メイちゃん学校へ行く(2)~きな粉牛乳~
メイの通っている学校は都の下町にある庶民の学校だ。オーガスト家のある屋敷は貴族が住む地域にあるから、この学校までは遠い。それでもメイは馬車での登校はしていない。ニコールや二徹は馬車で送迎したがったが、メイが断った。それはそうだろう。
庶民の学校に馬車で送迎してもらっている子供はいない。それにメイはメイドである自分の立場を理解している。仕事をさせてもらいながら、学校へも通わせてくれるのにこれ以上は世話になれないと固く断っている。そういうこともあって、メイは片道1時間かけて歩いている。朝の7時に出発して、8時に到着するとちょうど学校が始まる頃なのである。
「うげっ」
「鼻をつまんで飲めばいいのよ」
教室ではわいわいといつも騒がしい。これは朝登校すると学校の児童が必ずしないといけないことに起因する。それは牛乳を飲むこと。これは子供の成長と健康のために、国が学校へ支給しているものだ。登校したら、コップ1杯を飲む。
牛乳は庶民にとってあまりなじみのない飲み物だ。だから、みんな飲み慣れていない。飲み慣れないとあの風味はどうしても不味く感じてしまう。
「こんなもん、飲めねえぜ」
やんちゃな級友の男子ジャンはそう言って、こっそりと手洗い場の流しに捨てようとする。それをクラスの委員長のライラが見つけて注意する。二人とも犬族の子供だ。
「ダメだよ、ジャン。このメルクは私たちのために国王陛下がくださったものだよ」
「くださったって、こんなまずいもの迷惑なんだよ。これだから、王様とか、貴族様は……俺たちのことわかってないんだよな。お菓子とか、くれればいいのに」
「ジャン、それ以上言うと先生にすごく怒られるよ」
「うるせー。おい、ライラ、お前はいつもまじめぶりやがって。委員長はかわいそうだよな。こんなまずいものを真面目によく飲めるな」
そんな2人の会話が耳に入ったメイ。赤い鞄を背負ったまま、二人の会話に入っていく。
「まずくないよ。飲み慣れればこんな健康にいいものはないよ。メルクは骨を丈夫にするし、ボクたちの体の成長を早めてくれる」
「はあ? メイ、メルクを飲みなれているお前の一体、どこが成長してるんだよ」
ジャンの視線はメイの胸のところにある。隣のライラと比べると成長具合は芳しくない。メイは無言でジャンの腹にパンチをお見舞いする。全く失礼なセクハラ発言だ。
「ジャン、あなた相変わらず、女の子に最低なことを言うんだね」
「そうよ、ジャン、メイちゃんにあやまりなさい」
ライラもプンプン怒っているが、たぶん、意味は分かっていないであろう。
「謝らないよ。俺は事実しか言ってないぜ。このメルクはまずいのも事実だぜ。それでいくら体にいいなんて言っても、こんなにまずいと飲めないから意味ない」
「それはそうかもしれないけど……」
飲みなれたとはいえ、ライラもメイも牛乳が好きと言うわけではない。
「そういえば、お前、料理人を目指しているんだよな。だったら、この牛乳を美味しく飲める方法考えろよ」
「美味しく飲める方法?」
メイは牛乳を飲むほかの子供の様子を見る。普通に飲んでいる子もいるが、飲みにくそうにしている子もいる。どちらかといえば、我慢して飲んでいる子の方が多そうだ。
(そうやって考えると、ジャンのためというより、この栄養たっぷりの飲み物を、みんなが美味しく飲めるようにする方法を考えるこのは悪いことではないよね)
「メイちゃん、やめた方がいいよ。先生に見つかると絶対怒られるし……」
メイが何やら思案し始めたので、ライラが心配する。牛乳を配給されて飲む間の時間は、そんなにないし、先生の目が光っている。これを調理して何かするということは難しい。
(何かいい方法はないかな……)
「わかったよ。明日までに何か考えてみる」
「ふん。まずかったら承知しないからな」
承知しないとどうなるのか全く分からないが、ジャンの憎まれ口は、メイの闘争心に火をつけた。
(う~ん。牛乳を美味しく飲める方法か……。二徹様に聞けば、何か教えてくれるとは思うけど……)
ブンブンとメイは頭を横に振った。専業主夫の二徹は忙しいのだ。こんなことを相談するのは気が引けたし、ジャンの要求程度の問題は、自分の力だけで応えたいとメイは思った。
(味を変えれば飲めるはず。単純に砂糖を入れれば……。甘くなるけど、嫌いな子はあの匂いが嫌だろうし。牛乳の味は消せない)
(それにいくら美味しく飲めても、栄養を損なうようなことはできないし……。短い時間では調理もできない。どうすればいいんだろう……)
学校からの帰り道。メイはそんなことを考えながら歩いていた。オーガスト家の屋敷に行く途中には、いろんな店がある。昼時なので大盛況である。その中でも人気のパン屋であるベッカの店の前に来ていた。
ショーウィンドーを覗くと、新発売のパンが並んでいる。それは油で揚げたパンだが、不思議な黄色い粉がたっぷりとまぶされていた。
(これなんだろう?)
