11.医師
波戸絡子の行動記録
2332年 11月7日 午後2時56分
溺川邸調査の途中ではあるが、ここでいったん案内役(監視役?)の森岡刑事と別れ、被害者である賽形の検死を担当した医師に詳しい話を伺うことになった。そのあいだ、刑事には待っていてもらうことになる。恨み言をいうなら、この段取りをつけた井出ちゃんに――という感じだが、暇つぶしには困らない世の中だ。気にせず、じっくり行こう。
「果たしてヒトが頸部を両断されたのち、どのくらい生きていられるのか――」斉藤と名乗った男性医師は鹿爪らしく言い、語尾を伸ばすよう、唸ったあと、相好を崩した。「よく分かりません」私の目には、強制的に【視界エフェクト】が掛けられており、彼は白衣を羽織った姿で映っている。「よく分からないのですが、今回の場合、もろもろ含めて最長でも、まあ、35秒であろう、と」
「なげえな」センゾが、ぽんと現れた。「つか35秒は分からなすぎだろ? ボンクラかあ? 首切れてんだろ? 頑張ってもさすがに3秒くらいだろ、生きてんの」
センゾの声は医師には聞こえていない。存在も認識していないだろう。邪魔なので消す。
「犯人からの一撃で『即死』したのか、それとも苦しみながら35秒以内に死んでいった――つまり、『余韻のある死』だったのか、現代医学では判別できない、ということですね?」と井出ちゃん。彼女が基本『質問役』である。
「ああ、誤解を生む表現でした」医師は軽く頭を下げる。「死因が『頸部切断』によるものなのかも不明です」
「犯人による、なんらかの致命行為があってから、被害者が絶命するまで35秒以内ということですね?」
「ええ。実際は34秒ちょいなのですが、ちょうど35秒に不染井さんが邸宅を退出していますので、広めにとって35秒と」それと、と医者は続ける。「死体の切断面は見事なものでした。警察の言うとおり、道具があの日本刀だとしたら、あれは素人では、まず無理です。居合か何かの腕がないと」
「つまり、不染井さんには無理、ということですね?」
「ええ、まあ、常識的に考えればそうなりますね。なので、彼女の犯行ならば、まずは『自力』で攻撃を加え、被害者の死亡が確定したのちに、改めてその『遺体となったため、ロボット則の適用外となった物体』を【マシン】のアシストを用いて頸部で切断――それにより断面を『あたかも達人がやったかのように磨いた』ということになるでしょう」医師は懇切丁寧に解説する。「そして、それらは35秒以内に行なわれた、と」
「まだ何か足りませんね?」私は、つっつく。
「ご高察のとおり、もうひとつ条件があります。これが自殺――つまり、賽形氏が自力でやったのだとしたら、矛盾が生じるのです。というのも、独力では絶対にあのような『断面』をつくれません。生体的、あるいは人体工学的な事情で、どうしても断面に『痕跡』が残ってしまうのです。これは【TEN】も保証してくれています」
【TEN】お墨付きの絶対的な条件――ならば、無条件に正しい。
メモっておこう。
『自力による自殺では断面に痕跡が残る』
『本案件では、そのような痕跡はなかった』と。
「つまり、これが自殺だとしたら、賽形氏が自殺を決行した35秒以内に、絶命した彼の首を切断し、断面を磨いた『第三者』がいるということですね?」井出ちゃんが敷衍した。
「そうなります」
「となると、問題です」井出ちゃんはあごに手を添えた。「第三者による死体損壊行為は【TEN】によって禁じられます」
繰り返しになるし、これからも繰り返すだろうが、【TEN】は殺人者に優しい。
逆にいうと、殺人以外の犯罪については厳しい、というか、させてくれない。
つまり――
「つまり、自殺ではないということでしょうか?」井出ちゃんは私を見て、医師を見た。
「私は、せいぜい医学の徒なので、そこまでは、なんとも」彼は苦笑いした。
