10.部隊長ウメエダの行動記録
部隊長・ウメエダの行動記録
2332年 11月7日 午後2時52分
「まだ捕まんないの?」
知っているだろうに、会議室に入ってくるなり、わざわざボスはそう訊いてくる。
俺はニヤニヤしながら、イスに背もたれて円卓の冴えない面々を見回す。
「いや、まあ、だって――」と、同情を引くような、わざとらしい、えびす顔で、代わりに後輩が答える。「向こうはフル代表の候補ですから」
「でも公共機関を使えないわけでしょ?」ボスは席につくと、いかにも神経質そうな素早い手つきで【プロペ】を出した。「宿屋とか道具屋とか……、そろそろガス欠するんじゃないの?」
「それが、ガンブレードで相手の体力奪って、回復しちゃうんですよ~」
後輩は笑顔に驚きを滲ませて言ったが、実際それを聞いたときは『あんな博物館行きの骨董武器にまさかそんな使い道があったとは』と盲点を突かれる思いだった。
「毒にしちゃえば?」感動のない声でボスが提案する。
「毒もガンブレードで解消しちゃうらしいんすよ」砕けた言葉遣いで後輩が言い、力なく笑う。「らしい、っていうのは、そもそも俺たちの腕じゃあ、毒すら入れらないってことなんすけど」
「なっさけねえなあ」
「ていうか」向こう正面の分析官が口を挟む。「彼女、忍者ですから、毒が効きません」
「あ、そっか、アレ、忍者だっけかあ……」
ボスは今ようやく思い出したように言ったが、いかんせん演技くさくて、俺たちはさざ波のような穏やかさで失笑した。
ともあれ、それをキッカケに、やっぱり忍者は困るなあ、敵にすると厄介なクセに、味方にすると超弱いし――と定番の『忍者腐し』が始まって、俺は辟易する。
ここバトルワールドにおいて『忍者』というクラス(職種)は、『基本的』には、現実世界で本物の『忍者』を先祖に持つ者しか選べない『血統限定クラス』であり、その稀有な出自から窺いしれるように、かつては羨望の的だった。
ところが近年の、バトルカップでのこの国の不振ぶりがその序列を変えた。今や忍者と言えば日本国内に留まらず、世界共通で汚名の象徴。もちろん、チーム戦だから一概に彼らだけの責任とは言い切れないのだが、それにしても忍者勢はあまりにも印象に残る失策をやらかしてしまっている。バトルを愛し、この国の代表チームを尊敬してやまない俺ですら、思い出すと笑いを禁じ得ないほど、歴史的な大失態ぶりだった。
不染井の場合、実は、そこまでひどい失敗はしていない。ただ『10才以下バトルカップ優勝チームのエース』という輝かしい肩書きを引っさげ、年齢制限のないフル代表チームに鳴り物入りで、満を持して、選出された一昨年の前回大会の出来がまずかった。
誰もが彼女の華々しい船出を疑わなかった世界デビュー初戦、不染井は、当時無名の年下の欧米選手(今思えば、その選手こそが、あの『ライトニング・ニビィ』なのだが……)に圧倒されてしまった。一度だけなら、偶然という言いわけが成り立つ余地があるかもしれないが、二度だ。二度とも瞬殺だった。これには国民は大いに落胆した。マンネリというか、どこか膠着した感のある代表チームに『新しい風』をもたらしてくれると期待されていたぶん、反動が凄まじかった。俺自身、ひどくがっかりしたのを憶えている。それ以来彼女は、この国において『期待されない選手』に位置づけられてしまった気がする。『悪くない選手だが、せいぜい――』と頭打ちで評価されてしまう存在になってしまったように思う。
ボスたちの会話は私的なものに移行しつつある――そんな気配を察したのか、顔なじみの後輩が隣に来て、「ガンブレードと言えば」と話しかけてきた。「どうでした?」
「動画は?」俺が訊き返すと、後輩は被り気味に――
「観ましたよ~」と、笑う。「やっぱり速いっすね、あと、巧い。刃を盾代わりにして」
「ん~、盾というよりは……、なんだ、回転ドアみたいだった」
「カイテ……、なんすか?」
「回転ドア。それこそ忍者が使うやつ」
俺は【マシン】で、卓上に忍者屋敷にあるような仕掛け扉をつくって説明してやる。
「こっちが攻撃すると、いねえの。で、気がつくと、もう、懐に飛び込まれてる」
テーブルの上に、俺の小さな分身が出現し、仕掛け扉を回転させて向こうへ消えると、入れ代わりに小さな不染井がこちら側に出てくる。扉の向こうで俺の分身の悲鳴が聞こえた。ミニ不染井はそんなことには我関せず、宙に『口』の字を描くようにガンブレードを振るうと、その形に切れ目が出来て、葉が落ちるようにめくれた。切り取られた空間にはネット画面が埋め込まれている。ミニ不染井がその中へ飛び込むと、ネット画面は、バトル動画の専用投稿サイトに飛んだ。サムネイルはどれも不染井一色だった。逃亡開始9時間にして、もうすでに彼女は300戦以上こなしている。前代未聞、驚異的なペースだ。ガス欠を期待するボスの気持ちも分かる。動画の再生回数も、うなぎのぼりだった。
ボスの要請で、部屋の壁にデカデカと彼女の対戦動画が再生されれば、何度も観ているはずなのに、全員で見入ってしまう。
アクション映画のような、不染井を主体とした、第三者視点のカメラワークだったが、俺は自身の記憶を追体験するような夢想に囚われた。
動画の中の不染井はこちらの斬撃に対し、その軌道と自身のあいだに刃を挟む。
