塩味のコーンライス
崖の下は草原。背丈よりも長い草のおかげで怪我は免れた。二徹は、ニコールと一緒に転がったので下に落ちたときには、ニコールに覆いかぶさっていた。
(あれ?)
なんだか軟らかい感触を頬に感じた。ニコールの胸に頬を接触させていたのだ。
「うっ……」
転がったショックから意識を取り戻すニコール。二徹は、慌ててニコールの胸から頬を離した。
「隊長、どうやら崖から落ちたようですね」
「う……重い。ルウイ、どいてくれ」
「は、はい」
二徹が重いというより背負っている荷物のせいだろう。なにしろ、調理道具一式を持っているからだ。慌ててニコールから体を離す二徹。先に落ちたと思われるコンラッドとレオナルドに向かって叫ぶ。
「コンラッド、レオ!」
「痛い、痛いよ……」
「うううう……」
かすかな声が草むらの2方向から聞こえる。二徹は立ち上がって、ニコールの手を引っ張って立たせると声の方向へ歩いた。
二人とも草むらに倒れこみ、レオナルドは頭を打ったようでボー然と座り込んでいるし、コンラッドは右足を押さえている。どうやら怪我をしたようだ。
「大丈夫か、コンラッド」
「痛い、痛い……」
泣き叫ぶコンラッド。二徹はそっとコンラッドの足を見た。赤く腫れている。そっと触ってみたが折れてる感じではなさそうだが、捻挫はしていると思われた。
「冷やさないといけないな……」
一緒に見ていたニコールは、かばんを下ろすとタオルを取り出し、水筒の水で濡らした。それをコンラッドの右足にそっと当てる。ひんやりして痛みを幾分か和らげたようだ。コンラッドは相変わらず顔をしかめて、痛い痛いと言っていたが、その声は小さくなっていた。
「さて、隊長、どうしますか?」
幸い、森林熊は追撃をあきらめたようで、この崖下には来ていない。崖上までは10ノラン(約5m)ほどあり、怪我をしたコンラッドを抱えて上るのは難しい。それに熊がまだ崖上にいるかもしれない。
「ここを動かない方がいいと思うが、状況はそれを許さないようだ」
ニコールは空を見上げた。先ほどまで晴れていた空がいつの間にか分厚い雲に覆われている。雨がぽつり、ぽつりと降って来た。
遭難したときの鉄則は、その場から動かないこと。ルートから外れたとはいえ、間違った看板の矢印に従えば、こちら方面に捜索が行われることは確実である。ここは動かないで体力の温存を図るのがベストチョイス。だが、雨が降ってきたとなると考えなくてはいけない。全身を濡らすことは命の危険に直面するかもしれないのだ。
二徹とニコールはコンラッドに肩を貸し、ボーっとしているレオナルドを叱咤して、雨宿りする場所を探す。幸い、草原を5分ほど歩くと小さな沢に出て、その山肌に雨を防ぐことができる岩陰があった。
*
「まずい本格的に振ってきちゃったね」
岩陰から外を眺めて、二徹はそうニコールに話しかけた。この岩陰は4人が身を寄せ合うには十分な広さがあった。雨が本格的に降ってくる前に、二徹とニコールは草を刈って地面に敷き、落ちている枝を薪代わりに集めていた。最悪、ここで一晩過ごすかもしれないという判断からである。
「みんなすまない。こうなったのも私の判断ミスだ」
そうニコールが頭を下げた。だが、3人ともニコールのせいだとは思っていない。今日、家の者に黙ってハイキングをしようと誘ったのはニコールではあるが、道を間違えたのも、熊に襲われたのも、崖から落ちたのも不可抗力というものだ。
(むしろ、隊長の判断がなかったら、雨に濡れて凍えていたかもしれない……)
「この分だと、今日中には僕たちを捜せないだろうねえ」
雨は結構、激しくなっている。今頃、4人がいなくなって騒いでいる頃だ。捜索隊が編成されても、この雨では思うように進まないであろう。
「とりあえず、空腹を満たそう」
ニコールは自分が持ってきた軍用のレーションを出した。それは塩気のある乾パンと干し肉。ナッツのパック。美味しいものではないが、もう昼過ぎで空腹であった4人は無我夢中で食べた。
「火を焚いておこうよ」
レーションを食べ終わってから、二徹はニコールが集めてきた枯れ枝で、焚き火をしようと試みた。幸い、二徹は着火材を持ってきており、火種はすぐに起こせた。だが、いきなり枝に火をつけるのは容易ではない。
「それを貸せ!」
ニコールはレオナルドの持ってきた本を破る。レオナルドは少々抵抗したが、今は非常事態。本が役に立つとしたら、今しかないであろう。それに火を付けて、枝に燃え移せば、焚き火の完成である。
やがて、ぱちぱちと火がおこる。不思議なもので火があると人間、だんだんと勇気がわいてくる。火というのは人間だけが使うことのできるもの。力の象徴でもある。
「足が痛いよ~。お腹が減ったよう~」
