五大カラアゲの競演
オロロン鳥。それはウェステリア北部地方に生息する古来種。その性質は気が荒い。鳥同士を戦わせる風習もまだ残っているため、いわゆる闘鶏に使われている。気が荒いために集団で飼うことが難しく、それを食用にして商売として成り立たせることは難しかったために、その肉の旨さはごく一部の者しか知り得なかった。
二徹がこのオロロン鳥について知ったのは最近のこと。幻のオロロン鳥の飼育に成功したという農家があり、生産が軌道に乗ってきたので都の肉問屋に出荷を始めたばかりの頃だ。
その農家はオロロン鳥の肉質を変えず、性格だけをおとなしくした品種へ改良することに成功したのだ。この鳥の肉質は引きしまり、なによりもすごいのは肉の味が濃いこと。飼育の仕方で特別な餌の配合をしており、それが味と香りにも強く影響していた。
大量生産の鶏肉とは違い、放し飼いで飼う飼育法で適度な運動とノーストレスによって健康的に育っているのでとても美味しいのだ。さらに言うなら、闘鶏用の鳥は筋肉質でどうしても肉は固くなるのだが、このオロロン鳥は品種改良の恩恵で肉質がそれほど固くない。適度な脂が入って柔らかさと旨みを両立できているのだ。
「これがオロロン鳥の肉か?」
ジュラールがピンク色の肉の塊を見て、自分の地鶏肉と比較した。ジュラールの好きな地鶏も健康的なピンク色だが、それは桜色に近いもので、オロロン鳥と比べると薄い感じは否めない。
「ジュラールの使った肉も十分美味しいと思うけどね。でも、この鳥はもっとすごい。これは飼育法も素晴らしいけど、普通の地鶏じゃ勝てない遺伝子レベルの旨さがあると思うよ」
ジュラールの作った『漢のカラアゲ』が失敗に終わり、今度は二徹の番。二徹は肉からこだわった。御者のラオさんに頼んで市場まで行ってもらい、特別に問屋からこの肉を手に入れたのだ。熟成も進んだ食べごろのオロロン鳥が丸ごとである。
「二徹様、材料はこれだけでいいのですか?」
メイは二徹の用意した材料が少ないのに気がついた。肉以外に用意したのは岩塩、レモン、そして本日手に入れた鮎魚醤をベースとした漬けだれ。そして謎の粉である。
「うん。元々、バドの唐揚げは凝った料理じゃないからね。これだけで十分さ」
「二徹様。この粉はなんですか。ミ・フラウでもないし、タルロ粉でもなさそうですし」
メイの犬耳がピクンと動く。興味がわいた時の彼女の癖だ。そして、大抵の場合、二徹の料理の重要ポイントとなる。
「これはコーンフラウだよ」
「とうもろこしの粉ですか?」
「これを使うと香ばしさを増すんだよ」
そう言うと二徹は少し大ぶりにもも肉を切り出す。メイに指示して鮎魚醤ベースのタレに漬け込むものやそのまま、粉を付けるものを作る。
「二徹様、こんな部分も使うのですか?」
メイは二徹が包丁で切っていく部位を見て、驚いた。通常はカラアゲには使わない部分を切り出したからだ。
「カラアゲの定番はもも肉だけど、他の部位も美味しいからね。僕が作るのはオロロン鳥の5大カラアゲだよ」
「五大カラアゲだって!?」
メイだけでなく、見ていたジュラールも思わずつばを飲み込んだ。クラーラも先程から鼻をヒクヒクさせている。
「ジュラール様、ジュラール様!」
突如、使用人の声が響いた。厨房に慌てて駆け込んできたのは酒造所で働いているリーダーの男。息を切らしている。
「どうしたんだ?」
「それが……AZK連隊の兵士だと名乗る方々が……」
「AZK連隊だって?」
二徹がそう思った時には聴き慣れた声の主が、部下と知らない中年の男性を連れて厨房に入ってきた。
「ジュラール殿、緊急に聞きたいことが……あれ、二徹、なんでここに?」
声の主はニコール。思いがけず、二徹とメイがいて、しかも料理らしきことをしているのでびっくりしたようだ。
「ニコちゃ……ニコール大尉もどうしてここに?」
ニコールの後ろにシャルロット少尉や護衛の兵士。さらに上官と思われる青年将校を見て二徹はニコちゃん呼びを回避した。夫婦の微妙な空気を切り裂くように、ニコールのそばにいた中年の男が叫んだ。
「クラーラ、やっぱりクラーラじゃないか!」
クラーラはその言葉に振り向いたが、男の顔に見覚えないのか首をかしげているだけだ。
「本当にご令嬢のクラーラさんなのか?」
