メイちゃん学校へ行く(1)
「メイちゃん、これは私からのプレゼントだ」
今日はメイの初登校日。朝の準備をしているメイに、ニコールが赤い革鞄を手渡した。リュックサックのように背負える小学生が使うカバンだ。
この世界でも子どもは学校に行く。6歳から12歳までの6年間。それからは裕福な家の子どもは、3年間の中等教育を受ける。そこからの進路は様々であるが、多くの庶民の子供にとっては、6年間の初等教育まで受けられれば上等なのである。
そこで基本的な読み書きと計算を学べば、とりあえず生きていける。ところがメイの場合は伯母にいじめられて、今まで学校に行かせてもらえなかった。
勉強することが好きなメイだったから、学校にはとても行きたかった。学校へ行く従姉妹のことが羨ましいと思ったこともあったが、それが叶わぬ夢であることも理解していた。
(字が覚えられる……。本も読める……字も書ける…)
学校へ行けるだけで嬉しいのに、カバンまで買ってくれたのだ。もう涙が止まらないメイ。そんなメイの頭を優しく撫でる二徹。
「メイ、学校は学ぶことがいっぱいだよ。勉強だけでなく、友達といっぱい遊んで、そこからいろいろなことを学ぶんだよ」
「友達?」
メイは思ってもいない言葉に戸惑った。学校は字や計算を学ぶところであって、友達を作るところだとは思っていなかったのだ。メイは小さい頃から家の手伝いをさせられていたので、友達と遊んだことはない。そういう記憶もないのだ。
「二徹様、遊ぶなんてもってのほかです。ボクは学ぶために学校へ行くのです」
「うん。そうだね。でもね、勉強は教科書で学ぶことだけじゃない。もっと大切なこともいっぱいあるんだよ。それは料理を作る上でも大事なことなんだ」
「大事なこと……」
メイには理解できない。字を学べばレシピ本が読める。字が書ければ、知ったことを記録に残せる。それだけで十分だと思っている。メイはカバンを背負って、嬉しそうに部屋に戻っていった
「なあ、二徹。メイちゃんは本当に6年生でいいのか?」
メイの後ろ姿を見て、そう心配するニコール。学校に行っていなかったメイの学力は、どう見ても3年生でやっとついていけるかどうか。難しい単語は読めないし、計算力も簡単なお釣りの計算程度である。いきなり最高学年では勉強についていけないと思ったのだ。
「大丈夫だよ、ニコちゃん。メイは頭がいい子だよ。そして努力をする子だ。勉強はすぐに追いつくよ。それより、同じ年の子どもと友達になることの方が、メイにとって大切だと思うんだ」
「……そうだな。そのとおりだと思う」
ニコールは二徹の考えに賛同した。最初は苦労するだろうが、メイの頭の良さなら十分に追いつけるはずである。彼女は知識に飢えている。きっと、砂に水がしみこむように学んだことを吸収するだろう。
ニコールはメイが望めば、その上の中等学校、さらに高等専門学校にも行かせてやりたいと考えていた。子どもの光る才能を伸ばすのは大人の務めでもある。
「まずは今日の初登校で友達ができるかな?」
「できるさ。メイちゃんは性格もいい」
もう2人とも、自分の子どもを見守る若夫婦のような心境である。
*
「今日から皆さんと一緒に勉強をする転入生を紹介します」
「ボクはメイといいます。よろしくお願いします」
学校の教室でメイは初めて挨拶をした。30人の子どもがメイを見ている。男の子も女の子も。犬族の子どもも、猫族の子どももいる。みんな興味深くメイを見ている。
「先生、そいつ、女なの? ボクって男みたいです。それにそいつ犬族なの?」
不意に教室の一番後ろの席の男の子が、大きな声で尋ねた。犬耳があるから、犬族の男の子であろう。猫族の先生はその質問に毅然と答える。
「そういうことは関係ありません。男の子でも女の子でも、種族が人間でも犬族でも、猫族でもみんな同じくこの世界で生きている仲間ですよ」
「でも、先生、そいつ犬族なのに猫のようなキジ色だよ。ハーフじゃないの?」
「ハーフでも同じです。ジャン、そういう言い方は失礼ですよ!」
先生に怒られて黙ったが、ジャンという男の子はメイをキッとにらんだ。そして、プイと横を向いた。
(何、あの男の子、嫌い!)