時折、コンラッドの泣き言が聞こえてきたが、足の捻挫は雨水で時折、冷やしたタオルを当てていたので、腫れもずいぶんと収まっている。心細さからの甘えであろう。それでも、コンラッドが持ってきたチョコレートとキャンディは、子供たちにとって、この状況ではありがたいものであった。
「ん……」
燃える火を呆然と見ていたコンラッドは、二徹が持ってきた鍋を火にかけて、なにやら作っているのに気がついた。二徹を除く、3人は疲れてウトウトと寝てしまっていたからだ。
「ルウイ、何を作っているの?」
食べ物のにおいに敏感なコンラッドが、そう二徹に尋ねる。なんだか、かすかな甘い匂いがする。
「ああ、これね。コーンライスだよ」
「コーンライス?」
「そんなの作れるのか?」
レオナルドとニコールも目が覚めたようだ。ウェステリアでは、米自体は珍しい食べ物ではないが、主食というものでもないので3人とも食べたことはないだろう。このとうもろこしご飯は、二徹の生前の記憶から生まれたレシピなのだ。
作り方は簡単。皮付きとうもろこしを剥いて、包丁で身をこそぎ落とす。上手にやらないと粒がつぶれて汁が失われるので、慎重にやらないといけない。二徹は、持ってきた3本のとうもろこしのうち、2本の皮をむいた。そして、持ってきた小さなナイフで上手に黄色い実をこそぎ落とした。
それを鍋にそっと入れる。鍋にはよく洗った米と水、塩が入っている。とうもろこしを上に散らした感じだ。ここでのコツは十分に米を水に浸すこと。そうすれば、火が米の中心にまで入り、ふっくらと炊けるのだ。20分ほどで完成だ。
3人が寝ている間に調理を済ませた二徹の手際のよさは、10歳の子供の能力を超えているだろう。鍋の蓋を開けると湯気とともにとうもろこしの甘い香りが、岩陰いっぱいに広がる。
「さあ、召し上がれ」
二徹は、器によそったとうもろこしご飯を3人に渡す。みんなそれを一口食べる。
「温かい……」
「ほんのりと甘くて美味しい」
「ふああああっ……」
とうもろこしの甘み、米の甘みがほんのりとした塩味に映えて、余計に舌にくっきりと甘さを印象付ける。その甘さはしつこくなく、体に心地よい甘さなのである。そして、噛むと、とうもろこしの黄色い粒がぶしゅっと潰れて、濃厚なエキスが次々と口の中で弾ける。これは心細い子供にとって、それを忘れさせるものであった。
こういうときの温かい食事は、人間を元気にさせる。被災地でも暖かい豚汁やカップラーメンが、冷えたおにぎりやパンよりも人々を笑顔にするのと同じである。
「美味しい~」
「おかわりはある?」
「あるよ。そういうと思って、お腹が弾けるくらい作ったから。はい、隊長もおかわりどうぞ」
二徹はニコールから器を取ると、おかわりをよそった。湯気が立つとうもろこしご飯を黙って見つめるニコール。
「ルウイ、お前、前から思っていたが料理の腕はすごいな。それに時々、強くなるし」
ニコールは先ほどの熊との戦いのことを言っているのであろう。その話には振られたくない二徹は、料理の方の話題に進むことにした。
「いや、料理は趣味なんですよね」
二徹は、カップに注いだ紅茶を3人に出す。暖かく香りのよい紅茶は、心をリラックスさせて、暗くなるにつれ心細くなる今の状況を大幅に改善した。
「まったく、嫁にするならルウイだな」
「隊長、嫌だな、僕は男ですよ」
ここでちょっと二徹の脳裏に、先ほどの軟らかい感触が思い出された。もしかしたら、ニコールが女の子ではないかという疑問だ。
(いや、いや、こんな乱暴な女の子はいないだろう……。でも、もしニコールが女の子だったら嫁にしたいか?)
二徹もニコールも貴族だから、掃除、洗濯、炊事は使用人が行う。ニコールがそういうのが一切できなかったとしても問題はないし、そういうことをする姿は想像できない。
(嫁?)
(隊長が僕のお嫁さんだったら……毎日、敬礼して報告しないといけないじゃないか……でも……)
そっとニコールの表情を見る。
(ん?)っといった感じで少しだけ首を傾けたニコール。思っていた以上に可愛い。
(い、意外といいかも。少なくとも、隊長と一緒なら楽しいと思う)
二徹は頭を2,3度軽く振った。この変な考えを忘れることにした。この考えは、あくまでもニコールが女の子であったとしてだ。
日が落ちて暗くなり、ニコールが持ってきたタオルケットに2人で包まって寝る。コンラッドにレオナルド。ニコールに二徹という組み合わせだ。レオナルドはニコールと組みたがっていたが、当のニコールは当然のように二徹の隣に座ってタオルケットに包まった。体を寄せ合うと温かいし、ニコールからは何だかいい匂いがする。
雨は小降りになり、燃えている炎に時折、枝をくべて燃やし続ける。疲れからか、言葉が少なくなり、やがて睡魔に襲われてみんな寝てしまった。