行方不明になっていた娘との再会で、感動のシーンとなるところなのに、娘の方はそうでもないらしい。というより、父親を見る目は完全に赤の他人だ。
「ワタシ……シラナイ……オモイダセナイ……」
「そんな馬鹿な。お前はこのカウニッツの娘。絶対に間違いない」
だが、記憶を失ったクラーラはきょとんとするばかりだ。ジュラールがクラーラを見つけた経緯を話す。彼女を海から助けたこと。名前以外の記憶を失っていたことを説明した。そしてカラアゲに反応を示したことも……。
「そうですか……。私は農場を経営していまして、主にオロロン鳥を飼育しています」
「オロロン鳥だって? これは驚いた。二徹、お前の使っている肉の生産者みたいだぞ」
偶然である。といっても二徹がオロロン鳥を材料に使ったのは根拠がある。それはクラーラの髪留めに使っていた紐が北部のヨージャ地方の特産品の組紐であったからだ。もしやと思い、彼女にとって馴染み深い食材をチョイスしたが、思いっきりストライクとは思わなかった。
「クラーラの得意料理はカラアゲでした。いつもうちで生産したオロロン鳥の肉を使って、多くの従業員に作っていたのです」
「彼女はどうやらゼーレ・カッツエの連中に誘拐されて、どこかに監禁されていたらしい。おそらく外国へ行く商船だと推測される。今もそこに多くの娘が監禁されているのだ。彼女の口から何か情報を得たい」
「なるほどね……状況は分かりました。ニコち……ニコール大尉」
これで二徹もジュラールも納得できた。クラーラにカラアゲを食べさせることで、記憶が戻るかもしれないというわずかな望みが増幅する。
くんくん……。
ここへ現れた人間全てが、美味しい匂いに虜になる。二徹が作っていたカラアゲができたのだ。
「二徹、これがお前の作ったカラアゲか?」
「大尉、僕はこの料理で彼女の記憶を呼び覚まします。メイ、まずひと皿目を出して」
「はい、二徹様」
最初の皿は揚げたてアツアツで、まだジュージューと微かな音を立てていそうなもも肉のカラアゲだ。二度揚げすることで、芯までゆっくりと加熱されてそれに伴い、ジュワジュワと肉汁が中に溢れている。
「ちょっと待ってくださいね。これで仕上げます」
そう言うと二徹は包丁でレモンを2つに切った。メイも同じことをする。それを両手で掴むと握力で果汁を絞り出す。
ジュワアアア……とアツアツのところへレモン汁が染み込む。
「むむむ……二徹様。ボクの握力じゃモレンの汁が……」
「こうしようか!」
メイの小さな両手を上からかぶせて、二徹は力を加える。光り輝くレモン汁がメイの握り締めた手から絞り出される。その最後の1滴が揚げられた肉に落ちた時に完成する。
「どうぞ、みなさんも食べてください」
もうみんな目が釘付けだ。クラーラもカウニッツもフラフラとその魅惑の肉の塊を口に放り込む。ゴクリとつばを飲み込んだニコールも口に放り込んだ。
「うあああああっ……肉汁が……」
「肉に旨みとモレンの酸味がた、たまらん……」
同時に食べた護衛の兵士は思わず声に出してしまう。
「まず舌に来るのは酸味のあるモレンの汁。これが味覚を初期化する。十分に準備ができたところに間髪入れずに、オロロン鳥のもも肉の甘味が襲いかかる。ひと噛みするだけで溢れる脂。肉の旨み……これは美味しい」
「ニコール大尉、詳しい解説ありがとうございます」
ニコールにそうお礼を述べる二徹。つい饒舌になってしまい、部下の前で詳しい食レポをしてしまい、少しだけ顔を赤らめるニコール。
「これはシンプルだが、オロロン鳥の肉の本来の味を引き出す一番の方法だ」
カウニッツはこのオロロン鳥のことをよく知っているだけに、このシンプルな食べ方では驚きは少ない。家でも揚げたてのカラアゲにレモン汁をかけて食べることはよくしていたからだ。
「ウウウ……なんだカ……頭の中ガ……すっきリ……シテイク…ような……」
「おお、クラーラに変化が。二徹、第二弾を頼む」
ジュラールの要請に応えて、第2弾を投入する。これは鮎魚醤に漬け込んだカラアゲだ。これは噛んだ瞬間に肉のスープと漬けだれのスープが融合し、味覚を活性化させる。
「こ、これは初めての体験だ。この黒いタレのおかげで味が幾層にも別れ、舌を通じて脳を目覚めさせる。これは快感だ……」