「【エイリアス】の判定を信じるなら――」井出ちゃんは続ける。「ゲストは全員シロ。なので、不染井さんの奇跡的な一刀両断か、彼女が賽形氏を殺害したのち、【マシン】を使い、断面を磨いたか――の二択ですね。賽形さんの自殺または事故死であって、その頸部を不染井さんが切断した――という可能性は難しい、と」
いずれにしろ、この条件下ならば、サクラにしか犯行は成せない。
ならば、どこかの『前提』を外すしかないのだが……。
「ではこちらからいくつか質問してよろしいですか?」
と、思いがけず医師から反問が来る。
「はい」井出ちゃんは、うかつに了承してから、私を見た。
まるで弁護士失格な対応だ。
「不謹慎な問いですが、明日、近しい人間が亡くなったら、どうしますか?」医師はそんな様子に気づく素振りも見せずに問う。「たとえば、井出先生が殺されたら、その時、波戸先生はご自分にどのような感情が、胸に去来するだろうと想像しますか?」
「ああ、賽形さんとお知り合いでしたか」私は、彼の問いに意趣返しのようなものを感じ、ストレートに尋ねた。
「いえいえ」医師は、かぶりをふる。「そうではなく、単純な興味――好奇心から、こうして生身でお会いした方々に尋ねているのですよ」
「私はたぶん変わりません。むしろ殺されたのだとしたら、どうして彼女が【安全プログラム】を外したのかを気にかけます」
「なるほど……」医師は神妙な顔で言って、井出ちゃんに手を向ける。
「私は、もちろん犯人を見つけ出し、法的な罰を受けさせます」彼女はこちらに微笑んでから医師に向き直る。「そうですねえ……、私が波戸先生と過ごした時間は決して長くはありません。たった一年足らずですが、今回のことも含め、それはそれは、かけがえのない素敵な想い出となるはずです。時折思い返してはニヤニヤ――そんな感じでしょうか?」
「お二人――いや、この時代の、多くの人にとって、死とは特別でもなんでもないようですね」
医師は感慨深げに呻いた。
「いえ、それは突然いなくなるわけですから、それなりに悲しかったりするのでしょうけれど……」井出ちゃんが応える。「ですが、それが人生というものでは?」
「悟りきっていらっしゃる」医師は嘆息する。
「まだ卑近な存在を亡くした経験はありませんが」私は言う。「喪失感と同時に、それを乗り越えるための活力のようなものが湧きあがる予感がします」
さすがに、『わくわくする』は幼稚な表現に思えて付け足さなかった。
「予感、ですか……」
「ああ」私は察した。「先生は、被告人が私の友人であることをご存知なのですね?」
「いやあ、そういうことでは……」
その理解の早さは、肯定に等しいように思われた。
ともあれ、現行法では、計画殺人となれば、死刑が見えてくる。
「彼女が死刑になったら、改めて感想を差しあげましょうか?」私は言う。
「いやいやいや……」こちらはジョークのつもりだったのだが、医師は苦笑いで恐縮の態度をとった。「昔は、死ぬほど悲しい、という状況があったようです」と話題を少しだけ逸らしてきた。
「それは実際、死ぬのですか?」私は尋ねた。
「はい?」
医師のリアクションは、私に、もしかして馬鹿な質問をしたのかな、と反省させるくらい、間の抜けたものだったが、今さら言葉を止めることはできずに、「昔の人は、愛する者を失った悲しさで死ぬのですか?」と続けた。
「間接的には、そう言い切ってしまってもいいくらい、その喪失感は、クリティカルなものでした」医師は、もう、普通の表情に戻っていた。態度に真摯さが感じられた。「リバイバルモノの創作物をご覧になられているのならば、嫌というほど散見できるでしょう。昔は、良くも悪くも、強く願えば、なりたいものになれた時代ですから」
「今は、たいして願わなくても、なれますからね。それこそ、なんにでも」
井出ちゃんが軽口をたたく。
この流れからの、『私は犯人ではない、と思い込めば【エイリアス】も騙せるでしょうか?』という問いは、なんだかあざとく思えて、音にするのを控えた。
医師に礼を述べて、消えてもらう。
彼の『本体』は、墨田区エリアにいるらしい。
このまま、私たちは作戦会議へ移行する。