「あら、メイちゃん。学校の帰り?」
覗いているメイに店主のベッカが気がついたようだ。ドアを開けてメイを招き入れる。
「ベッカさん、また新発売のブレドですね」
「二徹さんに教えてもらったんですよ。この間作ったコッペブレドを油で揚げる方法」
「揚げブレドですか?」
「それだと油を吸っちゃうだけで味がしつこくなるのだけど、これは砂糖とビンズ粉を混ぜてまぶしてあるから、甘いんですよ」
そう言うとベッカは試食用の揚げパンをメイに差し出す。食べてみるとこれが美味しい。甘いがしつこくなくてさらっとした感じがクセになる。
「この黄色い粉はビンズの粉だったんですね」
「そうですよ。ビンズを軽く煎ってから、粉砕機にかけて粉々にする。それを石臼で丁寧に挽くと出来上がり」
これはいわゆる『きな粉』である。砂糖と混ぜたきな粉はさらっとした上品な甘さになる。これが砂糖だけだとベタっとした甘さになってしまうだろう
(このビンズ粉は使えそう……)
メイは閃いた。このきな粉をメルクに混ぜたらどうだろうかというアイデアだ。雉色の犬耳がぴくぴくと動く。メイの中でこれをどう使うか目まぐるしく脳の中で試行錯誤する。
「ベッカさん。このビンズ粉を分けて頂けませんか」
「いいですよ」
揚げパンにまぶしてバットに残った粉は使い道がない。どうせ捨ててしまうものなんで、メイにあげても問題ない。ベッカは袋にいっぱいにきな粉を入れてメイに渡した。
*
「やっぱりね……」
屋敷に帰ってメイは牛乳にきな粉を混ぜてみる。粉が浮いてなかなか混ざらない。これはメイも予想いしていたこと。必死にかき回せば溶けないこともないが、先生の目を盗んでそんなこともできない。
「どうしたんだい?」
悩んでいるメイに声をかけたのは二徹。メイが面白いことをやっていて興味がわいたのだ。
「なるほどね。牛乳に混ぜる奴ね。懐かしいなあ」
正確に言うと生まれ変わる前の記憶だから、懐かしいという表現はどうかと思うが懐かしいものは懐かしい。毎日ではないがたまに給食についてきた『ミルメーク』と言う名前の添加剤。牛乳に混ぜると甘いコーヒー牛乳みたいになるのだ。牛乳がビンに入っていた時代は粉。紙パックになってからはチューブに入った液体状のものであった。
「普通にかき混ぜるだけじゃ溶けないね。密閉した容器に入れて振らないとね」
「二徹様、朝の学校で先生の前で飲まないといけないのです。そこでそんなことしていたら叱られてしまいます」
「なるほどね」
先生に隠れて牛乳の味を変えるというちょっとした子どもの冒険に、二徹はますます面白いなと思った。だが、ここで簡単にヒントを出しては、メイのためにならない。
「温めると溶けやすくなるのですが、温めるわけにいかないし……」
溶けないとダマになってしまい、それを飲み込むとむせる。こんなのジャンに飲ませたら、むせて吐き出すに違いない。きっと教室は大騒ぎだ。
「粉のままじゃ無理だろうね」
二徹はそうつぶやいた。ヒントである。粉にも溶けやすいものと溶けにくいものがあり、砂糖や塩は溶けやすいが、片栗粉、コーンスターチは溶けにくい。
溶けるとは水の分子の中に粉の分子が入り込む現象だから、温めてこの隙間を広げてやれば溶けていく。そうなるとできるだけ粉の粒を細かくしてやることが大事である。溶けにくい片栗粉やコーンスターチ、ココアなどはできるだけ細かい粒にしてある。逆に溶けやすい砂糖などは、粗くても大丈夫だ。
(粉のままじゃ無理……)
メイは二徹が席を外してからも考える。粉が溶けにくいなら液体にすればいい。
(あらかじめ、水に溶かしておく?)