それは一見、剣を盾代わりにして攻撃を受ける形だが、刃に抵抗感はなく、得物を持つこちらの手には多少重さを感じるものの、そのまま振りきれそうな予感があるし、実際に振りきれる。けれど、相手を打ち据えた手応えは得られない。軽い。刃が回転ドアみたいに翻って力を逃すためだ。代わりに、のれんを潜るかのように、不染井が懐に飛び込んでくる。飛び込まれた防御反応だろう、突き出した得物を慌てて引き寄せようとするが、これが下策。こちらの得物にぴったりとくっついた不染井の刃が、その力を利用して加速する。
彼女は、たいがい、首を狙う。分かりやすい円弧を描く軌道もあれば、剣の先端で、突くように斬るパターンや、そのふたつの複合もあるから、避けようにも、対策が難しい。
動画では、柔らかくしなやかな肢体を見せつけるようにひねり、梵字のような美しい軌道の斬撃で、不染井が、国内ランキング527位の首をあっけなく刎ねた。
視聴が終わると、示し合わせたように、いっせいに唸り声があがったので、部屋中に笑いが溢れた。ダンディな笛のついた、打ち上げ花火のようだった。
俺は足を組みなおして、改めて不染井の動きを分析する。
距離を測るような、予備動作を隠すようなリードパンチや、牽制、フェイントの類はなく、一合必殺。俗に『ラリィ』と呼ばれる、得物同士をぶつけあっての主導権争いや、つばぜり合いもしないし、間合いを保つ目的での『空斬り』などもしない。この極端なまでに『一撃』を重要視する姿勢は『剣豪型』のサムライのやり方に通じるものがある。
俺の手元の動画では、不染井が、鮮やかな手際で敵対する三人の首を次々と飛ばす。
その攻防一体の型は合理的だし、美しい。空手めいている。
(空手か……)と、俺は、自分の発想に真理を見た気がした。
迫る相手に対し、いなして引くのが合気道なら、くぐって押すのが空手だ――という大雑把な分類は、格言嗜好者の牽強付会なラベリングのようで気が引けるが、実際、不染井のスタイルは、実に日本的だ。まさに『国を象徴する競技者』として申しぶんなく、明日発表される『バトルカップ日本代表』への選出も確実視されていたのだが――
(まさか、人を殺すとはね……)
なんて浅はかなことを――などと、俺はそれらしく懊悩してみたものの、そこまでの深刻さを伴った感情ではなかった。
今の時代、どう生きようが個人の自由だ。
逆に言えば、こちらの世界で不染井を倒し、彼女を現実の処刑台に送ることに関して、俺たちは、なんらストレスも罪悪感もない。
現代人は、倫理観から解放されている、とも言えるか。
けれど、まあ、正直なところ――
(もったいねえなあ……)
――とは、少しだけ、思った。
あのガンブレードを手に入れた不染井なら、今回こそは、もしかしたら――と。
「雑魚相手だと活躍するんだよなあ、忍者って奴は」
そう、ボスが苦々しく言って、俺たち『先発隊』は揃って苦笑した。
「どこかに助けを求めますか?」いつの間にかやって来ていた参謀が、真剣さの微塵もない声でボスに声をかける。「ボリビアとか」
南米選手の、奇想に溢れた、抜け目のないファイトスタイルは、日本選手の苦手とするところである。とくにボリビア代表は、フル代表では言うに及ばず、ティーンエイジまで含めれば、ようやく一度だけ勝ったことがあるか、いや、なかったか、と検索に窮するくらい、苦戦の記憶しかない、尊敬すべき天敵だった。
「そんなダセエことできっかよ!」今まで呆れ由来だったものの笑顔だったボスは、一転、人が変わったかのように顔を歪め、そう吐き捨てた。「こんなクソ忍者によお!」
耳をつんざくような大声だったが、俺たちは驚かない。
むしろ笑っている。
『現実世界』では、揃いも揃って悟りをひらいたように温厚な人々も、『こちら』では感情が敏感になるせいか、論理性が低まって、人によっては言葉遣いや態度が悪くなる。『忍者腐し』もその影響だ。もちろん、あえて、そのように演じている者も多い――というのも、『毒舌キャラには、能力にボーナスが付与される』という風説があるためだ。実際、世界ランキングの上位者はそのような毒舌家――いや、変人が揃う。
「結局のところ、これは好機だよ」ボスは冷静さを取り戻したようだ。いや、これも『キャラ付け』の一環だろう。「普通なら、さっさと精鋭送り込んで、リンチして、逮捕して、裁判受けさせて、死刑になって、この世からも代表チームからクソ忍者が一人消えるだけだけどよお。もしか、ランキング下位の奴が不染井をボコボコにしてみろ。『あ~、やっぱ、忍者って、クソの役にも立たねえよなあ』ってなるだろ? 『ちょっと工夫されたら、もう対処できねえじゃん』って」
「そんな奴います?」俺は興味をひかれ、つい口を開いた。「今の彼女を倒せるような」
「去年の強化合宿で不染井に土をつけた学生チームがいる。まあ、不染井だけじゃなくて代表チームに、だけどな」その噂は聞いたことがあった。今春のバトルカップ直前の非公開の調整試合で、まさかまさかの大番狂わせがあったと。ボスは不敵に口を歪めた。「その中の三人組に不染井は手も足も出なかったらしい」まあねえ、と、彼は嘲るように続ける。「もう24世紀ですよ。さすがに忍者の時代じゃないって分からせてやらないと」