイディア』だそうだ。
「不染井さんが犯人でないとしたら――」井出ちゃんの声に、私は顔をそちらへと向けた。「背後で犯行が行なわれているのを知りながら、外へ出た、ということになります。つまり――」
彼女の目はしっかりとこちらを見据えていた。
私は、その期待に応えるように、口を開く。「サクラは真犯人を庇ってる」
けれど――
それこそ検討の必要はない。
サクラが真犯人を庇っている、という可能性は皆無。自明だ。
ならば、サクラが犯人か、というと、これも違う。
となれば、どういうことだろう?
もしかすると、早くも答えが出かかっているのかもしれない。
そんな私の思考を知ってか知らずか、井出ちゃんが「ですが」と続ける。「そんな可能性は検討に値しません。なにしろ、『不染井さんは無実』というのが、我々の弁護方針の前提であり、根幹ですから。そもそも、犯行や死体を見ずに外に出る方法が存在します。2階から直接、窓を使い、外に出る方法です。ログの上からでは、1階からだろうが2階からだろうが、等しく『退出』となるから、区別がつかないのですね。となれば、次は、なぜ、不染井さんは、そのような外出方法を選んだのか、という疑問に突き当たります」
「単なる気まぐれとか?」私は彼女の話に付き合うことにした。
「それだと袋小路です。不染井さんが2階から外に出なければならない理由があった、と考えましょう」
「じゃあ、1階フロアに人がいたから、とか?」
「採用しましょう」人差し指を立てた井出ちゃんは、少し照れたように微笑み、「つまり、不染井さんはペットにより、1階に人がいることを知り、彼らと顔を合わせたくない、などの理由で、2階から直接外に出た」と続けた。
「ちょっと待ったんしゃあ~い」と、センゾ。「たしか2階フロアは歩けないんだよな? 2階から外に出るには、あらかじめ外壁に接した部屋を選ばなくちゃならねえわけだ。つまり、不染井は最初から、外に出るつもりで2階の外壁沿いの部屋を選んだ!」
「そうです」今さらだが、井出ちゃんはセンゾに対して、丁寧語を使う。「つまり、不染井さんは、あの日、溺川邸に泊まりつつも、どうしても外に出たい事情があったのです」
「どんな事情?」私は訊く。
「誰かを殺すため、というのはいかがですか?」井出ちゃんは微笑む。
「ありがち」私が返すと――
「ありがち?」井出ちゃんは心外そうな表情をしたが、声は笑っていた。「あながちではなくて? あながちなくはない、ではなくて?」
「なるほどね」私は引き取った。「その場合サクラは、この状況をアリバイに使うつもりだったんだけど、まさか『ログ』が残されるとは思わなかったわけね?」
「はい、おかげで3時18分から20分間、敷地の外に出ていたのがバレてしまいました」
「それこそ、ペットが指摘すると思うけどなあ」と、センゾ。「俺だったらちゃんと教えて……、いや、そもそも、人殺しにならないよう説得してやんぞ」
「今さら、計画を変えられなかったのでしょうね」井出ちゃんが訳知り顔で頷く。
素直に同意しかねるが、言下に否定もできない。
私の中に巣食う『厳密でありたい精神』のせいだ。
「フラボノ」私は呼ぶ。「この三日間で、賽形事件以外に行なわれた殺人事件は?」
「あ、それ、もう、試しました」と、井出ちゃん。「その検索結果は内緒です」
「曖昧な表現です」フラボノが現われた。「検索結果を公開することは【TEN】により禁じられています」【TEN】は殺人者に優しい。「――が少なくとも、この三日のうち、各国の警察機構が『殺人事件』として認知したものは、日本警察の認定した『賽形事件』だけであり、それを除けば、ただの一件もありません」
「では、他の『用件』を考えなくてはなりませんね」井出ちゃんが腕を組む。
「未遂かもしれないしね」私は言う。
「つか」センゾがきょろきょろ辺りを見回す。「ここどこなんだよ」
「今、戻すと――」とフラボノ。「驚く御仁が一名いらっしゃいます」
「じゃあ、驚かせよう」
私の一言で、あたかも緞帳を吊っていたロープが切れたかのように、風景が落ちた。
風景は、目に見えない切れ目に、湯葉のようにヒダをつくって吸い込まれていく。
景色が、溺川邸1階フロアに戻る。
森岡刑事が笑顔で、突っ立っていた。「あ、石になっていたのですね?」
「医師に会っていたのです」井出ちゃんがジョーク。「お待たせしましたか?」
「いや、一瞬でしたよ」刑事は紳士的に笑む。「あ、でも、3秒くらいかな?」
『石』は、このように複数の人間でも、事前に示し合わせれば『空間』を共有できるし、そこで体感する時間は『一日千秋』っぽく、引き伸ばせたりもするので、突発的な作戦会議には、うってつけだ――が、もちろん、時間制限や使用限度はある。
私は、フラボノを手招きし、呼ぶ。
「なんでしょう?」
「全然驚いてないじゃん」私は、刑事を示すように、軽く頭をふる。
フラボノはこちらに背中を向け、ふら~と空を飛び、私から離れていく。
逃げる気か、と目で追うと、彼は、腰を抜かしているセンゾのそばに着地した。