瞬間的にメイは嫌な気持ちになった。でも、精神的には大人なメイは、何事もなかったような態度で指定された席についた。
そんなことよりも、1時間目はウェステリア語の時間だ。メイが昨日から楽しみにしていた授業なのだ。
「それでは教科書8ページの1行目から、順番に読んでもらいます。まずはミミさん」
先生にあてられた女の子は上手に読んだ。次は後ろの席の子と順に読む。メイは困ったと思った。昨晩、予習してきたとはいえ、まだ十分に読むことができなかったのだ。
「はい、メイさん」
「は、はい。き、今日の午後……きれいな……花を買いに……行きました…。好きな色は青に……白に……えっと……も……色?」
「ぎゃははっ……も色だって!」
ジャンがそう大きな声で笑う。釣られて何人かも笑う。メイは字が十分に読めない。桃色という単語が十分に発音できなかったのだ。
「失敗した人を笑うのはいけないと思います」
すくっと席を立った女の子が一人。この子も犬族の子どもだ。垂れた耳が可愛い子だ。この女の子にもジャンは絡む。
「なんだよ、ライラ。また委員長が真面目ぶっているぜ」
「静かにしなさい! ライラさんの言うとおりですよ。ジャン、ちゃんと教科書を開いて勉強しなさい」
先生の注意。この男の子にはいつも手を焼いているようだ。
「ふん。俺は鍛冶屋のあとを継ぐんだ。勉強なんて意味ないね」
そう不貞腐れるジャン。メイはこの男の子がますます嫌いになった。自分は今まで学校に行きたくても行けなかった。それなのにこの男の子は、学校へ行っても真面目に勉強しないのだ。もうメイには理解ができない。
1時間目の授業が終わって、クラスの女の子たちがメイを取り囲む。先ほど、メイをかばってくれたライラもいる。みんなメイについていろいろと知りたいようだ。
「私、ネル」
「わたしはミーシャ」
「わたすはナンナでがんす」
「わたしはライラ。先ほど名前を言ったので知っているわね」
「はい。みんなありがとう。ライラさんはボクをかばってくれて特にありがとう」
「どういたしまして。ジャンは男の子の中でも、最低のおバカさんだから気にしないでね」
「うるせー!」
「きゃああっ」
突然、メイの周りにいた女子が悲鳴を上げた。ジャンがトカゲを持ってきたのだ。トカゲが苦手な女子が逃げ惑う。
「きゃああ……トカゲ」
「気持ち悪い!」
「ふん。女なんか、トカゲを見ただけでギャーギャー言う弱虫じゃんか!」
「ジャン、あなた最低ね!」
ライラがそう制するが、ジャンはますます増長する。ライラの襟首を掴んで、そこへトカゲを入れようとする。ジャンの力に抵抗できないライラ。
バシッ!
「痛っ!」
ジャンのお尻に強烈な蹴りが炸裂した。蹴り上げたのはメイ。予想外の展開に驚くジャン。
「な、何をするんだよ。乱暴な奴だな」
「乱暴者はあなただよ」
メイはそう叫んでファイティングポーズをとる。このイタズラっ子と戦う気構えだ。その気迫に声を失うジャン。それでも気を取り直して言い返した。
「お前みたいなおとこ女と喧嘩して勝っても意味ねえ。男の沽券に関わるぜ!」
「弱い者いじめするのは、男の子じゃない!」
「うるせー」
ジャンはそう言うとふくれっ面になって立ち去った。メイに言い負かされた感じだ。見ていた女子はメイに拍手喝采。結果的にジャンのおかげで、メイはクラスメイトと打ち解けることができた。
クラスの女の子は、ほとんどが商売人か、役人の娘。午前中は学校へ行って、午後は習い事をしたり、家の手伝いをしたりする。これは男子もほぼ同じだ。
ウェステリアの小学校は、午前、午後の時間制である。これは子どもの数に比べて学校数が少ないのと、メイのように仕事をしながらも学ぶ子どもへの配慮なのであろう。
ライラの父親は衛兵警備隊に勤めているということで、父親譲りの正義感あふれる少女なのだ。ライラはメイの行動力に感動して、友達になろうと言ってくれた。メイは初日から頼りになる友達ができたのだ。
2時間目の算術、3時間目の文法、4時間目のウェステリアの歴史の授業が終わると、午前の部は終わりである。メイは紅い鞄に教科書を入れて帰り支度をする。
初めての学校は、難しくてわからないこともたくさんあったが、それでも知らないことを学べる喜びの方が大きかった。明日からもっと勉強ができると考えるだけで、楽しくなってしまう。自分を学校に通わせてくれた二徹とニコールに感謝である。
メイはライラたちと別れて、学校の門を出ると壁にもたれかかた男の子が待っているのに気づいた。ジャンである。青いストライプのシャツとくたびれたハンチング帽子。教科書を紐でくくって肩に背負っている。
「おい、お前」
「何よ」
仕返しをしようと待ち受けていたのであろうかとメイは思った。今から思えば、ジャンは3時間目あたりから急に大人しくなり、チラチラとメイの方を見ていた。メイは授業に集中したいので、無視を決め込んだのだが。
「お前、貴族様の家で働いているって本当か?」
「……本当だよ」
「お父さん、お母さんもいないって本当か?」
「……本当だよ」
「今まで学校へ行けなかったって本当か?」
「本当だよ」
なぜ、そんなことを知っているのかは疑問であったが、休み時間にクラスの女の子たちと話をしていたから、それを聞いたのであろう。メイとしては隠すことでもないから、正直に話しただけだ。
「ん……」
ジャンが1冊のノートを突き出した。
「何?」
「やる」
グイと鼻先にまで突き出されたので、やむなくノートを受け取ったメイ。単語を書きとって練習するノートである。しかも新品であった。そのまま、メイの元から走って帰るジャン。何がなんだか分からない。
次の日、メイはライラからジャンも両親がいないということを聞いた。今は親戚のおじさんのところで、鍛冶屋の修行をしているそうだ。最近まで学校にも行けず、勉強について行くのに苦労をしたらしい。
いつもふざけて女子に嫌がらせをする悪坊主ぶりであるが、そういう境遇だから、メイに対して親近感でも沸いたのであろう。ちょっとだけ、ジャンの優しい気持ちに触れてメイは嬉しい気持ちになった。
「おい、お前」
メイが振り返ると、そこにはジャン。怪我をしたのか鼻の頭に絆創膏。それよりも、ぐっとメイの鼻先に突き出されたのはカエル。掴まれすぎて、ぐたっと伸びているカエルである。メイの周りの女子がカエルを見て悲鳴を上げる。
(見直して損をしたよ……)
メイはそのまま、無言でジャンの腹にパンチをする。その場で崩れるジャン。
「うぐぐ……さすが、おとこ女。カエルにビビらないとは」
「やめてよね。そういう馬鹿なことは」
男の子というのはわけが分からない動物だとメイは思った。




