妻の看病
第10話は過去編です。二徹とニコールの子供の頃のお話です。
「はあ……はあ……苦しい……」
「ニコちゃん、大丈夫?」
嫁のニコールは昨晩から発熱し、ベッドに伏せている。二徹は昨晩からずっと愛する妻の看病をしている。氷水で冷やしたタオルをニコールの額においてやるのだ。また、首筋や脇の下にも冷たいタオルを当てる。
体を適度に冷やすことで、体への負担を軽減するのだ。この世界の医療レベルは遅れている。薬はあるが、薬草由来のものだ。これ自体に細菌を殺す効果はない。薬の効果は熱を下げたり、喉の痛みを緩和したりすること。いわゆる対症療法である。体の免疫力を助け、病原菌に打ち勝つことで回復するのだ。
昨晩、二徹は医者にニコールの体を診てもらったが、症状からスパーニャ風邪と呼ばれる流行性の伝染病だと言われた。スパーニャとは大陸にある国の名前である。最初に流行したために、この不名誉な名前を付けられる羽目になったのは気の毒であるが、そういう例は二徹の生前の世界でもよくあることであった。
二徹の子供の頃から、時折、流行して人々を苦しめるこの伝染病。症状から恐らくは、インフルエンザの類と考えられたが、二徹にもどうすることもできない。医療レベルの低いこの世界ではこの伝染病は危険な病気である。特に体力のない年寄りや子供には生命の危機となる。
「二徹か……ダメだ……病気が感染るぞ」
「大丈夫だよ。僕は昔から伝染病には強いんだ。知ってるでしょ?」
「そ、そうかもしれないけど……」
この異世界に転生した二徹は不思議と病気にならない。もしかしたら、記憶と共に肉体の能力も受け継いだのかもしれない。そう考えれば、前世で死ぬ前に3年間の海外生活のために接種した数々のワクチンや、子供の頃にかかって獲得した免疫力のおかげで病気にならないと考えることができる。
このスパーニャ風邪も二徹の子供の頃から何度も流行したが、二徹は罹患したことは一度もない。スパーニャ風邪は一度罹患すると免疫を獲得できる病気なのだが、インフルエンザと同じようにウィルスの型が変わるらしく、流行のたびに罹患する人が後を絶たないのだ。
だから、二徹がこの病気にならない理由としては説得力がない。もちろん、二徹は現代の知識でうがいや手洗いの徹底や流行時には人混みの中を歩かない等をしていることも理由の一つではある。
二徹は平気であるが、まだ子供のメイや年寄りのジョセフに感染するのは避けたいので、ニコールからは隔離している。この部屋に入ることができるのは二徹だけである。
「とにかく、今日の仕事は休みだよ。しっかり休んで体を直すこと」
「うう……頭が痛い……それに体中の筋肉が痛む……」
「ここ?」
二徹はそっとニコールの手をとって優しく摩る。それは手のひらから手首、腕にかけて行うマッサージ。幾分、痛みが和らぐのかニコールの表情が柔らかくなる。
「AZK連隊には、ラオさんに休みだって届けてもらったから。ニコちゃんのAZK連隊も何人か倒れたみたいだって、先ほど話があったよ」
「残念だ……こんな病になるなんて、自分が情けない……」
病気で気弱になっているニコール。ここ数日の深夜まで及ぶ仕事や、昨日は急に降ってきた雨でずぶ濡れになって帰宅したことなどが重なってのこともある。弱っていた体に病魔が忍び込んだのだ。二徹は優しくニコールを励ます。
「最近のニコちゃんは激務だったから、仕方ないよ。今は神様が休めと言ってると思って、しっかり休もうよ」
「……だが、参謀の私がこんな体たらくでは、兵士たちに申し訳がたたない……はあ……ああ……なんだか体が楽になってきた」
話しながらも二徹は優しくマッサージを続ける。全身の筋肉が強ばっているのを解きほぐすだけで、病気に耐える気力が沸いてくるものだ。まだ熱があるが、体が楽になったニコールは、そっと目を閉じる。
「ニコちゃん、寝る前に薬を飲もう」
「嫌だ……あれはとてつもなく苦いから嫌いだ……」
目を閉じながらもそう拒否するニコール。いやいやと首を振る様子が可愛い。思わず、二徹は昔を思い出した。
「子供みたいだね。そういえば、君は子供の頃から薬は嫌いだったね」
「……それは昔のこと。今は苦くなければ飲む」
なんだかわがままを言っているニコール。熱で冷静な受け答えができないのであろう。
「薬は大抵苦いものだよ。特にこの熱冷ましの薬は苦い」
「だから、そんなものは飲まない……どうしても飲めって言うなら……」
「ふ~ん。あれだね?」
「い、いや……忘れてくれ……飲まないと言ったら飲まない!」
そう言ってニコールは毛布で顔を隠した。熱で顔が赤いが、思わず要求しそうになったことへの羞恥心がそうさせたのであろう。ニコールのことは何でもお見通しの二徹は、薬をお湯で溶いてスプーンですくった。そして、ニコールの口元へもっていく。
「は、はい、ニコちゃん。あ~んして……」
「ば、ばかもの……子供扱いするな! 私は軍人なんだぞ……」
「はい、でもこれなら飲むんでしょ。はい、ニコちゃん、あ~ん」
「……ううう……うあ~ん」
恥ずかしげに開けた口にスプーンを差し込む。薬の苦さに渋い表情をするニコール。さらにもう一杯をすくって口に流し込んだ。
「さあ、ゆっくり寝てね。起きたら美味しいものを用意しておくからね。それを食べたら、明日にはいつもの元気なニコちゃんになるよ」
「も、もう……ばか……」
「はい、寝ようね、ニコちゃん」
「……二徹……起きたら、あれが食べたい……」
「あれって何?」
右手を軽く握ってちょっと二徹の胸を叩くニコール。知っているのに意地悪する二徹にちょっと頬を膨らませる。
「ごめんね。わかったよ。あれだよね」
「うん……わかっていれば……許す」
毛布に顔を半分隠して、二徹を恨めしそうに見るニコールの頭を二徹は優しく撫でる。ニコールの目はゆっくりと閉じられ、やがて気持ちよさそうに眠り始めた。
(あれね……。子供の頃か……思い出すなあ……。あの時もこんな感じだったな)
ニコールが要求した『あれ』。ニコールの体の具合が悪くなると、決まって二徹が作ってあげる料理なのだ。
それは二徹とニコールが小さかった頃の話。まだ、二徹がルウイ・サヴォイと名乗っていた時の物語である。