唸るカウニッツ。この食べ方は経験がないだろう。鮎魚醤を使ったタレは二徹のオリジナルだからだ。
「この肉はムネ肉だな。ムネ肉も旨いが、下手するとパサパサになるところだ。それをこの漬けダレが補っているということか……」
「はい、大尉。淡白なムネ肉だからこそ、味が染み込み、肉との融合がはっきりとわかるかと思います。メイ、第3弾を準備するよ」
そう言って二徹が揚げたものを食べた一同は絶句する。
「う、うまい……今までのも旨いがこれも別次元だ」
「コリコリしてるけど、脂身もあって……この食感がたまらない」
「濃厚だよ……肉の味が濃厚……」
シャルロット少尉を始めとする兵士たちも初めて体験する味。同じオロロン鳥であるのに、こんな食感の肉があるなんて信じられないといった表情だ。
「これは『せせり』だな……」
「さすが生産者。カウニッツさん、大当たりです」
「二徹、『せせり』ってなんだ?」
「ニコール大尉、『せせり』はオロロン鳥の首の部位です。筋肉が発達しているのでコリコリとした食感があるのですが、意外と脂も多くて味が濃厚なんです。岩塩を軽く振っただけですが、これはシンプルな方が肉本来の味を楽しめます」
「うまうまうま……こんなにオイシイなんて……ううう……何か頭の奥から……」
「二徹、クラーラさんが何かを思い出せそうだぞ」
「よし、では第4弾。砂肝のカラアゲです」
これは素揚げした砂肝。コリコリした噛みごたえが楽しい。レモン汁をたっぷりかけているので、臭みもなく噛めば噛むほど味が染み出る快感に酔いしれる。
「そして最後はこれ!」
二徹が出した最後のカラアゲ。それは口に入れるとパリパリと香ばしく崩れていく不思議な食感。それでいてほどよい脂の甘み。鮎魚醤のたれ風味がよく合う。
「これは……まさか……」
カウニッツは驚きで立ちすくんでいる。この部位はいつも捨てている場所だ。それがこんなに美味しいとは、今まで捨てていたことを激しく後悔する。
「皮がこんなに旨いとは……知らなかった」
「バドの皮は意外と脂が多くて美味しいのです。ただ、うまく調理しないとブヨブヨの食感ですから敬遠する人が多数でしょうね」
「……美味しい……です……さすがお父様、この鳥は世界一美味しいです」
「クラーラ?」
「クラーラさん?」
「あれ? 私は何を……お父様……なぜ、ここに?」
「や、やった~。クラーラさん記憶が戻った!」
ジュラールは思わずクラーラの手を取った。カラアゲが記憶を呼び戻したのだ。
「クラーラさん。あなたはどこか船に監禁されていませんでしたか?」
ニコールはそうクラーラに尋ねる。久しぶり父親と再会し、安堵する彼女から貴重な情報を聞かないといけない。それは彼女にとって思い出したくないことであるかもしれないが、今でも救出を待っている多くの娘たちがいるのだ。
「あ……確か国旗が緑地にライオンの絵」
「ナラブの旗だ。船の名前は?」
「パンドラ……確か、パンドラ号でした……船体に書いてあったと思います」
「連隊長、ターゲットが判明しました」
「うむ。ニコール大尉、すぐさま港へ引き返そう。二徹君。よくやった。これで監禁されている娘たちを救えれば、君の手柄は相当なものだ」
「あ、あなたは?」
二徹は青年をじっくりと見る。軍服の階級章は少将。妻のニコールの上官ということは、名前は分かる。それでもあえて聞いてみた。
「レオンハルト・シュナイゼル。AZK連隊の連隊長を拝命してる。君のことはニコール君から聞いているよ」
「少将閣下、妻がお世話になっております」
敬礼まではしないが直立不動になる二徹。妻の上官には礼を尽くさねばならない。これも専業主夫の務めである。
そこへ一人の兵士が、なにやら手紙を持ってやってきた。彼は港を急襲する中隊のメンバーである。
「オーガスト家の家令を名乗る男から、この手紙を渡されました。状況からニコール大尉に一刻も早くお知らせしないとと思い、早馬でやってきたのです」
ニコールはその手紙に目を通す。その顔はみるみると青ざめていく。その手紙をそっと二徹へ差し出した。
(これは……ジョセフからの手紙……)
「レオンハルト閣下。私の義妹のリーゼル・パーシーがパンドラ号に監禁されていることが分かりましたのでご報告します」
ニコールの報告は二徹の心を揺らした。
「リ、リーゼルが?」