(水は……。何か違うなあ……)
メイは小さな壺に入った白い砂糖を見る。そういえば、先週、二徹と作ったデザートのことを思い出した。
(確か、プリンというお菓子。あれにかけてあったカラメルソースというのは甘かった……)
「カラメル!」
メイは立ち上がった。雉色の犬耳が2,3度ぴくぴくと動いた。
*
「そんなもん入れて美味しいのかよ」
「なんか変な色だね」
朝の牛乳タイム。先生からマグカップに牛乳を入れてもらったメイとジャンとライラ。そっと教室の隅に行く。メイが取り出したのは小さなビンに入った黒い液体。
それはちょっと、どろっとしている液体。
「大丈夫だよ。これを入れると甘くて美味しくなるだよ。しかも栄養もアップ」
そう言ってメイはその液体をどろりと入れる。かき混ぜると牛乳の白色と黒い液体が混ざって、茶色に変化する。
それを見たジャンもライラもマグカップを差し出した。そして液体を入れるとかきまぜて恐る恐る口をつけた。
「あ、あま~っ」
「あら、さっぱりした甘さ……」
「でしょ?」
溶けやすくするために水と砂糖を熱して作ったカラメルソース。ここへきな粉を混ぜ込んだのだ。きな粉のさらっとした甘さと風味。カラメルソースのちょっと香ばしい香りが、牛乳の飲みやすさを引き出していた。
ゴクゴクゴク……。
ジャンは一気に飲み干す。口元に牛乳ひげができている。よほど美味しかったのか、先生のところへ行ってもう一杯おかわりをしてきた。そして、またメイから特製ソースをスプーンで入れてもらい、かきまぜる。
「ちょっと、待って、ジャン」
「なんだよ」
「二徹様から、メルクを飲むときのルールを教えてもらったの」
「二徹様って、メイちゃんのお世話になっている貴族のご主人様でしょ。メルクに飲み方なんてあるの?」
ライラも興味津々のようだ。貴族の牛乳の飲み方はどんなに上品なマナーの下で行われるのだろうと目がキラキラしている。だが、メイはちょっとその期待には応えられないなあとちょっとだけ困った顔をした。ジャンにとっては、貴族のマナーなど全く興味がない。
「貴族様の上品な飲み方なんて興味ないぜ」
「そんなんじゃないよ。本当はお風呂上りがいいんだそうだけど」
「お風呂上り?」
「そう真っ裸にタオルを巻いた状態で、腰に手を当てて……」
メイの見本にならって、ライラとジャンが横に並んで同じポーズを取る。足は肩幅に開いて、一気に飲み干す。
「う~ん。美味しい」
「うまい」
「ね、おいしいでしょ」
なんだか体に染み渡り、ぐいぐいと身長が伸びていきそうな感じを受ける3人。メイの作ったこのきな粉牛乳の素は、クラスの中で『メイ・メルク』と密かに流行したという。
ちなみに二徹が教えたお風呂上りの牛乳の飲み方。昔、子供時代にニコールにも教えたもの。
成長期のニコールがそれを実践して、今のプロポーションを獲得したかどうかは分からない。




